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28. 記憶がなくても
しおりを挟む夫はなんでもない顔をして、その薬草の簡易栽培セットを私の前に差し出した。
私はそれと夫の顔を何度も往復して見てしまう。
「どう……して?」
「うん? だってさ記憶がなくても、好きになる物ってそんなに大きく変わらないんじゃないかと思って」
「……え?」
その言葉に胸が大きく跳ねた。
───記憶がなくても好きになる物は変わらない……
きっとそれは今、こうして渡されているプレゼントの話だけではない……そう思ったから。
「マーゴットは薬草を育てて世話をするのが本当に好きそうだった」
「で、でも! 記憶喪失前から好きなことは、確かにまた好きになる要素はあっても、必ずしも今の私が好き……かどうかは分かりませんよね?」
「うん。でも、マーゴットは昨日、“俺の健康の為にと薬草を育て煎じてお茶も淹れてくれた”と言った時、ほんの僅かだけど身体が反応していた」
「───そ、れは!」
(どうして分かったの!?)
そんな目で夫を見ると、優しく微笑み返された。
(……そうだった。夫は騎士だった)
目ざといのは当然かもしれない。
……夫の言う通りで、私は施設の裏にある畑を見る度に不思議とウズウズしていた。
そして、薬草の話を聞いて「これか!」と思って反応したのもその通り。
「マーゴットは公爵家にいた時は庭で薬草を育ててくれていたけど、ここではさすがに難しいだろうから簡易栽培セットにしたんだ」
「……」
そこまで気を回して選んでくれたプレゼント。
どんなに豪華で高価な宝石やアクセサリーを贈られるよりも嬉しい。
でも……
「……もし、私が全く興味がないです! と、突っ返したらどうされるつもりだったんですか?」
「え? その時はもちろん自分で育てるよ?」
「じ、自分で?」
私が聞き返すと夫は少し悲しそうな表情を浮かべた。
「マーゴットがすごく楽しそうだったから、きっと面白いんだろうなって思っている」
「え?」
「……今はこうして身体が動くだけで幸せだからさ、やってみたいと思うことはなんでもやりたいんだよね」
(……あ!)
その言葉で少し前まで夫が置かれていたという状況の話を思い出す。
確か一年以上、部屋から出れずほとんど動けなくなっていたって。
「身体が思うように動かなくなっていくたびに……どんどん出来ることが減っていった。“楽しい”とか“面白い”とかそういった感情も一緒に薄れていったと思う」
「……」
「最初はすぐに解呪出来るだろうと思っていた。そして色んな解呪方法を試したけど、改善されるどころか悪化していくばかり。それで、マーゴットがやって来る少し前だったかな……」
「何があったのですか?」
「───解呪方法はない。諦めてくれ、と言われた」
それは死の宣告に等しい。
下手な希望を持たせるよりも、ということではっきり告げたのかもしれないけれど、それはなんて酷なんだろう。
「……マーゴットがいなかったら俺はもっと早く……とっくに死んでいたらしい」
「え?」
それは……嫌!
自然とそんな思いが生まれた。
「それが一年……私が助けるまで生きられたのは、私が治癒能力を使っていたから……ですか?」
「その時のマーゴットは無意識に治癒能力を使ってくれていたみたいだけど、それだけじゃないよ」
「どういうことですか?」
「毎日明るく過ごしているマーゴットの存在が、俺にもう一度“楽しい”とか“面白い”とかいう気持ちを思い出させてくれたから」
「治癒能力ではなくて、私……がいたから?」
能力目当てじゃない。
私の存在そのものに救われた……と言ってくれている?
「そうだ。ありがとう、マーゴット…………コホンッ、というわけで。話がずれたが今の俺は何でもやりたいなと思っているから、受け取ってくれなくても気にしな──」
「で、では、こちらはありがたく使わせていただきます!」
「え?」
私が食い気味にそう答えて簡易栽培セットを受け取ると、夫は目を丸くした。
「な、なんでそんな顔をするんですか! これは、わ、私へのプレゼントなのでしょう?」
「そう……なんだが」
「だったら、これはもう私のです!」
「マーゴット……」
私がギュッと腕の中で簡易栽培セットを抱え込むと、夫はとても嬉しそうに笑った。
そんな夫の笑顔に私の胸は盛大にときめいた。
「──他に何か欲しいものはある?」
「え?」
「……今回はそれをプレゼントに……と選んだはいいが、俺はあまり女性が喜ぶものが分からない」
照れながらそんなことを口にする夫にますます私の胸が……
(───もう! さっきから私の胸、バクバクうるさいわ!!)
「それを買った時に、女性へのプレゼント用だと言ったら……店員に笑われた」
「え!」
「それにやっぱり、マーゴットの好きな物を贈りたい。“今”のマーゴットが好きな物や気になっている物は? 何かある?」
(───“今”の私……)
その言葉で夫は、自分を助けてくれたという“記憶を失くす前”の私ばかりを追い求めているわけではなく、“今”の私のこともきちんと知ろうとしてくれているのだと分かった。
(この人は……本当に私と新しい関係を始めようとしてくれているんだわ!)
「───ほ、本……が」
「本?」
不思議そうに聞き返されてので、どうやら私は公爵家にいる時は本を読んでいなかったらしい。
そういえば、義父の公爵様も不思議そうな顔をしていたっけ。
「ひ、非常に、よ、読んでみたいと気になっている本が……あるのです」
「そうなのか? どんな本だ?」
「えっと、ですね──」
「うん」
「……」
「……?」
「……」
「……マーゴット?」
私が黙り込んでしまったので夫が困っている。
私は私で勢いで口にしてしまったけれど、これ夫に頼んでもいいものだったかしら……と我に返ってしまった。
「どうした?」
「……」
───ここまで言ってしまったのだから! 言うのよ、マーゴット!
と、私は自分に喝を入れ勇気を出して口にした。
「あ、愛と陰謀が渦巻く……ド、ドロドロした愛憎劇の物語の本……!」
「ドロッ──!?」
ガタンッと大きな音を立てて、夫が椅子からずり落ちた。
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