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第7話 侯爵様の提案
しおりを挟む朝が来て目が覚めた時、寝ぼけていたせいか見知らぬ天井に驚いてしまった。
(私の部屋じゃない!? あ、そうよ……えっと……ここは)
「……痛っ」
いつもの調子で起き上がろうとしてしまい、ズキッと身体中が痛んだ。
(そうだ……私、昨夜のパーティーでティモンの浮気とローゼの裏切りを知って……問い詰めたら暴行を受けて、そのあとは馬車に轢かれそうになって……)
一度に色々な事がありすぎたので、頭の中で整理していると部屋の扉がノックされる。
「リーファ様、おはようございます。お目覚めでしょうか?」
そう言って部屋に入ってきたのは、マーギュリー侯爵家のメイドさん。
昨夜、私がここで目が覚めた時に一番最初に駆け寄ってきてくれた人だ。
「そろそろお目覚めかと思いまして、朝の支度の手伝いに参りました」
「あ、ありがとうございます。でも私、支度は一人で出来るので大丈──痛っ」
「リーファ様!!」
無理に動こうとしたせいで、全身に痛みが走る。
朝の支度……屋敷ではいつも一人でやっている事なので、大丈夫ですと断ろうと思ったけれど、痛すぎて身体は全然思うように動いてくれなかった。
メイドが慌てて駆け寄ってくる。
「あああ、リーファ様! そんな動いてはダメですよ。無理してはなりません!」
「そ、そうみたいですね……」
「ご主人様とお医者様からも絶対に無理はさせるなと言われております!」
「は、はい」
私は大人しく身を委ねる事にした。
そうしてどうにか支度を終えた頃、再び部屋の扉がノックされる。
(また訪問者?)
「───ど、どうぞ?」
「おはよう、リーファ嬢」
誰かしら? と思えば部屋にやって来たのは、昨夜私を助けてここに連れて来てくれた侯爵──カイン様だった。
「侯爵様! おはようございます……!」
「まだ、あちこち痛むとは思うが、身体の調子は……どうだ?」
「おかげさまで大丈夫です」
私がどうにか笑顔を作ってそう答えると、たちまちカイン様はしかめっ面になる。
(あれ?)
「昨日の今日でそんなにすぐによくなるはずがないだろうに。無理はするな」
「あ……」
「無理して笑わなくてもいい」
「はい……」
「それから昨日も言った。僕はカインだ」
(…………ん?)
最後の言葉の意味が分からず、顔を上げるとカイン様と目が合った。
彼の青い空みたいな色の瞳はとても綺麗で思わず見惚れてしまう。
「侯爵……ではなくカインと呼んでくれると嬉しい」
「カ、イン様?」
「ああ、そうだ」
そんな馴れ馴れしい……と思ったけれど、よくよく聞くと爵位を継いだばかりのカイン様は“侯爵”と呼ばれる事に慣れていないのだという。
「だから、気にせず呼んでくれ」
そう口にするカイン様の微笑みはとても優しかった。
そしてカイン様はベッドの脇にある椅子に腰をかけると、昨夜の事なのだが……と話し始める。
「昨夜はあれから急いでアクィナス伯爵家へ連絡を入れておいたよ」
「ありがとうございます……」
「使用人達はかなり驚いていて心配していた」
「……そうですよね」
といった所まで話を聞いて、あれ? と思った。
───心配していたらしいではなく、心配していた?
まるで、その場で見ていたような言い方ね、と思った。
まさか?
「あの……」
「うん? どうした?」
「こ……カイン様はもしかして……昨夜……」
私が言いたい事を察したカイン様は笑顔で頷く。
「僕が直接、アクィナス伯爵家の屋敷に出向いたよ?」
「カ、カイン……様、自ら……」
「両親不在中の大切なご令嬢に怪我をさせてしまって預かるんだ。当主である僕が挨拶に行かなくてどうするんだ?」
カイン様は、それをまるで当然のことのように言う。
馬車の件では怪我はしていないのに。
「……」
ごく当たり前の事を言っているだけなのかもしれないのに、とても最低な男を見たばかりのせいか、涙が出そうになった。
「ありがとうございます。ですが、嘘をつかせてしまい申し訳ございません……」
私が頭を下げると、何故か優しく頭を撫でられた。
「気にしないでくれ。謝らなくていい。今はゆっくり身体を治す事だけを考えてくれればいい」
「カイン様……」
「しかし……昨夜よりその頬は腫れているな……」
「はい……」
それは、朝の支度中に鏡を見て自分でも思った。
やっぱり拳で殴られただけある。昨夜見た時より明らかに腫れていた。
そう思えば思うほどティモンは最低だという嫌悪感ばかりがどんどん湧き上がってくる。
「身体もまだ辛いだろう?」
「……動こうとするとあちこち痛みます」
「……」
私がそう答えるとカイン様が真面目な顔で黙り込む。
「リーファ嬢」
「はい」
「昨夜は一日だけと言ったが、今の君をこのまま屋敷に返すのは心配だ」
「え?」
確かに身体はまだかなり痛いし、手当されているとはいってもこの腫らした頬のまま外に出るのは抵抗がある。
「リーファ嬢が嫌でなければ……なのだが、君の身体の状態が落ち着くまでこの家に住まないか?」
「──は、はい?」
「定期的に診察だって受けられた方が君だって安心だろう?」
「そ、それはそうですが……」
突然のその提案に頭が追いつかない。
怪我が治るまで、このままここでカイン様にお世話になる?
「で、ですが、さすがにご迷惑では……」
「全然。この屋敷、部屋数だけは無駄にあって広いから気にしないでいい」
「カイン様……」
「ただ、広さのわりに屋敷の使用人は最低人数にしているから、少し不便な時はあるかもしれない。そこは申し訳ないが……」
その言葉を聞いて、カイン様も私と同じで出来る事は自分でやりたくなるタイプの人なのかもと思った。
「それから、ご両親への連絡の手紙も書いた後はこちらが責任もって領地に届けさせる。───どうだろうか?」
「カ、カイン様」
(どうだろうかと言われても!)
思いがけない提案に私の心は揺れる。大いに揺れる。
……このままこの言葉に甘えてしまってもいいの?
「リーファ嬢。遠慮しないでくれ。それに……」
「それに?」
そこで一旦言葉を切ったカイン様は、少し照れ臭そうな様子で言った。
「上手く言えないが……僕はこのまま君を放っておきたくない」
「え!」
釣られて私の方まで照れてしまう。
「──どうだろうか? リーファ嬢」
真剣な空色の瞳に見つめられて、ドキマギしてしまう。
そのせいで、この時の私の頭の中では、あんなに悲しかったはずのティモンの浮気と暴力、ローゼの裏切りの事なんてすっかり何処かに吹き飛んでしまっていた。
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