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第51話 初恋にさようなら

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  (何かしら?)

  わたくしは内心で首を傾げる。

「……王女殿下、覚えていますか?」
「覚えている?」

  ジャンは過去を探るように少し遠い目をした。

「はい。まだ、私があなたの護衛任務に着いたばかりの頃です」
「え?」
「あの時、殿下に向けて言った言葉に嘘はありませんでした。本当にそう思ったのです」
「あの時の言葉?」

  わたくしが首を傾げると、ジャンは言った。

「─────私も王女殿下のその瞳の色、綺麗でとても好きですよ?」
「!」

  (その言葉は───)

「ですが、不思議ですね。何故か今の王女殿下の瞳の方がとても綺麗に見えます」
「ジャン……」
「色は昔と変わっていないはずなのに────でも、きっとそれは……」

  ジャンは何かを言いかけて、もう一度だけわたくしの瞳を見た。
  そしてすぐに逸らすともう一度頭を下げた。

「王女殿下───何もかも至らず、罰せられてもおかしくないことをしでかした私への温情、心より感謝いたします。申し訳ございませんでした」
「……」

  それだけ言って帰ろうとするジャンの背に向けて、わたくしは呼びかけた。

「ジャン!  こんなわたくしに仕えてくれて…………ありがとう」

  あの頃のわたくしは、本当に愚かだったから気付いていなかった。幼い時からわたくしの護衛は誰も長く続くことは無かった。
  でも、馬鹿で愚かなわたくしは、それは自分が人気だから皆がやりたがって交代するのだなどと馬鹿な勘違いをしていたのだけれど。

  (違う、そうではないと気付ける要素はたくさんあったはずなのに……)

  だって、わたくしが専属になって?  と望んでも「もっと適任の者が他にいると思います」そのようなことを言って引き受けてくれる者はいなかった。
  もちろんどうしてかは今なら分かる。
  ハズレで我儘放題な王女の護衛なんて苦痛でしかない。
  専属なんて引き受けるはずがなかった。

  (でも……)

  あんな形で終わってしまったけれど、そんなわたくしにあれだけ辛抱強く仕えてくれて、専属にまでなってくれたのはジャンだけだった。
  そこにジャンのどんな思惑があったかは知らない。
  それでも……それだけでわたくしは嬉しかった。
  
 「……!」

  ジャンは驚いた顔をして少しだけ固まった。
  そして、少し震える声で言った。
  
「…………“ありがとう”?  殿下……それは、私に対して言っているのですか?」
「ええ、ジャン。あなたに言っているわ───ありがとう」

  (そして、ごめんなさい……)

「……っ」

  なぜか、ジャンは言葉を詰まらせた。
  また、その瞳が何か言いたそうに見えたけれど、結局何も言わなかった。
  そして、最後にもう一度コンラッド様とわたくしの顔を見て静かに頭を下げてから部屋を出て行った。

  (もう、会うのはこれが最後ね)

  ────さようなら、ジャン。
  ────さようなら、わたくしの初恋。

  (どうか、今度こそあなたの幸せが見つけられますように……)
  
  ジャンの背中に向かってわたくしは心の中でそう呼びかけた。





「───ありがとう、か」
「コンラッド様?」

  ジャンが部屋を出て行ってから少し経ってコンラッド様が小さな声でそう呟いた。

「クラリッサは“ごめんなさい”と謝るのかと思っていた」
「え?  あー……」

  考えなかったわけじゃない。
  だけど、その言葉は心の中に留めた。 
  だって、わたくしが仕えてくれていたジャンを身勝手に振り回し続けたことは紛れもない事実。
  けれど……

「もし、わたくしが謝ってしまったらジャンは、もうわたくしを“許す”ことしか出来なくなってしまいます」

  ───だって、わたくしは王族だから。
  わたくしの発する言葉は重い。
  対等な関係ではない上の立場であるわたくしに謝られてしまったら、まだ完全に整理がついていないであろうジャンの複雑な気持ちは行き場を失ってしまう。
 
「それなら、“ごめんなさい”より“ありがとう”と伝えるべき……そう思いました」
「そっか……」

  コンラッド様はそう言って微笑むと優しく抱きしめてくれた。
  そのあたたかい温もりを感じながらわたくしもコンラッド様に訊ねる。

「コンラッド様こそ、どうしてジャンを不問にすると言ったわたくしの言葉に反対しなかったのですか?」
「……」

  ジャンがわたくしにしたことは、完全に不敬罪だ。
  本来なら簡単に許されることではない。何らかの処罰はあって当然だった。
  だからこそ、ジャンも不問にすると言われた時は驚いていた。

  なので正直、コンラッド様が反対せずにそれでいいと言ってくれたことが不思議だった。

  ギュッ……
  コンラッド様の腕に力がこもる。

「クラリッサがそう望んだから……というのもあるけれど、もちろん、それだけじゃない」
「と、言いますのは?」
「ここで何らかの罰を与えるより、咎もなく許されてしまった方が、あの男の心にはダメージが大きいと思ったから、かな」

  コンラッド様はそう言った。

「あの男……ジャンが“王女に鬱憤を晴らすために八つ当たりして失礼を働いたけど処罰されなかったぞ!  良かった!”と考えるような男だったら私はさっさと捕まえて罰を与えただろうね」
「コンラッド様……」
「───罰ってさ、何でもかんでも痛みつければいいってものでもないと思うんだ。時には“許された”ということそのものが大きな罰となる場合もある」
「……!」

  つまり、なんの咎もなく許されてしまったことが、逆にこれからのジャンにとって戒めになる。
  コンラッド様はそう判断したということ。

「わたくし……そんな深いことまで考えられませんでした」
「クラリッサ?」
「わたくしはまだまだ駄目ですね……」

  そう口にしたら、コンラッド様が抱きしめていた腕を解いて、今度は頭を撫でてくれる。

「クラリッサは、そのままでいい」
「え?  で、ですが……」
  
  戸惑うわたくしにコンラッド様は頭を撫でたまま言う。

「人の痛みが……痛め付けられる気持ちを知っているクラリッサだからこそ、見えるものだってあるだろう?」
「!」
「だから、クラリッサにはそのままでいて欲しい」

  (ああ、コンラッド様は“傷”を抱えたわたくしごと、こうして包み込んで受け入れてくれる……)

  こんなの───……

「好き……」
「ん?」
「───あなたが、好き。大好きなのです…………コンラッド様」


    ───“愛しい”という気持ち以外が出てこないわ、コンラッド様。

  そう思ったわたくしは自然とその言葉を口にしていた。

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