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1. 失恋しましたので
しおりを挟む「アンジェリカ」
「……は、はい」
王宮の中の一室、王太子殿下の執務室。
そんな色気も何も無い所で、我が国の王太子殿下が私の前に跪いている。
これだけで私の頭の中はどうしたらいいのか分からず軽く混乱していた。
「アンジェリカ、実は……」
「……?」
どこに隠し持っていたのか……一本の薔薇の花を手に取ると私に捧げながら王太子殿下は至極真面目な顔をしながら続きのセリフを言った。
「───私の天使は君だったらしい」
───は?
そんな声が思わず出そうになった。
いやいやいや、あなたの天使は“あの子”でしょう?
私の脳裏に“天使”という言葉がピッタリの可愛らしい令嬢……いえ、夫人の顔が浮かぶ。
半年前、大騒ぎとなったパーティーで彼女は一躍有名になった。
独占欲の塊みたいな夫に愛されてとても幸せそうに微笑む未来の公爵夫人は誰が見ても天使と呼ばれるのにピッタリだと思った。
───あなたは、いつだってそんな“天使”の彼女をうっとりした表情で見ていたじゃない!
と、私は今すぐ怒鳴りつけたい気持ちをどうにかこうにか落ち着かせようとする。
「……で、殿下……!? いきなり何をしている……のですか!」
部屋の隅から殿下の側近の慌てた声が聞こえる。
ほらほらほら!
同じ部屋の中にいるあなたの側近も、この突然の行動に目を丸くしているわよ!?
───……って、この側近があなたがうっとり見つめる“天使”の夫ですけどね!
「ようやく気付いたんだ! 私の本当の天使はこんなに身近にいたのだと! それは君だったんだ、アンジェリカ!」
「!?」
待って待って待って!?
何故か、私の事を“天使”と呼んでいるけれど……殿下、あなた……もうすぐ婚約予定でしょう!?
他国の王女様と政略結婚の話が来ている事を私は知っているんだから!
そう思った私は、こう口にしていた。
「む、無理です! わ、私は、殿下の天使にはなれません!」
「……!」
部屋の空気がピシッと固まった音がした気がした。
────
「な、何だったの……」
私は全速力で空気の固まった部屋から逃げ出し、たまにヨロヨロとふらつきながらも帰宅するための馬車寄せへと辿り着き、我が家の馬車に乗り込んだ。
───不敬? そんな事は関係ないわ。とりあえず、逃げる!
今の私の頭の中にはそれしか選択肢が無かった。
今日、突然、殿下から急いで王宮に来てくれ!
そんな連絡を受けたから何事かと慌てて向かってみれば……
「天使が私だったですって? ……絶対に違うでしょう」
動き出した馬車の中で一息ついた私は、膝の上で拳を握りしめながらギュッとドレスを掴む。
それに殿下が仮に本当に私の事を“天使”だと思ってくれていたとしても……もう遅い。
婚約予定の王女様がいるのなら私は何になるの?
愛人にでもするつもり? そんなの絶対にゴメンだわ!
「……せめて、一年前、私があなたを諦めようとしていた時に同じセリフを言ってくれていたなら……」
そう思わずにいられない。
私は、アンジェリカ・ノルリティ。
ノルリティ侯爵家の令嬢。
私は子供の頃からずっとずっとこの国の王子様に恋をしていた。
王子様に恋をするなんて無謀だと何度も諦めようとして、でも諦められなくて、ズルズルと引きずっていた気持ちにようやく終止符を打とうと決めたのが───今から約一年前の事だった。
────────
────…………
「アンジェリカ。残念ながらまた、お断りの手紙だ」
「……なっ! ま、またですの!?」
その日、もはや何通目になるかも分からない“婚約の打診”のお断りの手紙をお父様は私の元に持って来た。
焦った私は、慌ててお父様の手からその手紙を奪い取るなり中に目を通す。
「~~っ!」
「落ち着け、アンジェリカ。それにしても、また同じ様な断り文句が書かれているとはな……はぁぁ、何故なのか」
お父様が深いため息を吐く。
私もため息を吐きたい気分よ、お父様。
「“君のような人に僕のような男はもったいない”…………あぁ、もうやっぱりまたこれ! このフレーズは聞き飽きましたわ!」
私は手にしていた手紙をビリビリに破いてからポイッとその辺に投げ捨てる。
その様子を見たお父様が頭を抱えながら私に訊ねる。
「これは……何度目……いや、何通目だ?」
「そんなの覚えていませんわ!」
「これはやはり、一時期、お前が王太子妃候補の最有力などと騒がれた事が原因なのでは……」
「あ、あれは……結局……」
───私が一方的に王太子殿下をお慕いしていただけで、殿下にその気なんて全く無かった。
ちゃんと彼には本命がいる事が最近判明していた。
「コホンッ…………もうすっかりと消えて無くなった話ですわよ、お父様」
「しかし……」
「……殿下の本命は、とても美しいと評判のスティスラド伯爵家の令嬢だそうでしてよ。伯爵令嬢本人がご丁寧にそう言って回っていたわ」
殿下も王家もまだ、何も表明していないのにそんな事を堂々と言い切るなんて……!
と、私を含めた多くの令嬢が顔を顰めたけれど、スティスラド伯爵令嬢のリデル様はそう口にするだけの美貌が確かにあったわ。
「知っている。社交界でも婚約発表間近と言われているようだな」
「……」
「まさか、あの殿下が家柄や知性などではなく美貌で選ぶとはな……てっきり政略的な結婚相手を選択すると思っていた」
お父様のその言葉を聞きながら、私はそっと目を伏せた。
だって、私もそう思っていた。
そして順当に行けば私が選ばれると思っていたの。
殿下とも幼馴染で、関係は良好。爵位も侯爵家。
この国の公爵家に今は独身の娘はいないから、年頃の娘で一番身分が高いのは私だったんだもの。
でも、未来の王太子妃……後の王妃という重要な役割をあの美貌の伯爵令嬢に与えるという事は、よっぽどその令嬢に殿下は惚れ込んでいるんだわ……
私には美しさを武器に威張り散らしている嫌味令嬢のようにしか見えなかったけれどね……
───なんて、コレも選ばれなかった私のただの嫉妬よ。情けないわ。
私はまだ、殿下が私ではなく他の令嬢を選んだという事実を受け止め切れていないだけ。
「……お父様。私、半年ほど留学して来ようと思うの」
「は? 何を言っている?」
「だって(殿下の事を忘れる為に適当に打診をしまくった)縁談も全然まとまらないですし」
何より、殿下の婚約や結婚なんて話は聞きたくないし、間近で見ていたくないというのが本音よ。気持ちを切替える為に逃げる言い訳なのは申し訳ないけれど。
「ちょうど、通ってる学院で短期の留学生を募集していますのよ。実は先生にどうですか? って、勧められていて丁度いいわ」
これは嘘では無い。
立派な王太子妃を目指していたから人一倍勉強を頑張った成果よ!
「アンジェリカ……行きたいのか?」
「ええ!」
───私が帰国する頃には、きっと殿下とスティスラド伯爵令嬢との婚約が正式に発表されているはず。
半年あれば……私の心の整理もつくはずよ。
それに、もしかしたら、向こうで素敵な出会いがあるかもしれないわ!
この時の私はそう思って、若干渋るお父様をどうにか頑張って説得して半年間の留学へと旅立った。
なのにいざ、帰国してみたら───
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