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13. 近付く距離
しおりを挟む私が旦那様(仮)との逢瀬を終えて部屋に戻ると入れ替わるようにしてシルヴィが部屋を出て行った。
(シルヴィも私と顔を合わせたくないのね)
もうすぐ迎えの馬車も来るし、こっそりルンナが後をつけているみたいなので大丈夫だろうと思う事にした。
──そんな、すぐ後の事だった。
コンコンと扉がノックされ、シルヴィの戻りにしては早いわねと思いながら扉を開けると、そこに居たのは───
「旦那様?」
「……」
さっき中庭で別れたばかりの旦那様(仮)が立っていた。
「あ、私に何か用事……あ、いえ、それとも、先程の……」
「……」
──もしかしてナデナデをもう少し、なんて頼んだのは図々しかった……?
「すみません、だ、旦那様、私……」
私が顔を赤くしながらそう口にした瞬間、フワッと香ったのは覚えのあるシダーウッドの香り。
これは何度か嗅いだ旦那様(仮)の香り。
え? と口にする間も無く、私は旦那様(仮)に抱きしめられていた。
ギューーーッ
(な、何故!?)
どうして旦那様(仮)は突然、部屋にやって来て私を抱きしめているの?
ギューーーッ
「旦那様……」
「……」
(旦那様(仮)、何かあったのかしら?)
私はそっと旦那様(仮)の背中に腕を回したので、私からもギュッと抱きしめ返す形になった。
「!」
(あ、驚いた!)
旦那様(仮)の身体が一瞬ビクッとしたので、私の行動に驚いたのが分かった。
もう、顔を見なくても分かる。きっと今、旦那様(仮)の頬は赤いはず。
(この突然の行動は、やっぱりシルヴィのせいかしら?)
屋敷が騒がしくなっている様子は感じられないけれど、部屋の外に出たシルヴィが何かしでかして、旦那様(仮)は私の事が心配になって様子を見に来てくれた……のかもしれない。
「旦那様、妹……シルヴィが何かしましたか?」
「……」
首を横に振らない。
と、言う事は“何か”はしたのかも。ルンナがついているから大丈夫だと思ったけれど甘かったかしら。
「まさかとは思いますが……屋敷の物を壊したりはしていないですよね?」
「!?」
この言葉にはさすがの旦那様(仮)も驚いたのが伝わって来る。
そっと表情を窺うと“何だって?”と言っているように思えたので違うみたい。
その事に安堵する。
(そうよね、いくらシルヴィでも借金肩代わりしてくれた旦那様(仮)の家の物を壊すなんて真似、するわけないわよね)
「違うなら良かったです。シルヴィは癇癪を起こすと大変なので……ロンディネ子爵家では花瓶が一番の消耗品でした……」
「……!?」
旦那様(仮)の目がびっくりしていた。
それはそうよ。花瓶が消耗品だなんて聞いた事が無いはずよ。
本当にここまであの子の事を甘やかし過ぎた。
それがこの結果だわ。
昔からちゃんと叱るべき所は叱るべきだったのよ。
……ナデナデ。
そう考え込む私の頭に旦那様(仮)の優しい手が触れる。
「旦那様、ありがとうございます」
「……」
慰めのナデナデ。
どうして旦那様(仮)は私の複雑な気持ちをこんなにも分かってくれるのかしら?
不思議でしょうがない。
でも、旦那様(仮)のこのちょっと不器用な優しさが私に味方してくれる。それはとてもとても心強い。
(だから全く旦那様(仮)が喋らないのに居心地がいいと思えるのだわ)
お義父様もお義母様もシルヴィの言葉を真に受ける事は無く、嫁の私を立ててくれた。それが本当に嬉しかった。
ナデナデナデナデ……
「旦那様、私、あなたの妻(仮)になれて幸せです」
「!?」
驚いた旦那様(仮)の手がピタッと止まる。そして、私の顔をまじまじと凝視した。
「心からそう思っていますよ」
「……」
私が微笑みながらそう口にすると、みるみるうちにその顔が真っ赤になっていく。
こんな旦那様(仮)を見るのは何度目かしら?
なんて思っていたら、旦那様(仮)が真っ赤な顔のまま再び私を抱き寄せる。
(……ん?)
そして、何故か旦那様(仮)の美しいお顔が私の顔にそっと近付いて来る。
(……んん?)
───チュッ
(……んんん!?)
柔らかい感触が私の額にそっと触れた。
「だ、だ、旦那様!?」
「……」
「い、い、い、今のは……!」
「……」
キ……キスというやつでは!?
ボンッと私の顔が真っ赤になる。もちろん旦那様の顔も負けずに真っ赤だ。
(い、一瞬だったからよく分からなかったけど、間違いないわ。額にだけどあれはキス……! だけど、何故!?)
私が脳内大パニックを起こしていると、
ナデナデ。
(……あれ?)
少し元気の無いナデナデだった。
顔は照れているのにこのナデナデというのは……
「……はっ!」
これは今のキスの反応を窺っているナデナデに違いない!
「あの、だ、旦那様。い、嫌じゃ、ないです……」
「!」
「む、むしろ、嬉しくて……もっと、あ……」
「!!」
つい、「もっとして欲しい」そう言いそうになった。
なんてはしたない事をと恥ずかしくなってしまい私は顔を俯ける。
だけど、そんな私の頬にそっと旦那様(仮)の手が優しく触れる。
そして、そのまま顔を上げさせられた。
(─────っ!!)
間近で旦那様(仮)とばっちり目が合った。
「……」
「……旦那……様」
「……」
旦那様(仮)の顔が再び私の顔に近付いて来た───まさに、その時。
「あぁ、もう! しつこいわね! 私はあなたなんかに案内を頼んでいないわ!」
「ですが、先程は屋敷に興味がおありのご様子だったではありませんか」
(シルヴィ……? と、ルンナの声?)
部屋の外から聞こえてくる。
「あんなの口実に決まってるでしょ! 理由なんて何でも良かったの!」
「……シルヴィ様」
「もう! 本当に何なのよ……信じられないわ」
何やら二人が揉めて……いえ、シルヴィが勝手に一人で怒っている様子。
「……」
「……」
私と旦那様(仮)はそのまま無言で見つめ合う。
何だか先程までの甘い雰囲気はどこかに行ってしまった。
(残念……って、私ったら!)
そこで、残念だと思ってしまった自分の思考に大きく戸惑う。
これでは、もっと旦那様(仮)と、キ……キスをしたかったみたいになってしまう!
そ、それよりも今は──
「シルヴィが騒いでます……本当にすみません」
「……」
……ポンポン
旦那様(仮)は優しく私の頭をポンポンした。
これは“気にするな”と言っている。
(シルヴィには二度とこの家に来させないようにお父様に手紙でも出そう)
旦那様(仮)やお義父様、お義母様にもお願いしてロイター侯爵家から出せばきっとあのお父様だって何とかシルヴィを止めるはず!
*****
最後まで騒がしかったシルヴィをどうにか迎えの馬車に乗せて無理やり帰らせ、この後は仕事があるという旦那様(仮)を慌てて見送った私はお義父様とお義母様の元へと向かう。
もちろん、実家……ロンディネ子爵家への抗議のためだ。
仕事に行く前の旦那様(仮)にそうしたいと口にしたら大きく頷いてくれた。
(少しだけいいのかって目をしていた気がするけれど)
実家に抗議の手紙を送れば、今後何かあっても私は実家には戻りづらくなる。
旦那様(仮)はきっとその心配をしてくれていたんだと思う。
でも、
「私の居場所は、もうロンディネ子爵家ではなくロイター侯爵家です」
そう答えたら嬉しそうにナデナデしてくれた。
「妹……シルヴィが大変失礼な事ばかりして、申し訳ございませんでした」
私が頭を下げると二人は「大変だったね」と労わってくれた。
旦那様(仮)だけでなく、この二人も本当に優しい。
(私は幸せ者だわ)
そう思わずにはいられない。
「借金の事まであるのに……こんな迷惑をかけて。本当にすみません」
私がそう言って再び頭を下げたら、お義父様とお義母様は不思議そうに首を傾げた。
「借金?」
「何の話だい?」
「え?」
(───あれ?)
そんな二人の反応に私も首を傾げた。
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