メサイアの劣等

すいせーむし

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一章 仮面の少年

11話 多重人格

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 もう何度目か。僕は自分の病室のベッドから抜け出した。
 病院に戻ってからの目的は明確だった。
 こっちでシュウ君と話す。それを達成する為に僕は病室から出ていった。
 僕は病棟の廊下を歩く中で、あることについて考えていた。
 シュウ君の精神世界の玄関扉が開いたのは、病院で彼と話したことで、彼が僕に心を開いたからだと思う。だから、あのきつい匂いのした部屋の扉を開くためには彼と話す必要があるだろう。しかし、そこに疑問を持った。
 あの扉の先には、真実があるのだと思う。それは、きっと彼にとって重要なことだ。なのに、扉は開いていない。つまり、覚えていないのではないだろうか。
 忘れているから開いていないということであれば、いくらシュウ君と話したところで扉が開くことはないはずだ。
 では、どのように開ければいいのか。
 そこで、こんな考えが浮かんだ。
 覚えている人物と話せばいい。シュウ君ですら忘れた、彼自身の過去を覚えている人物。普通ならいないはずの、もう1人の自分。

「セキチク」

 僕は精神世界でセキチクと話がしたいと考えていたことを思い出す。彼とは病院でも一度話したことがあった。あの時はすぐにシュウ君に戻ってしまい、会話を続けることが出来なかった。

「もし、今話せたら…」

 彼と話すことが出来れば、もしかしたら、扉が開けるかもしれない。
 しかし、不安だ。精神世界で殺されても、こちらに戻ってくることはできるが、こちらで殺されてしまえば、きっとおしまいだ。
 だから、僕はある人物に相談するため、一度自分の病室である203号室に戻り、ナースコールを押した。

          ◇

「やぁ、チヨ君。調子はいかがかな?」

「はい、色々ありましたけど、今は大丈夫です」

 僕はガスマスクの看護師さんに、ユウヤ先生のいる診察室に案内してもらった。
 先生は僕の様子を見て、息を吐いた。

「そうか。面接室で会った時よりも元気そうだね。安心したよ。それで、私に会いに来たって事は何か話したい事があるんだろう?」

 先生の問いかけに頷く。色々と話したい事があった。シュウ君と彼の母親の事、ウツツが生きていた事、そして…セキチクの事。
 僕はその全てを話すため、口を開く。

「えっと、まず…ウツツに会えました」

「ほう、それはよかったね」

 先生は表情一つ変えなかった。元々、ウツツが僕と同じ異能を持っているかもしれないと言っていたのは、先生だった。だから、きっと何も意外性のない事だったのかもしれない。

「でも、彼女、精神世界で人を殺していたんです。シュウ君に影響はないような人物…だと思います。でも、間違いだと思いました」

「なるほど。まぁ、彼女なりに考えた上での行動なのだろうけれど、それは良くない事だね」

「はい」

「ふむ。私はその子と会う事は出来ないし話す事も出来ないからね。私にはどうしようもできない。だから、君が彼女といてあげるといい。それが彼女に間違った事をさせないことにもなるだろう」

 僕は先生の言葉に頷いた。もう決めた事だった。僕はこれからも彼女と一緒に精神世界を歩くつもりだ。
 ウツツについてはこれくらいにしておこう。次は、シュウ君についてだ。

「えっと、精神世界で体験した事とかから考えたことなんですけれど、いいですか?」

「うん、大丈夫だよ。聞こう」

「シュウ君は、きっと母親をセキチクに殺されて、自殺したんだと思います…」

「なるほど…その結論に至った理由を聞いてもいいかな?」

「はい。まず、初めてシュウ君の記憶が流れてきた時、シュウ君が誰かをナイフで刺したシーンでした。でも、それは刺した後でシュウ君自身も動揺しているようでした」

「そして、シュウ君の精神世界には沢山カーネーションが咲いていたし、どうやら、それを買いに行っていたみたいなんです」

「だから、母の日に何かあったのだと思いました。そう考えた時、ナイフを刺されて倒れていた人はきっとシュウ君のお母さんだったんじゃないかって…」

「そうか…なるほど。シュウ君がナイフで母親を刺した訳ではなく、セキチク君が刺したという事にすれば、シュウ君の動揺に納得がいくという事か。そして、その後、絶望のまま自殺をした、と」

「はい」

 先生は顎に手を当てて何かしらを考えた後、頷いた。

「その可能性は大いにあると思うよ」

 僕は先生のその言葉に安堵した。僕の考えがおかしいという事はなさそうだった。しかし、それと同時に苦しさと疑問を覚えた。
 まず、シュウ君がそんな絶望を味わっていたかもしれないという事を受け入れ難い。もしも、過去に戻る力があれば、そんな事象なかった事にしてしまいたいところだ。しかし、僕の異能は精神世界に入るというもの。過去は変えられない。
 それから、セキチクの行動についてだ。もしも、この仮説が正しいとして、だとしたら何故セキチクは母親を殺したのだろうか。彼はシュウ君を守りたいのではなかったのか。だとしたら、この行動は矛盾しているように思える。僕には彼が分からない。
 そのような、苦しみと疑問に頭を悩ませていると、先生が立ち上がる。

「これは、シュウ君の病気を治すために大いに役立つことだろう。ありがとう、チヨ君」

 彼は、僕に頭を下げた。
 僕は先生のそんな態度に動揺しつつ、自分が持ってきた情報や仮説がシュウ君のためになるものだったのだと安堵した。
 そして、席についた先生が続ける。

「それで、他に話したい事、聞きたい事はないかな」

「そうですね。えっと、セキチクについてです」

「ふむ、セキチク君についてか」

「はい。えっと、僕、彼と話がしてみたいんです」

 セキチクが何を考えて、母親を殺したのか知るため、そして、精神世界の扉の鍵を開くため、僕には彼と話す必要がある。

「なるほど、セキチク君との会話か。うん、確かに必要かもしれないね。それだけ、色々と分かってきたのなら、彼に聞きたいこともあるだろう。じゃあ、それについては私が準備しよう」

「ありがとうございます」

「他に気になる事はあるかな?」

 僕は首を横に振った。これ以上、先生に報告する事は多分ない。早く、セキチクと話をしなくては。

「そっか。じゃあ、私は先にシュウ君の部屋に行って準備をしているね。少しかかりそうだから、チヨ君は部屋で待っていてくれるかな?」

「分かりました」

 先生は顔を綻ばせ、いつもの薄ら笑みとは違う柔らかい笑みを浮かべた。
 そして、ガスマスクの看護師さんに僕を病室まで送るよう促し、診察室を後にする。
 診察室に取り残されたのは僕と看護師さんの2人だけ。

「じゃあ、行きましょうか。チヨ様」

 僕は彼女に案内されて、病室へと向かった。

          ◇

 診察室へと向かう時もそうだったが、診察室を出て、僕と看護師さんの2人は一言も話さなかった。
 とても気まずい。前に話した内容が悪かったのだろうか。看護師さんはいつもに増して冷たい雰囲気を漂わせている気がする。

「そういえば、チヨ様」

 僕がこの空気感に頭を悩ませていると、進行方向から目を逸らさずただ淡々と歩みを進める彼女が急に声をかけてきた。
 急に話しかけられた僕は一瞬身を震わせて、返事をする。

「は、はい。なんですか」

 僕の返事の後、少し間があって看護師さんは口を開く。

「"後悔"は、しませんでしたか?」

 その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。
 僕は前を歩く彼女の前に出る。急に飛び出した僕を前に彼女は立ち止まる。

「はい。ありがとうございました」

 僕は彼女に頭を下げた。
 彼女は数秒そのまま立ち止まり、僕が顔を上げ始めた時に、僕の横を通り、歩みを進めた。
 返事は何も返って来なかった。しかし、なんだか、嫌な気はしなかった。

 それから数分歩いて、僕の病室がある第2病棟へと辿り着く。そこで見覚えのある顔とすれ違った。彼は確か、薬剤師のグリムさんの助手をしている、イチゴさんだ。
 僕は彼に挨拶をしようと、彼に近づく。看護師さんも僕の行動の意図に気づいたようで足を止めて待ってくれていた。

「お疲れ様です、イチゴさん」

 僕がすれ違い去って行こうとするイチゴさんに挨拶をすると、「ウヒャアッ!」と言って飛び上がった。

「な、な、なんですか…アナタ。だ、誰ですか?イチゴの知り合い…?」

「え」

 彼はまるで自分がイチゴさんではなく、僕とは初対面であるといった風に反応した。
 このような事象を僕は知っている。同じ顔の人間が別の人であるように振る舞っている様子。
 それは、シュウ君と同じ…。
 考える僕を横目に、イチゴさんと同じ姿の彼はガスマスクの看護師さんの存在にも気づいたようでお辞儀をしていた。

「あ、看護師さん…お疲れ様です…」

 彼の言葉にガスマスクの看護師さんも軽く頭を下げる。

「お疲れ様です。"シカイ"さん」

「やっぱり」

 彼が知らない人の名前で呼ばれた様子を見て、疑惑は確信に変わった。
 そうだ。きっと、彼も多重人格者なのだ。
 だとすれば、患者ではない彼は多重人格との折り合いをつけられているということだろう。
 何か、参考になるかもしれない。そう考えた僕がシカイと呼ばれた彼に近づくと、廊下に声が響いた。

「シカイー!どこに行ったー?」

「ウヒャアッ!?」

 声に反応して、彼は声を上げて飛び上がる。
 それに気づいたのか、遠くから、廊下に声を響かせた何者かが近づいてくるのを感じた。

「やっと見つけたよ…っと?」

 そこには、ふわふわと半透明な何かが浮かんでいた。いや、何かといっているが僕にはそれが誰だか理解できた。

「チヨ君?」

 そう。そこにいたのは、ニカワさんと同じように、霊体の姿をしたイチゴさんであった。

          ◇

「あはは…驚かせちゃったよね」

 そう言って、霊体のイチゴさんは笑う。
 僕達は病棟の中心にある休憩室へと移動した。看護師さんは僕を病室まで送るという仕事について、病棟まで送り届ければ問題ないと判断したためか「私はこれで」と言ってどこかへと去り、今は僕と霊体のイチゴさん、それからシカイさんの3人(2人と1体?)でいる。
 シカイさんは先程から、そわそわした様子で時折、僕のことを見ては目を逸らすということを繰り返している。

「とりあえず、紹介しようか。今、"身体を使っているのは四角四海 (ヨツカドシカイ)"、僕の弟だよ」

「よ、よろしくお願いします…」

 身体を使っているという表現に疑問を持ったが、挨拶をするシカイさんに釣られて、「よろしくお願いします」と返した。
 それにしても、"イチ"ゴさんに"ニ"カワさん、そして"シ"カイさんということは、4人兄弟だったりするのだろうか。その場合、三男にあたる人物に僕はまだ会ったことがない。
 そんな思考を見透かされてか、イチゴさんは口を開く。

「実は、僕達五つ子なんだ」

 衝撃を受けた。4人兄弟どころの話ではなかった。僕が想像していたよりも、1人多くて、それでいて五つ子。存在しないことはないだろうが、五つ子が生まれる確率というのはとてつもなく低いのではないだろうか。

「凄い…ですね…」

 正直、このような感想しか言えなかった。ここには、死人の患者がいるしガスマスクをした看護師だっているのだから、その程度のことでは、もう驚かない。
 それよりも、兄弟が霊体で存在しており、実体を持っていたはずのイチゴさんが今は霊体であるあることの方がずっと気になる。

「でも、生まれてきたのは僕だけだった」

「えっ」

「難産で、流産だったんだ。お母さん、体が弱かったせいで、みんなのことも産めなかったんだよね」

「出産が大変だったみたいでお母さんもそのまま、ぽっくり…みたいな感じで…」

「だから、身体は一つだけ」

 身体は一つ。つまり、5人の兄弟が一つの身体を使っているということだ。だから、今はイチゴさんが霊体でシカイさんには体がある。

「なるほど…大変でしたね…」

「それなりにね。でも、今はそれなりに楽しいよ」

 イチゴさんは、シカイさんの周りを飛び回る。身体が一つしかなくて、兄弟と譲り合っていても、嫌なことばかりではないらしい。
 そして、飛び回りながらイチゴさんは話を続ける。

「本当はさ。君と初めて会った時に話そうと思ったんだけれど、初対面でこんな話をしてもびっくりしちゃうと思ってね」

 それはそうだ。ただでさえ、自己紹介をされた際にはあのグリムさんの助手だったということもあり、僕は少なからず警戒していた。そこにこのような話をされていたのならば、信頼することは出来なかっただろう。
 それにしても、この5人兄弟の置かれている状況にやはり既視感を覚えた。
 一つの身体を沢山の人が使っている。それはやはり…。

「"多重人格"みたいだなって、そう思った?」

 イチゴさんは僕の思考を読み当てた。
 そう、多重人格。同一人物の中に複数の人格を持った状態。先程、シカイさんを見た時から考えていた。イチゴさん達はそれと少し異なるのかもしれないが、外から見れば似たようなものに思えた。
 最初のように、霊体のイチゴさんが見えてなければ、今のシカイさんはイチゴさんの別人格にしか見えないだろう。

「まぁ、僕のこれは病気ではないからね。あの子のものとは全く異なるんだけれど」

「あの子、ですか?」

「うん、あの子。君が今、病気を治す手伝いをしてるっていうシュウ君」

 イチゴさんの口からシュウ君の名前が出たことに少し驚く。

「あの子とは何回か話したことがあるんだ。それで、なんというか…僕と似てるなって思ったんだ」

 僕は前に、イチゴさんとシュウ君の見た目が似ているなんて思ったこともあったが、今はきっと見た目の話ではない。
 僕は彼の話に耳を傾ける。

「僕、死ぬ前から兄弟のことは見えていたんだ。この真っ黒な目も生前からでね、だから、呪いか何かだと思ってた」

「僕だけが生まれてしまったことへの呪い。母を殺してしまったことへの呪い。そういうものだと、兄弟を見ていた」

「でもね、違ったんだ」

「敵だと思っていた、兄弟は味方だった」

 そう言って、イチゴさんは霊体の体に手のような突起物を形造り、シカイさんのことを撫でる。撫でられた彼は恥ずかしそうに俯いた。

「生きていた時に気づけなかったことが申し訳ないんだけれどね。僕は弟達に"守られていた"んだ」

 守る。その言葉で僕はセキチクを思い浮かべた。彼はシュウ君のことを守ろうとしていた。

「シュウ君と僕が似ていると思ったって話したね。それはこういうところだよ」

 きっと、同じなのだ。イチゴさんにとっての弟達と、シュウ君にとってのセキチクは。

「彼もきっと昔の僕みたいに誤解をしている。相棒のことを」

「だから、あの子は自分の相棒を拒絶するんじゃなくて、2人で話をするべきなんだと思う」

「なーんて、僕はただの薬剤師助手だから、これは妄想に過ぎないんだけれどさ」

 そう言って、彼は笑った。
 そして、霊体の彼は僕の目を見て続ける。

「チヨ君。僕が言うのもなんだけれど、あの子達が最善の結末を迎えられるよう、よろしくね」

 言葉が僕に重くのしかかる。しかし、この重荷は僕にやる気を与えてくれた。

「任せてください」

 その言葉を聞いたイチゴさんは霊体の顔に先程より、一層笑みを浮かべていた。
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