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一章 仮面の少年
9話 花屋
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シュウ君は落ち着かない様子で何度か周囲を見回しながら箱庭の制作を続けた。女性をジョウロを赤い花を並べていく。
その間、先生は一言も口出しはしなかったらしい。
そうして、箱庭の中にはシュウ君の世界が広がっていった。僕はそれをシュウ君の精神世界のようだと表現したが、箱庭は心を映し出すとも言われているらしい。ならば、僕のその表現も間違いではないのだろう。
シュウ君は右の手に握りしめた黒い猫を箱庭に置こうとした、その時だった。
彼は突然嗚咽を漏らし、前方へと倒れ込んだ。そして、何事かを呟きながら、頭を抱えた。それからはただ「ごめんなさい」「ごめんね」と口にするだけでその場から動けなくなってしまった。
「…とまぁ、こんな様子でね。これ以上、箱庭を進行できそうもないから、部屋に戻したんだよ」
先生はそのような話を僕に聞かせてくれた。
シュウ君は猫のフィギュアを持ったとき、なんらかの衝撃を受けて動けなくなってしまったのだろうか。
僕が首を捻っていると、先生は一言。
「フラッシュバック」
そう、呟いた。
「え?」
「いやぁ、シュウ君のことさ。なんとなくね。彼の様子から、忘れていたはずのトラウマを急に思い出した。そんな感じがしたのだよ」
先生はそう言った。それは、シュウ君が黒猫を見て何か悪いことを思い出してしまったということだろうか。そこで、僕はセキチクの言葉を思い出す。
『なんてもん、暴いてくれちまってんだァ、あァン?』
『こんな、墓荒らしみてェな事するのはやめてもらっていいかァ?クソ野郎』
『今のままでいいんだ、もう来るんじゃねェ。カスが』
この言葉の意味を僕は理解できないでいた。いや、本当は理解はできていたのかもしれない。でも、それが本当だったら、僕の救済はシュウ君の首を絞めていることにも等しくなる。だから、分からないふりをしていたんだ。
その有耶無耶にしていたものを今、直視させられた。
"僕は、彼の辛い過去を思い出させてしまったのかもしれない"
だとすれば、僕は彼の助けとなるどころか、敵だったのかもしれない。これからも僕がシュウ君の精神世界に行けば、彼はさらに忘れた辛いことを思い出してしまうのか。それならばやめた方がいいのかもしれない。僕は間違っていたのか。
「おや、顔色が悪いね。大丈夫かい?」
そこまで思考が巡った時、先生が僕の顔を覗き込んだ。そこで、全てを見透かしているようなその瞳と目があった。
「あ」
僕は何も言えなかった。そして、先生も何も言わなかった。ただ、ゆっくりと目を逸らして椅子に座った。
それから、ゆっくりと時間は過ぎた。気まずいなんてものではなかったが、徐々に僕は落ち着きを取り戻した。
「話を聞いてもいいかな」
そうして、冷や汗が止まった僕を見て先生はそう尋ねた。正直嫌だった。僕が間違えていることを先生に伝えるなんて、どうしようもなく嫌だった。何もない僕を頼ってくれたのに、何もない僕が誰も助けられないなんて、言いたくなかった。
でも、それを言わない方が怖かった。僕のせいで誰かが不幸になるのはそれ以上に恐ろしい。だから、ゆっくりと口を開く。
「僕が精神世界で感じ取ったことは、シュウ君も感じてしまうのかもしれません」
「僕、シュウ君の世界で猫の死骸を見たんです。そのとき、シュウ君の気持ちみたいなものが頭に流れ込んできて。それをシュウ君も感じていたのかも…」
言葉を選びながら、慎重に表現する。先生はそれを聞いて「そうか」と感情の読めない声で一言だけ呟いた。
怒られると思った。呆れられると思った。だから、目を瞑った。現実から背けようとした。しかし、先生はそんな僕を相手に
「よく頑張っているみたいだね」
そう、優しく声をかけた。呆気に取られて僕は目を見開く。彼はいつも通りのうすら笑みだ。なのに、慈愛のような優しさを感じる。
「それがいいことが悪いことか、私からは何とも言えないけれど、チヨくん。君が苦しいのならやめても大丈夫なんだよ」
「私は君を助手のように捉えているけれどそれ以上に私の患者でクライアントなんだ」
「だから、無理をしてはいけないよ」
「君が苦しむと私は悲しい」
そう言った。何もしなくてもいいと、そう言ったのだ。意味がわからなかった。安心してしまった。この人は僕の先生で僕のことを心配していた。だから、何もできない、誰も救えない僕でもこの人は受け入れるのだろう。
「ありがとう、ございます」
僕の言葉に先生は笑顔で返す。しかし、見つめあった瞳はどこか僕じゃない誰かを見ているように思えた。
嬉しいのだか悲しいのだか分からない感情で思考がぐちゃぐちゃになる。それでも答えを出そうと、頭をフル回転させる。
「もしも……もしも、僕がシュウ君の世界でめちゃくちゃやってしまったら、シュウ君は生前の嫌な記憶を思い出して、おかしくなってしまうかもしれません」
「でも、全部思い出せば、シュウ君の病気の原因も対処法もわかるはずです」
「それで、だから……僕は、シュウ君のことを助けたい。彼が苦しんだとしても、救われるなら、やります」
それを聞いて、嬉しそうに先生は頷く。
「そっか。分かったよ」
優しく微笑み、僕の方へと腕を伸ばす。いつものうすら笑みじゃない、慈愛を感じる笑みだった。僕は撫でられると思い、気付けば頭を差し出していた。しかし、先生の手は途中で固まり、元あった位置へと引いていく。
その状況に僕は首を傾げた。彼はそんな僕を見て表情を崩さず口を開く。
「話してくれてありがとう。もう部屋に戻っていいよ」
少しばかり哀愁を漂わせた彼は、僕を扉へと誘導する。そうして、面接室を後にした。
◇
ガスマスクの看護師さんに連れられて、僕は自分の病室へと戻る。「では」と言って看護師は病室を後にし、ここには僕しかいない。
孤独に耐えかねて、隣の病室の様子を見に行こうと悩んだが、面接室での話を思い出して足を止める。
今、彼が病室から出られずに塞ぎ込んでいるのは、きっと僕のせいだ。嫌なことを思い出させてしまった。
そして、精神世界で僕のことを何度も殺したセキチクは僕がシュウ君の過去を暴き、彼がそれで苦しまないように、守ろうとしていたのかもしれない。
だとすれば、悪者はセキチクではなく、僕だ。もう、2度と彼の世界に干渉しないほうがいいのかもしれない。
でも、決めた。決意したのだ。僕は彼を"シュウ君"助けたいと。例えそれが彼を苦しめることになっても。
布団を捲り、床に就く。この病院に来てから、ベッドに入るといつでも眠ることができる。それはもしかしたら、僕の抱える正体不明の病気によるものなのかもしれない。そんなことを考えながら、そのままゆっくりと、意識を彼の世界へと落とした。
◆
辺りを見回す。相変わらず、アパートの一室から世界は始まる。シュウ君の精神世界だ。
目的地なんて、ない。ウツツもいない。セキチクは悪いやつじゃないかもしれない。シュウ君を傷つけてしまうかもしれない。それでも、動かずにはいられない。
僕は、玄関へ向かう。途中、前回調べた時も開かなかった扉から漏れ出る、芳香剤のようなくどい香りに鼻をやられそうになりつつ、玄関ドアの取手を捻る。
外の景色は今までと同じ、少し違うところがあるとすれば空が赤黒くなっていることぐらいだろうか。それから、なんというか、息苦しくなったような気がする。これは、僕がシュウ君のトラウマを思い出させたために起こった変化なのかもしれない。
そんなことを考えながら、何かないかと周囲を散策していると、視界の端に人影が映る。
「あれは…」
僕が歩いてきた道の少し先に、虚ろな瞳をした少年がぼんやりとした様子で立ちすくんでいた。
「シュウ君?」
見た目は明らかに、シュウ君だ。しかし、わからない。もしも、あの少年がセキチクなら、僕はまた殺されてしまう。彼は悪者ではないのかもしれない。それでも、何度も殺されているのだ。今ここで話して分かり合えるとは思えない。
そのように、近づくべきか否か思考を巡らせていると、少年は覚束ない足取りでどこかへ向かって歩き始めた。
「あ、まっ、待って!」
少年を追い、僕は走り出した。彼はふらふらと歩いているにも関わらず、僕は追いつくことが出来ない。見失わないよう追いかけるので精一杯だ。そのため、彼がシュウ君なのかセキチクなのか、そんなことを考える暇は無くなった。
そうして、数分。シュウ君の姿を追い、曲がり角を曲がった先で、とうとう彼の姿を見失った。いや、見失ったというよりは煙のように消えた、といった感じだ。まぁ、どちらにせよ、彼はいなくなった。
息があがる。目的を無くし、僕の体は疲れを感じ始めたようだ。
「どこに、行ったんだ」
一心不乱に追いかけていたためか、見慣れない場所に辿り着いた。相変わらず、所々に赤い花がコンクリートを突き破り咲いている。また、正面には店がぽつんと立っていた。看板の文字は霞んでいて読めない。ただ外観から、なんとなく、この店が何を売っているのか分かる。
「花屋、だよね。もしかしたら、シュウ君はここに入っていった?」
それなら、急に消えたことにも納得がいく。曲がり角で突然走り出せば、ギリギリ僕が見失うくらいの距離だろう。まぁ、走り出した足音なんて聞こえなかったし、この世界が現実のように出来ているわけでもなさそうだ。ただ、僕はここに導かれた。そんな気がする。
「きっと、この場所はシュウ君にとって意味のある場所なんだろう」
ならば、やる事は1つだ。店の扉に手をかける。僕は用心しながらゆっくりと店内へと入った。
◇
チリンとドアベルが鳴り、扉はゆっくりと閉まる。外観の通り、店内には様々な種類の花が並べられている。やはり、花屋なのだろう。
店内を物色していると、奥から誰かの気配を感じた。この精神世界にも、店員は存在するのだろうか。もしかしたら、外にいた頭部が落書きのような人物がいるのかもしれない。
奥にいるこの世界の住人がセキチクや猫のような化け物のように自分に害なす存在である可能性も考えて、色彩豊かな花が並ぶ棚から奥の様子を覗き込む。
そして、大きな瞳と目が合った。僕は驚き、顔を引っ込める。
「いらっしゃいませ」
巨大な一つ目を持つ何者かは息が止まりそうになった僕に、男性の声でこう話しかけてきた。
意思疎通が、取れるのだろうか。
僕は再度顔を覗かせ、相手の様子を伺う。そこには、エプロン姿に頭部がジョウロでそこに大きな一つ目のある、奇妙な姿をした人物がいた。
このような、存在し得ない姿の誰かがいることにも多少慣れたのか、僕は彼の見た目程度では動じない。
そういえば、ジョウロ。シュウ君の作った箱庭にも置いてあったなと考えていると、ジョウロ頭の花屋は僕に問いかける。
「なにか、お探しかい?」
「あ、えっと…」
僕は言い淀む。
もしかしたら、シュウ君がいるかも。なんて気持ちで入ったが、ここは花屋だ。冷やかしだと思われたら追い出されるかもしれない。何か、花を探し求めていると答えるべきだろうか。しかし、金なんてない。どうすれば…。
そのように考えていると、花屋は手を叩き嬉しそうに、声を発する。
「もしかして、⬛︎の日のプレゼント探しかな?」
「え?」
一部、砂嵐のような音が混じり首を傾げる。そのような、僕の動作を一切気にかけず、花屋は続ける。
「そっか。でも、ごめんね…。赤色は全部売り切れちゃったんだ…」
「あの、赤色ってなんですか?花、ですか?」
僕はそう問いかける。しかし、聞こえていないのだろうか。無視して、花屋は続ける。
「そうだ。赤じゃないけれど、白色ならあるよ。どうだい?」
彼の言葉からは感情を受け取ることが出来なかった。プログラミングされた行動をただ淡々と行うゲームの登場人物のような動作や喋り口調だ。
それに、僕は今までとは違った気味の悪さを覚えた。
そうして、僕は首を横に振った。なにか、よくないものを寄越そうとしている、そんな感じがしたからだ。
だが、やはり僕の声など鼻から聞く気はなく、受け答えをしたら言葉を返す人形のように、花屋は続ける。
「わかったよ。じゃあ、ラッピングするから少し待っていてね」
そう言って、彼は店の奥の方へと姿を消した。逃げるなら、今のうちだろうか。
しかし、ここは多分、シュウ君にとって大切ななにかがあった場所だ。外にカーネーションの花が咲いている様子や箱庭のジョウロから、花屋は何か意味があるのだろう。
だとしたら、ここから出るわけにもいかない。不安が消えることはなかったが、店内を見回りながら彼を待った。
それほど、時間も立たずに彼は戻ってきた。
「お待たせ。はい、これ」
そう言って花屋は、僕に薄桃色の紙でラッピングされた可愛らしい一輪の花を差し出した。何にも染まっていない純白の花だ。
そして、その花に僕は見覚えがあった。この世界で、何度も目にしたあの花。
「カーネーション」
僕がこぼした言葉に、花屋が反応することはない。ただ、さぁ、受け取って。と言わんばかりに僕の方へとそれ向けている。
「えっと、ありがとうございます?」
僕はそう言って、その白いカーネーションを手に取る。瞬間、シュウ君の記憶が僕の脳へと流し込まれた。
…
……
………
僕はこっそりと家をぬけだして、あの赤いお花をさがしてまちを歩きまわった。テレビで見たあかいおはな。わたせば⬛︎⬛︎さんはきっとぼくのことをみてくれる。
そうして、やっとはなやさんをみつけた。でも、あのあかいおはなはないみたいだった。かわりにはなやさんはしろいおはなをくれた。
あかくないけど、⬛︎⬛︎さん、よろこんでくれるといいな。そんなことをかんがえながら、いえにかえったんだった。
あのひ、そのあと、どうなったんだっけ。
………
……
…
「お駄賃はいらないよ。僕からのプレゼントだ。⬛︎⬛︎さん、喜んでくれるといいね」
花屋の言葉で、僕はシュウ君の記憶から意識を戻す。彼を見れば、その大きな一つ目で優しく微笑んでいる。
きっと、この人は悪い人じゃなかったんだろうな。ただそう思った。
そうして、僕は彼に頭を下げ、花屋を後にした。
◇
進展があった。僕が右手に持つ、この白いカーネーションについてだ。最初に見たシュウ君の記憶に現れた花は、きっと先程の花屋で手に入れたものだったのだろう。なるほど、赤いカーネーションが売り切れて、白を貰ったわけか。
それから、もう一つ。花屋やシュウ君の記憶の中で、ノイズのように聞こえる音。あれはきっと母親を表す言葉なのだろう。
だとしたら、最初に見た記憶で倒れていた誰かは、母親なのか。
そこで不吉な、それでいて納得のいく理論が僕の頭の中に構築された。
シュウ君はセキチクが自分の大事なものを奪ったと言った。それに最初に見た記憶で母親らしき人はナイフが刺されていた。これは誰かが刺したという事だ。
だとしたら、もしそうだとしたらだ。セキチクはシュウ君の体を使って大事な母親を殺したという事になるのではないか。
「だったら、やっぱり…とんだ極悪人だ」
下手をすれば、それで自殺を図ったなんていうのが、シュウ君の死因なのではないか。思考は加速し、そんな予測まで立てる。
何か引っ掛かるような感覚はあるが、どちらにせよセキチクはこの世界のシャドウだ。ならば、僕の敵であることには違いなかった。そう自分に言い聞かせる。
そんなことを考えて、この世界を歩いていると、気づけばシュウ君の家の周辺まで戻ってきていた。
先生は死因なんかがシャドウを無くすきっかけになるかもなんて言っており、それに一歩近づいたような気はする。しかし、これ以上何かを見つける手立てはなさそうだ。
一度病院に戻るかとポケットの中の瓶を握ったとき、遠くの方からどさっと何かが倒れるような音がした。
なんだろう。もしかしたら、セキチクかもしれない。
そう警戒して、音の聞こえた方へと進む。
この通りには覚えがあった。この先は、前に真っ黒な何者かが道を塞いでいた場所だ。多分、音が聞こえたのはその辺りだった。
そうして目的地に辿り着き、僕は絶句した。
そこには、黒いインクのような何かを吹き出して倒れた2人の人影と、それを浴びて棒立ちになった、小さなスコップを持った少女"ウツツ"がいた。
その間、先生は一言も口出しはしなかったらしい。
そうして、箱庭の中にはシュウ君の世界が広がっていった。僕はそれをシュウ君の精神世界のようだと表現したが、箱庭は心を映し出すとも言われているらしい。ならば、僕のその表現も間違いではないのだろう。
シュウ君は右の手に握りしめた黒い猫を箱庭に置こうとした、その時だった。
彼は突然嗚咽を漏らし、前方へと倒れ込んだ。そして、何事かを呟きながら、頭を抱えた。それからはただ「ごめんなさい」「ごめんね」と口にするだけでその場から動けなくなってしまった。
「…とまぁ、こんな様子でね。これ以上、箱庭を進行できそうもないから、部屋に戻したんだよ」
先生はそのような話を僕に聞かせてくれた。
シュウ君は猫のフィギュアを持ったとき、なんらかの衝撃を受けて動けなくなってしまったのだろうか。
僕が首を捻っていると、先生は一言。
「フラッシュバック」
そう、呟いた。
「え?」
「いやぁ、シュウ君のことさ。なんとなくね。彼の様子から、忘れていたはずのトラウマを急に思い出した。そんな感じがしたのだよ」
先生はそう言った。それは、シュウ君が黒猫を見て何か悪いことを思い出してしまったということだろうか。そこで、僕はセキチクの言葉を思い出す。
『なんてもん、暴いてくれちまってんだァ、あァン?』
『こんな、墓荒らしみてェな事するのはやめてもらっていいかァ?クソ野郎』
『今のままでいいんだ、もう来るんじゃねェ。カスが』
この言葉の意味を僕は理解できないでいた。いや、本当は理解はできていたのかもしれない。でも、それが本当だったら、僕の救済はシュウ君の首を絞めていることにも等しくなる。だから、分からないふりをしていたんだ。
その有耶無耶にしていたものを今、直視させられた。
"僕は、彼の辛い過去を思い出させてしまったのかもしれない"
だとすれば、僕は彼の助けとなるどころか、敵だったのかもしれない。これからも僕がシュウ君の精神世界に行けば、彼はさらに忘れた辛いことを思い出してしまうのか。それならばやめた方がいいのかもしれない。僕は間違っていたのか。
「おや、顔色が悪いね。大丈夫かい?」
そこまで思考が巡った時、先生が僕の顔を覗き込んだ。そこで、全てを見透かしているようなその瞳と目があった。
「あ」
僕は何も言えなかった。そして、先生も何も言わなかった。ただ、ゆっくりと目を逸らして椅子に座った。
それから、ゆっくりと時間は過ぎた。気まずいなんてものではなかったが、徐々に僕は落ち着きを取り戻した。
「話を聞いてもいいかな」
そうして、冷や汗が止まった僕を見て先生はそう尋ねた。正直嫌だった。僕が間違えていることを先生に伝えるなんて、どうしようもなく嫌だった。何もない僕を頼ってくれたのに、何もない僕が誰も助けられないなんて、言いたくなかった。
でも、それを言わない方が怖かった。僕のせいで誰かが不幸になるのはそれ以上に恐ろしい。だから、ゆっくりと口を開く。
「僕が精神世界で感じ取ったことは、シュウ君も感じてしまうのかもしれません」
「僕、シュウ君の世界で猫の死骸を見たんです。そのとき、シュウ君の気持ちみたいなものが頭に流れ込んできて。それをシュウ君も感じていたのかも…」
言葉を選びながら、慎重に表現する。先生はそれを聞いて「そうか」と感情の読めない声で一言だけ呟いた。
怒られると思った。呆れられると思った。だから、目を瞑った。現実から背けようとした。しかし、先生はそんな僕を相手に
「よく頑張っているみたいだね」
そう、優しく声をかけた。呆気に取られて僕は目を見開く。彼はいつも通りのうすら笑みだ。なのに、慈愛のような優しさを感じる。
「それがいいことが悪いことか、私からは何とも言えないけれど、チヨくん。君が苦しいのならやめても大丈夫なんだよ」
「私は君を助手のように捉えているけれどそれ以上に私の患者でクライアントなんだ」
「だから、無理をしてはいけないよ」
「君が苦しむと私は悲しい」
そう言った。何もしなくてもいいと、そう言ったのだ。意味がわからなかった。安心してしまった。この人は僕の先生で僕のことを心配していた。だから、何もできない、誰も救えない僕でもこの人は受け入れるのだろう。
「ありがとう、ございます」
僕の言葉に先生は笑顔で返す。しかし、見つめあった瞳はどこか僕じゃない誰かを見ているように思えた。
嬉しいのだか悲しいのだか分からない感情で思考がぐちゃぐちゃになる。それでも答えを出そうと、頭をフル回転させる。
「もしも……もしも、僕がシュウ君の世界でめちゃくちゃやってしまったら、シュウ君は生前の嫌な記憶を思い出して、おかしくなってしまうかもしれません」
「でも、全部思い出せば、シュウ君の病気の原因も対処法もわかるはずです」
「それで、だから……僕は、シュウ君のことを助けたい。彼が苦しんだとしても、救われるなら、やります」
それを聞いて、嬉しそうに先生は頷く。
「そっか。分かったよ」
優しく微笑み、僕の方へと腕を伸ばす。いつものうすら笑みじゃない、慈愛を感じる笑みだった。僕は撫でられると思い、気付けば頭を差し出していた。しかし、先生の手は途中で固まり、元あった位置へと引いていく。
その状況に僕は首を傾げた。彼はそんな僕を見て表情を崩さず口を開く。
「話してくれてありがとう。もう部屋に戻っていいよ」
少しばかり哀愁を漂わせた彼は、僕を扉へと誘導する。そうして、面接室を後にした。
◇
ガスマスクの看護師さんに連れられて、僕は自分の病室へと戻る。「では」と言って看護師は病室を後にし、ここには僕しかいない。
孤独に耐えかねて、隣の病室の様子を見に行こうと悩んだが、面接室での話を思い出して足を止める。
今、彼が病室から出られずに塞ぎ込んでいるのは、きっと僕のせいだ。嫌なことを思い出させてしまった。
そして、精神世界で僕のことを何度も殺したセキチクは僕がシュウ君の過去を暴き、彼がそれで苦しまないように、守ろうとしていたのかもしれない。
だとすれば、悪者はセキチクではなく、僕だ。もう、2度と彼の世界に干渉しないほうがいいのかもしれない。
でも、決めた。決意したのだ。僕は彼を"シュウ君"助けたいと。例えそれが彼を苦しめることになっても。
布団を捲り、床に就く。この病院に来てから、ベッドに入るといつでも眠ることができる。それはもしかしたら、僕の抱える正体不明の病気によるものなのかもしれない。そんなことを考えながら、そのままゆっくりと、意識を彼の世界へと落とした。
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辺りを見回す。相変わらず、アパートの一室から世界は始まる。シュウ君の精神世界だ。
目的地なんて、ない。ウツツもいない。セキチクは悪いやつじゃないかもしれない。シュウ君を傷つけてしまうかもしれない。それでも、動かずにはいられない。
僕は、玄関へ向かう。途中、前回調べた時も開かなかった扉から漏れ出る、芳香剤のようなくどい香りに鼻をやられそうになりつつ、玄関ドアの取手を捻る。
外の景色は今までと同じ、少し違うところがあるとすれば空が赤黒くなっていることぐらいだろうか。それから、なんというか、息苦しくなったような気がする。これは、僕がシュウ君のトラウマを思い出させたために起こった変化なのかもしれない。
そんなことを考えながら、何かないかと周囲を散策していると、視界の端に人影が映る。
「あれは…」
僕が歩いてきた道の少し先に、虚ろな瞳をした少年がぼんやりとした様子で立ちすくんでいた。
「シュウ君?」
見た目は明らかに、シュウ君だ。しかし、わからない。もしも、あの少年がセキチクなら、僕はまた殺されてしまう。彼は悪者ではないのかもしれない。それでも、何度も殺されているのだ。今ここで話して分かり合えるとは思えない。
そのように、近づくべきか否か思考を巡らせていると、少年は覚束ない足取りでどこかへ向かって歩き始めた。
「あ、まっ、待って!」
少年を追い、僕は走り出した。彼はふらふらと歩いているにも関わらず、僕は追いつくことが出来ない。見失わないよう追いかけるので精一杯だ。そのため、彼がシュウ君なのかセキチクなのか、そんなことを考える暇は無くなった。
そうして、数分。シュウ君の姿を追い、曲がり角を曲がった先で、とうとう彼の姿を見失った。いや、見失ったというよりは煙のように消えた、といった感じだ。まぁ、どちらにせよ、彼はいなくなった。
息があがる。目的を無くし、僕の体は疲れを感じ始めたようだ。
「どこに、行ったんだ」
一心不乱に追いかけていたためか、見慣れない場所に辿り着いた。相変わらず、所々に赤い花がコンクリートを突き破り咲いている。また、正面には店がぽつんと立っていた。看板の文字は霞んでいて読めない。ただ外観から、なんとなく、この店が何を売っているのか分かる。
「花屋、だよね。もしかしたら、シュウ君はここに入っていった?」
それなら、急に消えたことにも納得がいく。曲がり角で突然走り出せば、ギリギリ僕が見失うくらいの距離だろう。まぁ、走り出した足音なんて聞こえなかったし、この世界が現実のように出来ているわけでもなさそうだ。ただ、僕はここに導かれた。そんな気がする。
「きっと、この場所はシュウ君にとって意味のある場所なんだろう」
ならば、やる事は1つだ。店の扉に手をかける。僕は用心しながらゆっくりと店内へと入った。
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チリンとドアベルが鳴り、扉はゆっくりと閉まる。外観の通り、店内には様々な種類の花が並べられている。やはり、花屋なのだろう。
店内を物色していると、奥から誰かの気配を感じた。この精神世界にも、店員は存在するのだろうか。もしかしたら、外にいた頭部が落書きのような人物がいるのかもしれない。
奥にいるこの世界の住人がセキチクや猫のような化け物のように自分に害なす存在である可能性も考えて、色彩豊かな花が並ぶ棚から奥の様子を覗き込む。
そして、大きな瞳と目が合った。僕は驚き、顔を引っ込める。
「いらっしゃいませ」
巨大な一つ目を持つ何者かは息が止まりそうになった僕に、男性の声でこう話しかけてきた。
意思疎通が、取れるのだろうか。
僕は再度顔を覗かせ、相手の様子を伺う。そこには、エプロン姿に頭部がジョウロでそこに大きな一つ目のある、奇妙な姿をした人物がいた。
このような、存在し得ない姿の誰かがいることにも多少慣れたのか、僕は彼の見た目程度では動じない。
そういえば、ジョウロ。シュウ君の作った箱庭にも置いてあったなと考えていると、ジョウロ頭の花屋は僕に問いかける。
「なにか、お探しかい?」
「あ、えっと…」
僕は言い淀む。
もしかしたら、シュウ君がいるかも。なんて気持ちで入ったが、ここは花屋だ。冷やかしだと思われたら追い出されるかもしれない。何か、花を探し求めていると答えるべきだろうか。しかし、金なんてない。どうすれば…。
そのように考えていると、花屋は手を叩き嬉しそうに、声を発する。
「もしかして、⬛︎の日のプレゼント探しかな?」
「え?」
一部、砂嵐のような音が混じり首を傾げる。そのような、僕の動作を一切気にかけず、花屋は続ける。
「そっか。でも、ごめんね…。赤色は全部売り切れちゃったんだ…」
「あの、赤色ってなんですか?花、ですか?」
僕はそう問いかける。しかし、聞こえていないのだろうか。無視して、花屋は続ける。
「そうだ。赤じゃないけれど、白色ならあるよ。どうだい?」
彼の言葉からは感情を受け取ることが出来なかった。プログラミングされた行動をただ淡々と行うゲームの登場人物のような動作や喋り口調だ。
それに、僕は今までとは違った気味の悪さを覚えた。
そうして、僕は首を横に振った。なにか、よくないものを寄越そうとしている、そんな感じがしたからだ。
だが、やはり僕の声など鼻から聞く気はなく、受け答えをしたら言葉を返す人形のように、花屋は続ける。
「わかったよ。じゃあ、ラッピングするから少し待っていてね」
そう言って、彼は店の奥の方へと姿を消した。逃げるなら、今のうちだろうか。
しかし、ここは多分、シュウ君にとって大切ななにかがあった場所だ。外にカーネーションの花が咲いている様子や箱庭のジョウロから、花屋は何か意味があるのだろう。
だとしたら、ここから出るわけにもいかない。不安が消えることはなかったが、店内を見回りながら彼を待った。
それほど、時間も立たずに彼は戻ってきた。
「お待たせ。はい、これ」
そう言って花屋は、僕に薄桃色の紙でラッピングされた可愛らしい一輪の花を差し出した。何にも染まっていない純白の花だ。
そして、その花に僕は見覚えがあった。この世界で、何度も目にしたあの花。
「カーネーション」
僕がこぼした言葉に、花屋が反応することはない。ただ、さぁ、受け取って。と言わんばかりに僕の方へとそれ向けている。
「えっと、ありがとうございます?」
僕はそう言って、その白いカーネーションを手に取る。瞬間、シュウ君の記憶が僕の脳へと流し込まれた。
…
……
………
僕はこっそりと家をぬけだして、あの赤いお花をさがしてまちを歩きまわった。テレビで見たあかいおはな。わたせば⬛︎⬛︎さんはきっとぼくのことをみてくれる。
そうして、やっとはなやさんをみつけた。でも、あのあかいおはなはないみたいだった。かわりにはなやさんはしろいおはなをくれた。
あかくないけど、⬛︎⬛︎さん、よろこんでくれるといいな。そんなことをかんがえながら、いえにかえったんだった。
あのひ、そのあと、どうなったんだっけ。
………
……
…
「お駄賃はいらないよ。僕からのプレゼントだ。⬛︎⬛︎さん、喜んでくれるといいね」
花屋の言葉で、僕はシュウ君の記憶から意識を戻す。彼を見れば、その大きな一つ目で優しく微笑んでいる。
きっと、この人は悪い人じゃなかったんだろうな。ただそう思った。
そうして、僕は彼に頭を下げ、花屋を後にした。
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それから、もう一つ。花屋やシュウ君の記憶の中で、ノイズのように聞こえる音。あれはきっと母親を表す言葉なのだろう。
だとしたら、最初に見た記憶で倒れていた誰かは、母親なのか。
そこで不吉な、それでいて納得のいく理論が僕の頭の中に構築された。
シュウ君はセキチクが自分の大事なものを奪ったと言った。それに最初に見た記憶で母親らしき人はナイフが刺されていた。これは誰かが刺したという事だ。
だとしたら、もしそうだとしたらだ。セキチクはシュウ君の体を使って大事な母親を殺したという事になるのではないか。
「だったら、やっぱり…とんだ極悪人だ」
下手をすれば、それで自殺を図ったなんていうのが、シュウ君の死因なのではないか。思考は加速し、そんな予測まで立てる。
何か引っ掛かるような感覚はあるが、どちらにせよセキチクはこの世界のシャドウだ。ならば、僕の敵であることには違いなかった。そう自分に言い聞かせる。
そんなことを考えて、この世界を歩いていると、気づけばシュウ君の家の周辺まで戻ってきていた。
先生は死因なんかがシャドウを無くすきっかけになるかもなんて言っており、それに一歩近づいたような気はする。しかし、これ以上何かを見つける手立てはなさそうだ。
一度病院に戻るかとポケットの中の瓶を握ったとき、遠くの方からどさっと何かが倒れるような音がした。
なんだろう。もしかしたら、セキチクかもしれない。
そう警戒して、音の聞こえた方へと進む。
この通りには覚えがあった。この先は、前に真っ黒な何者かが道を塞いでいた場所だ。多分、音が聞こえたのはその辺りだった。
そうして目的地に辿り着き、僕は絶句した。
そこには、黒いインクのような何かを吹き出して倒れた2人の人影と、それを浴びて棒立ちになった、小さなスコップを持った少女"ウツツ"がいた。
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※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
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