メサイアの劣等

すいせーむし

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一章 仮面の少年

7話 箱の中身

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 白い病室から一転。気づけば僕は、ドス黒い雰囲気を漂わせたアパートの一室にいた。
 すぐに立ち上がり周囲を見渡す。彼女は、いない。
 部屋から飛び出す。彼女はいない。アパートの扉を開ける。彼女はいない。道路へと飛び出す。花畑まで駆け抜ける。彼女は、どこにもいない。

「ウツツ…」

 息を切らして僕は彼女の名前を呼ぶ。返事はない。

「ウツツ」

 僕は彼女を呼んだ。先程よりも大きな声で。それでも、彼女は見つからない。

「ウツツ!」

 僕は叫ぶ。必死に、彼女を呼んだ。何回も何回も。

「ウツツ!!!」

 こんなに声を荒げれば、セキチクにバレてしまうかもしれない。その考えに至ることもないくらい、必死だった。

「ウツツ!!!!!」

 落書きのような頭部の人たちが僕に異常者でも見るような目をむけていたような気がしたが、それも気にならないほどに、叫び続けた。

 それでも、彼女は見つからない。やっぱり、彼女はもう…。
 僕はしゃがみ込む。

「もう、終わりだよ…」

 気づけばそんな弱音を吐いていた。そんな僕に向かってくる足音が聞こえた。顔を上げる気にはなれなかった。きっと叫びすぎたんだ。怪物が、セキチクが来る。
 でも、それでも構わないと思えた。殺して欲しいとさえ思ってしまった。
 足音は僕の目の前で立ち止まる。それから数秒目の前の誰かは動かない。
 来るはずの終わりが来ないことに疑問を覚え、顔を見上げる。そこには、見覚えのある少年がいた。彼はビクビクと怯えながら、こちらを見ていた。

「わっ。えっと、だいじょうぶですか?」

 少年は、セキチクと全く同じ顔をしている。しかし、すぐにあの化け物とは違うとわかった。

「シュウ、君?」

「えっ!なんでぼくのなまえしってるんですか?」

 そう、彼はセキチクとは別の人格、虚路周だと雰囲気で理解できた。
 考えてみれば、この世界にシュウ君がいてもおかしくないだろう。いや、いない方がおかしい。何せここは彼の精神世界なのだ。
 いて当然の彼だが、しかし、彼の様子は僕の知っているシュウ君とは少し異なる気がした。彼は今、僕が名前を呼んだことで動揺した。どうやら僕のことは覚えていないらしい。
 僕が思考を巡らせていると、シュウは不安を顔に浮かべる。

「あぁ、えっと…そう!君のお母さんから聞いたんだ」

 僕が苦し紛れに述べた言葉。それに対して、シュウ君は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「お母さんのしりあいなんですか!お母さんぼくのことなんていってましたか?」

 彼はそう問うて僕の顔を見る。泣いてぐしゃぐしゃになった僕の顔が醜かったのか、彼はハッとして目を逸らす。

「えっと、おなまえきいてもいいですか?」

「僕は香水千夜。心配してくれてありがとうね」

 僕は深呼吸をして目元を擦る。震える声を整えて、彼にそう返した。それに対して少年は笑顔で返す。

「チヨさん、ずっとだれかをよんでいたみたいですけど、だれかさがしているんですか?」

 彼の問いかけに僕は口を噤む。その様子を見たシュウ君はオロオロとしながらもここから離れようとはしない。彼はじっと僕を見つめている。

「なにかあったんですね」

 そう言って、少年は僕の頭を撫でた。

「きっと、だいじょうぶですよ。ぼくもてつだいます」

 何があったのか1つも知らない、彼の中では初対面の僕に、そう言って優しく接する。押し殺した感情が漏れ出すのを感じる。
 助けたかったはずの少年に僕は助けられていた。

          ◇

 それから、数分経って僕の感情はおさまった。きっとひどい顔をしているだろう。僕は顔を見上げる。そこには片目が隠れた少年の顔があった。

「ごめんね、何も言えずに…気づいたら泣いてたみたいで。…情けないな」

「いえ、だいじょうぶですよ」

 シュウ君は笑顔でこう返す。彼はただ泣く僕の近くにずっといてくれた。

「なにがあったか、はなしてくれますか?」

 僕は頷く。そして、死んだ彼女のことを思い口を開いた。

「人を、探していたんだ。黒髪の少女。えっと…いなくなっちゃって」

 それを聞いたシュウ君はしばし考える素振りを見せ、はっと何かを思い出したようで口を開く。

「そういえば、さっきみました!くろいかみのけのおんなのこ!」

 少年はにこりと笑みを浮かべる。その発言に僕は希望を見出した。シュウ君はウツツのいる場所を知っているかもしれない。

「どこにいたか、教えてもらってもいいかな?」

「えーっと…そうだ!ぼくについてきてください!」

 そう言って少年は僕の手を引く。彼にされるがまま、足を進めてゆく。僕の手を強く握る彼の手は温かく、まだ死んでいないのだと実感した。

「そうだ、チヨさん。ぼくもさがしているこがいるんです」

 僕よりも背の低いシュウは、僕の方を見上げるように振り返る。

「探している子?僕の知っている人かな…。あっ、3つ目のお姉ちゃんとか?」

 僕の発言に少年は首を傾げる。どうやら、この時のシュウ君はシヅさんのことは知らないようだ。

「ぼくがさがしているのはひとじゃないですよ。クロネコです。いえでかっていたんだけれどあるひ、きゅうにいなくなっちゃって…」

 黒猫か。この世界に来てからそのような生き物は見ていない。いたのは頭部が真っ黒の他人とセキチク、それからウツツくらいのものだ。

「ごめんね、僕は見てないかな…」

「そうですか…。でも、もしかしたらいまからいくばしょにクロもいるかも!おんなのこをみたばしょ、クロをひろったとこのちかくなんです!」

 彼はそう言って、両手を大きく振って先ほどよりも早足で歩く。片手を握る僕も釣られて腕を振ることになった。
 それから、僕は彼と他愛のない話をしながら足を進めた。そして、彼が母親を心の底から愛していたことを知った。それから、一人寂しい時に遊び相手になってくれた友人の話も。
 そして、ふと疑問に思った。何故、このように幸せそうな子どもが多重人格を患ったのか。もっと何か不幸でなければ発症はしないのではないか。
 僕は彼を見てある違和感を覚える。

「そういえば、シュウ君」

「なんですか?」

 少年は首を傾げる。

「なんでそんなに、ぼろぼろの服を着ているの?」

 先程まで、自分のこと…いや、ウツツのことで頭がいっぱいで、彼の見た目なんて見向きもしていなかった。だが、よく見てみるとおかしい。所々に穴の空いた服。そこから薄らみることができる紫がかった打撲の痕。靴下も履かずに直に履かれた少年よりも明らかに大きなサイズの薄汚れた靴。何か嫌なことに気づきそうになったが、その妄想に蓋をする。僕は彼から真実を聞かなくてはならない。
 そして、少年は困ったように笑った。

「あぁ、ぼくこの服しかなくて…。ぼろぼろではずかしいですけど、しかたないんです。なんだかしらないうちにきずだらけになっていて。でもだいじょうぶですよ!」

 きっと何か事情があるのだろう。彼は真実を話したがらない様子だ。しかし、僕はそれを聞き出さなくてはいけない。そう意気込んで口を開こうとした時、少年がそれを遮る。

「つきました!ここらへんです」

 僕はあたりを見渡す。話に熱中しているうちに見知らぬ場所にたどり着いた。
 そこは、入り組んだ住宅街で道を知らぬ人ならすぐに迷子になってしまうだろう。シュウ君はそれをどんどん先に進んで行く。

「ここにはよく来るの?」

「むかしはよくきていたんです。さいきんはあんまりいえからでられなくてわからないですけれど」

 そう言いながらも足は止まらない。引っ張られるようにして僕も進む。それから数分経って、シュウ君は歩くのをやめた。そして、「あれ?」と動揺している少年に僕は問いかける。

「どうしたの?」

 その言葉に小さな体をぴくりと跳ね上げ、ゆっくりと振り返る。握る手から汗を感じる。

「えっと、まよっちゃいました」

 苦笑いをする少年の姿に僕は不安を加速させた。

          ◇

 病院の廊下のように複雑な空間に僕達は頭を抱える。

「なんだか、しらないところにきちゃったみたいです」

「来たのが昔なら、道を忘れていてもおかしくないと思うよ。それに、開発が進んで知らない道ができたという可能性だってあるし」

 慰めになるかわからないような言葉をかける。彼は「そうですね」と頷き、問題に向き合う。

「チヨさん、どうしましょう」

「とりあえず、行き当たりばったりでも進んでみるしかないんじゃないかな」

 僕の発言に少年は同意する。じっとしていても何も始まらない。僕たちは住宅街を脱出するために歩み始めた。

「ところでシュウ君、黒猫はどこで拾ったの?こんな住宅街にいたの?」

「でんしんばしらのしたにいたんです。ダンボールばこのなかにいて。つれてかえりました!」

 彼は笑顔を浮かべてそう答えた。今どきそんなステレオタイプな捨て猫がいるのかと疑問に思うと同時にシュウ君の行動力に驚く。
 そして、少年が猫を連れ帰った時期といなくなった時期、それから少年が家から出られなくったという話を考えた時、猫がここに戻ってきている可能性は限りなく低いのではないかと予想がついた。別の場所にいるのか、それとももう…。これをシュウ君に伝えるのは酷かもしれない。そんなことを考えていると、どこからともなく鳴き声が聞こえた。

「ぬぁぁお」

 その声は続く道の奥から聞こえてきた気がした。シュウ君は目を輝かせる。

「クロだ!クロのなきごえです!あっちにいるんだ!いきましょう!」

 そう言って、シュウ君は走り出す。僕はそれを追いかけようと足を一歩前に進めた。その時だった。

「ヌァァァアオ」

 先ほどよりも大きな音で猫のようななにかの声を耳にした。嫌な予感がする。
 僕はゆっくりと振り返る。瞬間、視界が黒く染まる。

「ヌァァァアヲ」

 怪物が口を開けば、毒々しいほど真っ赤な舌が顔を出す。僕の背後には所々、肉が剥き出しになったけむくじゃらの怪物がいた。
 そいつは金色の瞳でこちらを見やり「ネオォン」と鳴き、僕を押しつぶそうと右手を振り下ろした。
 押しつぶされた先に待つのは痛みにもがき、苦しみながらゆっくりと迫る死。
 僕は慌てて後ろに転ぶ。おかげでなんとか肉塊にはならずに済んだ。しかし、怪物の目は未だこちらに向けられていた。
 逃げなければ、殺される。僕は瞬時にそれを悟る。転がるようにして立ち上がり、迷宮のような
街を走る。
 怪物は浮いているのか足音はしない。しかし、ソイツが確実に背後にいると理解できた。

「シュウ君の精神世界にはこんな化け物までいるのか…」

 僕のことを殺そうとする存在が、セキチク以外にもいたことに驚きを隠せない。僕はシュウ君に拒まれているのだろうか。
 悶々とする思考を置いて、息を切らしながら怪物の右手から逃れるべく必死で走る。走って走って、走り続ける。死に物狂いで、命懸けで、必死で、ただ走るのみだ。何せ僕は死にたくない。死にたいわけがないのだ。
 そうして走り続けた結果、体力の限界を感じて一歩が重くなる。僕は運動音痴だったのかもしれないな、余裕なんてあるはずがない頭でそんなことを考えながら、鉛の足を持ち上げて黒い獣から逃げ続ける。

「どこまでっ、追ってくるんだっ!」

 何故、襲われているのかもわからない。まぁ、この怪物もシュウ君のシャドウの一つなのかも知れない。だとしたら、やはりコイツも消えてもらわなければいけない。だが、どうやって?僕はコイツを殺せないし、なんなら今すぐに死ねる。

「ナァァァヌォ」

 耳がちぎれるような叫び声をあげる怪物。その声ともとれない爆音からは必死さのような物が感じとれた。そこまでして、僕を殺したいらしい。それならば、どうしようもないだろう。
 限界だった。もう、殺される。それを悟ったが走るのをやめられずに、もつれる足を必死で動かしていれば、路地裏から鈴の音とともに

「ナオン」

と何かの鳴く声がした。
 猫、だろうか。それが鮮明に僕の耳が聞き取った。
 何も考えられず、ただ直感でその路地裏へと一直線に走り出す。すると、怪物は先程よりも速さを増して僕を殺さんと右手を何度も振り下ろす。

「しつこいんだよ…っ!」

 この怪物、僕に路地裏に行ってほしくないのか…?理由はわからないが、きっとそうだ。だとしたらなおのこと向かわねばならない。
 僕は走った。それはもう脱兎の如く走った。
 ゴールは目前、というところで怪物は最後の抵抗に右腕を僕の頭を飛ばさんと横に振るった。
 結果から言うと、その攻撃が僕にあたる事はなかった。路地の入り口ギリギリで僕は転けたのだ。そのまま転がり、ゴールイン。
 何はともあれ、たどり着いた。だが、僕を殺さんとする化け物が消えたわけではない。僕は急いで立ち上がり、後ろを見る。怪物は狭い路地の入り口に阻まれて、どうやら奥へは進めないようだった。それは、絶叫しながら、右手でコンクリートの地面をバシバシと叩いている。往生際の悪いやつだ。
 なんとなく、動物の何かを懇願するような行動にも感じられ、可愛げを見出せなくもない。しかし、怪物は怪物だ。僕はそれを無視して奥へと進んだ。

「狭いな」

 配管やらゴミ袋でいっぱいの道に文句を言いながら、足を早めつつ振り返る。さっきの怪物が追ってくる気配はない。この狭い道をあの大きな化け物は通ることが出来ないのだろう。
 奥へ奥へと歩くほど、悪臭が漂ってくる。なにかが腐ったような臭いだ。しかし、この悪臭を理由に引き返すわけにもいかない。後ろには怪物もいる。
 それに、進展があった。先ほどよりも、鈴の音と鳴き声が大きく聞こえてくるのだ。先に進めば、きっと何かがある。

「それにしても、猫の鳴き声…もしかしたら、シュウ君の探していた子かもしれないな。名前は確か、クロだったっけ…」

 もし、クロをシュウの元まで連れて行くことが出来れば、彼の中で何か進展するだろうか。そうしたら、彼を"助ける"ことに近づくかも知れない。
 この先にいる猫が、クロだといいな。そんなことを考えながら路地裏の奥地へと辿り着く。
 そこだけは、何故だか街灯が明かりを灯していて、その真下に位置するダンボール箱にすぐに目がいった。

「鳴き声は、ここから聞こえていたのかな」

 僕はダンボール箱に近づく。先ほどのように、猫の鳴く声は聞こえてこない。
 閉じられたダンボールからは、なんの気配も感じない。何故かは分からない。それでも、この中にクロがいる。ぼくはそれをかくしんしている。

「早く、開けなきゃ」

 ─助けなきゃ。その一心で、僕はダンボールを開いた。
 そこには、僕の予想通りに猫がいた。真っ黒な色のした猫だ。この子がクロで間違いないだろう。
 でも、この子をシュウ君の元に連れて行くわけにはいかない。絶対にダメだ。

 だって、これは…あまりにも…惨い。

 そこにあったのは、所々、肉が剥き出しになった足が1本しかない猫の死骸だったのだから。
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