2 / 14
一章 仮面の少年
2話 死人の患者
しおりを挟む
この病院に来てから、1日が経過した。時間の感覚があやふやで、1日と言っていいのかわからなかったが、僕は昨日のことを思い出していた。
◇
「それにしてもどうして先生は、僕が夢の話をしただけで、そんな異能があるなんて気付いたのですか?助手をやるとは言いましたが、僕にそんな力があるなんて信じられません。そもそも…」
と、僕は先生に強く問いただそうとする。しかし、彼はその質問に対してはぐらかすように返す。
「いやぁ。私は先生だからね。色々と知っているんだよ」
不審には思ったが、彼が嘘をついているようには見えない。それに、ここで彼を疑っていても何も話は進展しないだろうと、別の話題を振る。
「先生は、僕に助手になれと言いましたが、具体的になにをすればいいのでしょうか」
先生は「そうだね…」と、少し悩んだ後に、こう返答した。
「じゃあまずは、さっき話したシュウ君の病を治す手伝いをしてほしい。具体的にいうと、君の異能で精神世界に入り、彼の"シャドウ"を精神世界から無くしてほしい」
シャドウ、というものに思い当たる節があった。先程、シュウ君の精神世界に入ったときに、僕を殺した、目を真っ赤に染めた彼のことだろう。思い出して背筋が凍ったが、シュウ君の体格からして刺されさえしなければ如何とでもなると、謎の自信が湧き出て、僕はこう返す。
「…わかりました。シャドウを倒せばいいのですね」
「倒すなんて物騒だね。まあ、それでシャドウが消えて無くなるならそれもいいだろう。じゃあこれからよろしくね。チヨくん」
そう言って差し出された先生の色白な右手。なんの躊躇もなく僕は彼と握手を交わした。
「じゃあ、君はもう病室に戻りなさい。っと、さっき吐いていたし少し心配だな。よし、私もついていこう」
先生に連れられて、病室まで歩く。
僕はその状況にひどく安心感を覚えた。昔、こーやって誰かと手を繋いで、病院の廊下を歩いていたような…。誰だ…?あの、優しい笑顔は。
大事な記憶のような気がして必死にその情景を思い出そうとする。
あれは、たしか…と記憶の蓋が開きそうになったとき、先生に声をかけられた。
「さ、ついたよ。次に診察室に来てもらうときは、ここにガスマスクの子を向かわせるよ。あと…」
先生は少し考えるそぶりをして、何処か嬉しそうに口を開く。僕はこの時、先生が何を言っていたのかわからなかった。しかし、今ならわかる。
「真夜中には絶対に部屋からでちゃダメだよ。怖い目に遭いたくなかったらね」
ニヤつきながらそう言って、続けて一言「おやすみ」と。それから彼は来た廊下を戻っていった。
それから僕は、好奇心で真夜中に部屋から出る…なんてこともせずに、1日を終えたようだ。
眠ってしまうと、またあの世界で殺されるかもと恐れて、ただ、ぼーっと過ごしていた。
◇
昨日のことを全て思い出した。
よかった、1日毎に記憶が無くなるという病ではないのだ…と胸を撫で下ろした。
それから、意識が完璧に覚醒して、ガスマスクの看護師がいつまで経っても病室に来ないことを不審に思った。ならば二度寝でもして待とうかとベットに潜り込もうとすると、隣の病室から鈍い大きな音が聞こえた。
「こっちって確か、204号室。シュウ君の部屋だったな」
何か起きたのだと思い、僕は部屋から飛び出して204号室の前に立つ。そこで扉を開こうとして冷静になり、僕1人だとまずいかもしれない、と先生を呼ぼうと考えたが、その瞬間、204号室の扉が半分ほど開かれ、中から衣類が破け、傷だらけになったユウヤ先生が顔を出した。
「や、やあ、チヨ君。おはよう、いい朝だね。ちょっとだけ手伝ってくれないか」
引っ掻き傷のようなもので白衣がぼろぼろになり、紫がかった血を流す彼を見て、その頼みを断るわけにはいかなかった。
「なにをすればいいですか」
「事情を聞かないでいてくれて助かるよ、時間がない。ちょっとおつかいを頼まれてくれ」
「第一診察室のあった中央病棟にある薬剤庫にいる方から薬をもらってきて欲しいんだ。204号室の患者用と言えば伝わると思う。このメモ通りに進んでいった辿り着くはずだ。よろしく頼むよ」
そう言って、彼は僕に地図を描いたメモを渡して病室にまた戻っていった。中から獣のようなうめき声が聞こえて不安になりながらも、先生の頼みごとを完遂すべく、中央病棟の薬剤庫へと向かった。
◇
道中迷子になりかけながら、自身の勘を信じ前へ前へと進む。この病院は迷宮のように入り組んでいた。何度も同じ道を歩いた気がする。
それでも、傷だらけになった先生のことを思い出して、必死で薬剤庫を目指した。
そして、ついに薬剤庫の扉の前へとたどり着いた。
「すいませーん」
そう言いながら扉を叩いたが、中から返事はない。先生は中に人がいると言っていたが、誰かのいる気配はない。
勝手に入っていっても失礼だろう、と思いながらも、緊急事態だということはよくわかっていた。
薬は自分で探せばいい。もし、薬剤庫にいると先生が言っていた人物が来たら、勝手な入室を謝って薬をもらおう。と扉を開き薬剤庫へと足を踏み入れた。
中は真っ暗でやはり人のいる気配はない。暗闇を手探りで歩くと、入り口の周辺に照明の点滅機があったので押した。すると、目の前に、薬と思われるものが入った沢山の棚が姿を現した。
「…ここから僕一人で探すのは骨が折れるな。やっぱり、先生の言っていた人が来るのを待つしか…」
ないか。と呟ききる前に、背後から何者かに紫色の液体を飲まされ、僕は意識を失った。
◇
目を覚ますと、僕は電気椅子のような立派なイスに手足を固定されていた。
今から処刑でもされるのではないかと焦燥感に駆られる。
「おっ、お~!気がついたね、盗みに入ったネズミ君!!」
状況を把握するより先に、正面から明るく声をかけられた。僕は自然とそちらへ目を向ける。そこには、狂気を孕んだ笑みを浮かべる、悪魔のような女がいた。
何が何だかわからない状況だが、これから危険な目に遭うと、本能が警鐘を鳴らしている。逃げなくては。しかし、身動きは取れない。
みるみるうちに青ざめていく僕の表情をみて目の前の悪魔はさらに顔を歪めた。
「あっはははぁ!!いいねぇ…。いい顔だよ!!アタシの大好物だ!!いやぁ…本当にいいね」
狂乱じみた女は叫びながら続ける。
「じゃあ~、ネズミ君っ。勝手にワタシの薬剤庫に入った罪は重いよ。そんな破廉恥なキミには~、ワタシの実験動物になってもらう…よっ❤︎」
そうして女は、左手にメスを持って近づいてくる。その刃先を見て連想されるのは長い苦痛の後に訪れるであろう死。あの夢のような苦しみ。僕は必死に叫んだ。
「っっっすいません!勝手に入ったことは謝ります!目的があって来ました!ユウヤ先生に頼み事をされて、ここに来たんです!!!」
ニヤつきながら近づいてくる女は、ユウヤ先生の名前を聞くと、キョトンと首を傾げた後、とても嫌そう顔をした。
「えっ、うげぇ~!じゃあ、アイツの言ってた助手ってオマエのことかよっ!まじかぁ…こんなことしたってバレたらアイツに殺されるじゃん!あ~ヤメヤメ。ほら、解放するから話聞かせてよ」
彼女はそう言って、僕を椅子から引き剥がした。
◇
「とりあえず、勝手にここに入ったことは許すからさ!キミの先生にはさっきのこと言わんでな!…言ったらマジで解剖するから」
さらっと、恐ろしいことを言った彼女だが、もう先程までの狂気はみえない。安心していいのかはわからないが、とりあえず彼女の話を聞く。
「アタシの名前は"ファイル・グリム"。悪魔だよ!ぴちぴち18歳のねっ」
「はぁ…」
彼女の発言は妄言に他ならない。そう、所謂デンパなのだろう。僕はそう結論づけた。そして、陽気にファイル・グリムと名乗った彼女はこう続ける。
「あとはー、ココ、現の夢病院の薬剤師だよ。で、キミはチヨって子だろ?昨日、オマエの先生から聞いたよ。…さてさて、それで、ど~してキミはここに来たの?…!もしかして、アタシの薬の実験体になるよ~にアイツに言われたとか!?」
イカれている。そう思いつつ僕は答える。
「薬を貰いに来たんです。204号室の患者用と言えばわかると言われたのですが、…あと、実験体になるつもりはないです」
ここにいたら危険だと、目的を果たして早急にここから退出したい僕は、要件を話した。
それを聞いた彼女は妙なことを言った。
「あ~。あの死人の子供ね~。その子の薬はっと~…」
「…死人?」
僕はグリムさんの話を遮り、死人という言葉に反応した。
死人?彼女はシュウ君を死人と呼んだのか?それだと、シュウ君はもう亡くなっているみたいじゃないか。あの子が…死人?いや、そんなはずはない。だって、彼と僕は会って言葉を交わしていたのだから。
「ん~?なに?なんか色々考えてる~?あの子は死人だよ。え?何、アイツからは、聞いてねぇの?…んんーっ!?てか!お前、どっちだよ!?生きてんの?死んでんの?よくわかんね~けどおもろっ。やっぱキミ、アタシのモルモットにならない?」
僕は一歩下がって彼女と距離を取り、こう言った。
「とりあえず、薬を下さい。急いでいるんです」
「むぅ。しゃ~ね~なぁ。え~っと…。あ~!あったあった。これこれ。アイツに、この薬渡しな」
そう言って彼女は、棚の中にある沢山の瓶から、赤黒い液体の入ったものを取り、僕に手渡した。
僕はそれを受け取り、
「ありがとうございました。じゃあ」
とだけ言って、薬剤庫から逃げ出そうとした。しかし、彼女は「待って!」と僕の服を掴み
「また遊びに来てよ、モルモット君❤︎」
そう口にした。
僕は、彼女に大層嫌な顔で返事をして、薬剤庫を後にした。
◇◇◇
チヨがいなくなってから、1分も経たぬうちに、薬剤庫の扉が外側から開かれ、1人の青年と4つの魂が入室する。
「グリムさーん。頼まれていた仕事全部終わりましたよー」
「仕事多すぎふざけんな!」
「こらこら。グリムさんにそんな口聞いちゃいけないですよ」
「そうだよ…。うぅ、ごめんなさい…」
「ゔぁー」
彼らは、自由に喋る。一通り話し終わると、それを楽しそうに見ていた彼女が、
「うんうん~。ありがと~ね~。やっぱキミ達おもろいわ~」
そう言って、青年に、何かが、書かれた紙を手渡す。
「何ですか、これ」
「ん~?仕事だよ。任せたっ」
「えっ」
彼女はにやにやとしながら、「じゃ、がんば~」と言って薬剤庫の奥の暗闇へと消える。
暗闇から声が聞こえる。
「にしてもアイツ…どっかで見たことある気がするんだよな~。ん~。見たことあるってよりも、ダレカに似てる…?」
そんな伏線じみた発言を他所に、彼女の助手である、"死人"達は、文句を言いながらも仕事に向かうのだった。
◇◇◇
僕は急ぎ、薬剤庫から204号室へと戻った。
「先生!薬、貰ってきました」
まだ呻き声のような音が聞こえる病室のドアを強く叩きながら、僕はこう言った。すると、「ありがとう」という声の後、扉が少しだけ開き、室内からから片腕だけが伸ばされて、薬を取った。
それから数分して、先ほどよりもぼろぼろな服を身に纏った先生が、病室から出てきた。
「ふぅ。やっと終わったよ。じゃあ、あとは任せるね」
先生がそう言うと、病室の中から「わかりました」と、看護師さんの声が聞こえた。どうやら、室内にいたらしい。
先生は、その返事を聞くと、ニコリと笑って僕の方へと体を向き直して、
「じゃあ昨日の話の続きをしようか。診察室は遠いし、よし。君の病室で話そう。行こうか」
僕はこくりと頷き、先生と2人で203号室に入っていった。
◇
「さぁ、"助手"のチヨ君、昨日の話の続きをしよう。まずはシュウ君について話そうか。あまり驚かないで聞いてね」
そんな、前置きをして、先生は彼のことを話し出した。
あの唸り声を発して、先生をこんなにボロボロにしたのが無害そうな少年、シュウ君なのだとしたら、理由を聞かなければ何も納得できない。
僕は息を呑んで頷く。
「実は彼、"もう亡くなってる人間"なんだ」
なるほど、彼はもう亡くなっているのか。亡くなっている。…亡くなった?
「…え?」
我ながらとぼけた声だった。先生の言ったことが一切理解できない。まさか、先生まであの自称悪魔と同じデンパ系なはずがない。だとしたら、彼がもう亡くなっているということは事実なのだろうか。
困惑した表情の僕を見て先生は困った笑みを浮かべながら続ける。
「おかしく思うのも無理はない。でも、本当のことだよ。ここはそういう人の集まる病院なんだ」
記憶喪失の僕をおちょくっているのかと怒りたくもなるが、先生は真剣そのもの。信じないわけにはいかなかった。
だとしたら、あの自称悪魔は本当のことを言っていたのか。
「…わかりました。信じます。で、シュウ君が死人だったら、僕も、その…死んでいるのですか?」
シンプルな疑問だった。先生が優しさで、最初に会ったときには言わなかったのかもしれないと。
しかし、その返事は僕の想像していたものとは異なる前向きなものだった。
「私にもわかりかねるけど、君は他の患者とは違う感じがするよ。生きた人間がここに来ることは稀にある。そーいえば、君の上の階に入院している患者にも生身の人間のような人がいたよ」
それから、先生は
「初対面の時に言えなくてごめんね。話を戻そうか」
そう言って、また、シュウ君について話し出した。
「彼の病名は"カイリセイドウヰツ症"いわゆる多重人格というやつだ。彼は、ひとつの体に2人の精神を宿している。最初に君と会ったときの彼が、主人格のシュウ君。そして、先ほど暴れていたのがもう一つの人格、"セキチク"だ」
セキチク…。多分、僕が夢で見たシュウ君と同じ姿の少年。彼がセキチクで間違いないだろう。あの夢を思い出すと、現実では刺されていない刺し傷がヒリヒリとする。
「まぁ、今日は私も手酷くやられてね…あまりここまでセキチクが顔を出すことはなかったんだけれど、最近はシュウ君になり変わる頻度も多くなっている。薬でも制御が効かないんだ」
先生が「ここからが本題だ」と言って続けて話す。
「私は君に、シュウ君の精神世界に入って、彼の病気を治す手がかり、まぁ、シャドウをどうにかするための下準備だね。それをしてもらいたいんだ」
「そうだな…例えば、死因なんかを調べて来て欲しい。シュウ君本人に聞こうとすると、もう1人の彼が出てきて暴れ回っちゃうからね」
「お願いしてもいいかな」という先生の言葉に、僕は最初から何が来ても断るつもりはなかったので、
「はい。やれるだけやってみます」
とシンプルに答えた。
また、気になることがあったので聞いてみる。
「先生、一つ気になることがあるんです。シュウ君は、その、もう亡くなっているんですよね。なら、病気を治す必要なんてあるんですか?」
それを聞いた先生は嬉しそうに笑い、こう答えた。
「それはね、チヨ君。彼らが生まれ変わるとき、その病気が新しい体でも弊害となるからなんだ。現世の輪廻を回すために私たちはここで働いているんだよ」
話が壮大すぎて、何を言っているのかよく理解できなかったが、彼の笑みから誇らしげにしていることは感じ取れた。
それが僕の⬛︎がしていた仕草によく似ている気がして、手伝いたいと思った。
…待て、僕の⬛︎って、誰だ?
失った記憶から⬛︎についてのことを思い出そうと頭がフル回転する。失ったままではいけない、とても大切な何かだった気がして…。
深く考え込んでいると、座っていた先生は立ち上がる。
「じゃあ、また何かあったら伝えるね。あ、あと、君の異能について1つ。それは眠ることで発動するんだ。覚えておいてね。それから、何かあったら君のベッドに付いているナースコールを押してね。そうしたら誰か、看護師が来るから。それじゃあまた今度」
ナースコールなんてあったのか、と自分のベッドを確認する。
そんな僕の様子を見ながら、彼は右手を振りながら病室を後にした。
さて、することがなくなった。昼寝でもしようかとベッドで横になる。そう、あの子の世界に入るために。
布団を被り目を瞑る。何も考えず、ただその状態でいると、落ちていくような感覚を覚える。
そうして僕は、意識を手放した。
◇
「それにしてもどうして先生は、僕が夢の話をしただけで、そんな異能があるなんて気付いたのですか?助手をやるとは言いましたが、僕にそんな力があるなんて信じられません。そもそも…」
と、僕は先生に強く問いただそうとする。しかし、彼はその質問に対してはぐらかすように返す。
「いやぁ。私は先生だからね。色々と知っているんだよ」
不審には思ったが、彼が嘘をついているようには見えない。それに、ここで彼を疑っていても何も話は進展しないだろうと、別の話題を振る。
「先生は、僕に助手になれと言いましたが、具体的になにをすればいいのでしょうか」
先生は「そうだね…」と、少し悩んだ後に、こう返答した。
「じゃあまずは、さっき話したシュウ君の病を治す手伝いをしてほしい。具体的にいうと、君の異能で精神世界に入り、彼の"シャドウ"を精神世界から無くしてほしい」
シャドウ、というものに思い当たる節があった。先程、シュウ君の精神世界に入ったときに、僕を殺した、目を真っ赤に染めた彼のことだろう。思い出して背筋が凍ったが、シュウ君の体格からして刺されさえしなければ如何とでもなると、謎の自信が湧き出て、僕はこう返す。
「…わかりました。シャドウを倒せばいいのですね」
「倒すなんて物騒だね。まあ、それでシャドウが消えて無くなるならそれもいいだろう。じゃあこれからよろしくね。チヨくん」
そう言って差し出された先生の色白な右手。なんの躊躇もなく僕は彼と握手を交わした。
「じゃあ、君はもう病室に戻りなさい。っと、さっき吐いていたし少し心配だな。よし、私もついていこう」
先生に連れられて、病室まで歩く。
僕はその状況にひどく安心感を覚えた。昔、こーやって誰かと手を繋いで、病院の廊下を歩いていたような…。誰だ…?あの、優しい笑顔は。
大事な記憶のような気がして必死にその情景を思い出そうとする。
あれは、たしか…と記憶の蓋が開きそうになったとき、先生に声をかけられた。
「さ、ついたよ。次に診察室に来てもらうときは、ここにガスマスクの子を向かわせるよ。あと…」
先生は少し考えるそぶりをして、何処か嬉しそうに口を開く。僕はこの時、先生が何を言っていたのかわからなかった。しかし、今ならわかる。
「真夜中には絶対に部屋からでちゃダメだよ。怖い目に遭いたくなかったらね」
ニヤつきながらそう言って、続けて一言「おやすみ」と。それから彼は来た廊下を戻っていった。
それから僕は、好奇心で真夜中に部屋から出る…なんてこともせずに、1日を終えたようだ。
眠ってしまうと、またあの世界で殺されるかもと恐れて、ただ、ぼーっと過ごしていた。
◇
昨日のことを全て思い出した。
よかった、1日毎に記憶が無くなるという病ではないのだ…と胸を撫で下ろした。
それから、意識が完璧に覚醒して、ガスマスクの看護師がいつまで経っても病室に来ないことを不審に思った。ならば二度寝でもして待とうかとベットに潜り込もうとすると、隣の病室から鈍い大きな音が聞こえた。
「こっちって確か、204号室。シュウ君の部屋だったな」
何か起きたのだと思い、僕は部屋から飛び出して204号室の前に立つ。そこで扉を開こうとして冷静になり、僕1人だとまずいかもしれない、と先生を呼ぼうと考えたが、その瞬間、204号室の扉が半分ほど開かれ、中から衣類が破け、傷だらけになったユウヤ先生が顔を出した。
「や、やあ、チヨ君。おはよう、いい朝だね。ちょっとだけ手伝ってくれないか」
引っ掻き傷のようなもので白衣がぼろぼろになり、紫がかった血を流す彼を見て、その頼みを断るわけにはいかなかった。
「なにをすればいいですか」
「事情を聞かないでいてくれて助かるよ、時間がない。ちょっとおつかいを頼まれてくれ」
「第一診察室のあった中央病棟にある薬剤庫にいる方から薬をもらってきて欲しいんだ。204号室の患者用と言えば伝わると思う。このメモ通りに進んでいった辿り着くはずだ。よろしく頼むよ」
そう言って、彼は僕に地図を描いたメモを渡して病室にまた戻っていった。中から獣のようなうめき声が聞こえて不安になりながらも、先生の頼みごとを完遂すべく、中央病棟の薬剤庫へと向かった。
◇
道中迷子になりかけながら、自身の勘を信じ前へ前へと進む。この病院は迷宮のように入り組んでいた。何度も同じ道を歩いた気がする。
それでも、傷だらけになった先生のことを思い出して、必死で薬剤庫を目指した。
そして、ついに薬剤庫の扉の前へとたどり着いた。
「すいませーん」
そう言いながら扉を叩いたが、中から返事はない。先生は中に人がいると言っていたが、誰かのいる気配はない。
勝手に入っていっても失礼だろう、と思いながらも、緊急事態だということはよくわかっていた。
薬は自分で探せばいい。もし、薬剤庫にいると先生が言っていた人物が来たら、勝手な入室を謝って薬をもらおう。と扉を開き薬剤庫へと足を踏み入れた。
中は真っ暗でやはり人のいる気配はない。暗闇を手探りで歩くと、入り口の周辺に照明の点滅機があったので押した。すると、目の前に、薬と思われるものが入った沢山の棚が姿を現した。
「…ここから僕一人で探すのは骨が折れるな。やっぱり、先生の言っていた人が来るのを待つしか…」
ないか。と呟ききる前に、背後から何者かに紫色の液体を飲まされ、僕は意識を失った。
◇
目を覚ますと、僕は電気椅子のような立派なイスに手足を固定されていた。
今から処刑でもされるのではないかと焦燥感に駆られる。
「おっ、お~!気がついたね、盗みに入ったネズミ君!!」
状況を把握するより先に、正面から明るく声をかけられた。僕は自然とそちらへ目を向ける。そこには、狂気を孕んだ笑みを浮かべる、悪魔のような女がいた。
何が何だかわからない状況だが、これから危険な目に遭うと、本能が警鐘を鳴らしている。逃げなくては。しかし、身動きは取れない。
みるみるうちに青ざめていく僕の表情をみて目の前の悪魔はさらに顔を歪めた。
「あっはははぁ!!いいねぇ…。いい顔だよ!!アタシの大好物だ!!いやぁ…本当にいいね」
狂乱じみた女は叫びながら続ける。
「じゃあ~、ネズミ君っ。勝手にワタシの薬剤庫に入った罪は重いよ。そんな破廉恥なキミには~、ワタシの実験動物になってもらう…よっ❤︎」
そうして女は、左手にメスを持って近づいてくる。その刃先を見て連想されるのは長い苦痛の後に訪れるであろう死。あの夢のような苦しみ。僕は必死に叫んだ。
「っっっすいません!勝手に入ったことは謝ります!目的があって来ました!ユウヤ先生に頼み事をされて、ここに来たんです!!!」
ニヤつきながら近づいてくる女は、ユウヤ先生の名前を聞くと、キョトンと首を傾げた後、とても嫌そう顔をした。
「えっ、うげぇ~!じゃあ、アイツの言ってた助手ってオマエのことかよっ!まじかぁ…こんなことしたってバレたらアイツに殺されるじゃん!あ~ヤメヤメ。ほら、解放するから話聞かせてよ」
彼女はそう言って、僕を椅子から引き剥がした。
◇
「とりあえず、勝手にここに入ったことは許すからさ!キミの先生にはさっきのこと言わんでな!…言ったらマジで解剖するから」
さらっと、恐ろしいことを言った彼女だが、もう先程までの狂気はみえない。安心していいのかはわからないが、とりあえず彼女の話を聞く。
「アタシの名前は"ファイル・グリム"。悪魔だよ!ぴちぴち18歳のねっ」
「はぁ…」
彼女の発言は妄言に他ならない。そう、所謂デンパなのだろう。僕はそう結論づけた。そして、陽気にファイル・グリムと名乗った彼女はこう続ける。
「あとはー、ココ、現の夢病院の薬剤師だよ。で、キミはチヨって子だろ?昨日、オマエの先生から聞いたよ。…さてさて、それで、ど~してキミはここに来たの?…!もしかして、アタシの薬の実験体になるよ~にアイツに言われたとか!?」
イカれている。そう思いつつ僕は答える。
「薬を貰いに来たんです。204号室の患者用と言えばわかると言われたのですが、…あと、実験体になるつもりはないです」
ここにいたら危険だと、目的を果たして早急にここから退出したい僕は、要件を話した。
それを聞いた彼女は妙なことを言った。
「あ~。あの死人の子供ね~。その子の薬はっと~…」
「…死人?」
僕はグリムさんの話を遮り、死人という言葉に反応した。
死人?彼女はシュウ君を死人と呼んだのか?それだと、シュウ君はもう亡くなっているみたいじゃないか。あの子が…死人?いや、そんなはずはない。だって、彼と僕は会って言葉を交わしていたのだから。
「ん~?なに?なんか色々考えてる~?あの子は死人だよ。え?何、アイツからは、聞いてねぇの?…んんーっ!?てか!お前、どっちだよ!?生きてんの?死んでんの?よくわかんね~けどおもろっ。やっぱキミ、アタシのモルモットにならない?」
僕は一歩下がって彼女と距離を取り、こう言った。
「とりあえず、薬を下さい。急いでいるんです」
「むぅ。しゃ~ね~なぁ。え~っと…。あ~!あったあった。これこれ。アイツに、この薬渡しな」
そう言って彼女は、棚の中にある沢山の瓶から、赤黒い液体の入ったものを取り、僕に手渡した。
僕はそれを受け取り、
「ありがとうございました。じゃあ」
とだけ言って、薬剤庫から逃げ出そうとした。しかし、彼女は「待って!」と僕の服を掴み
「また遊びに来てよ、モルモット君❤︎」
そう口にした。
僕は、彼女に大層嫌な顔で返事をして、薬剤庫を後にした。
◇◇◇
チヨがいなくなってから、1分も経たぬうちに、薬剤庫の扉が外側から開かれ、1人の青年と4つの魂が入室する。
「グリムさーん。頼まれていた仕事全部終わりましたよー」
「仕事多すぎふざけんな!」
「こらこら。グリムさんにそんな口聞いちゃいけないですよ」
「そうだよ…。うぅ、ごめんなさい…」
「ゔぁー」
彼らは、自由に喋る。一通り話し終わると、それを楽しそうに見ていた彼女が、
「うんうん~。ありがと~ね~。やっぱキミ達おもろいわ~」
そう言って、青年に、何かが、書かれた紙を手渡す。
「何ですか、これ」
「ん~?仕事だよ。任せたっ」
「えっ」
彼女はにやにやとしながら、「じゃ、がんば~」と言って薬剤庫の奥の暗闇へと消える。
暗闇から声が聞こえる。
「にしてもアイツ…どっかで見たことある気がするんだよな~。ん~。見たことあるってよりも、ダレカに似てる…?」
そんな伏線じみた発言を他所に、彼女の助手である、"死人"達は、文句を言いながらも仕事に向かうのだった。
◇◇◇
僕は急ぎ、薬剤庫から204号室へと戻った。
「先生!薬、貰ってきました」
まだ呻き声のような音が聞こえる病室のドアを強く叩きながら、僕はこう言った。すると、「ありがとう」という声の後、扉が少しだけ開き、室内からから片腕だけが伸ばされて、薬を取った。
それから数分して、先ほどよりもぼろぼろな服を身に纏った先生が、病室から出てきた。
「ふぅ。やっと終わったよ。じゃあ、あとは任せるね」
先生がそう言うと、病室の中から「わかりました」と、看護師さんの声が聞こえた。どうやら、室内にいたらしい。
先生は、その返事を聞くと、ニコリと笑って僕の方へと体を向き直して、
「じゃあ昨日の話の続きをしようか。診察室は遠いし、よし。君の病室で話そう。行こうか」
僕はこくりと頷き、先生と2人で203号室に入っていった。
◇
「さぁ、"助手"のチヨ君、昨日の話の続きをしよう。まずはシュウ君について話そうか。あまり驚かないで聞いてね」
そんな、前置きをして、先生は彼のことを話し出した。
あの唸り声を発して、先生をこんなにボロボロにしたのが無害そうな少年、シュウ君なのだとしたら、理由を聞かなければ何も納得できない。
僕は息を呑んで頷く。
「実は彼、"もう亡くなってる人間"なんだ」
なるほど、彼はもう亡くなっているのか。亡くなっている。…亡くなった?
「…え?」
我ながらとぼけた声だった。先生の言ったことが一切理解できない。まさか、先生まであの自称悪魔と同じデンパ系なはずがない。だとしたら、彼がもう亡くなっているということは事実なのだろうか。
困惑した表情の僕を見て先生は困った笑みを浮かべながら続ける。
「おかしく思うのも無理はない。でも、本当のことだよ。ここはそういう人の集まる病院なんだ」
記憶喪失の僕をおちょくっているのかと怒りたくもなるが、先生は真剣そのもの。信じないわけにはいかなかった。
だとしたら、あの自称悪魔は本当のことを言っていたのか。
「…わかりました。信じます。で、シュウ君が死人だったら、僕も、その…死んでいるのですか?」
シンプルな疑問だった。先生が優しさで、最初に会ったときには言わなかったのかもしれないと。
しかし、その返事は僕の想像していたものとは異なる前向きなものだった。
「私にもわかりかねるけど、君は他の患者とは違う感じがするよ。生きた人間がここに来ることは稀にある。そーいえば、君の上の階に入院している患者にも生身の人間のような人がいたよ」
それから、先生は
「初対面の時に言えなくてごめんね。話を戻そうか」
そう言って、また、シュウ君について話し出した。
「彼の病名は"カイリセイドウヰツ症"いわゆる多重人格というやつだ。彼は、ひとつの体に2人の精神を宿している。最初に君と会ったときの彼が、主人格のシュウ君。そして、先ほど暴れていたのがもう一つの人格、"セキチク"だ」
セキチク…。多分、僕が夢で見たシュウ君と同じ姿の少年。彼がセキチクで間違いないだろう。あの夢を思い出すと、現実では刺されていない刺し傷がヒリヒリとする。
「まぁ、今日は私も手酷くやられてね…あまりここまでセキチクが顔を出すことはなかったんだけれど、最近はシュウ君になり変わる頻度も多くなっている。薬でも制御が効かないんだ」
先生が「ここからが本題だ」と言って続けて話す。
「私は君に、シュウ君の精神世界に入って、彼の病気を治す手がかり、まぁ、シャドウをどうにかするための下準備だね。それをしてもらいたいんだ」
「そうだな…例えば、死因なんかを調べて来て欲しい。シュウ君本人に聞こうとすると、もう1人の彼が出てきて暴れ回っちゃうからね」
「お願いしてもいいかな」という先生の言葉に、僕は最初から何が来ても断るつもりはなかったので、
「はい。やれるだけやってみます」
とシンプルに答えた。
また、気になることがあったので聞いてみる。
「先生、一つ気になることがあるんです。シュウ君は、その、もう亡くなっているんですよね。なら、病気を治す必要なんてあるんですか?」
それを聞いた先生は嬉しそうに笑い、こう答えた。
「それはね、チヨ君。彼らが生まれ変わるとき、その病気が新しい体でも弊害となるからなんだ。現世の輪廻を回すために私たちはここで働いているんだよ」
話が壮大すぎて、何を言っているのかよく理解できなかったが、彼の笑みから誇らしげにしていることは感じ取れた。
それが僕の⬛︎がしていた仕草によく似ている気がして、手伝いたいと思った。
…待て、僕の⬛︎って、誰だ?
失った記憶から⬛︎についてのことを思い出そうと頭がフル回転する。失ったままではいけない、とても大切な何かだった気がして…。
深く考え込んでいると、座っていた先生は立ち上がる。
「じゃあ、また何かあったら伝えるね。あ、あと、君の異能について1つ。それは眠ることで発動するんだ。覚えておいてね。それから、何かあったら君のベッドに付いているナースコールを押してね。そうしたら誰か、看護師が来るから。それじゃあまた今度」
ナースコールなんてあったのか、と自分のベッドを確認する。
そんな僕の様子を見ながら、彼は右手を振りながら病室を後にした。
さて、することがなくなった。昼寝でもしようかとベッドで横になる。そう、あの子の世界に入るために。
布団を被り目を瞑る。何も考えず、ただその状態でいると、落ちていくような感覚を覚える。
そうして僕は、意識を手放した。
10
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる