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十話 推定"無職" 其ノ弍
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店の前に立ち竦む男に古物商は対応する。
「いらっしゃいませ、お客様。先日ぶりでございますね」
「はぁ!?」
古物商の言葉に、再度唖然とする。どうやら、俺の元同期はこの店の常連らしい。
「え、えっと……お、お邪魔します」
彼はそう言って、おずおずと来店する。
そんな彼の目にはきっと古物商だけではなく、俺も映っていたはずだ。それなのに、何の反応も示さない。
まるで、俺のことなんて知らないみたいに。
ただ、まぁ色々あった。気まずかったが為に俺から目を逸らしてしまった、ということなのかもしれない。
はぁ。仕方ない。ここは俺が気さくに声をかけることで彼のばつの悪さを払拭してやろうではないか。
「よぉ、消矢。久しぶりだな!元気してたか」
その言葉は明らかに彼の耳に届いていた。それなのに、彼は一瞬こちらをチラリと見たのみで何の言葉も返さない。
「おい、無視しなくてもいいじゃねーか。大丈夫、俺は元気でやってるからさ。顔見れてよかったよ。ここにはよく来るのか?」
その問いかけにも相変わらず、無反応。もしかして、コイツ、俺のことが見えていなくて、声も聞こえていない振りをしているのだろうか。
不審に思ったその時だった。
「あの……」
消矢が口を開く。
やっと話してくれる気になったのかと安堵した矢先、彼は思いもしない言葉を吐いた。
「古物商さん、この方……どちら様でしょうか?」
「え」
俺にしては珍しく、か細い声が漏れ出た。
一体、どういう事だってんだ。消矢のヤツ、俺を忘れちまったってのか。それとも、コイツは消矢ではないのだろうか。
しかし、見た目も仕草も似ている。こんなに似ているとなると、双子でなければ説明がつかない。しかし、兄弟がいるなんて聞いたこともない。だとしたら、コイツは消矢のドッペルゲンガー?
アイツ、こんな近くにドッペルゲンガーが住んでいたのだとしたら寿命は長くないだろうな。
あぁ、頭がこんがらがる。唸る俺を横目に古物商は彼に言葉を返す。
「彼はウチで働く事になった首囚さんです」
「ちょっとまて、まだ働くとは決めてねぇ!」
俺は全力で否定する。先程まであんなに雇ってくれと叫んでいたのに、と古物商の小言が聞こえてきたような気がするが、それは一旦無視する。
今は彼のことだ。彼は古物商の話を聞いて俺の方へと目を向ける。
「そ、そうだったんすね。あ、えと。でも、なんで、僕の名前知ってたんすか。もしかして、どっかで会ったこと……ありました?」
「名前を知ってる……?て事はやっぱり、お前は」
「は、はい。僕の名前は消矢です」
なるほど、双子の線は消えたらしい。しかし、まだ名前の同じドッペルゲンガーという可能性は消えない。出来れば、そうあって欲しい。
このまま、曖昧にしておくことも出来ただろう。しかし、俺は聞いてしまった。
「苗字」
「え?」
「苗字は、燈火か?」
彼は一瞬目を見開き、小さく頷く。
どうやら、彼は双子でもなくドッペルゲンガーでもない、正真正銘俺の知っている燈火 消矢らしい。俺を知らない事を除いて。
数秒の沈黙の後、申し訳なさそうな顔をした消矢が口を開く。
「た、多分、僕は貴方のことを……忘れてしまったんだと思います」
「忘れたって、お前……前にあったのが1週間前とかだぞ?そりゃ、何かの病気か……」
「病気ではありませんよ」
俺の言葉を古物商が遮った。
「彼が貴方を覚えていないのは、私の販売した商品を使用したためですね」
その言葉に消矢は何か後ろめたそうに目を逸らしながら頷く。
古物商の商品が人智を超えた物であることは想像が付く。しかし、やはりそれをタダで受け渡すのはおかしい。
確か古物商はこう言っていた。
『金銭はいただいておりませんよ』
つまり、それ以外の何かを受け取ることで、商売をしている。だとすると、消矢が俺を忘れているのは、魔法とも言える商品を使った代償なのではないだろうか。
「なるほどな」
全てを理解した俺は消矢が俺のことを忘れたことを残念に思いつつ、対価になる程俺との思い出が彼にとって大切な物だったのだろうと心を打たれる。
「いやー、忘れられたのは残念だが…お前の事、俺はずっと忘れないからな」
消矢は「は、はぁ……」と言いながら、複雑な表情を浮かべた。
それを横目に古物商は咳払いをする。どうやら、商談を始めるらしい。
「それで、お客様。本日はどういったご用件で?」
「は、はい……前いただいやつ、使い切ってしまいまして……ま、また貰えないかな……と……」
「なるほど。確かにそのようですね」
そう口にする古物商の目線を追うと、そこは消矢の両手の中。筆箱くらいの大きさの桐箱が握られているのが目に入った。
消矢はその箱を開ける。中は空のようで、そこに古物商から貰った物品が入っていたのだろうと想像が付く。
「まさか、これほどまでに使用頻度が高いとは思いませんでした」
「あ、す、すいません」
「いえ、構いませんよ。では、同じモノを」
古物商は大きな鞄から消矢の持っていた桐箱と同じ物を取り出す。
「あ、ありがとうございます」
消矢は古物商の手からその箱を奪うように受け取った。その態度に俺は納得できず、文句を言おうとした。しかし、彼の切羽詰まったような雰囲気に気圧され、何も口出しできなかった。
そして、彼は箱の中身を確認する。
そこには、細い棒状の何かが数本入っていた。
「それ、線香か?」
「ひっ。あ、はい。そうです」
彼は箱を閉じ俺から隠すようにして、頷く。
きっと、凄い力を秘めた代物なのだろう。そりゃあ、俺を他人だと思っている消矢からしたら、その物をじろじろと見られるのは不快で仕方ないはずだ。これ以上、言及をするのはやめておくか。
「あ、じゃあ僕はこれで。ほ、本当にありがとうございました」
俺が彼から目を逸らすと、彼はそそくさと店から出ていった。
◇
店の中は俺と古物商の2人になった。
「なぁ、古物商」
「はい、なんですか?」
「あの商品、どういう代物なんだ?」
「あちらの商品ですか」
消矢が聞いていないのであれば、例の線香について話を聞いても問題ないだろう。まぁ、古物商が口を開かないのであればそれまでだが。
それに気にはなるが別に知ったとて何をするという気もない。聞ければ良し、聞けなくとも構わない。その程度の心意気だった。しかし、古物商はあっさりと吐いた。
「勿論、タダの線香ではございません」
「あれは"嫌な記憶を消す線香"。1本焚けば忽ち1つ、嫌な記憶を消してしまいます」
俺は言葉を失った。
古物商の説明通りであれば、アイツは何かの副作用で俺を忘れたのでは無く、忘れたい嫌な記憶として忘れたのだ。なんと腹立たしいことか。
ただ、それ以上に腹立たしいのはアイツが何本も記憶を消す線香を使っていることだった。少なくとも、80本は入っていた。いつから、この店に通っているのかは知らないが、1回はあの箱の中の線香を使い切っている。
「そんなに、嫌なことがあるっていうのかよ……」
アイツの見ていた世界を俺は知らない。それでも正直、異常だと思う。だが、アイツが選んだ道だ。アイツに腹は立たせど、何かをする気はない。そう飲み込む。
そして、ほかの気になることを古物商へと問いかけた。
「なぁ、古物商。さっきの話だ。金"は"貰ってないってよ、他になんか貰ってるみたいな言い方だったよな」
俺はてっきり、それが記憶か何かだと思っていた。しかし、記憶の方はメインだった。だとしたら、何を対価としているのか。気になるに決まっている。
俺と目線を合わせた彼は頷く。
「えぇ、頂いておりますよ」
「何を貰ってるってんだ?」
「そうですね」
彼はあっさりと答えた。
「命を頂いております。使えば使うほど、モノに魅入られていく。そして、いずれは……」
彼は俺と目を合わせたままだった。その様子から、悪意や後ろめたさなんてないということが一目でわかる。
一瞬、恐怖で身がすくんだ。しかし、無理やり体を動かした。アイツを止めに行くためだ。何もする気はなかったが、命に関わるのであれば話は別。俺は彼を止めるため、店を飛び出した。
◇
雨が降っていた。酷い雨だ。俺は傘なんて持っていなかった。でも、関係ない。
ここは俺らの住む街ではなく、歩いて帰るには少し距離がある。つまり、消矢は駅へと向かったはずだ。そう考えて、濡れることも躊躇わず俺は駅方面へと走った。
そして、予想は的中した。数分後、俺はあの店から駅へと向かう途中にある、ある橋の上で彼を見つけた。
「おい、消矢!」
彼はビクッと身を震わせて、ゆっくりとこちらへと振り返る。
「あ、えと……首囚さん……でしたっけ?」
怯えた様子だった。傘を差していて、顔はよく見えなかったが仕草でわかる。怖いんだろうな。嫌な記憶として忘れたはずの俺という存在が。
今から俺が彼にすることを考えたら、その認識で構わない。
俺はゆっくりと彼に近づく。
…
「よぉ!はじめまして、俺は"首囚 怜"だ。お前は?」
「あ、えっと……ぼ、僕は"燈火 消矢"です」
「そうか、よろしくな!えーっと、消矢って呼んでいいか?」
「はっ、はい!大丈夫です!よろしくお願いします、首囚さん」
「同期なんだし、さん付けなんてしなくていいって!あと、敬語もなし。俺のことは怜って呼びな」
「え、えっと。じゃあ……よろしくね、怜くん」
「なんだそれ。まぁ、いいけどな!」
…
「な、なんですか」
彼は一歩後ずさる。俺は何も答えず彼に近づく。
…
「よぉ、消矢」
「あ、怜くん。お疲れ様」
「おう、お疲れ。お前、また上司に怒られてただろ」
「あ、うん。そ、そうなんだよね…僕って、無能だから……はは……」
「そんなことねぇって。お前、タイピングはえぇし資料作るのうめぇじゃねーか。アイツらいいとこ見てねぇだけだよ」
「そ、そうかな」
「あぁ、そうだよ!適材適所ミスってんだ。まぁ、無理はすんなよ。なんかあったら手伝うから!」
「う、うん。ありがとう、怜くん」
…
「なんなんですか。なんなんですか、アナタは!」
俺は彼の目の前に立った。
…
「はぁ、君はいつもそうだね」
「毎回毎回、よくもまぁこんなにミスができたものだ」
「は、はは……す、すいません」
「この、ド無能が!同期でどうしてこう違うものかね」
「あぁ、全くだよ。少しは首囚君を見習いなさい」
「首囚君からも何か言ってやってくれ。このド無能に叱咤激励を」
「え?いや、私は彼なりに努力してると思いますよ」
「あーあ。こーいう時、君は釣れないなぁ。まぁ、いいよ。問題はコイツな訳だし」
「おい、燈火ぃ!お前、どう責任取るつもりだ、あぁ!?」
「ひぃ!す、すいません。すいません!」
「ごめんで済むことならこんなにキレてないんだよ!」
「す、すいません」
「チッ。お前本当にいい加減にしろよ」
「あぁ、そうだ。燈火ぃ、お前死んだ方がいいんじゃない?その方が、社会のためだよ」
…
ぶん殴った。
「ぶべらっ」
俺の一撃を喰らった消矢は綺麗に後方へと吹き飛んだ。そうして数秒後、何が起きたのか理解した彼が立ち上がり、叫ぶ。
「な、何するんですか!」
「腹立ったから、殴ったんだよ!」
彼よりもデカい声で、俺は叫んだ。それに消矢は怯む。そして、小さな声で俺を睨みつけながら言葉を捻り出す。
「アナタ、一体誰なんですか。僕のなんだった人なんですか」
きっと、今の印象は最悪だ。彼から見て俺は、忘れたくて忘れたはずの誰かでいきなり殴りかかってくる暴漢だ。もしかしたら、いじめっ子か嫌な上司、ムカつく同期くらいに思っているのかもしれない。
しかし、俺は会社員時代、確かにこう考えていた。
「俺はお前のダチだよ。お前がどう思ってたかは知らねぇし、もう分からねぇけどな」
だから、忘れられてちゃんと悲しかった。でも、今は俺の主観よりも大事なことがある。
俺の言葉を聞いて、ポカンとしている彼に声をかける。
「それ、嫌な記憶を消してくれるらしいな」
殴った勢いで床に転がった桐箱を指差す。目で追った消矢は自身の手からその大事な箱が離れた事に気づき、慌てて拾い上げる。
「み、店の方から聞いたんですね。という事は……も、もしかして、僕がこれを使ってアナタのこと忘れたから殴りかかってきたんですか!」
「な、なんて野蛮なんだ。あぁ、怖い。そりゃあ、過去の僕はアナタのことを忘れたくもなります!」
大嫌いだったはずですよ。と彼は続けた。
全く、俺にとっては悲しい言葉だ。しかし、それで俺の心は折れたりしない。
「なぁ、消矢。それ、タダで貰ったのか?」
「えっ?あ、は、はい。そうですよ。古物商さんからタダでいただきました」
どうやら、彼は知らないらしい。その魔法の対価を。
「お前、それ使い続けてたら……死ぬぞ」
「え?」
「対価だ、対価。知らないうちに払ってたらしいんだよ。お前の命」
彼はたじろぎはしたが、それほど驚いている訳でもなさそうだった。きっと、心のどこかで理解していたのだろう。タダで魔法のような力を得られるなんて上手い話がある訳ないと。
しかし、その事実を受けた彼の言葉は意外なものであった。
「そ、それがどうしたっていうんですか」
「あ?」
「だ、だって!どうせいつかは死ぬんです!なら、寿命が縮んだとしても、マシな人生を送りたいと思って何が悪いんですか!」
マシな人生。嫌なことを忘れて生きることを彼はそう言った。
何を言っているのだコイツは、と思った。きっと、彼と俺は全く思考の異なる人間なのだ。理解し合えない、分かり合えない人種。そういうところからも彼は俺を嫌っていたのかもしれない。そんなことを薄らと考えながら、俺は口を開く。
「意味はわからねぇけど、悪いとは思わねぇ。価値観は人それぞれだもんな」
「な、ならいいじゃないですか!放っておいてください!」
「そういう訳にはいかない」
「なんで!」
「そりゃあ、お前。俺の人生哲学だよ」
俺は自分の物差しで行動した。彼の気持ちとか、苦しみとかを蔑ろにしてやりたいことをやってしまった。
彼の手から、無理やり桐箱を奪う。
「これがなけりゃあ、お前はまだ死なねぇ」
「は?お、おいやめろ!ふざけんな!」
彼が怒号を上げる。それは先程までの弱気な彼からは考えられない声量だった。
「返せ!!!」
モノに魅入られる。古物商はそう言っていた。じゃあ、これがその状態という訳だ。
「可哀想に」
自然と口から漏れた同情。それが耳に入ったのだろう。消矢の顔は今までに見たことがないくらいに歪んでいた。
「お前には一生分からねぇよ!俺が嫌いだった事にも気づかずに僕をダチなんていう、頭ん中花畑の馬鹿にはな!」
そう叫びながら、俺から線香を奪おうと飛びかかる。
直線的に走ってくる彼の軌道はあまりにも分かりやすかった。だから、簡単に躱せた。それが良くなかった。彼はその勢いのまま橋の手すりへと頭を打ちつける。
「ぐっ!」
錆びて、もうダメになっていたのだろうか。彼が頭をぶつけた手すりは崩壊。
「え」
彼は大雨で荒ぶる川へと投げ出された。
「あああああ」
俺は反射的に川へと飛び込んだ。泳いだことなんて、小学生以来無かったのに。それから、服を着たまま水の中に入るのはまずい。せめて上だけでも脱いでから飛び込めばよかった。そう思ったのは空中に飛び出した瞬間。
彼を助けることなんて、俺にはできるはずがなかった。
水面に打ちつけられる痛みとゴロゴロという水中の音を最後に、俺の意識は暗転した。
◇
「はっ!」
目を覚ます。頭の下がふかふかしている。
無理やり体を起こして辺りを見渡す。見覚えのない場所だ。
「ここ……何処だ……?」
ベッドやタンス、ドレッサーなどの家具が並べられている見知らぬ部屋。そのどれもが古めかしい。何というか、ばあちゃんの家みたいな印象だ。
それにしても、俺は川に流されたはずだ。
「まさか、助けられたのか」
そう口にした時、突然、声が聞こえた。
「やはり、無事だったみたいですね」
「うおっ!」
叫び声をあげながら、俺は声の聞こえた方へと目を向ける。そこには、あの古物商がいた。
「目を覚まされたようですね」
この状況から考えられる結論は一つ。
「アンタが俺を助けたのか」
「えぇ」
彼は頷く。河原に流れ着いていた俺を見つけて古物店二階のこの部屋に連れ帰ったらしい。
「ありがとう」
とりあえず、俺は命を助けられたことへの礼を口にする。
「いえ、構いませんよ。私がどうこうしなくとも、貴方は無事でしたでしょうから」
「ん?あぁ」
「それにしても、あの流れの川を流されて、無傷とは……」
古物商はそう言って、俺に関心しているようだ。そう言われて、俺は自身の体を確認する。彼の言った通り、傷一つ付いていない。
昔からそうだ。俺は精神的に辛いことはあっても、体は常に絶好調だった。
ただ、今俺の体が元気であることは心底どうでもいい。俺より元気でいて欲しいヤツがいる。
「おい、古物商。消矢は無事か?俺みたいに、流れ着いてたりはしてなかったか?」
その問いかけに古物商は頷いた。
「えぇ、流れ着いておりましたよ」
胸を撫で下ろした。まさか、
「おぉ!そりゃよかった。じゃあ」
「ただ」
彼は割って入る。
「無事とはいえない状況でしょうね」
「あ?」
どうやら、俺の安堵は早とちりだったらしい。
「おい、消矢は今何処にいるんだ!」
「さぁ。きっと、病院にいると思いますよ。もしくは、警察署ですかね」
病院か、警察署。
「つまり、どういうことだ?」
病院だけなら、怪我をしていたとか意識がないとか想像がつく。ただ、警察署に連れて行かれる理由が思いつかない。
首を捻る俺に古物商が口を開いた。
「首囚さん、ご存知ですか?」
「何をだ」
「病院などで亡くなった方以外の遺体は警察が回収するんです」
言葉を失った。
消矢が死んだ。それは俺にとって最悪のケースで、実はそうなんじゃないかと心の何処かで考えつつ目を逸らしていた真実だった。
「通報はしましたよ。公衆電話で」
目の前の古物商はそんなことを口にしていた。
警察にはなんと言ったのだろうか。パトカーや救急車が来るまで、待っていたのだろうか。
濁っていく思考の中で、一つ。良くない考えが浮かんできた。
「お前の道具で、なんとか出来たんじゃないのか」
そう。コイツはあの古物商だ。川に流されて、死んだかもしれない人間を助けるくらい出来たはずだ。
「それは私の理念に反しますから」
古物商は俺の希望をバッサリと切り捨てる。しかし、出来なかったと否定はしなかった。
助けることは、出来たのだろう。なのにしなかった。
「その理念ってのはなんだよ。人を弄んで、そして、殺して。お前は悪魔か何かなのか」
「いいえ、左様なものではございません」
彼は首を振る。そして、背負われた鞄を下ろして中身を覗き込みながら、こんなことを口にした。
「私、"このままでは亡くなられる方に商品を提供している"のです」
それは消矢があの線香を渡さなければ死ぬ状況だったということだ。まぁ、アイツは自殺くらいしてしまうようなメンタルだったがそれは俺が彼を知っていたから分かること。事前に人が死ぬかどうかを判別することなどできるだろうか。いや、コイツなら容易か。何せ古物商だ。あぁ、もしかしたら、あの虫眼鏡で分かるのかもしれない。彼は俺にソイツを向けて商品は渡さないと言っていた。
しかし、二度は救わないコイツの思考が俺には全く理解できない。
「つまり、人助けをしてるってか?」
もしそのつもりなら、悪い冗談だ。助けたはずの消矢をもう一度助けないなんておかしい。
古物商は俺の予想通りそれを否定する。
「いいえ。機会を与えているのは確かかもしれませんが、私には彼らを助けるつもりはありません」
じゃあ、何がしてぇんだよ、と俺が怒りを言葉にするより早く古物商は続けた。
「上手く、私の商品を大事に扱えば彼らは長く生きる事が出来る。逆に、欲をかけば死ぬ」
「は?」
「私は探しているのです。私の商品を使い続けても死なない人間を。可能性を」
「訳、分かんねぇ」
彼は俺の思考の外にいるらしい。しかし、それを聞いて、ある言葉を思い出した。
『後生大事にしなさい。そうすれば、宿る魂は清くなる。お前の為になる』
すぐに物をダメにする俺に母親が言っていた言葉。若くして亡くなった俺の祖母がよく口にしていた言葉らしい。
身に余る欲をかかず、モノを大事にできる人間。彼はそういう人を探し求めているのではないだろうか。まぁ、だからなんだという話だ。
俺にはコイツが計り知れない。
「クソ……」
頭を掻きむしる。
消矢のこと、恨めばいいのか感謝すればいいのか、分からない。今の俺には整理がつかない。
「あー!なんなんだ!なんなんだよ、お前!分かんねぇ!」
「そう言われましても」
「クソ!」
俺は立ち上がり、部屋を飛び出そうと扉に手を掛けた所で静止する。
訳のわからないヤツではあるが、コイツが
「少なくとも、俺をここまで連れてきて助けてくれたことは感謝するよ、ありがとう」
俺は頭を下げる。
「それ以外は分からねぇ!もう来ねぇよ。じゃあな!」
俺はそう言って、古物店から出て行った。
◇◇◇
後日。古物店"No admittance"にて古物商は商品の管理を行なっていた。
指輪に絵筆、懐中時計。どれもこれもが奇妙な魅力を放っている。そんな大切な商品を一つ一つ確認して、古物商は自身の胴体よりも大きな鞄に納めていく。
そして、最後の一つを収めようとした瞬間、店の扉が叩かれる。
「開いていますよ」
古物商がそう言うと、扉は音を立てて開かれた。そこには、キャリーケースを持ったスーツ姿の男が立っていた。
彼の瞳に古物商が映る。その瞬間、彼は両膝、両手、額を地面につける。
「頼む!古物商!雇ってくれ!」
古物商はそんな彼の様子に動じない。
「おや、首囚さんではございませんか。もう来ないのではありませんでしたか?」
「そのつもりだったよ!ただ、俺金ねぇからよ!家から追い出されたんだ!だから、頼む!部屋だけでも貸してくれ!ください!」
男は地面に頭を擦り付けながら、叫ぶ。古物商は溜息をついた。
「やれやれ、勝手に出ていった癖にそれは少々虫が良すぎるんじゃ…」
「デリシャスバー14本、全部やる」
「分かりました。いいでしょう」
彼が有り金を全て叩いた賄賂を古物商は受け取り、彼の要望に応え、店の中へと案内する。
古物商の後に着いていく彼は小さな声で呟く。
「見定めてやる、古物商」
首囚 怜。無一文の"無職"の男は、金も得られない働き口で推定"無職"となった。
「いらっしゃいませ、お客様。先日ぶりでございますね」
「はぁ!?」
古物商の言葉に、再度唖然とする。どうやら、俺の元同期はこの店の常連らしい。
「え、えっと……お、お邪魔します」
彼はそう言って、おずおずと来店する。
そんな彼の目にはきっと古物商だけではなく、俺も映っていたはずだ。それなのに、何の反応も示さない。
まるで、俺のことなんて知らないみたいに。
ただ、まぁ色々あった。気まずかったが為に俺から目を逸らしてしまった、ということなのかもしれない。
はぁ。仕方ない。ここは俺が気さくに声をかけることで彼のばつの悪さを払拭してやろうではないか。
「よぉ、消矢。久しぶりだな!元気してたか」
その言葉は明らかに彼の耳に届いていた。それなのに、彼は一瞬こちらをチラリと見たのみで何の言葉も返さない。
「おい、無視しなくてもいいじゃねーか。大丈夫、俺は元気でやってるからさ。顔見れてよかったよ。ここにはよく来るのか?」
その問いかけにも相変わらず、無反応。もしかして、コイツ、俺のことが見えていなくて、声も聞こえていない振りをしているのだろうか。
不審に思ったその時だった。
「あの……」
消矢が口を開く。
やっと話してくれる気になったのかと安堵した矢先、彼は思いもしない言葉を吐いた。
「古物商さん、この方……どちら様でしょうか?」
「え」
俺にしては珍しく、か細い声が漏れ出た。
一体、どういう事だってんだ。消矢のヤツ、俺を忘れちまったってのか。それとも、コイツは消矢ではないのだろうか。
しかし、見た目も仕草も似ている。こんなに似ているとなると、双子でなければ説明がつかない。しかし、兄弟がいるなんて聞いたこともない。だとしたら、コイツは消矢のドッペルゲンガー?
アイツ、こんな近くにドッペルゲンガーが住んでいたのだとしたら寿命は長くないだろうな。
あぁ、頭がこんがらがる。唸る俺を横目に古物商は彼に言葉を返す。
「彼はウチで働く事になった首囚さんです」
「ちょっとまて、まだ働くとは決めてねぇ!」
俺は全力で否定する。先程まであんなに雇ってくれと叫んでいたのに、と古物商の小言が聞こえてきたような気がするが、それは一旦無視する。
今は彼のことだ。彼は古物商の話を聞いて俺の方へと目を向ける。
「そ、そうだったんすね。あ、えと。でも、なんで、僕の名前知ってたんすか。もしかして、どっかで会ったこと……ありました?」
「名前を知ってる……?て事はやっぱり、お前は」
「は、はい。僕の名前は消矢です」
なるほど、双子の線は消えたらしい。しかし、まだ名前の同じドッペルゲンガーという可能性は消えない。出来れば、そうあって欲しい。
このまま、曖昧にしておくことも出来ただろう。しかし、俺は聞いてしまった。
「苗字」
「え?」
「苗字は、燈火か?」
彼は一瞬目を見開き、小さく頷く。
どうやら、彼は双子でもなくドッペルゲンガーでもない、正真正銘俺の知っている燈火 消矢らしい。俺を知らない事を除いて。
数秒の沈黙の後、申し訳なさそうな顔をした消矢が口を開く。
「た、多分、僕は貴方のことを……忘れてしまったんだと思います」
「忘れたって、お前……前にあったのが1週間前とかだぞ?そりゃ、何かの病気か……」
「病気ではありませんよ」
俺の言葉を古物商が遮った。
「彼が貴方を覚えていないのは、私の販売した商品を使用したためですね」
その言葉に消矢は何か後ろめたそうに目を逸らしながら頷く。
古物商の商品が人智を超えた物であることは想像が付く。しかし、やはりそれをタダで受け渡すのはおかしい。
確か古物商はこう言っていた。
『金銭はいただいておりませんよ』
つまり、それ以外の何かを受け取ることで、商売をしている。だとすると、消矢が俺を忘れているのは、魔法とも言える商品を使った代償なのではないだろうか。
「なるほどな」
全てを理解した俺は消矢が俺のことを忘れたことを残念に思いつつ、対価になる程俺との思い出が彼にとって大切な物だったのだろうと心を打たれる。
「いやー、忘れられたのは残念だが…お前の事、俺はずっと忘れないからな」
消矢は「は、はぁ……」と言いながら、複雑な表情を浮かべた。
それを横目に古物商は咳払いをする。どうやら、商談を始めるらしい。
「それで、お客様。本日はどういったご用件で?」
「は、はい……前いただいやつ、使い切ってしまいまして……ま、また貰えないかな……と……」
「なるほど。確かにそのようですね」
そう口にする古物商の目線を追うと、そこは消矢の両手の中。筆箱くらいの大きさの桐箱が握られているのが目に入った。
消矢はその箱を開ける。中は空のようで、そこに古物商から貰った物品が入っていたのだろうと想像が付く。
「まさか、これほどまでに使用頻度が高いとは思いませんでした」
「あ、す、すいません」
「いえ、構いませんよ。では、同じモノを」
古物商は大きな鞄から消矢の持っていた桐箱と同じ物を取り出す。
「あ、ありがとうございます」
消矢は古物商の手からその箱を奪うように受け取った。その態度に俺は納得できず、文句を言おうとした。しかし、彼の切羽詰まったような雰囲気に気圧され、何も口出しできなかった。
そして、彼は箱の中身を確認する。
そこには、細い棒状の何かが数本入っていた。
「それ、線香か?」
「ひっ。あ、はい。そうです」
彼は箱を閉じ俺から隠すようにして、頷く。
きっと、凄い力を秘めた代物なのだろう。そりゃあ、俺を他人だと思っている消矢からしたら、その物をじろじろと見られるのは不快で仕方ないはずだ。これ以上、言及をするのはやめておくか。
「あ、じゃあ僕はこれで。ほ、本当にありがとうございました」
俺が彼から目を逸らすと、彼はそそくさと店から出ていった。
◇
店の中は俺と古物商の2人になった。
「なぁ、古物商」
「はい、なんですか?」
「あの商品、どういう代物なんだ?」
「あちらの商品ですか」
消矢が聞いていないのであれば、例の線香について話を聞いても問題ないだろう。まぁ、古物商が口を開かないのであればそれまでだが。
それに気にはなるが別に知ったとて何をするという気もない。聞ければ良し、聞けなくとも構わない。その程度の心意気だった。しかし、古物商はあっさりと吐いた。
「勿論、タダの線香ではございません」
「あれは"嫌な記憶を消す線香"。1本焚けば忽ち1つ、嫌な記憶を消してしまいます」
俺は言葉を失った。
古物商の説明通りであれば、アイツは何かの副作用で俺を忘れたのでは無く、忘れたい嫌な記憶として忘れたのだ。なんと腹立たしいことか。
ただ、それ以上に腹立たしいのはアイツが何本も記憶を消す線香を使っていることだった。少なくとも、80本は入っていた。いつから、この店に通っているのかは知らないが、1回はあの箱の中の線香を使い切っている。
「そんなに、嫌なことがあるっていうのかよ……」
アイツの見ていた世界を俺は知らない。それでも正直、異常だと思う。だが、アイツが選んだ道だ。アイツに腹は立たせど、何かをする気はない。そう飲み込む。
そして、ほかの気になることを古物商へと問いかけた。
「なぁ、古物商。さっきの話だ。金"は"貰ってないってよ、他になんか貰ってるみたいな言い方だったよな」
俺はてっきり、それが記憶か何かだと思っていた。しかし、記憶の方はメインだった。だとしたら、何を対価としているのか。気になるに決まっている。
俺と目線を合わせた彼は頷く。
「えぇ、頂いておりますよ」
「何を貰ってるってんだ?」
「そうですね」
彼はあっさりと答えた。
「命を頂いております。使えば使うほど、モノに魅入られていく。そして、いずれは……」
彼は俺と目を合わせたままだった。その様子から、悪意や後ろめたさなんてないということが一目でわかる。
一瞬、恐怖で身がすくんだ。しかし、無理やり体を動かした。アイツを止めに行くためだ。何もする気はなかったが、命に関わるのであれば話は別。俺は彼を止めるため、店を飛び出した。
◇
雨が降っていた。酷い雨だ。俺は傘なんて持っていなかった。でも、関係ない。
ここは俺らの住む街ではなく、歩いて帰るには少し距離がある。つまり、消矢は駅へと向かったはずだ。そう考えて、濡れることも躊躇わず俺は駅方面へと走った。
そして、予想は的中した。数分後、俺はあの店から駅へと向かう途中にある、ある橋の上で彼を見つけた。
「おい、消矢!」
彼はビクッと身を震わせて、ゆっくりとこちらへと振り返る。
「あ、えと……首囚さん……でしたっけ?」
怯えた様子だった。傘を差していて、顔はよく見えなかったが仕草でわかる。怖いんだろうな。嫌な記憶として忘れたはずの俺という存在が。
今から俺が彼にすることを考えたら、その認識で構わない。
俺はゆっくりと彼に近づく。
…
「よぉ!はじめまして、俺は"首囚 怜"だ。お前は?」
「あ、えっと……ぼ、僕は"燈火 消矢"です」
「そうか、よろしくな!えーっと、消矢って呼んでいいか?」
「はっ、はい!大丈夫です!よろしくお願いします、首囚さん」
「同期なんだし、さん付けなんてしなくていいって!あと、敬語もなし。俺のことは怜って呼びな」
「え、えっと。じゃあ……よろしくね、怜くん」
「なんだそれ。まぁ、いいけどな!」
…
「な、なんですか」
彼は一歩後ずさる。俺は何も答えず彼に近づく。
…
「よぉ、消矢」
「あ、怜くん。お疲れ様」
「おう、お疲れ。お前、また上司に怒られてただろ」
「あ、うん。そ、そうなんだよね…僕って、無能だから……はは……」
「そんなことねぇって。お前、タイピングはえぇし資料作るのうめぇじゃねーか。アイツらいいとこ見てねぇだけだよ」
「そ、そうかな」
「あぁ、そうだよ!適材適所ミスってんだ。まぁ、無理はすんなよ。なんかあったら手伝うから!」
「う、うん。ありがとう、怜くん」
…
「なんなんですか。なんなんですか、アナタは!」
俺は彼の目の前に立った。
…
「はぁ、君はいつもそうだね」
「毎回毎回、よくもまぁこんなにミスができたものだ」
「は、はは……す、すいません」
「この、ド無能が!同期でどうしてこう違うものかね」
「あぁ、全くだよ。少しは首囚君を見習いなさい」
「首囚君からも何か言ってやってくれ。このド無能に叱咤激励を」
「え?いや、私は彼なりに努力してると思いますよ」
「あーあ。こーいう時、君は釣れないなぁ。まぁ、いいよ。問題はコイツな訳だし」
「おい、燈火ぃ!お前、どう責任取るつもりだ、あぁ!?」
「ひぃ!す、すいません。すいません!」
「ごめんで済むことならこんなにキレてないんだよ!」
「す、すいません」
「チッ。お前本当にいい加減にしろよ」
「あぁ、そうだ。燈火ぃ、お前死んだ方がいいんじゃない?その方が、社会のためだよ」
…
ぶん殴った。
「ぶべらっ」
俺の一撃を喰らった消矢は綺麗に後方へと吹き飛んだ。そうして数秒後、何が起きたのか理解した彼が立ち上がり、叫ぶ。
「な、何するんですか!」
「腹立ったから、殴ったんだよ!」
彼よりもデカい声で、俺は叫んだ。それに消矢は怯む。そして、小さな声で俺を睨みつけながら言葉を捻り出す。
「アナタ、一体誰なんですか。僕のなんだった人なんですか」
きっと、今の印象は最悪だ。彼から見て俺は、忘れたくて忘れたはずの誰かでいきなり殴りかかってくる暴漢だ。もしかしたら、いじめっ子か嫌な上司、ムカつく同期くらいに思っているのかもしれない。
しかし、俺は会社員時代、確かにこう考えていた。
「俺はお前のダチだよ。お前がどう思ってたかは知らねぇし、もう分からねぇけどな」
だから、忘れられてちゃんと悲しかった。でも、今は俺の主観よりも大事なことがある。
俺の言葉を聞いて、ポカンとしている彼に声をかける。
「それ、嫌な記憶を消してくれるらしいな」
殴った勢いで床に転がった桐箱を指差す。目で追った消矢は自身の手からその大事な箱が離れた事に気づき、慌てて拾い上げる。
「み、店の方から聞いたんですね。という事は……も、もしかして、僕がこれを使ってアナタのこと忘れたから殴りかかってきたんですか!」
「な、なんて野蛮なんだ。あぁ、怖い。そりゃあ、過去の僕はアナタのことを忘れたくもなります!」
大嫌いだったはずですよ。と彼は続けた。
全く、俺にとっては悲しい言葉だ。しかし、それで俺の心は折れたりしない。
「なぁ、消矢。それ、タダで貰ったのか?」
「えっ?あ、は、はい。そうですよ。古物商さんからタダでいただきました」
どうやら、彼は知らないらしい。その魔法の対価を。
「お前、それ使い続けてたら……死ぬぞ」
「え?」
「対価だ、対価。知らないうちに払ってたらしいんだよ。お前の命」
彼はたじろぎはしたが、それほど驚いている訳でもなさそうだった。きっと、心のどこかで理解していたのだろう。タダで魔法のような力を得られるなんて上手い話がある訳ないと。
しかし、その事実を受けた彼の言葉は意外なものであった。
「そ、それがどうしたっていうんですか」
「あ?」
「だ、だって!どうせいつかは死ぬんです!なら、寿命が縮んだとしても、マシな人生を送りたいと思って何が悪いんですか!」
マシな人生。嫌なことを忘れて生きることを彼はそう言った。
何を言っているのだコイツは、と思った。きっと、彼と俺は全く思考の異なる人間なのだ。理解し合えない、分かり合えない人種。そういうところからも彼は俺を嫌っていたのかもしれない。そんなことを薄らと考えながら、俺は口を開く。
「意味はわからねぇけど、悪いとは思わねぇ。価値観は人それぞれだもんな」
「な、ならいいじゃないですか!放っておいてください!」
「そういう訳にはいかない」
「なんで!」
「そりゃあ、お前。俺の人生哲学だよ」
俺は自分の物差しで行動した。彼の気持ちとか、苦しみとかを蔑ろにしてやりたいことをやってしまった。
彼の手から、無理やり桐箱を奪う。
「これがなけりゃあ、お前はまだ死なねぇ」
「は?お、おいやめろ!ふざけんな!」
彼が怒号を上げる。それは先程までの弱気な彼からは考えられない声量だった。
「返せ!!!」
モノに魅入られる。古物商はそう言っていた。じゃあ、これがその状態という訳だ。
「可哀想に」
自然と口から漏れた同情。それが耳に入ったのだろう。消矢の顔は今までに見たことがないくらいに歪んでいた。
「お前には一生分からねぇよ!俺が嫌いだった事にも気づかずに僕をダチなんていう、頭ん中花畑の馬鹿にはな!」
そう叫びながら、俺から線香を奪おうと飛びかかる。
直線的に走ってくる彼の軌道はあまりにも分かりやすかった。だから、簡単に躱せた。それが良くなかった。彼はその勢いのまま橋の手すりへと頭を打ちつける。
「ぐっ!」
錆びて、もうダメになっていたのだろうか。彼が頭をぶつけた手すりは崩壊。
「え」
彼は大雨で荒ぶる川へと投げ出された。
「あああああ」
俺は反射的に川へと飛び込んだ。泳いだことなんて、小学生以来無かったのに。それから、服を着たまま水の中に入るのはまずい。せめて上だけでも脱いでから飛び込めばよかった。そう思ったのは空中に飛び出した瞬間。
彼を助けることなんて、俺にはできるはずがなかった。
水面に打ちつけられる痛みとゴロゴロという水中の音を最後に、俺の意識は暗転した。
◇
「はっ!」
目を覚ます。頭の下がふかふかしている。
無理やり体を起こして辺りを見渡す。見覚えのない場所だ。
「ここ……何処だ……?」
ベッドやタンス、ドレッサーなどの家具が並べられている見知らぬ部屋。そのどれもが古めかしい。何というか、ばあちゃんの家みたいな印象だ。
それにしても、俺は川に流されたはずだ。
「まさか、助けられたのか」
そう口にした時、突然、声が聞こえた。
「やはり、無事だったみたいですね」
「うおっ!」
叫び声をあげながら、俺は声の聞こえた方へと目を向ける。そこには、あの古物商がいた。
「目を覚まされたようですね」
この状況から考えられる結論は一つ。
「アンタが俺を助けたのか」
「えぇ」
彼は頷く。河原に流れ着いていた俺を見つけて古物店二階のこの部屋に連れ帰ったらしい。
「ありがとう」
とりあえず、俺は命を助けられたことへの礼を口にする。
「いえ、構いませんよ。私がどうこうしなくとも、貴方は無事でしたでしょうから」
「ん?あぁ」
「それにしても、あの流れの川を流されて、無傷とは……」
古物商はそう言って、俺に関心しているようだ。そう言われて、俺は自身の体を確認する。彼の言った通り、傷一つ付いていない。
昔からそうだ。俺は精神的に辛いことはあっても、体は常に絶好調だった。
ただ、今俺の体が元気であることは心底どうでもいい。俺より元気でいて欲しいヤツがいる。
「おい、古物商。消矢は無事か?俺みたいに、流れ着いてたりはしてなかったか?」
その問いかけに古物商は頷いた。
「えぇ、流れ着いておりましたよ」
胸を撫で下ろした。まさか、
「おぉ!そりゃよかった。じゃあ」
「ただ」
彼は割って入る。
「無事とはいえない状況でしょうね」
「あ?」
どうやら、俺の安堵は早とちりだったらしい。
「おい、消矢は今何処にいるんだ!」
「さぁ。きっと、病院にいると思いますよ。もしくは、警察署ですかね」
病院か、警察署。
「つまり、どういうことだ?」
病院だけなら、怪我をしていたとか意識がないとか想像がつく。ただ、警察署に連れて行かれる理由が思いつかない。
首を捻る俺に古物商が口を開いた。
「首囚さん、ご存知ですか?」
「何をだ」
「病院などで亡くなった方以外の遺体は警察が回収するんです」
言葉を失った。
消矢が死んだ。それは俺にとって最悪のケースで、実はそうなんじゃないかと心の何処かで考えつつ目を逸らしていた真実だった。
「通報はしましたよ。公衆電話で」
目の前の古物商はそんなことを口にしていた。
警察にはなんと言ったのだろうか。パトカーや救急車が来るまで、待っていたのだろうか。
濁っていく思考の中で、一つ。良くない考えが浮かんできた。
「お前の道具で、なんとか出来たんじゃないのか」
そう。コイツはあの古物商だ。川に流されて、死んだかもしれない人間を助けるくらい出来たはずだ。
「それは私の理念に反しますから」
古物商は俺の希望をバッサリと切り捨てる。しかし、出来なかったと否定はしなかった。
助けることは、出来たのだろう。なのにしなかった。
「その理念ってのはなんだよ。人を弄んで、そして、殺して。お前は悪魔か何かなのか」
「いいえ、左様なものではございません」
彼は首を振る。そして、背負われた鞄を下ろして中身を覗き込みながら、こんなことを口にした。
「私、"このままでは亡くなられる方に商品を提供している"のです」
それは消矢があの線香を渡さなければ死ぬ状況だったということだ。まぁ、アイツは自殺くらいしてしまうようなメンタルだったがそれは俺が彼を知っていたから分かること。事前に人が死ぬかどうかを判別することなどできるだろうか。いや、コイツなら容易か。何せ古物商だ。あぁ、もしかしたら、あの虫眼鏡で分かるのかもしれない。彼は俺にソイツを向けて商品は渡さないと言っていた。
しかし、二度は救わないコイツの思考が俺には全く理解できない。
「つまり、人助けをしてるってか?」
もしそのつもりなら、悪い冗談だ。助けたはずの消矢をもう一度助けないなんておかしい。
古物商は俺の予想通りそれを否定する。
「いいえ。機会を与えているのは確かかもしれませんが、私には彼らを助けるつもりはありません」
じゃあ、何がしてぇんだよ、と俺が怒りを言葉にするより早く古物商は続けた。
「上手く、私の商品を大事に扱えば彼らは長く生きる事が出来る。逆に、欲をかけば死ぬ」
「は?」
「私は探しているのです。私の商品を使い続けても死なない人間を。可能性を」
「訳、分かんねぇ」
彼は俺の思考の外にいるらしい。しかし、それを聞いて、ある言葉を思い出した。
『後生大事にしなさい。そうすれば、宿る魂は清くなる。お前の為になる』
すぐに物をダメにする俺に母親が言っていた言葉。若くして亡くなった俺の祖母がよく口にしていた言葉らしい。
身に余る欲をかかず、モノを大事にできる人間。彼はそういう人を探し求めているのではないだろうか。まぁ、だからなんだという話だ。
俺にはコイツが計り知れない。
「クソ……」
頭を掻きむしる。
消矢のこと、恨めばいいのか感謝すればいいのか、分からない。今の俺には整理がつかない。
「あー!なんなんだ!なんなんだよ、お前!分かんねぇ!」
「そう言われましても」
「クソ!」
俺は立ち上がり、部屋を飛び出そうと扉に手を掛けた所で静止する。
訳のわからないヤツではあるが、コイツが
「少なくとも、俺をここまで連れてきて助けてくれたことは感謝するよ、ありがとう」
俺は頭を下げる。
「それ以外は分からねぇ!もう来ねぇよ。じゃあな!」
俺はそう言って、古物店から出て行った。
◇◇◇
後日。古物店"No admittance"にて古物商は商品の管理を行なっていた。
指輪に絵筆、懐中時計。どれもこれもが奇妙な魅力を放っている。そんな大切な商品を一つ一つ確認して、古物商は自身の胴体よりも大きな鞄に納めていく。
そして、最後の一つを収めようとした瞬間、店の扉が叩かれる。
「開いていますよ」
古物商がそう言うと、扉は音を立てて開かれた。そこには、キャリーケースを持ったスーツ姿の男が立っていた。
彼の瞳に古物商が映る。その瞬間、彼は両膝、両手、額を地面につける。
「頼む!古物商!雇ってくれ!」
古物商はそんな彼の様子に動じない。
「おや、首囚さんではございませんか。もう来ないのではありませんでしたか?」
「そのつもりだったよ!ただ、俺金ねぇからよ!家から追い出されたんだ!だから、頼む!部屋だけでも貸してくれ!ください!」
男は地面に頭を擦り付けながら、叫ぶ。古物商は溜息をついた。
「やれやれ、勝手に出ていった癖にそれは少々虫が良すぎるんじゃ…」
「デリシャスバー14本、全部やる」
「分かりました。いいでしょう」
彼が有り金を全て叩いた賄賂を古物商は受け取り、彼の要望に応え、店の中へと案内する。
古物商の後に着いていく彼は小さな声で呟く。
「見定めてやる、古物商」
首囚 怜。無一文の"無職"の男は、金も得られない働き口で推定"無職"となった。
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