殿下の嫌がらせ

白玉しらす

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媚薬の真相

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 目が覚めると、なんとも言えない微妙な顔のイアンさんがじっと私を見つめていた。
 外はぼんやりと明るくなっていて、もう朝のようだ。
「おはようございます」
「……おはよう」
 私の挨拶に微妙な顔のまま答えると、イアンさんは気まずそうに視線を逸らした。
「……シェリルも、記憶が無かったのか」
「一昨日ですか?全く無いですね」
「そうだったのか……その、昨日、俺は何を……」
「熱く、素敵な夜でしたよ」
 目覚めたら事後の恐怖は私も知っている。慰めるようにそう言うと、イアンさんは再びじっと私を見つめた。
「一昨日も、熱く素敵な夜だった」
 イアンさんはそれだけ言うと、私の手を取り真剣な眼差しを私に向けた。

「シェリル、改めて言わせてくれ。好きだ。俺と付き合ってくれ」
 いつものようにキリッとした顔はかっこよかったけど、その目は赤く腫れていた。あれだけ泣けば腫れもするだろう。
「改めて?」
「一昨日たくさん言った。そして、シェリルも言ってくれた」
 一昨日の私も、昨日のイアンさんのように、泣きながらイアンさんを求めたんだろうか。
「昨日もたくさん言って貰いました。そして私も……イアンさん、大好きです」
「シェリル……」
 私の言葉に、イアンさんがぎゅっと私を抱きしめてくれた。
 ずっとこうしていたかったけど、私達にはやらなくてはいけないことがある。
「イアンさん、まずは行きましょう」
「行く?どこに?」
「殿下の所です。査問委員会を組織するんです」


「やあ、おはよう。早かったね。もういいのかい?」
 執務室に向かうと、殿下は笑顔で私達を招き入れた。
 騎士であるイアンさんは、殿下と向かい合わせに座ることに抵抗があるようだったけど、今は騎士ではなく査問委員会の一員だ。有無を言わせず私の隣に座って貰った。
「なんですか?その手は」
 私達が座ると、殿下はにこにこと笑いながら、手を差し出してきた。
「避妊薬。使ってないなら返して」
 使ってしまった物は返せないので、殿下は無視して本題に入る事にした。
「媚薬を仕込んだのは、殿下ですね」
「嫌だな。そんなもの仕込む訳ないよ」
 殿下は私が避妊薬を返さないことは全く意に介さず、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
「なぜこんなことをされたんですか?」
「なぜかと聞かれたら、シェリルがかわいいから、かな」
「やっぱり仕込んだんじゃないですか」
「うん、でも媚薬は仕込んでない」
 音もなく出されたお茶を優雅に飲みながら、殿下は余裕の表情だ。
「仕込んだのは、ちょっと素直になるだけの薬だよ」
「素直?」
「シェリルに告白する機会をプレゼントしたつもりだったんだけど、避妊薬が必要なことまでしちゃうなんて、二人とも意外とお盛んなんだね」
 確かに、一昨日は自分の気持ちを伝えたいと言う思いでいっぱいになったところまでは覚えている。
 だからといって、ああそうでしたかと納得できる訳がない。
「しかも朝になったら逃げ出して、おかげでイアンにまで薬を盛る事になったんだよ。そしてまた避妊薬が必要なことまでしちゃうなんて、ちょっと盛りすぎじゃない?」
 昨日のことを思い出せば、泣いているイアンさんの顔が思い浮かぶ。確かに感情がだだ漏れだった。
 でもやはり、なるほどそうでしたかと納得はできなかった。
「朝起きたら、記憶が無かったんですが」
「え?そうなの?元々犯罪者用の自白剤として作られた物だから、ちょっと人権に配慮できていなかったかな。むしろ配慮した結果かな」
「ちょっと素直になるだけの薬じゃなかったんですか?」
「効果としては間違ってないよね」 
「本当に、媚薬じゃ無かったんですね?」
「そもそも、媚薬なんて物は存在しないからね。ちょっと興奮を高める程度の物ならともかく、よだれを垂らしながら、相手を探して彷徨い歩くような物なんて無いよ。そんなのがあったら、社会秩序に関わるでしょ」
「それ、殿下が言ったんじゃないですか」
 凄いのは本当に凄いと言ったのは、どこの誰だ。
「シェリルって、騙されやすいよね」
 殿下は楽しそうに笑っている。
 そうだった。殿下の言葉に真実が一つも無いことなんていつものことだし、仕事はそれなり、お気に入りのオモチャで遊ぶことに熱心な人だった。
 そして、私はそのオモチャの一つだった。

「なぜ、媚薬なんて仰ったんですか?」
 がっくりとうなだれる私に代わって、イアンさんが聞いてくれた。
「媚薬とでも言わないと、二人きりにする口実がないからね。これでも気を遣ったんだよ」
 確かに、昨日のイアンさんは人には見せられないなと思い、隣に座るイアンさんを見れば、イアンさんも同じような顔をして私を見つめていた。
「あの、一昨日の私は何を……」
「いや、大丈夫だ。かわいかった、とても」
 目を逸らしながら言われても、大丈夫だとは思えなかった。
「その、昨日の俺は……」
「大丈夫ですよ。かわいかったです、とても」
 イアンさんも聞いてくるので、私も同じように目を逸らして答えておいた。
 キリッとしたイアンさんが実は泣き虫だったなんて、ギャップがかわいいと言えなくもない。
「かわいい?イアンが?一昨日のシェリルの様子はイアンから聞いたけど、イアンはどんな感じだったの?」
 殿下が上品にニヤニヤ笑って聞いてきた。この二つを同居させられるのは殿下ぐらいだろう。
「聞いたって、何を……」
「そんなこと興味ありませんって顔して、意外と積極的なんだね」
 殿下の言葉に、私は瞬間的にイアンさんを見た。
「具体的な話は、何もしていない」
 イアンさんが慌てて無罪を主張する。
「イアンってさ、職業柄キリッとした顔をしてることが多いけど、顔に出やすいタイプなんだよね。黙秘を貫いても、聞けば答えは顔に書いてあったよ」
 ギクリと顔を赤くするイアンさんを見れば、色々聞かれる度にこんな風に顔に出ていたんだろう。
「それで、イアンはどんな感じだった?実はケダモノ系なんじゃないかと思っていたけど、かわいいってことは何かな。あ、童貞だったとか?」
 どこまでも悪びれない殿下に、私は諦めのため息を吐いた。

「……なぜ、分かったんですか」
 これ以上殿下を問い詰めたところで、どうにもならないだろう。査問委員会は解散させ、私は一番気になった疑問を口にした。
「え?本当にイアンってば童貞だったの?」
「違います」
「初体験であんな事までやっちゃうなんて、破廉恥極まりないね」
「私は何も申しておりません」
「なるほど、一日目は童貞を隠してコトに当たり、二日目に魔法薬のせいで童貞だったことを自白しちゃったって訳か」
「だから、違うと申し上げています」
 恥ずかしくて続きが言えないでいると、殿下とイアンさんが言い争っていた。
「そうではなく、私の……気持ちです」
「気持ちって、イアン大好きって言う?」
 もごもごと小さく言った私の言葉を、殿下がズバッと言い直した。
「ええ、まあ」
 本人が隣にいるので、死ぬ程恥ずかしい。
「だって、シェリルって『氷のシェリル』でしょ。イアン以上に分かりやすいよね」
「それは、どう言う……」
「クールぶっていてもすぐに顔に出ちゃう。溶けやすい『氷のシェリル』ってね」
「え……出て、ないですよね?」
 救いを求めるようにイアンさんを見ると、決まり悪そうな顔を私に向けた。
「幸せそうに菓子を頬張る姿はかわいいなと、いつもそう思っていた……」
「バカだなあ。イアンがいるからあんなにデレデレしてたんだよ。騎士がイアンじゃない時は、つまんなそうにもしゃもしゃしてるからね」
 嘘でしょ。
 殿下の言葉に頭は真っ白になり、そんな単語がぐるぐると頭を回った。
「ちなみにイアンも、シェリルが来ると視姦してるのかなってぐらいジロジロ見ていたから、分かりやすかったよ」
 殿下の追い打ちに、イアンさんも沈黙した。
「顔に出やすい者同士、お似合いだね」
 星が飛び出るようなウインクをして、殿下が笑った。


「殿下、取り敢えずこれにサインしてください」
 なんとか平静を取り戻した私は、持っていた書類を殿下に押し付けた。
「何?愛人契約書?」
「備品購入申請書です」
「うわ、書類伝送装置って、魔法省にも掛け合わなくちゃいけないやつ。取り敢えずでサインできるような物じゃ……」
「なくてもしましょう。これ以上責任を追及されたくなければ」
 責任を追及したところでどうにもならないとは言え、このまま引き下がるわけにはいかない。
「……まあいいけどね。ついでに婚姻届の証人欄にもサインしてあげようか?」
 笑いながらスラスラとサインする姿を見れば、全く堪えていないんだろう。
 私がため息を吐くのと同時に、イアンさんも小さくため息を吐いた。


「完全に、遊ばれてしまいましたね」
 殿下の執務室を出た私達は、微妙な顔で見つめ合った。
「いつものことと言えば、いつものことだが……」
 微妙な顔をしていても、イアンさんはキリッとしていてかっこよかった。
 でも実はその内側に、泣き虫なイアンさんが隠れていることを、私は知ってしまった。
 素直になったイアンさんが私を好きと言ってくれたことを思うと嬉しくて、殿下への怒りが持続しなかった。
「俺はシェリルと恋人になれて、嬉しい」
「……私もです」
 イアンさんも私と同じようなことを考えていたんだろう。素直になった私が何をしたかを考えると気が気じゃなかったけど、イアンさんに嫌われていないなら良しとしよう。
 優しく微笑むイアンさんを、かっこいいなあと見つめていたら鐘が鳴った。始業の鐘だ。
「うわっ、もうそんな時間?イアンさん、大丈夫ですか?」
「ああ、今日は非番だ」
「すみません。私ちょっと急ぐので、失礼します」
「シェリル」
 走り出した私に並走するように、イアンさんも付いてきた。
「仕事が終わったら、会えないか?」
「定時で上がります」
 仕事は山のようにあるけど、知ったこっちゃない。明日残業すれば済む話だ。
「終わりの鐘が鳴る頃、食堂の前で待っている」
「鐘が、鳴り終わる、前までに、行きます」
 普段運動不足だから、走りながら話すとすぐに息が上がってしまう。
「シェリルが忙しいのは知っている。遅くなっても待っているから、慌てなくていい」
 イアンさんの優しそうな笑顔に、胸がキュンとなる。
 胸がいっぱいで、そして完全に息が上がってしまって何も言えないでいると、イアンさんは真面目な顔で私を見つめた。
「俺が抱えて走ろうか?」
 私が無言で顔を横に振ると、イアンさんはそうかと言って走るのを止めた。どこまで本気なんだろう。
「シェリル、また後で」
 イアンさんの呼びかけに手を上げて答えると、私は早く仕事を終えるため、職場に向かう足を速めた。


「遅くなって、申し訳、ありません」
 息を切らしながら、職場である都市計画室に駆け込む。
「殿下から、遅刻の連絡は受けているよ」
 室長は何か言いたげな顔で私を見ている。
「そうですか。でもすみませんでした。あ、あとこれ、サイン貰ってきました」
 室長の様子は気になったけど、気付かない振りをして、備品購入申請書を手渡した。
「シェリル君……」
 室長は手元の紙と私を交互に見て、驚いた顔をしていた。
 書類伝送装置なんて、そうそう購入許可が下りるものではないから、驚くのも無理はない。
 でも室長は私が机に腰掛けてもまだ、じっと私を見つめていた。
「どうかしましたか?」
「殿下から、昨夜は寝かせてあげられなかったから、シェリルが眠たそうにしていても大目に見てあげてと言われたんだけど……シェリル君、君ついに殿下と……」
「は?」
「いや、誰にも言わないけどね」
「ちょっと待ってください」
「まさか伝送装置のために、そこまで身体を張ってくれるとは思わなかったよ」
「誤解です」
「うんうん、そう言うことにしておこう」
「違いますからね」
 私の言葉に室長はグッと親指を立てて去っていった。

 嫌がらせに関して余りに優秀な殿下に、その能力を仕事にも活かして欲しいと切実に思った。
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