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 目を覚ますと、高い天井が見えた。
 何も考えられなくてぼんやりと天井を見つめていると、部屋の端からゆっくりとした息遣いが聞こえる気がした。
 首を動かして息遣いの方を向くと、ジェイクが片手で腕立て伏せをしていた。
 汗を垂らしながら鬼気迫る顔で腕立て伏せをするジェイクをぼんやり眺めていたら、目があった。
「エレノア!目が覚めたんだな」
 嬉しそうな顔で駆け寄るジェイクに、私は目をしばたかせた。
 あんな酷い事をした私に笑顔を向けるジェイクが信じられなかったし、そもそもなぜ私が寝ている部屋で腕立て伏せをしていたのかも分からなかった。
「何、してたの?」
「エレノアを守ることも、助けることもできなかった。そんな自分が不甲斐なくて、いてもたってもいられなくて、つい。うるさかったか?ごめんな」
 申し訳なさそうな顔で謝るジェイクに、きっとこれは夢なんだと思った。
 このジェイクは優し過ぎる。私の願望が生み出した幻なんだろう。
「具合が悪いのか?今先生を呼んでくる」
 布団に潜り込んで優しい幻から逃げると、幻はドアを開けてどこかへ行ってしまった。
 本当のジェイクは、今どうしているんだろう。あの屋敷で起きた事なんてすっかり忘れて、どうか幸せに暮らして欲しい。


「気分はどう?」
 しばらく布団の中で丸まっていたら、眼鏡をかけたショートカットの女の人が部屋に入ってきた。
「なんだか、ぼんやりします」
「まだ薬の効果が抜けてないのかもね。お水飲める?」
 女の人は起き上がった私の身体を支えると、水を飲むのを手伝ってくれた。
「ここ、どこですか?」
「ここは黒衣の騎士団の医務室。そして私は、黒衣の騎士団所属の白衣のお医者さん」
 水を飲み終えて聞くと、女の人は得意そうに答えてくれた。
 騎士団と言う事は、ジェイクが連れてきてくれたんだろうか。
「太ももの傷は傷口がぐちゃぐちゃになってたから、痕が残っちゃうかも。酷い事するね」
「あ、いえ。そこは自分でやったので」
「自分で?ああ、正気を保つためにか……がんばったんだね」
 先生は媚薬の事も知っているのか、何も言わなくても理由を察してくれた。
「クリフ・シーグローヴの件は騎士団も把握はしていたんだけど、上位貴族も関わっているみたいで、なかなか捜査できないでいたんだ。まずは監禁罪で捜査して、媚薬製造の証拠も掴むって感じかな」
 先生はテキパキと脈を見たり触診しながら、私に説明してくれた。
「証言するとなると辛い思いさせちゃうかもしれないけど、協力してくれる?」
「……はい」
 ジェイクとの事を話さないといけないと思うと気が重かったけど、ちゃんと罪を償わせるためには必要な事だろう。
「ありがとう。内容が内容だから、最大限配慮するよう、私からもきつく言っておくね。それで、あなたが飲まされていた媚薬なんだけど……」
 そこまで言うと、先生は言いにくそうに口ごもった。
「精神に作用するタイプの魔法薬は、後々まで影響が残りやすい。ですか?」
 先生に代わって私が言うと、先生は少し驚いた顔をしてから同意する様に頷いた。
「そうか、あなたは魔法薬師だったっけ。丸一日寝てたから、大分薬も抜けてると思うけど、しばらくはそう言う状態になりやすいと思うんだ」
「そう言う状態……」
 先生の言葉に、ジェイクとの快感に支配された一時を思い出しそうになって、私は太ももをぎゅっと握りしめた。
「こら、また傷が開くでしょ」
 先生は優しく手を掴んで窘めると、安心させるように微笑んだ。
「そんなに悲観しないで。依存性はないはずだし、しばらく恋人と仲良く過ごせばその内元に戻るって」
「恋人なんていないです」
「え?あなたを連れてきた子は?」
 やっぱり、ジェイクがここに連れてきてくれたんだろう。私は先生の問いかけに、首を横に振った。
「彼はただの被害者です」
「そう……」
 部屋の中に重い沈黙が続く。
 誰でもいいから触れて欲しい、足りない部分を埋めて欲しいと思うあの感覚は、快感を知ってしまった今、一人でどうにかできるとは思えなかった。
 またあんな状態になったら、私はどうしたらいいんだろう。
「あー、もう、そんな泣きそうな顔しないで。ほら、騎士団には腐るほど男がいるから、いざとなったら相手には困らないし。むしろ今からでも恋人作っちゃお」
 先生は私を元気付けるように言うと、最高の人選を考えてくると言いながら部屋を出ていった。
 一人になると、私は布団の中で丸まった。
 魔法薬なんて、勧められるまま飲むべきじゃなかったのに、なんて私は愚かだったんだろう。
 必要とされている事が嬉しくて、浮かれていた。向けられる笑顔を、信用してしまった。
 こんな事なら、ジェイクに手紙を残さなければ良かった。
 ジェイクに拒絶される悲しみも、襲ってしまった罪悪感も感じる事なく、私なんて快楽の中で狂ってしまえば良かったのに。


 いつの間にか、また眠ってしまっていた。
 ドアを小さくノックする音に目を覚ますと、ジェイクが部屋に入ってきた。
「エレノア、泣いていたのか?」
 心配そうな顔で近づくジェイクから、ふんわりと香水のいい匂いがした。
 ジェイクが香水をつけている所なんて見たことがない。やっぱりこれも幻なんだろう。
「ごめんなさい」
 幻に謝っても仕方ないけど、それだけ言うと私はまた布団の中に潜り込んだ。
「エレノア……」
 幻はどこか悲痛な声で私の名前を呼ぶと、話を続けた。
「今年のエレノアの誕生日には、どうしても渡したい物があって王都まで来た。エレノアは嫌だっただろうけど、他の誰かとあんな事をし続けていたかもしれないと思うと、来て良かったんだと思う」
 それだけ言うと、幻は私の枕元に何かを置いた。
「俺からのプレゼントなんていらないだろうけど、最後に受け取って欲しい。もう二度と、エレノアの前には現れないから」
 なんで、幻なのにこんなに寂しい事を言うんだろう。
「さよなら、エレノア」
「待って、痛っ……」
 立ち去ろうとする気配を感じて、私はベッドから飛び起きた。
 床についた足が酷く痛んで、身体が崩れ落ちる。倒れそうになった私を幻が受け止めてくれた。
「あれ?温かい」
「大丈夫か?」
 幻なのに、ジェイクの身体はがっしりと逞しく、そして温かかった。
「俺には触れられたくないのに、ごめん」
 そう言うとジェイクは私を抱き上げて布団に寝かせてくれた。
「ジェイク?」
 流石に幻が私の身体を持ち上げられるとは思えなくて、私はジェイクの名前を呼んでみた。
「どうかしたか?」
「本物のジェイク?」
「どこかに偽物がいるのか?」
「いるとしたら目の前のジェイクが偽物だと思う」
「なんでだよ」
「だって、優しいし、いい匂いするし」
「俺はそんなに意地悪だったか?」
 ジェイクが困ったような顔をしたので慌てて否定した。
「ジェイクは愛想は悪いけど、いつも優しかったよ。でも、私は無理矢理酷い事をしちゃって、恨まれてもおかしくないのに」
「エレノアも、したくてやった訳じゃないだろ?」
 ああ、そうか。ジェイクは私も被害者だと思ってくれているんだろう。本当に、ジェイクは優しい。
「エレノアこそ、俺の顔も見たくないんじゃないのか?」
「うん、申し訳なくて合わせる顔がない」
「そうじゃなくて、俺の事は嫌いなんだろ?もう触れられたくないぐらい」
「私はジェイクが……嫌いじゃないよ」
 流石に好きとは言えなくて、私は言葉を濁した。
「でも、触られると、ちょっと……困る」
 ジェイクに触れられるとしたくなっちゃうと言われても気持ち悪いだろうから、こちらも言葉を濁した。
「誤魔化さなくていい。エレノアの気持ちを、ちゃんと教えて欲しい」
「別に、私の気持ちなんてどうでもいいでしょ。ジェイクにはステファニーがいるんだから」
 答えたくない私は、逃げるようにステファニーの名を口にした。
「ステファニー」
 いざジェイクの口からステファニーの名前が出ると、私の胸はじくじくと痛んだ。
 ジェイクはステファニーの事を考えているのか、しばらく黙り込んだ。

「……って、誰だよ」
「ええ?」
 私は心底びっくりした。ひょっとして、雑貨屋の看板娘の名前を覚え間違えていたんだろうか。
「雑貨屋の看板娘の、巻き毛が可愛いあの子だよ。名前間違ってた?」
「ああ、雑貨屋の……俺とどんな関係があるんだ?」
「だって、ジェイクはステファニーが好きなんでしょ?」
「俺が好きなのはエレノアだけだ」
 さらりと告げられた告白に、私は目を見開いてしまった。
「なんで?」
「なんでって、ずっと好きなんだから仕方ないだろ」
「嘘でしょ?」
「……俺が嫌いじゃないなら、いい加減それを受け取ってくれないか?」
 驚きっぱなしの私に、ジェイクは困ったような顔で枕元に置かれた木箱を指差した。
「誕生日プレゼント……」
 そう言えば、なんかそんな事を言っていた。わざわざ渡しにきてくれるなんて、日持ちしない焼き菓子だろうか。
「え?これ……」
 軽い気持ちで木箱を開けると、中にはクッションの上に置かれた、銀色に光る櫛が入っていた。
「今年のエレノアの誕生日には、ちゃんとした物を贈って気持ちを伝えようって決めていたんだ」
 銀の櫛にはジェイクの目の色と同じ、濃紺の宝石がはめられていて、どこからどう見てもかなり高価そうだった。
「エレノア、ずっと好きだった。これからは好きになって貰えるよう努力する。だから、それを受け取って欲しい」
 ひざまずき、真剣な顔で私を見つめるジェイクを、私は信じられない思いで見つめ返した。
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