同級生

明るい家族

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高校生

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 雪千佳が貸してくれたピンクの傘は、有名ブランドのものだった。傘立てに戻すだけでは悪いと思い、朝、愛司は礼を言いにS科へ向かった。

 ガヤガヤと騒がしい教室。M科と違い、指定のワイシャツを着ている学生が多い。黒板の前では三人組がきゃっきゃとじゃれあい、それを何人かがスマホで撮影している。M科にはない光景だ。……雪千佳の姿はない。

「なんか用?」

 入り口付近にいた学生が言った。

「雪千佳、いる?」

「ゆきりんならS棟」

 じゃれあっていた三人組の一人が教えてくれた。S棟は渡り廊下を二つ過ぎ、体育館を超えた先にある。到着する前に授業が始まってしまう。

 教室に作業着の学生は一人もいない。雪千佳は一限目をサボるつもりなのだとわかる。

「ありがとう」

 大した用でもないし、また休み時間に来ればいいかと踵を返すと、「ゆきりんとこ行くならさ」と背後から声が掛かった。トントン、と肩を叩かれ、振り返る。

「これ、持ってってあげて。さっき持ってきてって連絡来たんだけど、めんどくてスルーしたんだよね」

 差し出されたのはスマホの充電器だった。一体どれだけS棟にいるつもりなのか。

 呆れつつ受け取る。「じゃあよろしく」と言って、彼は黒板の前へと戻っていった。



 S棟に初めて踏み込んだ。巨大な倉庫はガレージのように正面口が開いていて、中に入ると大型機械が連なる空間に出る。カツ、カツ、と足音が倉庫に響く。

 倉庫を通り抜けると、細長い建物が現れた。中へ入る。教室はワンフロアに一つしかない。ガラス窓を覗き込みながら、愛司は階段を上がっていく。

 四階……人の気配を感じ、ここにいたか、と安堵したのも束の間、「ん~」と甘ったるい声に、愛司の足がピタリと止まった。

「雪ちゃん……もっと」

 男の、声……男子校(共学)だから当たり前なのに、胸騒ぎがした。

「もっと……なに?」

 この、笑いを含んだ甘ったるい声は、雪千佳だ。

「ふふ、童子丸先輩? ……もっと、なに? なにして欲しいの?」

 ゆっくりと、愛司は階段を上りきる。教室のドアは、開いていた。

 製図室だ。キャンバスのような天板が並んでいる。

 すぐさま二人が目に飛び込んできた。

 雪千佳は天板に背中を預け、正面に立つ男の体に両足を絡ませている。二人とも、服は着ていた。前がどうなっているかは分からないが。

 なにやってんだ……あの二人。

 呆然と、その場に立ち尽くしていると、ふいに雪千佳の顔がこちらを向いた。

「愛司?」

「わっ……」

 雪千佳の正面にいる男がギョッと身を引き、体ごとこちらを向いた。シャツがズボンから出ていて、ソコは隠れて見えなかったが、男の手の動きで、ズボンのジッパーが下げられていたことは分かった。

 雪千佳が天板から降り、こちらに向かってくる。シャツは全開で、白い肌が惜しげもなく晒されている。

 ズボンのジッパーは上がっていた。ちゃんとベルトも締められている。

 シャツのボタンを止めながら、雪千佳は動揺した様子もなく、こちらに歩んできた。

「どうした? お前も加わる?」

「なっ……」

「それとも放課後、二人きりでする?」

 耳に顔を寄せ、色っぽい声を鼓膜に直接吹き込まれる。

(なんなんだ……こいつ)

 愛司は充電器を彼の胸に押し付け、距離を取った。

「あ、サンキュ。欲しかったんだよね」

 雪千佳は充電器を受け取ると、ケロリと言った。

「S科の奴に頼まれた」

「わざわざ悪いね」

「遠かった」

「昼飯奢ってあげようか」

「……別にいい。傘、貸してくれてありがとうな。助かった」

「ふふ、もしかして今日持ってきたとか? このクソ良い天気の日に」

「悪いかよ」

 雪千佳はゆるゆるとかぶりを振った。今日も彼の唇はほんのり赤い。

「いいよ、ありがと」

 はだけた胸元。鎖骨の下に赤い鬱血痕がある。……キスマークだろうか。

「キスマーク」

 ガン見していたのかもしれない。まるで愛司の心を見透かすように、雪千佳は不適に笑うと、言った。

「お前もつけてみる?」

「っ……」

 こいつ、本当になんなんだ……

「雪ちゃーん、そんなダサメガネくん誘うなよー、本気にしたらどーすんだよー」

 椅子に腰掛け、退屈そうにスマホを弄りながら「童子丸先輩」と呼ばれていた彼氏が言った。

 雪千佳が男を誘うのは珍しいことではないのだと、愛司は気づいた。雪千佳がこうやって男をからかうのは日常茶飯事、だから彼氏は気にしない。

 雪千佳には彼氏がいる。本気で愛司を誘ったわけではない。自分はただ、からかわれていただけ……

 正体不明の苛立ちが込み上げた。

 男に誘惑されて、いちいち動揺していた自分に腹が立つ。雪千佳の優越感を満たしてやったことに、無性に腹が立つ。

 自信たっぷりなこの男の優位に立つには、どうしたら良いだろう。

 気色悪い。誰がお前なんかに欲情するか。俺はホモじゃねえんだよ。

 ……安易な罵倒では、効果がない気がする。

 愛司は教室にいる先輩彼氏をチラリと見やった。茶髪の、軽薄そうな男。顔はまあまあ悪くないが、イケメンを名乗れる程ではない。それになにより、バカっぽい。

 愛司はふん、と鼻で笑った。

 雪千佳が訝しみ、振り返ろうとしたのを、後頭部を掴んで制す。

「え……ふ、んっ!?」

 艶やかな髪を押さえつけ、動きを封じた上で、唇に食らいついた。柔らかい下唇を甘噛みし、舌先を突き入れる。

 平気で男を誘うような男だ。すぐにその気になるかと思ったのに、彼の舌はおしとやかに逃げ惑う。

「んっ、ふ、んんっ」

「ちょ、おま……何やってんだよっ」

 童子丸が慌てて駆け寄ってきた。

 童子丸から雪千佳を隠すように、愛司は彼の両肩をガッチリ掴むと、壁に強く押し付けた。

「お前っ! ちょ、うおいっ、おいおいおいっ!」

 愛司はメガネを外した。歩いているだけで不良に絡まれる人相だ。鋭く睨むと、童子丸はピタリと硬直した。先輩だろうと、所詮、S科だ。喧嘩は得意分野ではない。

「んっ、ふっ……」

 誘うように舌先を絡ませるが、ちっとも乗ってこない。まあ、好きでもない相手とのキスはこんなものかもしれない。直前にジュースでも飲んでいたのか、雪千佳の口は桃の味がした。

 愛司は角度を変え、桃の味のする唇を貪った。片手でボタンを外していく。鎖骨を指先で撫で、その下の皮膚に指を押し込む。キスマークをつけるなら柔らかい場所がいい。

「んあ、はっ」

 唇を離し、あたりをつけた場所に顔を埋める。白い肌を食み、吸い上げた。

「お前っ……な、にっ……やっ……」

 自分でもわからない。俺、男相手に何やってるんだろう。

 でも雪千佳の肌は驚くほど白くて、男のくせに上品な花の香りがする。だからタブーを犯している気もしなければ、嫌悪感も湧かなかった。

 鳥肌の立った皮膚から唇を離すと、雪千佳の唇と同じ色のキスマークが現れた。

「なにやってんの……お前」

 余裕のない、上擦った声が降ってくる。

 顔を上げると雪千佳と目が合った。雪千佳は水っぽい目を慌てて逸らすと、震える手でシャツをかき合わせ、逃げるように教室を出て行った。

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