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第一章 人柱の少女
社の底から
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暗い。
暑い。
息が苦しい。
時折肌を這う蟲の感触にも、土と自分から出た汚れの臭いにも慣れた。
折り畳まれて縛られた手足の痛みも、もう感じない。
それなのに、まだぼんやりとした正気が残ってる。
苦しい。
怖い。
ここから出たい……。
「すまん……。村を救うためなんだ」
「今まで世話してやってきたのに、あんなことをしたんだ! ちゃんと身をもって、償いと恩返しするんだよ!」
「よかったじゃない! アンタみたいなろくでなしに、こんなたいそうなお役目ができたんだから!」
どこかから、家の人たちの声が聞こえる。
そうだ……、私は村を救うためにここにいるんだ。
それが、恩返しと償いになるから。
だから、ここから出たいだなんて思ったら……。
ザクッ
ザクッ
ザクッ
……何だろう?
上の方から、音が聞こえる。
バキッ
「っ!?」
突然、あたりが真っ白になった。
それに、呼吸もすごく楽に。
いったい、なんで……?
「見慣れない物が建ってると思ったら、やっぱりか」
誰かの声が、上から聞こえる。
「それにしては、実に粗末な社だったけど……、まあ、それはどうでもいいか」
男の人の声、みたいだ。
「おーい、君、大丈夫?」
痛む首を動かすと、眩しい光の中に人影が微かに見えた。
「まだ、生きてるよね?」
お返事、したほうがいいのかな?
「……ひゅ……っ」
どうしよう、声、出ないみたい……。
「あー、さすがにこの状態じゃ、急に喋れないか……、ちょっと待っててね」
「……!?」
突然体がフワリと浮かびあがり、目の前がグルグルと回り出した。
「……ぃっ」
もう何も入ってないはずのお腹の中身が、全て出てしまいそうだ。
「ごめん、ごめん。ちょっと手荒だったかな。でも、これでもう大丈夫だよ」
目の前から、優しい声がする。
でも、頭がグラグラして、姿はよく見えない。
「うん。すぐに動くのも、無理そうだね。少し眠っていなさい」
「……ぁぅ」
目の前がまた真っ暗になる。
「今はゆっくりお休み」
それでも、優しい声のおかげで、恐ろしさは少しも感じなかった。
「今度は、吾作んところのかかぁだってよ」
「これで何人目だい?」
「わかんねぇ。お医者様もすっかり匙を投げちまったからなぁ……」
「あのバカどもが、あやかしの森を荒らしてくれたばっかりに……」
どこからか、村の人たちの声が聞こえる。
「怖いねぇ……」
「でも、庄屋さんの所に、白羽の矢が刺さったから」
「ああ。庄屋さんのところなら、ちょうど……」
……ちょうど、私がいる。
「でも、ちょっと可哀想じゃ……」
「それでも、妾の子じゃあどの道……」
「それに、あの体だ……」
「それなら、村のために……」
そう……。
村の、ために……。
「ぅ……」
「ああ、よかった。ちゃんと生きてた」
「……っ!?」
突然聞こえた声に、頭がハッキリとした。
息が、苦しくない……。
脚と腕を縛る、縄もない……。
それに……、すごく明るい。
ここは、どこだろう?
目に入るのは、光の溢れる板の間と、開け放たれた障子から覗く森に囲まれた庭。
それと……
「おはよう」
……紫檀の椅子に腰掛け微笑む、金色の目をした男の人。
一つに結んだ綺麗な髪と、十徳を羽織った紺色の着物……、前髪も残ってるし、お医者様……なの、かな?
「ゆっくり眠れたかな?」
「……ぁい」
「ふふ、それならよかった。それに、声も出るように、なってきたみたいだね」
「ぁ……な、た……ぁ……?」
「僕? 僕は山本 玉葉。このあやかしの森を取り仕切ってる……、まあ長みたいなものだよ」
あやかしの森の、長……!?
それなら……!
「……ぉねがいします!」
「わっ!? 急にどうしたの?」
「どうか、村をお許しください!」
床に擦りつける額がヒリヒリと痛む。
「え? 村を許す?」
「森を荒らしてしまったことは、この通り謝ります! 命を差し出すのも覚悟のうえです!」
無理やり声を張り上げた喉がズキズキと痛む。
それでも……。
「えーと……?」
「村には、まだ小さな子供もいるんです……、ですから、どうか……」
「うーん……、とりあえず、事情を聞きたいから、顔を上げて。ね?」
「はい……」
恐る恐る顔を上げた先には、苦笑いを浮かべた顔があった。
「それで、何があったのかな?」
「じつは……」
村に起きたことを説明すると、苦笑いは呆れた表情に変わっていった。
「……つまり、君の村の若い子たちが度胸試しにこの森に入って、見つけた池に泳いでた魚を獲って食べた。そしたら、全身にアザができて苦しみながら亡くなって、家族や他の村人たちの中にも同じように亡くなる人が出た、と」
「……はい」
「この森にいるものたちは危ないから、禁足地にしてるのに……、人間ってたまに、とんでもない阿呆がいるよね……」
「申し訳も、ございません……」
「君が謝ることじゃないよ。まあ、さしづめ、肝が生焼けの状態で食べて、本来あやかしを宿主にするはずの蟲がついちゃったんだろう」
「むし?」
「そうだよ、体の中に住みつく類いのね。まあ、こんなとき用に薬は作ってあるから、使いのものに持っていかせるよ」
「本当ですか!?」
「本当、本当」
「ありがとう、ございます……!」
「いえいえ」
よかった……、これで村は助かるんだ……。
「さて、村の状況については分かったけど、君はなんであんな所に埋まってたの?」
「あ、はい。森を荒らしてしまったお詫びの、捧げ物として……」
「やっぱり、人柱だったわけだね。なら、阿呆なことをしちゃった子たちの、家族だったのかな?」
「いえ……、そういうわけでは……」
「へぇ、無関係なのに選ばれちゃったのか。なら、ご家族はさぞ悲しんでるだろうね」
「……」
悲しむ、のかな?
家の事をする人間が減って、迷惑がってるかもしれないけど……。
「おや? 返事がないということは、何かわけありかな?」
「あ、いえ……、そういうわけでは……」
「ふぅん。ちなみに、君、名前は?」
「名前は……、ありません……」
「……そう。名前もつけてもらえずに最期は人柱、か。随分と、酷い目に遭ったんだね」
「酷い目?」
どういうことだろう?
厄介者をこの歳まで生かしてもらえただけで、幸いなのに。
それに、私はこうなって当然のことをしたのに……。
「……これは、色々と重症みたいだね。まあ、人柱になってたってことは、僕がもらっても問題ないってことだし……、一緒に暮らそうか」
「……一緒に、暮らす?」
「そうだよ。このまま村に帰っても、面倒なことになるんだろう?」
「あ……、えっと……」
薬が手に入っても、人柱が逃げ出したなんて知られたら……、村の人たちは不安になるかもしれない。
それでも、命があるのなら、働いて家の人たちに恩を返して、償いもしないと……。
「あの……、私は帰ら……」
「これも何かの縁だし、気がすむまでここにいるといい」
帰らなくちゃいけない、という言葉を遮って話が進んでいく。
ちゃんと、断らないといけないのに……。
「ここなら、怖いものは来ないからね」
「……怖いもの?」
「そう。村に居たときは、たくさん怖い思いをしたんじゃないのかな?」
「……」
「ふふ、図星だよね」
「あ、いえ、そんな、ことは……」
「へぇ? 本当に?」
突然、金色の瞳がきらりと輝いた。
「……ぇ?」
その途端に、部屋の中がぐにゃぐにゃと歪みだす。
いったい……、何が起きてるの?
「お前たち、そのくらいに……」
「貴方は黙っていてください! ここまで育ててやったのに、娘に恥をかかせるなんて、この恩知らず!」
「この淫乱! 人のものを寝盗るのが、そんなに楽しいか!?」
「……ぇ?」
家の人たちの怒鳴り声が、どこからか聞こえてきた。
「ぅぐっ……!?」
お腹が、踏みつけられたように痛くなる。
これは……、あのときの……。
「す……みません、すみません、すみませ……ぎゃぁっ!?」
「うるさいね! 全部お前が悪いんだろ!? ぎゃあぎゃあ泣くんじゃないよ!」
「そうよ! 泣きたいのは私の方よ! この、盗人!」
どんなに謝っても、怒鳴り声は止まない。
お腹の中で、ぶちりと音がする。
脚の間から、生温かいものが流れてくる。
痛い。
怖い。
でも、こうなったのは、全部私のせいで……。
「……どうやら、予想以上みたいだね。これじゃあ、返すわけにはいかないな」
足音が近づいてくる。
もう、これ以上は……。
「す、みません……、どうか、おゆるし、くだ、さい……」
「うん。もう、大丈夫だからね?」
「ぁ……」
温かい手に、頭を優しく撫でられた。
あたりが甘い香りに包まれて、怒鳴り声と痛みが消えていく。
「よしよし、怖かったね」
いつのまにか、微笑みを浮かべた綺麗な顔が、目の前にあった。
「ふふ。ちゃんと、戻ってこられたみたいだね」
「は……い……?」
部屋の歪みも、なくなってる……。
今のは……、なんだったの……?
「落ち着いてきたかな?」
何事もなかったように、目の前の笑みが首をかしげた。
寝ぼけてたのかな?
それとも、本当に家の人たちが、近くにいるのかな……。
「……っ」
不意に、息が詰まって、胸が苦しくなった。
「大丈夫? まだ、どこか痛むかい?」
「あ、いえ……、大、丈夫……です……。急に、申し訳ありません、でした……」
「謝らなくても、いいんだよ。君は何も、悪くないんだから」
「……」
優しい声に、恐怖が溶けるように薄れていく。
「君はここで僕と一緒に暮らす、それでいいよね?」
細められた金色の目から、目が離せなくなる。
「それで、いいんだよね?」
「はい……。ありがとうございます……」
金色の目に見つめられるうちに、自然とうなずいてしまった。
どうしよう……、村に戻って、家の人たちのために働かないといけないのに。
恩を返す方法も、罪を償う方法も、それしかないのに……。
「気にすることはないよ。永く続く生の中で、人とともに有るのも面白そうだと思ったっていう、ただの気まぐれだから」
温かな手が、また優しく頭を撫でた。
「ん……」
撫でられるたび、後めたさが消えていく……。
「ふふ、可愛いね。さて、一緒に暮らす上で名前がないのはさすがに不便だから……、明、なんてのはどうかな?」
「あきら?」
「そう。君がもう、暗くて怖い思いをしないように、ね。気に入らなかったかい?」
「いえ、そんな、滅相もございません……、ただ、私なんかがそんな立派なお名前をいただいて……、いいのでしょうか?」
「ふふ、いいに決まってるじゃないか」
「ありがとう……、ございます……」
「いえいえ。じゃあ、名前も決まったことだし、これからよろしくね、明」
「はい……、よろしくお願いいたします。玉葉様……」
「うん」
眩しい日差しの中、玉葉様が満足げにうなずく。
……命を救っていただいたご恩は、返さないといけない、よね。
村に帰るお許しをいただけるまで、この方のお役に立てるよう、尽力しよう。
暑い。
息が苦しい。
時折肌を這う蟲の感触にも、土と自分から出た汚れの臭いにも慣れた。
折り畳まれて縛られた手足の痛みも、もう感じない。
それなのに、まだぼんやりとした正気が残ってる。
苦しい。
怖い。
ここから出たい……。
「すまん……。村を救うためなんだ」
「今まで世話してやってきたのに、あんなことをしたんだ! ちゃんと身をもって、償いと恩返しするんだよ!」
「よかったじゃない! アンタみたいなろくでなしに、こんなたいそうなお役目ができたんだから!」
どこかから、家の人たちの声が聞こえる。
そうだ……、私は村を救うためにここにいるんだ。
それが、恩返しと償いになるから。
だから、ここから出たいだなんて思ったら……。
ザクッ
ザクッ
ザクッ
……何だろう?
上の方から、音が聞こえる。
バキッ
「っ!?」
突然、あたりが真っ白になった。
それに、呼吸もすごく楽に。
いったい、なんで……?
「見慣れない物が建ってると思ったら、やっぱりか」
誰かの声が、上から聞こえる。
「それにしては、実に粗末な社だったけど……、まあ、それはどうでもいいか」
男の人の声、みたいだ。
「おーい、君、大丈夫?」
痛む首を動かすと、眩しい光の中に人影が微かに見えた。
「まだ、生きてるよね?」
お返事、したほうがいいのかな?
「……ひゅ……っ」
どうしよう、声、出ないみたい……。
「あー、さすがにこの状態じゃ、急に喋れないか……、ちょっと待っててね」
「……!?」
突然体がフワリと浮かびあがり、目の前がグルグルと回り出した。
「……ぃっ」
もう何も入ってないはずのお腹の中身が、全て出てしまいそうだ。
「ごめん、ごめん。ちょっと手荒だったかな。でも、これでもう大丈夫だよ」
目の前から、優しい声がする。
でも、頭がグラグラして、姿はよく見えない。
「うん。すぐに動くのも、無理そうだね。少し眠っていなさい」
「……ぁぅ」
目の前がまた真っ暗になる。
「今はゆっくりお休み」
それでも、優しい声のおかげで、恐ろしさは少しも感じなかった。
「今度は、吾作んところのかかぁだってよ」
「これで何人目だい?」
「わかんねぇ。お医者様もすっかり匙を投げちまったからなぁ……」
「あのバカどもが、あやかしの森を荒らしてくれたばっかりに……」
どこからか、村の人たちの声が聞こえる。
「怖いねぇ……」
「でも、庄屋さんの所に、白羽の矢が刺さったから」
「ああ。庄屋さんのところなら、ちょうど……」
……ちょうど、私がいる。
「でも、ちょっと可哀想じゃ……」
「それでも、妾の子じゃあどの道……」
「それに、あの体だ……」
「それなら、村のために……」
そう……。
村の、ために……。
「ぅ……」
「ああ、よかった。ちゃんと生きてた」
「……っ!?」
突然聞こえた声に、頭がハッキリとした。
息が、苦しくない……。
脚と腕を縛る、縄もない……。
それに……、すごく明るい。
ここは、どこだろう?
目に入るのは、光の溢れる板の間と、開け放たれた障子から覗く森に囲まれた庭。
それと……
「おはよう」
……紫檀の椅子に腰掛け微笑む、金色の目をした男の人。
一つに結んだ綺麗な髪と、十徳を羽織った紺色の着物……、前髪も残ってるし、お医者様……なの、かな?
「ゆっくり眠れたかな?」
「……ぁい」
「ふふ、それならよかった。それに、声も出るように、なってきたみたいだね」
「ぁ……な、た……ぁ……?」
「僕? 僕は山本 玉葉。このあやかしの森を取り仕切ってる……、まあ長みたいなものだよ」
あやかしの森の、長……!?
それなら……!
「……ぉねがいします!」
「わっ!? 急にどうしたの?」
「どうか、村をお許しください!」
床に擦りつける額がヒリヒリと痛む。
「え? 村を許す?」
「森を荒らしてしまったことは、この通り謝ります! 命を差し出すのも覚悟のうえです!」
無理やり声を張り上げた喉がズキズキと痛む。
それでも……。
「えーと……?」
「村には、まだ小さな子供もいるんです……、ですから、どうか……」
「うーん……、とりあえず、事情を聞きたいから、顔を上げて。ね?」
「はい……」
恐る恐る顔を上げた先には、苦笑いを浮かべた顔があった。
「それで、何があったのかな?」
「じつは……」
村に起きたことを説明すると、苦笑いは呆れた表情に変わっていった。
「……つまり、君の村の若い子たちが度胸試しにこの森に入って、見つけた池に泳いでた魚を獲って食べた。そしたら、全身にアザができて苦しみながら亡くなって、家族や他の村人たちの中にも同じように亡くなる人が出た、と」
「……はい」
「この森にいるものたちは危ないから、禁足地にしてるのに……、人間ってたまに、とんでもない阿呆がいるよね……」
「申し訳も、ございません……」
「君が謝ることじゃないよ。まあ、さしづめ、肝が生焼けの状態で食べて、本来あやかしを宿主にするはずの蟲がついちゃったんだろう」
「むし?」
「そうだよ、体の中に住みつく類いのね。まあ、こんなとき用に薬は作ってあるから、使いのものに持っていかせるよ」
「本当ですか!?」
「本当、本当」
「ありがとう、ございます……!」
「いえいえ」
よかった……、これで村は助かるんだ……。
「さて、村の状況については分かったけど、君はなんであんな所に埋まってたの?」
「あ、はい。森を荒らしてしまったお詫びの、捧げ物として……」
「やっぱり、人柱だったわけだね。なら、阿呆なことをしちゃった子たちの、家族だったのかな?」
「いえ……、そういうわけでは……」
「へぇ、無関係なのに選ばれちゃったのか。なら、ご家族はさぞ悲しんでるだろうね」
「……」
悲しむ、のかな?
家の事をする人間が減って、迷惑がってるかもしれないけど……。
「おや? 返事がないということは、何かわけありかな?」
「あ、いえ……、そういうわけでは……」
「ふぅん。ちなみに、君、名前は?」
「名前は……、ありません……」
「……そう。名前もつけてもらえずに最期は人柱、か。随分と、酷い目に遭ったんだね」
「酷い目?」
どういうことだろう?
厄介者をこの歳まで生かしてもらえただけで、幸いなのに。
それに、私はこうなって当然のことをしたのに……。
「……これは、色々と重症みたいだね。まあ、人柱になってたってことは、僕がもらっても問題ないってことだし……、一緒に暮らそうか」
「……一緒に、暮らす?」
「そうだよ。このまま村に帰っても、面倒なことになるんだろう?」
「あ……、えっと……」
薬が手に入っても、人柱が逃げ出したなんて知られたら……、村の人たちは不安になるかもしれない。
それでも、命があるのなら、働いて家の人たちに恩を返して、償いもしないと……。
「あの……、私は帰ら……」
「これも何かの縁だし、気がすむまでここにいるといい」
帰らなくちゃいけない、という言葉を遮って話が進んでいく。
ちゃんと、断らないといけないのに……。
「ここなら、怖いものは来ないからね」
「……怖いもの?」
「そう。村に居たときは、たくさん怖い思いをしたんじゃないのかな?」
「……」
「ふふ、図星だよね」
「あ、いえ、そんな、ことは……」
「へぇ? 本当に?」
突然、金色の瞳がきらりと輝いた。
「……ぇ?」
その途端に、部屋の中がぐにゃぐにゃと歪みだす。
いったい……、何が起きてるの?
「お前たち、そのくらいに……」
「貴方は黙っていてください! ここまで育ててやったのに、娘に恥をかかせるなんて、この恩知らず!」
「この淫乱! 人のものを寝盗るのが、そんなに楽しいか!?」
「……ぇ?」
家の人たちの怒鳴り声が、どこからか聞こえてきた。
「ぅぐっ……!?」
お腹が、踏みつけられたように痛くなる。
これは……、あのときの……。
「す……みません、すみません、すみませ……ぎゃぁっ!?」
「うるさいね! 全部お前が悪いんだろ!? ぎゃあぎゃあ泣くんじゃないよ!」
「そうよ! 泣きたいのは私の方よ! この、盗人!」
どんなに謝っても、怒鳴り声は止まない。
お腹の中で、ぶちりと音がする。
脚の間から、生温かいものが流れてくる。
痛い。
怖い。
でも、こうなったのは、全部私のせいで……。
「……どうやら、予想以上みたいだね。これじゃあ、返すわけにはいかないな」
足音が近づいてくる。
もう、これ以上は……。
「す、みません……、どうか、おゆるし、くだ、さい……」
「うん。もう、大丈夫だからね?」
「ぁ……」
温かい手に、頭を優しく撫でられた。
あたりが甘い香りに包まれて、怒鳴り声と痛みが消えていく。
「よしよし、怖かったね」
いつのまにか、微笑みを浮かべた綺麗な顔が、目の前にあった。
「ふふ。ちゃんと、戻ってこられたみたいだね」
「は……い……?」
部屋の歪みも、なくなってる……。
今のは……、なんだったの……?
「落ち着いてきたかな?」
何事もなかったように、目の前の笑みが首をかしげた。
寝ぼけてたのかな?
それとも、本当に家の人たちが、近くにいるのかな……。
「……っ」
不意に、息が詰まって、胸が苦しくなった。
「大丈夫? まだ、どこか痛むかい?」
「あ、いえ……、大、丈夫……です……。急に、申し訳ありません、でした……」
「謝らなくても、いいんだよ。君は何も、悪くないんだから」
「……」
優しい声に、恐怖が溶けるように薄れていく。
「君はここで僕と一緒に暮らす、それでいいよね?」
細められた金色の目から、目が離せなくなる。
「それで、いいんだよね?」
「はい……。ありがとうございます……」
金色の目に見つめられるうちに、自然とうなずいてしまった。
どうしよう……、村に戻って、家の人たちのために働かないといけないのに。
恩を返す方法も、罪を償う方法も、それしかないのに……。
「気にすることはないよ。永く続く生の中で、人とともに有るのも面白そうだと思ったっていう、ただの気まぐれだから」
温かな手が、また優しく頭を撫でた。
「ん……」
撫でられるたび、後めたさが消えていく……。
「ふふ、可愛いね。さて、一緒に暮らす上で名前がないのはさすがに不便だから……、明、なんてのはどうかな?」
「あきら?」
「そう。君がもう、暗くて怖い思いをしないように、ね。気に入らなかったかい?」
「いえ、そんな、滅相もございません……、ただ、私なんかがそんな立派なお名前をいただいて……、いいのでしょうか?」
「ふふ、いいに決まってるじゃないか」
「ありがとう……、ございます……」
「いえいえ。じゃあ、名前も決まったことだし、これからよろしくね、明」
「はい……、よろしくお願いいたします。玉葉様……」
「うん」
眩しい日差しの中、玉葉様が満足げにうなずく。
……命を救っていただいたご恩は、返さないといけない、よね。
村に帰るお許しをいただけるまで、この方のお役に立てるよう、尽力しよう。
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