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第三章 終の住処

終幕 嘘と嘘と嘘

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「セツ」

「うん? なにかなヒナギク?」

「本当に行き先はそんな所でいいの?」

「構わないよ。ああ、ひょっとして凄く難しい注文だったりする?」

「ううん。むしろ簡単なほうなんだよ。ただ」

「ただ、どうしたんだ?」

「人もあやかしも居ない世界っていうのはね、本当に何もない真っ白な淋しい世界なんだよ? それでもいいの?」

「なんだそんなことか、別に構わないよ。なにせ気が遠くなるほど長い間ずっと人やらあやかしやらと関わってきたんだから、しばらくは一人でゆっくりしたいからね」

「でも、一度その世界に行っちゃったら、もう別の場所に連れていってあげられないんだよ?」

「大丈夫、大丈夫。ほら、これも一種の罰みたいなものだし」

「罰?」

「そう。色々な相手からの好意を散々利用してきたウソツキへの罰」

「そんな罰を受けることなんて、誰も望んでないんだよ」

「ははは、そうかもしれないな。でも、もう決めたことだから」

「なら、もう止めないんだよ」

「ああ、そうしてくれ」

「……ただ、案内できるのは今は・・人もあやかしも居ない場所なんだよ。だから、この先人でもあやかしでもない誰かが、ものすごい執着心でここに来ちゃったとしても、それはヒナギクの管轄外なんだよ」

「分かってる、分かってる。そんなことでクレームを入れるつもりはないよ。それに、入れ方も分からないからね。たださ、伝言と頼みごとを聞いてもらえるかな?」

「うーん。頼みごとは内容次第だけど、一応言ってみるんだよ」

「ありがとう。さっきも言ったけれどしばらくは一人でゆっくりしたいから……、遺してきたやつらのことをよろしく頼むよ」

「そんなことなら、分かってるから安心するといいんだよ」

「あははは、そうだよな」

「うん。それで伝言の方もここはいろんな世界から凄く遠くて、届くまでに何日かかかっちゃうけど大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。むしろのそのほうが好都合だな」

「それなら、どうぞなんだよ」

「ああ、出来ればロカに──」





「セツ。ねえ、セツ……」

「ん……ぁ……」

 軽く頬をなでられセツは意識を取り戻した。
 何も無い真白な世界の中に、不安げな表情が浮かんでいる。

「大丈夫? どこかつらい?」

「いや……、大丈……っう♡!?」

 突然、腰の奥から甘い疼きが湧きあがった。戸惑いながらも視線を動かすと、白い床の上に横たわりジクに覆い被さられていることに気がついた。

「あ……♡」

 ジワジワとした胎内の圧迫感とともに、曖昧だった記憶がハッキリしていく。今日もねだられて身体を繋げていたはず、きっと途中で力尽きてしまったのだろう。そう思いながら、気怠い重さを感じる腕を伸ばし眼帯の上を優しくなでた。

「っジク……っぅ♡、悪かったな……っく♡」

「ううん、大丈夫だよ」

「も、起きたから……っぁ♡、動いて……っ♡、大丈夫だぞ……っぁ♡」

「ありがとう、でも……」

「っぅ♡!?」

 中の塊が激しく動き出す代わりに、のしかかる身体がさらに密着し頬に息がかかるほどの距離にまで顔が近づいた。

「……っこうやって、セツの中に入ってギュッとくっついてるだけなのも凄く気持ちいいよ」

「っそう……♡、か……ぅぁ♡」

「うん。だって、凄くあったかくてトロトロで締め付けてくるし」

「やっ……♡、んっぅ♡♡」

 穏やかな声で指摘され、後孔が熱い塊を愛おしむように食い締めていく。性感帯が満遍なく圧迫される快感に背が打ち震える。

「……それに、こうやってるとセツの考えてることがちょっと分かるから」 

「……え?」

 どこか淋しげな呟きに、セツは背筋に快感からではない震えを感じた。
 
 ジクがここにたどり着いたときに一番最初に感じたのは懐かしさだった。
 次に感じたのはロカではなくてよかったという安堵。
 最後に感じたのはまた愛してもらえない者のところに来てしまったのかという憐れみ。

 だから、今度はせめて嘘をつきとおしてやろうと全てを忘れたフリをしていた。 

「ほら、繋がってるところからドロドロに溶け合って」

「……っぁ♡」

 隙間無く埋められている後孔が熱を増していく。

「触れられたところの境界線がなくなっていって」

「んぅ♡」

 柔らかくなでられる頬が熱を帯びていく。

「このままキスすると心まで一つになれるんだよ」

「や……、ジク、待っ……んむ♡」

 重なる唇も、絡まる舌も、溶け落ちるように熱い。
 
「ぅ♡、じゅぷっ♡、んく……っ♡」

 全身を包む熱と快感に再び意識が朦朧としていく。

 思えば当然のように身体を重ねていたが、今は魂だけの状態だ。行為のもたらす一体感というのが生前のそれより深いものになっていても、なんらおかしくはない。

 それでも、ずっと欲しかったものが結局どうやっても手に入らないものだなんて突きつけたくはない。
 
 そんな自分でも分かりきっていることを今さら……。

「……ぷは。セツ、泣かないで」

「……ぁえ?」

 頬をなでられ、セツは自分が涙を流していたことに気がついた。

「大丈夫だよ。僕はまたセツとこうやって一緒にいられるだけで幸せだから」

「……そう、か」

「セツは幸せじゃないの?」

「……っ、心が少し分かるんじゃなかったのか?」

「……あはは! ごめん、ごめん。ちょっとしたたとえ話だよ。ひょっとして本気にしちゃった?」

 ただの冗談を言っているにしては翳りのある笑顔が、目の前でかるく首をかしげる。それでも、この手の言葉の真偽を尋ねるほど無駄なことがないことはよく知っている。

「……どうもここは死後の世界らしいから、ほんの少しだけな」

「そっか。からかってごめんね。それじゃあ、セツも今幸せ?」

「そうだなぁ……」

 少なくともここには、毒を流し込まれ、肉を裂かれ、臓腑を抉られ、骨を砕かれる耐えがたい苦痛はない。
 情事も今のところ回数は多いがお互いに快感を得られるものばかりだ。

 ただ、欲しかったものがもう二度と手に入らないだけで。

「……セツ?」

「……ふふ」

「何を笑って……」

「んむ♡」

「ん!?」

 戸惑いを浮かべるジクの唇を塞ぎ、下腹部に力を込める。すると、中のものが激しく脈打ちながら精液を吐き出し、同時にセツも全身を震わせながら絶頂を迎えた。

「……ぷは。私も幸せだよ、ジク」

「……そう。なら、よかったよ」

 白々しい言葉に金泥色の目がゆっくりと細められた。

「セツ、愛してるよ」

「ああ。私も愛しているよ」

 穏やかな嘘が響く真白い世界の中で、二人はまたキツく抱きしめ合った。


※※※

 
 あやかし退治人結社「青雲」の宿舎の一室、退治人装束姿のロカは窓辺に立って夜空を眺めていた。
 
「そういえば、貴方に危険集団殲滅班の対応をお願いしたのもこんな時期でしたね」

「……」

 問いかけに答えはない。

「ジクは指導のおかげでかなりの戦力になってくれましたよ」

「……」

「他の結社との合同任務も控えていたので、こんなところで失いたくはなかったのですがね」

「……」

「最期の表情は、亡骸の状態に似つかわしくないくらい穏やかだったそうです」

「……」

「解析班からは鎮静剤の使用量がここ最近増えていたことが原因だと報告を受けていますが、ヒナギクは少し違う意見でした」

「……」

「前世にしたことはどうであれ、今のあの子は退治人として多くの命を救ってきたんです。だから、あまり邪険にはしないであげてくださいね」

「……」

「……なんて、貴方に言ってもしかたないのは理解していますが」

 振り返った先で、白い寝間着を着せられた召使い・・・がまばたき一つせずにベルベットの椅子に腰掛けている。
 銀色の髪はかつてのように艶やかなまま乱れ一つなく、首筋の傷を塞ぐ鞣し革も新しい物に交換して間もないようだ。袖や裾から覗く手足にも傷一つない。

「……存外、大切に扱われていたようで安心しましたよ」

「……」

「所有権を書き換える、なんてことも考えなくはなかったんですけどね」

「……」

「……ああ、そうそう。話は変わりますが、ヒナギクからの伝言はちゃんと受け取りましたよ。今日みたいな夜に」

「……」

「貴方のことですから、きっと俺にはできないと思ってあんなことを伝えたんですよね」

「……」

「貴方をあやかしから逃がすことも、貴方を呪いから救うこともできなかった」

「……」

「だから『私のことを忘れて他の誰かと幸せになれ』なんてことも、できるはずがないと」

「……」

「……なんだか癪なので、その伝言だけは守ることにしますよ」

「……」

「だから」

「……」

 ロカは腰に差した刀を抜くと、一寸の狂いもなく黒い鞣し革の接がれた首を刎ねた。
 斬り口から血を噴き出す代わりに数個の発条や歯車をこぼしながら、無表情な首が床に転がり白いブーツに触れて動きを止めた。

「……さようなら、雪也様。ずっと、お慕いもうしあげておりました」

「……」

 震える声受け首がどこか安堵したように薄灰色の目を閉じた。
 眠っているとしか思えない表情に向かって、刀を鞘に収めた手が伸びかかる。しかし、すぐに虚空で握りしめられ、銀色の髪に指先が触れることすらなかった。

「それでは、俺はこれで失礼します」

 振り返ることなく、純白の翼を持つ背中が扉へ向かっていく。

「──♪」

 古い時代の歌を微かに口ずさみながら。



 窓の外にはずっと、細く鋭い月が浮かんでいた。
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