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第三章 終の住処

デウス・エクス・マキナの甘言

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 午前の日が差し込む執務室の中、ロカが眉間にシワをよせながらタブレットをなぞっていた。画面に表示されて居るのはジクたちから届いた諸々の購入申請だ。

「ロカさまー!」

 朗らかな声と共に扉が勢いよく開きヒナギクが姿を現わした。

「今度セツ達に持って行くもの教えてほしいんだよ!」

 屈託のない笑顔に険しかった目つきが緩んでいく。

「分かりました。今、承認が終わったんで一覧を送りますね」

「分かったんだよ! ふんふん、野菜とー、冷凍のお肉とお魚とー」

 小型のタブレット操作する楽しげな声を聞きながら、眼鏡の奥の金泥色の目がゆっくりと閉じる。

 今のところ、二人から任務は順調に進んでいるという報告しか届いていない。状況の確認のために定期的に現地へ送っているヒナギクや他の社員も、口を揃えて報告に偽りはないと言っている。

 それならば、セツは望みどおり最期を迎えることができるのだろう。
 ただし。

「らくがんとー、あ! この綿菓子、備考欄にヒナギクへのお駄賃って書いてあるんだよ! 嬉しいんだよ!」

「……ねえ、ヒナギク」

「うん? ロカ様どうしたのなんだよ?」

 緑色の目が小型のタブレットから離され、不思議そうにロカの顔を見つめる。

「一度死を迎えたものの魂が帰って来るなんてこと、そうそう起きることではないですよね?」

 こんな質問をヒナギクにしても、答えが返ってこないことは分かっている。ただ、心を許せる相手に少しだけ弱音のようなものを吐き出したかっただけだ。


「ううん、そんなことはないんだよ。だって、魂はずっとこの世界の中だけを廻っているんだから」

「……え?」


 しかし、予想に反して大人びた声で答えが返ってきた。

「ずっとずぅっと昔、それこそ神話より前の時代はね、死を迎えたものの魂は別の世界へ渡ることもできたんだよ」

「別の、世界?」

「うん。そうだよ」

 混乱をよそに至極冷静な表情が話を続ける。

「この世界でいうところのあやかしが居ない世界だったり、あやかししか居ない世界だったり、あやかしは居るけれど人間と仲良くしてる世界だったり、そんな所が本当はたくさんあるんだよ」

「あやかしがいない……」

「でも神話の時代にカミサマ達がね、他の世界からこの世界を完全に切り離したんだよ。だから、魂はなにがあっても同じ世界の中で廻り続けているだけなんだよ。ジクみたいに昔の記憶を残してたり思い出したりっていうのが珍しいことは確かだけれど」

 予想外すぎる答えが予想外すぎる者の口からこぼれ続ける。
 しかし、圧倒されてばかりも居られない。

「……なら、魂をあやかしがいない世界に渡らせることは、もう不可能なのでしょうか?」

「うん。普通の人間やあやかしにはね。でも、そうじゃない子達にならできないことはないよ」

「そうじゃない子達というのは? 一体なんなんですか?」

「ロカ様、いつになく必死なんだね」

「……っ」

 ヒナギクの顔に困ったような笑みが浮かび、ロカは我に返った。

「すみません。ヒナギクを問い詰めても仕方がないですよね」

「ううん。気にしないでいいんだよ。ロカ様はセツの魂をもっと穏やかな世界に送ってあげたいんだよね?」

「……」

「ふふふ、沈黙は肯定と捉えさせてもらうんだよ。たしかに、ヒナギクにはその機能がついているんだよ」

「……それなら!」

「でもね、さっきも言ったみたいにずっとずぅっと昔の機能だから、渡らせることができたとしても一人が限界なんだよ」

「……それは、つまり」

「大事な人が怖い目に遭うことはないけれど二度と会えない。大事な人にまた会えるかもしれないけれど怖いものもたくさん。ロカ様はどっちがいいと思う?」

 問いかけにすぐに答えることができない。
 しばらくの沈黙を経て向かい合った顔に再び無邪気な笑顔が浮かんだ。

「すぐに答えられなくても大丈夫なんだよ。ヒナギクはロカ様のことが好きだから、お願いはできる限り叶えてあげようと思ってるんだよ」


「……それは、嬉しいかぎりですね」

 ロカは苦笑を浮かべると席を立ってヒナギクに近づき、ふんわりとした橙色の髪をなでた。

「なら、ひとまず先ほどのリストにあるもののお使いをおねがいしますね」

「分かったんだよ! それくらいなら、お安いご用なんだよ!」

 軽やかな足音を立てながら小さな背中が扉を出ていく。

「今度は、選択を間違えないようにしたいものですね」

 静かになった執務室の中にどこか自嘲的な呟きが響いた。


※※※

 窓から差し込む満月の光がベッドに腰掛ける人影の艶やかな銀髪と血の気のない顔を照らしている。

「あーあ、明日からまた仕事・・の始まりかぁ。まあ、今回は相性がいい類のヤツだけどさぁ」

 ため息とともに寝間着の裾から覗く脚がパタパタと動かされる。
 嫌なのか。などという質問は口にするだけ野暮だ。

 ロカはセツと同じ宿舎の部屋で暮らし肌を重ねるまでの関係に至ってはいる。しかし、仕事・・に立ち会ったのは悪趣味極まりない興行を一掃したときの一度きりだった。それでも、美しい顔を歪ませながら悲鳴と嬌声をあげ、あやかしたちに食い散らかされていくさまは鮮烈に目に焼き付いている。

 あんな惨状を繰り返し味わっているのなら、それは地獄と呼んでもなんら間違いはないだろう。
 それならば、自分が成すべき事は決まっている。
 
「……セツ」

 黒い紋様が刻まれた手を取り口づけると、薄灰色の目が軽く見開かれた。

「ん? どうしたんだ、ロカ?」

「今回の任務は、俺も出動することになっています」

「ああ、そうだったな」

「先陣を切るように言われているので、誰よりも先に貴方の元へかけつけます」

「うん。できるだけ早くたのむよ」

「青雲の武器は他の結社のものと違って、人間を殺めることもできます。それに、助かる見込みのない者を解放・・する許可も出ています」

「……ロカ?」

「だから……俺がっ」

 言葉が喉の奥でつかえる。
 それでも、確実に伝えなくてはならない。


「……俺が、貴方の呪いを解きます」

 寝室のなかに哀切な声が響いた。

 惨状を目の前にすれば、愛しい人を苦痛から解放する決心がつくはず。
 そのとき、ロカはたしかにそう考えた。 


「……そうか」


 安堵とほんの少しの悲しみが入り交じった微笑みを月明かりが照らす。

「他でもなくロカにそうしてもらえるのなら、私も本望だよ。なら……ん」

「!?」

 セツは軽く目を閉じて自らの唇を強く噛んだ。

「何をしているんですか!?」

「……ふふ、今夜はまだ毒を飲んでいないからな。今のうちにご褒美をあげないと」

 紅い血を滴らせる薄い唇が妖艶に弧を描く。

「ご褒美って、何を……ん」

「ん♡」

 塞がれた唇に血液が流れ込み、果実と薬と鉄が混ざり合った味が口中に広がった。行為中に血を分け与えられたことは何度もあったが、今夜は一段と甘美に感じる。

「ん、っく」

「ふッ♡、んむ♡」

 舌を絡ませ吸い上げるたびに白い寝間着を着た体がこまかく跳ねる。

「……っは♡」

 唇を離すと微かに紅潮した顔には相変わらず悲しげな笑みが浮かんでいた。 

「ロカにだったら、本当は食い殺してもらいたかったかれど、今回仕込むのはけっこう強い毒だから」

「……毒ごと食らう覚悟もできています。貴方を愛してしまったときから」

「……ふふ。私のほうがね、できていないんだよ。私のせいでロカが命を落としてしまう覚悟を。だから、齧り付こうものなら動きを止めさせてもらうよ」

 薄灰色の目が鋭い輝きを微かに放つ。
 毒餌という役割を与えられてはいるが、退治人としての腕も相当立つことは日々の訓練で知っていた。だから、その言葉がただの脅しではないことはすぐに分かった。

「それに、約束を破られた傷心を行きずりの誰かに慰めてもらいにいってしまうかもしれないな」
 
 どこか軽薄そうな声とともに肩がすくめられる。
 その言葉にも嘘はないのだろう。呪いを解いてもらうために、いままで何人もの腕の中を渡り歩いてきたという話も聞いている。

 自分がその中の一人にすぎないことも理解している。

「わかり、ました。必ず、その首を落として、全てを、終わらせ、ます」

「……そうか。ありがとう、ロカ」

 窓から差し込む月明かり柔らかな笑みを照らす。

「ほら、おいで」

「……はい」

 誘われるまま広げられた腕の中に身を預け、寝間着を開き、陶器のような肌の至る所に唇を落とし、跡をつけ、交わりあいながら二人して何度も絶頂を迎える。いつしか、ロカは華奢な身体を抱きしめたまま気を失うように眠ってしまった。


 目が覚めると隣にセツの姿はなかった。代わりに「行ってきます。事が済んだらここを頼るように」と達筆な文字で書かれたメッセージと住所、それと間の抜けた小鳥の絵が描かれたメモ用紙だけがサイドボードに残されていた。
 ロカはしばしその紙を見つめてから、壁に掛けた仕事着の胸ポケットにしまい込んだ。


 それから数日後、毒餌の回収と対象の殲滅任務が決行された。

 細々としたあやかしを塵に帰しながら、入り組んだ構造の建物のなかを果実と薬と血がでたらめに混ざった香り頼りに駆け抜け、誰よりもはやく退治対象が待つ部屋にたどり着く。

「セツ……っ!?」

 厚い扉を蹴破った先にいたのは、四角い機械と生物を雑に組み合わせた姿のあやかしだった。

「あ……♡、う……♡」

 その前に無数のコードによって後ろ手に拘束され、ほとんど装束の意味をなしていない布きれをまとい、体中に注射器のような物を突き刺されたセツの姿があった。注射器のような物は血管ににたもので四角い機体につながり、絶えず震える身体から何かを吸い上げ、何かを注入するように脈動している。
 胸の突起と性器に他の部分より生々しい質感の筒に包まれ、後孔には金属質の棒が突き刺さりそれらも脈動する管によって四角い機体繋がっている。


「っあ♡!? それ、やめっ♡!?」

 突然、後孔に深々と突き刺さった棒から甲高い振動音が響き、薄灰色の目が大きく見開かれた。

「や゛っ♡! も゛ぅしこりとしきゅう♡♡、ぶるぶるい゛ぢめないれ……あ゛あぁぁ゛あ゛あ♡♡♡!!!」

 懇願が聞き入れれられルはずもなく、振動音はより一層高くなり無数の管に繋がれた身体がガクガクと震える。しだいに、乳首を性器を包む筒も傍目からでも分かるくらいに激しく脈動をはじめた。

「い゛ぎっ♡!? や゛ぁ♡♡♡! いま゛しぼら゛ないれぇぇぇ♡♡♡!!」

 前後からの刺激に苛まれながら華奢な身体が痙攣し続ける。

「っあ゛♡、や゛……い゛くぅぅぅぅ♡♡♡!!」

 嬌声とともに一際激しく腰が痙攣した。しかし、甲高い振動音も生々しい筒の脈動も止まらない。それどころか、無数に突き刺さる注射器に繋がる管も一層激しく脈打ちだした。

「ひぐっ♡♡♡!? や゛ら゛♡! い゛ってる゛から゛ぁ♡♡♡! もっ♡ ぐちゅぐちゅするの゛やめ゛……あ゛あぁぁ゛あ゛あ♡♡♡!!!」

 悲鳴と嬌声の境目が揺らぎはじめてもあやかしは一切の攻め手を緩めない。
 
「あぁ……ぁぇ♡?」
 
 不意に、絶頂を迎えても続く激しい快楽に歪む顔の前に電球と眼球の集合体のようなものをつけた管が伸ばされた。集合体から放たれる光を受けるうちに、虚ろな薄灰色の目から涙がこぼれ血と涎にまみれた薄い唇が震えながら弧を描いた。


「あ……う、ん♡、ろ……か、なら……♡♡、ろかに、なら……♡♡、だから、このまま」

「っ」

 責め立てるあやかしの動きは一切緩んでいないのに、セツの表情が至極穏やかなものに変わっていく。
 幻の類、それも自分に関するものを見せられているのは明白だ。

「ロカ……、どう、か……」

 涙を流しながら微笑みを浮かべる顔に、何度も夢に見た悲しげな微笑みが重なる。


「ど、うか……、私を……」



  いつか、私を殺しにおいで。



「……」


 先に潜入していた社員から、対象のあやかしは部屋の扉を開けた瞬間に侵入者を黒焦げにするほどの電撃を浴びせてくると報告を受けている。しかし、今のところ焼け焦げるどころかかすかな痺れすら感じることはない。
 つまり、仕込まれた毒が効いているか甘美な味に夢中になっているかのいずれかだ。
 どちらにしろ、セツとの約束を果たしてから止めを刺しても間に合うほど動きが鈍っている。

 それでも、ロカは刀を抜くと一足飛びあやかしの核となる部分に斬りかかった。

 耳障りな電子音を轟かせながら、機械と生物が雑に組み合わされた巨体が塵に帰っていく。
 そして。


「……そうか」
 

 セツが絶望と憐れみが入り交じった表情を一瞬だけ浮かべ、自らの体液と塵で汚れた床に崩れ落ちた。

「セツ!」

 駆けよって抱き上げると涙に濡れる頬の下で薄い唇が弧を描く。

「すまなかった……、もう、いいんだよ……」

 酷く穏やかで優しい声とともに、薄灰色の目がゆっくり閉じていく。

「せめて……、子守歌を……歌って、くれないか……」

「……はい」

 けたたましい電子音のなかに穏やかな子守歌がかすかに響いた。


※※※


  ジリリリリリ。

 鮮明な悪夢を見終え、ロカは目覚まし時計のアラームの中でゆっくりと目を覚ました。
 気分は最悪だ。

 あの後、約束を果たせなかったことで見限られ、新しい候補・・と睦み合っているところを見せつけられて関係は完全に終わった。

 それでも、いまだに未練は断ち切れずにいる。
 セツに対しても。
 セツを救うことに対しても。
 
  大事な人が怖い目に遭うことはないけれど二度と会えない。
  大事な人にまた会えるかもしれないけれど怖いものもたくさん。
  ロカ様はどっちがいいと思う?

 昨日聞いたヒナギクの言葉が鮮明に蘇る。


「……呪いを解いてあげることすらできなかったやつが差出がましく悩むなんて」

 自嘲的な言葉が自ずと口から漏れた。
 それに、今の所有者は自分ではなくジクだ。

「あの子なら、ヒナギクの問いにどう答えるんでしょうね……」

 問いを呟きながらベッドを降りるが、当然答えが返ってくることもない。
 ロカは小さくため息をつくと、サイドボードに置いた眼鏡をかけて寝室を出ていった。
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