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第一章 半妖の退治人
静かな朝
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窓から差し込む朝日の眩しさと、漂うトマトの香りにジクは自然と目を覚ました。
「う……ん?」
目をこすりながら起き上がると、香りの発生源はすぐに判明した。部屋の中央で灰色の作務衣を着たセツが、トランクをテーブルがわりにしてインスタントのスープパスタを食べている。その様子をぼんやりと眺めていると、薄灰色の目が視線を向けた。
「ああ、おはよう、ジク。よく寝ていたから先にいただいていたよ」
機嫌のよさそうな笑みが、白い手袋をはめた手でスープパスタのカップを差しだす。
「お前も食べるか?」
たしかに空腹は感じている。しかし、それよりも汗や諸々の体液でベタつく身体が気になった。
「……先にシャワー浴びてくる」
「分かった。同じものを台所に置いといたから、上がったら食べるといい」
「うん。分かった」
ジクは立ち上がると、玄関脇の小さなキッチンスペースに置かれた電気ケトルとスープパスタを一瞥してシャワールームへ向かった。
身体を清めスープパスタを片手に部屋へ戻ると、セツはすでに食事を終えて白いナプキンで口元を拭いていた。
「ああ、おかえり……ん?」
不意に薄灰色の目が訝しげに細められた。
「ジク、お前その格好どうした?」
「え?」
どうしたと言われても、いつもどおりの格好をしているだけだ。それなのに、目の前の顔は釈然としない表情を浮かべている。
「……なにか、変?」
「変と言うか、それ結社の仕事着だろ?」
「そうだね……ああ、大丈夫だよ。昨日のやつはセツのと一緒に、今ちゃんと洗濯してるから」
「それはありがたいが、私服に着替えないのか? 今日は非番なんだろ?」
「ああ、うん。服はこれ以外持ってないから」
「持ってないって……、服を買うくらいの給料は出てるはずだよな?」
「ああ、そうみたいだね。でも、シキ班長が管理してるから」
「は? 管理してる? シキが?」
「うん。だって半妖の報酬は上司が管理するっていうのが、青雲の決まりごとなんでしょ?」
「あー……」
白い手袋をはめた手が、落胆した表情を覆う。その姿に胸が軽く締めつけられた。
「ごめん。なんか僕、変なこと言った?」
「いや、問題発言ではあるけれど、ジクが謝ることはないよ」
顔を覆っていた手がゆっくりと外れて、苦笑いが現れる。
「とりあえず、それを食べるといい」
「あ、うん。いただきます」
進められるがまま、トランクを前に腰掛けカップのふたを開ける。白い湯気を立てる赤いスープに、自然と昨夜のことが思い出された。
牙が肉を抉っていく感触。
苦しげな吐息と優しい声。
口に広がる血と薬と果実がでたらめに混ざった味。
身体中の血が沸き立つような快感。
目の前にあるうっすらと噛み跡が残る白い首筋に食らいつけば、あの感覚がまた。
「しかし、この部屋はやけに静かだな。わりと安普請っぽいのに」
呑気な声にジクは我に返った。
「ああ、うん。今この宿舎にいるのは僕だけだから」
衝動をかき消すようにカップの中身をかき混ぜると、向かい合った顔に再び釈然としない表情が浮かんだ。
「お前、だけ?」
「うん。少し前に他のやつは処分になったんだ」
「……マジかぁ」
深いため息とともに、またしても落胆した表情が白い手袋に覆われる。
「えーと、ごめん。また僕なにかまずいことを……」
「ああ、まあマズいのは大いにまずいが、ジクのせいじゃないからな。黎明期に異世界に飛ばされたやつらみたいな顔をしなくても大丈夫だ」
それはどんな顔なんだ。そんな質問をするまもなく、薄灰色の目が金泥色の目を射抜くように見つめた。
「すまないジク。食べながらでいいから、その処分についての質問に答えてくれないか?」
「あ、うん」
真剣な目つきと声に、自然と首が縦に振れる。
「ありがとう。それで、ことが起きたのはいつ頃だ?」
「たしか先々月くらいの、珍しく宿舎の全員が一斉に非番になった日だったかな」
「そうか。処分の口実……いや、理由はなにか知ってるか?」
「脱走しようとしたのが理由だって」
「脱走?」
「うん。そのときはなぜか、非番の日に宿舎から出られなくなるする術が切れて……」
「ちょっと待て、なんだその物騒極まりない術は?」
「なにって、半妖を集めて管理する宿舎には必ずかかってるっていう術だよ? ほら、あの外に出ようとすると嫌な音が大音量で鳴るやつ」
「……そうか。それで、その脱走は失敗したんだな?」
「うん。術の音の代わりに悲鳴があちこちから聞こえて、しばらくして様子を見にきたシキ班長が、脱走したヤツらは全員処分したって言ってた」
「お前は逃げなかったのか?」
「あー、うん。そのときも聞かれたけどね。別に逃げたって行くところもないし、捕まったらまた痛い目にあうだけだし」
「また、ね」
「うん、そう」
他人事のような相槌のあと、ジクはカップに残ったスープを飲み干した。
「……ごちそうさま。他に質問はある?」
「ああ、まあ脱走の件は大体把握したよ。それよりも、それでだけで足りたか?」
白い手袋をはめた手が、からになったカップを指差した。
「うん。すごく久しぶりにあったかい物を食べたから、むしろいつもよりお腹いっぱいな気がする」
「そうか……ちなみに、いつもは何を食べてるんだ?」
「え? ほら、半妖の社員用に支給されてる、ブロックタイプの栄養食だよ」
「……分かった。色々と確認したいことが大渋滞しているが、とりあえず先に私がここに来た理由を話そうか」
「ああ、うん」
そういえば、自分の世話も任務に入っていると言っていた。そう思っていると、薄灰色の目がどこか遠くを見つめだした。
「少し前にな、本部にタレコミが入ったんだよ。あやかしの血を引く社員たちが、不当な扱いを受けていると」
「そう、なの?」
「ああ。それで、本部長からの命令で実態の調査と社員の保護……と言っても、ジク以外は全員長期休暇で不在ということになっていたから、まずはお前だけでも保護することになったんだ」
「そうだったんだ」
自分とそう変わらない年齢に見えるのに、本部長から直接命令を受けるなんて相当優秀なんだろう。そんなことを考えていると、薄い唇から乾いた笑いがこぼれた。
「そうだ。まあ、多少のことは覚悟していたが、さすがに予想以上だったよ……ちなみにシキには、『社員が多数長期休暇をとっている分の業務の手伝いと、人間関係の困りごとを解決するために来てる』って伝えてあるから、本当のことは内緒だぞ」
「うん、分かった」
「ありがとう。バレたらまた、厄介なことに……」
──ブー、ブー。
突然、振動音が話を遮った。
「ああ、すまない。出てもいいか?」
「あ、うん」
「悪いな」
セツが苦笑を浮かべ、作務衣のポケットからスマートフォンを取り出した。
「はい、こちらセツです。ああ、シキ班長でしたか! いえ、私もお会いしたかったところです!」
乾いた笑いを浮かべる顔が、わざとらしく嬉しそうな声を出す。
「はい! すぐに伺いますね!」
その声に、昨夜聞いた嬌声が重なった。
「では後ほど! ……まったく、シキめ。非番に呼び出すなんて公私混同にもほどがある、が、あわよくば本人の証言がとれるかもしれないしな」
よいしょ、という掛け声とともに華奢な身体が立ち上がる。
「すまない、ジク。買い物にでも連れていってやろうと思ったんだが、急な呼び出しが……ん?」
気がつけば、作務衣の上着の裾に手を伸ばしていた。
「こらこら、そんなに引っ張るなよ」
「なら、行かないで」
「そう言われても、これも任務のうちだし」
「でも、行ったら酷い目にあう」
「まあ、その辺も任務のうちだ。残念ながらね」
苦笑を浮かべて肩をすくめる姿に、かける言葉が見つからない。それでも、手を離したくはない。
「……よしよし」
うつむく赤銅色の髪を、白い手袋が優しくなでた。
「ジクはいい子だな。大丈夫、今までの任務に比べたら、このくらいなんてことないから」
「でも」
「まあ私もこのままバックれてしまいたいところだが、そんなことしたらより酷い目にあいそうだし」
「……」
苦笑まじりの声に、裾を握る手が離れた。
「ふふ、お前は本当に優しい子だな。安心しろ、ついでに非番の日の自由行動くらいは勝ち取ってくるから」
「……別にいらない」
「そう言うなって」
「ん……」
薄い唇が額に軽く触れて離れていく。
「すぐに帰ってくるから」
「……うん」
ジクはあやすような微笑みから目を逸らして、小さく頷いた。
「う……ん?」
目をこすりながら起き上がると、香りの発生源はすぐに判明した。部屋の中央で灰色の作務衣を着たセツが、トランクをテーブルがわりにしてインスタントのスープパスタを食べている。その様子をぼんやりと眺めていると、薄灰色の目が視線を向けた。
「ああ、おはよう、ジク。よく寝ていたから先にいただいていたよ」
機嫌のよさそうな笑みが、白い手袋をはめた手でスープパスタのカップを差しだす。
「お前も食べるか?」
たしかに空腹は感じている。しかし、それよりも汗や諸々の体液でベタつく身体が気になった。
「……先にシャワー浴びてくる」
「分かった。同じものを台所に置いといたから、上がったら食べるといい」
「うん。分かった」
ジクは立ち上がると、玄関脇の小さなキッチンスペースに置かれた電気ケトルとスープパスタを一瞥してシャワールームへ向かった。
身体を清めスープパスタを片手に部屋へ戻ると、セツはすでに食事を終えて白いナプキンで口元を拭いていた。
「ああ、おかえり……ん?」
不意に薄灰色の目が訝しげに細められた。
「ジク、お前その格好どうした?」
「え?」
どうしたと言われても、いつもどおりの格好をしているだけだ。それなのに、目の前の顔は釈然としない表情を浮かべている。
「……なにか、変?」
「変と言うか、それ結社の仕事着だろ?」
「そうだね……ああ、大丈夫だよ。昨日のやつはセツのと一緒に、今ちゃんと洗濯してるから」
「それはありがたいが、私服に着替えないのか? 今日は非番なんだろ?」
「ああ、うん。服はこれ以外持ってないから」
「持ってないって……、服を買うくらいの給料は出てるはずだよな?」
「ああ、そうみたいだね。でも、シキ班長が管理してるから」
「は? 管理してる? シキが?」
「うん。だって半妖の報酬は上司が管理するっていうのが、青雲の決まりごとなんでしょ?」
「あー……」
白い手袋をはめた手が、落胆した表情を覆う。その姿に胸が軽く締めつけられた。
「ごめん。なんか僕、変なこと言った?」
「いや、問題発言ではあるけれど、ジクが謝ることはないよ」
顔を覆っていた手がゆっくりと外れて、苦笑いが現れる。
「とりあえず、それを食べるといい」
「あ、うん。いただきます」
進められるがまま、トランクを前に腰掛けカップのふたを開ける。白い湯気を立てる赤いスープに、自然と昨夜のことが思い出された。
牙が肉を抉っていく感触。
苦しげな吐息と優しい声。
口に広がる血と薬と果実がでたらめに混ざった味。
身体中の血が沸き立つような快感。
目の前にあるうっすらと噛み跡が残る白い首筋に食らいつけば、あの感覚がまた。
「しかし、この部屋はやけに静かだな。わりと安普請っぽいのに」
呑気な声にジクは我に返った。
「ああ、うん。今この宿舎にいるのは僕だけだから」
衝動をかき消すようにカップの中身をかき混ぜると、向かい合った顔に再び釈然としない表情が浮かんだ。
「お前、だけ?」
「うん。少し前に他のやつは処分になったんだ」
「……マジかぁ」
深いため息とともに、またしても落胆した表情が白い手袋に覆われる。
「えーと、ごめん。また僕なにかまずいことを……」
「ああ、まあマズいのは大いにまずいが、ジクのせいじゃないからな。黎明期に異世界に飛ばされたやつらみたいな顔をしなくても大丈夫だ」
それはどんな顔なんだ。そんな質問をするまもなく、薄灰色の目が金泥色の目を射抜くように見つめた。
「すまないジク。食べながらでいいから、その処分についての質問に答えてくれないか?」
「あ、うん」
真剣な目つきと声に、自然と首が縦に振れる。
「ありがとう。それで、ことが起きたのはいつ頃だ?」
「たしか先々月くらいの、珍しく宿舎の全員が一斉に非番になった日だったかな」
「そうか。処分の口実……いや、理由はなにか知ってるか?」
「脱走しようとしたのが理由だって」
「脱走?」
「うん。そのときはなぜか、非番の日に宿舎から出られなくなるする術が切れて……」
「ちょっと待て、なんだその物騒極まりない術は?」
「なにって、半妖を集めて管理する宿舎には必ずかかってるっていう術だよ? ほら、あの外に出ようとすると嫌な音が大音量で鳴るやつ」
「……そうか。それで、その脱走は失敗したんだな?」
「うん。術の音の代わりに悲鳴があちこちから聞こえて、しばらくして様子を見にきたシキ班長が、脱走したヤツらは全員処分したって言ってた」
「お前は逃げなかったのか?」
「あー、うん。そのときも聞かれたけどね。別に逃げたって行くところもないし、捕まったらまた痛い目にあうだけだし」
「また、ね」
「うん、そう」
他人事のような相槌のあと、ジクはカップに残ったスープを飲み干した。
「……ごちそうさま。他に質問はある?」
「ああ、まあ脱走の件は大体把握したよ。それよりも、それでだけで足りたか?」
白い手袋をはめた手が、からになったカップを指差した。
「うん。すごく久しぶりにあったかい物を食べたから、むしろいつもよりお腹いっぱいな気がする」
「そうか……ちなみに、いつもは何を食べてるんだ?」
「え? ほら、半妖の社員用に支給されてる、ブロックタイプの栄養食だよ」
「……分かった。色々と確認したいことが大渋滞しているが、とりあえず先に私がここに来た理由を話そうか」
「ああ、うん」
そういえば、自分の世話も任務に入っていると言っていた。そう思っていると、薄灰色の目がどこか遠くを見つめだした。
「少し前にな、本部にタレコミが入ったんだよ。あやかしの血を引く社員たちが、不当な扱いを受けていると」
「そう、なの?」
「ああ。それで、本部長からの命令で実態の調査と社員の保護……と言っても、ジク以外は全員長期休暇で不在ということになっていたから、まずはお前だけでも保護することになったんだ」
「そうだったんだ」
自分とそう変わらない年齢に見えるのに、本部長から直接命令を受けるなんて相当優秀なんだろう。そんなことを考えていると、薄い唇から乾いた笑いがこぼれた。
「そうだ。まあ、多少のことは覚悟していたが、さすがに予想以上だったよ……ちなみにシキには、『社員が多数長期休暇をとっている分の業務の手伝いと、人間関係の困りごとを解決するために来てる』って伝えてあるから、本当のことは内緒だぞ」
「うん、分かった」
「ありがとう。バレたらまた、厄介なことに……」
──ブー、ブー。
突然、振動音が話を遮った。
「ああ、すまない。出てもいいか?」
「あ、うん」
「悪いな」
セツが苦笑を浮かべ、作務衣のポケットからスマートフォンを取り出した。
「はい、こちらセツです。ああ、シキ班長でしたか! いえ、私もお会いしたかったところです!」
乾いた笑いを浮かべる顔が、わざとらしく嬉しそうな声を出す。
「はい! すぐに伺いますね!」
その声に、昨夜聞いた嬌声が重なった。
「では後ほど! ……まったく、シキめ。非番に呼び出すなんて公私混同にもほどがある、が、あわよくば本人の証言がとれるかもしれないしな」
よいしょ、という掛け声とともに華奢な身体が立ち上がる。
「すまない、ジク。買い物にでも連れていってやろうと思ったんだが、急な呼び出しが……ん?」
気がつけば、作務衣の上着の裾に手を伸ばしていた。
「こらこら、そんなに引っ張るなよ」
「なら、行かないで」
「そう言われても、これも任務のうちだし」
「でも、行ったら酷い目にあう」
「まあ、その辺も任務のうちだ。残念ながらね」
苦笑を浮かべて肩をすくめる姿に、かける言葉が見つからない。それでも、手を離したくはない。
「……よしよし」
うつむく赤銅色の髪を、白い手袋が優しくなでた。
「ジクはいい子だな。大丈夫、今までの任務に比べたら、このくらいなんてことないから」
「でも」
「まあ私もこのままバックれてしまいたいところだが、そんなことしたらより酷い目にあいそうだし」
「……」
苦笑まじりの声に、裾を握る手が離れた。
「ふふ、お前は本当に優しい子だな。安心しろ、ついでに非番の日の自由行動くらいは勝ち取ってくるから」
「……別にいらない」
「そう言うなって」
「ん……」
薄い唇が額に軽く触れて離れていく。
「すぐに帰ってくるから」
「……うん」
ジクはあやすような微笑みから目を逸らして、小さく頷いた。
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