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そう言ってくださるならば

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 ランニングをしていた公園から少し離れた場所にある親水公園で、葉河瀨さんと早めのお昼にしていましたが……

「一条さん……」

 いきなり泣き出してしまい、葉河瀨さんを困惑させるという失態をしてしまいました。

「……大……っ変、失礼い……たしました」

 なんとか涙を止めようと思いタオルで目を拭っていますが、なかなか止まってくれません。止められないのなら、なんとかしてごまかさないと……

「すみま……せっん、急に花粉……症を発症したみたいで……」

 ……我ながら、ごまかすにしても、もっと他の言い訳があったような気がします。

「……流石に、その言い訳には無理があると思いますよ」

「……です、よね……」

 葉河瀨さんは気まずそうな表情で、頬を軽く掻いています。
 えーと、早く最もらしい言い訳をするか、泣き止むかしないと……
 焦っていると、葉河瀨さんは目を伏せてからスープを一口飲みました。そして、コートのポケットからハンドタオルを取り出し、口元を軽く拭いてから、口を開きました。

「なんとなく、察しはつきますが……もしも、泣いている理由を話した方が楽になるのなら、そうして下さい」

 葉河瀨さんは悲しげな表情でそう言うと、再びスープを口にしました。
 そう言って下さるるならば、正直にお話しした方が良いのでしょうか?でも、下らない理由で泣いている、と不快な気分にさせてしまっては申し訳ないですし……とは言っても、ご自分のせいで泣いていると誤解されても、申し訳ないですよね……

「無理にでも、とは言いません。それよりも、俺が席を外した方が気が楽になるということなら、どこかで時間を潰してきます」

 逡巡していると、葉河瀨さんがそう言って微笑みました。でも、どこか悲しそうに見えるのは、何故でしょうか?
 もしかしたら、本当にご自分のせいだと誤解なさってしまったのかもしれません。ここは、誤解を解かないと……

「いえ……凄く下らない理由なのですが……よろしいですか?」

 恐る恐る聞いてみると、葉河瀨さんはコクリと頷きました。

「ええ。構いませんよ」

 そして、穏やかな表情で軽く首を傾げています。多分、ご気分を害してはいないようですね……涙も少し落ち着いてきましたし、お話しいたしましょう。

「その……今日は月見野様からランニングにお誘いいただいたので……喜んでいただければ、と思ってお弁当を用意したのですが……召し上がっていただけなくて……」

 話し出すと、再び目に涙があふれてしまいました。でも、葉河瀨さんがこちらの言葉に耳を傾けて下さっっているのですから、ちゃんとお話ししないと。

「……本当は、ご迷惑だっ……たんだろうな、と思った……ら、少し悲……しくなってしまって……」

 しゃくりあげながらそう言うと、そうですか、という呟きが返って来ました。

「……申し訳あ……りません。こんな、下らない……ことで泣き出して、ご迷……惑をお掛けしてしま……」
「いえ、そんなことありませんよ」

 口にしてみると、本当に押しつけがましくて下らない理由だったため自嘲気味になっていると、葉河瀨さんが私の言葉を遮るように声を発しました。

「意中の人物に好意を気づいてもらえない辛さは、俺も理解しているつもりですから」

 そして、葉河瀨さんは苦笑いを浮かべながら、頭を軽く掻きました。
 月見野様をお慕い申し上げていることは、やっぱり気づかれていましたか……でも、これは恋などと言う恐れ多い感情ではなく、敬愛に近いもので……でも、万が一にでも伴侶となることができたら嬉しさのあまり、鳩尾の辺りから爆発するかもしれませんが……
 いえ、そんな現実味のない妄想は置いておきましょう。それよりも、俺も、ということは、葉河瀨さんもどなたかに想いを寄せていらっしゃるのですね。
 それなのに、昨日は私が恋人だと勘違いされたり、今日はランニングだけでなくこんな下らない話に付き合わせてしまいました……これは、下らない理由で泣いている場合ではありません。

「重ね重ね、申し訳ございません」

「なぜ、急に謝るのですか?」

 あまりの申し訳なさに頭をさげると、困惑した葉河瀨さんの声が聞こえてきました。ゆっくりと頭をあげると、葉河瀨さんは声に違わず困惑した顔をなさって、頬を掻いています。

「いえ……意中の方がいらっしゃるというのに、昨日からお時間をとらせてしまっていたので、申し訳なかったなと……」

 ようやく落ち着いてきた涙を拭きながら答えると、葉河瀨さんは目を見開いて動きを止めてしまいました。どうしましょう、深入りするのはあまりよろしくない話題だったみたいです……
 
「……あー、その件については……まあ、あまりお気になさらないでいただきたい気もします……」

 葉河瀨さんは煮え切らない口調でそう言うと、スープを一口飲みました。そして、でも、と呟いてから言葉を続けました。

「昨日偶然会えたことも、今日こうして一緒にいられることも、迷惑だとは一切思っていませんよ。月見野さんも、そうだと思います」

「……そう……なのでしょうか?」

 思わず聞き返してしまうと、葉河瀨さんは穏やかな口調で、きっとそうですよ、と答えました。

「少なくとも俺は、一条さんと一緒に過ごせたうえに手料理までいただけたので、幸運だったと思ってます」

 そして、穏やかな笑顔でそう続けます。慰めとはいえ、予想外に優しい言葉を掛けられてしまったので、また目が熱くなってきてしまいました。でも、ここでまた涙を流してしまっては、葉河瀨さんに迷惑を掛けてしまいます。

「……そう言っていただけると、救われる思いです。ありがとうございます」

「いえいえ。一条さんの気分が晴れたのなら、何よりです」

 なんとか笑顔を作ってお礼を言うと、穏やかな声と笑顔が返って来ました。葉河瀨さんてはじめは少し怖い方だと思っていましたが、凄く優しい方なんですね。
 こんな優しい方に想われている意中の方というのが、少し羨ましいです……

「すみません、スープが口についていましたか?」

 思わず顔を見つめてしまったため、葉河瀨さんは慌てた表情をしながら、ハンドタオルで口元を拭おうとしました。ここは訂正しないと、いけませんね。乾燥した季節にあまり摩擦しすぎると、唇が荒れてしまいますから。

「あ、いえ、そうではなくて……葉河瀨さんみたいに優しい方に想われているなんて、意中の方は幸せだな、と思いまして……」

 思っていることを正直に告げると、葉河瀨さんは口元にタオルを当てたまま、固まってしまいました。私としたことが、優しくして下さった方にまた余計なことを言ってしまったようです……

「失礼いたしました。余計なお世話で……」
「いえ、全く問題ありませんが、少し驚いたと言いますか、感情の処理が上手く追いつかないと言いますか……」

 葉河瀨さんは再びこちらの言葉を遮るようにそう言うと、視線を軽くずらしました。

「……まあ、そう、だと良いですね」

 そして、気まずそうな表情で頬を掻きました。怒っているわけではないようですが、どこか落ち込んでいるように見えます。あまり積極的にアプローチをされていないのでしょうか?もしもそうだとしたら、凄く勿体ない気がします。

「ええ、きっとそうですよ。だから、決して諦めたりしないで下さいね」

 月並みですが励ましの言葉をかけてみると、そうですね、という相槌が返って来ました。また、少し悲しげな顔をされているのが気になりますが、あまり深入りしすぎるのも失礼ですよね……

「ひとまず、一条さんが落ち着いたならば、食事の続きにしましょう。折角、美味いものを作ってきていただいたんですから」

 対応に悩んでいると、葉河瀨さんが苦笑しながら首を傾げました。

「あ、はい。そういたしましょうか」

 三人分を二人で食べきれるか少し不安ですが、もしも残ってしまったら持って帰って今日の夕飯にしましょう。冬場だとはいえ、家に帰るまで保冷剤が保つかどうかは不安ですが。


「ごちそうさまでした」

「お……お粗末様でした」

 でも、保冷剤に対する不安は、杞憂に終わりました。
 食事を再開してから、葉河瀨さんが淡々とした表情でペースを乱さずにサンドイッチやスープを食べ続け、私が食べ終わる頃には二人分を平らげていました。勝手に食が細い方だと思っていたので、とても意外です……

「……どうされましたか?」

「あ、いえ。ちょっと量が多いかと思ったんですが、食べきれるものなんだな、と思いまして」

 不安げな表情で問いかける葉河瀨さんに答えると、そうですか、という相槌が返って来ました。

「一条さんが丁寧に作ってくれたものを、無駄にしたくありませんでしたから。とても美味かったですよ、ありがとうございます」
 
  そう言う葉河瀨さんの表情は、とても嬉しそうな笑顔でした。

「い、いえ。こちらこそ、あ、ありがとうございます」

 予想外に喜んで下さったので、しどろもどろになりながらもお礼をすると、いえいえ、という言葉が返ってきました。
 ……月見野様に召し上がっていただけなかったのは、残念でした。でも、こんなに喜んで下さるかたに、召し上がっていただけたというのは、幸せなことかもしれません。


「……ところで、一条さん」

 サンドイッチの包み紙やスープジャーを片付けていると、不意に葉河瀨さんから声がかかりました。 

「は、はい。な、な、なんでしょうか?」

 あまりにも真剣な表情をなさっていたので、気後れしながら恐る恐る訪ねると、葉河瀨さんは軽く息を吸い込みました。もしかして、なにか叱られてしまうのでしょうか?
 たしかに、昨日今日を通じて若干失礼なことを申し上げていた気もしますし、叱られても仕方ないですよね……

「今日の食事のお礼をしたいので、今度シュークリームでもご馳走したいのですが、いかがですか?」

 私の心配をよそに、葉河瀨さんの口からでたのはお叱りではなく、お誘いの言葉でした。
 シュークリームは好きなので、お誘いいただけるのはありがたいのですが……お礼をしていただくほどの物ではなかったので心苦しい気がします、それに……

「あの……意中の方がいらっしゃるということなのに、私と出かけることになってもよろしいのでしょうか?」

「ええ。全く問題ありません。むしろ、好都合です」

 戸惑いながら尋ねると、葉河瀨さんは早口気味に答えました。
 でも、好都合というのはどういうことなのでしょうか?
 ……あ、きっと意中の方へのアプローチについて、相談したいということなのですね。
 私も恋愛経験が豊富ではないので参考にはなりそうにないですが、今日のご恩には報いなくてはいけません。

「そういうことでしたら、次の木曜日でしたら定時退社日なので時間がとれると思います。葉河瀨さんは、それで大丈夫ですか?」
「大丈夫です。何卒、どうか、よろしくお願い申し上げます」

 週末ではなかったので少し気がかりでしたが、葉河瀨さんの予定と合わせられたのならなによりです。

「では、少しでもお役に立てるように、尽力いたします。たとえ、大腿骨を複雑骨折したとしても、絶対にうかがいますので」 

「……来ていただけるのは、肺が爆発する程度には嬉しいのですが、大腿骨を骨折するような事態になったら、ちゃんと救急車を呼んで下さい」

 ……意気込みすぎて、葉河瀨さんを気後れさせてしまいました。気を張りすぎては、プレッシャーになってしまうかもしれないので、気を付けなくては……
 でも、木曜日に少しでも葉河瀨さんのお役に立てるように、恋愛関係の参考文献で予習をしておきましょう。
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