171 / 191
第三章 仔猫殿下と、はつ江ばあさん
仔猫殿下と、はつ江ばあさん・その十二
しおりを挟む
色々な面々が旧カワウソ村に向かい始めた頃、魔界水道局の一室では……
「えー、では最後に……、葉河瀨絵美里さんのお宅はいかがですかな? ハーゲンティ」
「うふふ。上下水道ともに、ちゃんと止まっておりますわ、ビフロン長官」
……魔界一ロマンスグレイな生首のビフロンと魔界一せくしぃな牛のハーゲンティが、膨大な書類の束が乗った机を挟んで向かい合っていた。
書類には氏名と住所がズラリと連なり、その横には上水道、下水道と名付けられたチェックボックスがついている。魔術で最後のチェック欄に印をつけると、ビフロンは深くため息をついた。
「ようやく、終わりましたね……」
「ええ。お疲れ様でした、ビフロン長官」
「いえいえ。ハーゲンティ局長こそ、トビウオの夜のたびに、ご協力いただきありがとうございます」
「うふふ。魔界水道局長として、当然のことをしているまでですよ。使う方が旅立ったのに水道が使えるままになっていては、いろいろと問題もおきますから」
「ええ、本当にそうですね。空の上にいらっしゃるときなら、問題が起きてもギリギリなんとかなりますが、トビウオの夜の後ではどうにもなりませんから」
二人が行っていたのは、トビウオの夜で旅立った住人や、元の世界に戻った魂だけの住人が使っていた上下水道が、しっかりと止まっているかのチェックだった。
「一昨日から始めて、ようやく全件完了……、この魔導機化の時代でも、なかなかこの作業はなくなりませんね……」
「あらあら、仕方ありませんわよ。魔導機で一気に処理できない、複雑なケースもありますからね」
「ああ……、たしかに。旅立った方が、遠方に住んでいるご家族の分の契約もなさっていたなんて例も、往々にしてありますからね」
「そうですわよ。それに、私たちは仮にも、『悪魔』なんて呼ばれることもある超生物なんですから。まだまだ魔導機よりも、ずっと正確な結果を出せますわよ」
「ははは、お互いに隠居はまだまだ先になりそうですな」
「うふふふ、ええ、本当に」
二人は五十代後半くらいの管理職が交わしていそうな会話をした。
まさに、そのとき!
トントン
「失礼いたします。お茶とおやつをお持ちいたしました」
可憐な声とともに、緑茶と羊羹を乗せた盆を手にしたおさげ髪のカッパ、緑川蘭子が現れた。
「あら、蘭子、ありがとうね」
「お忙しい中、恐れ入ります。緑川さん」
二人がそう言いながら頭を下げると、蘭子はワタワタと首を横に振った。
「いえいえ! どうか、お気になさらずに!」
蘭子はワタワタとしたまま、机の上のわずかなスペースに、緑茶と羊羹を乗せた。
「確認作業、終わりそうですか?」
不安げに尋ねる蘭子に、ハーゲンティはニコリと微笑んだ。
「ええ。たった今、終わったところよ」
「本当ですか!? それならよかったです……」
「これも、蘭子が他のみんなをまとめて、業務を支えてくれたおかげよ」
「いえ、そんな、私なんてまだまだで……」
蘭子が頬を赤らめる……、というよりも黄色っぽくすると、ビフロンがクルリと一回転した。
「そんなことないですよ。局長は常々、緑川さんは頼りになるとおっしゃっているんですから」
「うふふ、そうよ、蘭子」
「あ……、ありがとう、ございます」
魔界の重鎮二人に褒められて、蘭子はタジタジと頭を下げた。
そんな様子を見て、ハーゲンティがニッコリと笑いながら、胸の辺りで手を打った。
「そんなわけで、頼りになる蘭子に、一つお願いがあるのよ」
「……ふぇ?」
気の抜けた声を漏らしながら蘭子が顔を上げると、ハーゲンティは手を合わせたまま小首を傾げた。
「ほら、旧カワウソ村ってあるじゃない?」
「あ……、はい。あの、陛下が直々に契約をして、利用料を支払って下さっている場所、ですよね?」
「ええ。それでね、ちょっとそこに行って、調査をしてきて欲しいのよ」
「わかりまし……、えぇ!?」
頭の皿がずれ落ちるかと思えるくらい、蘭子はおおげさに飛び上がった。
「む、む、無茶を言わないでくださいよ! あの場所って、反乱分子が不法占拠しているんですよね!?」
「そうよ」
「なら、わ、私には荷が勝ちすぎです!」
「そうかしら? 貴女の相撲力なら、かるくあしらえると思うのだけれども」
「新しい単位を使って、買い被らないでください!」
「そうね……、たしかに、相撲は多人数相手だと……、ちょっとどんな感じになるか、想像できないわね……」
「いえ、そういう問題ではなく!」
「でも、大丈夫よ。素早さに自信のある助っ人は、もう手配済みだから」
「助っ人!?」
「ええ。ほら、マダムのところの、可愛らしいカナヘビのお嬢さん」
「え……、それって……、チョロさん、ですか?」
勢いのあるツッコミから一転、蘭子は戸惑いながら首をかしげた。すると、ハーゲンティはコクリとうなずく。
「ええ、そうよ。『緑川のお嬢が来てくれんなら、百人力でございやす!』って喜んでいたわね」
「チョロさんが……、私を待ってくれている……」
「うふふ。恋する相手に、いいところを見せるチャンスなんじゃないかしら?」
「こ……!? 別に、決して、そういうわけ、じゃあり、ません!!」
蘭子はしどろもどろになりながら、首を横に振った。しかし、すぐに真剣な表情にもどると、ハーゲンティの目をまっすぐに見つめた。
「でも……、私の力を頼りにしてくれている方がいるなら、頑張ってこようと思います」
蘭子の言葉に、ハーゲンティとビフロンは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうね、蘭子。気をつけていってらっしゃい」
「ありがとうございます、蘭子さん。頑張ってくださいね」
「はい!」
水道局の一室には、蘭子の決意に満ちた返事が響いた。
こうして、旧カワウソ村には、相撲要素も加わることになったのだった。
「えー、では最後に……、葉河瀨絵美里さんのお宅はいかがですかな? ハーゲンティ」
「うふふ。上下水道ともに、ちゃんと止まっておりますわ、ビフロン長官」
……魔界一ロマンスグレイな生首のビフロンと魔界一せくしぃな牛のハーゲンティが、膨大な書類の束が乗った机を挟んで向かい合っていた。
書類には氏名と住所がズラリと連なり、その横には上水道、下水道と名付けられたチェックボックスがついている。魔術で最後のチェック欄に印をつけると、ビフロンは深くため息をついた。
「ようやく、終わりましたね……」
「ええ。お疲れ様でした、ビフロン長官」
「いえいえ。ハーゲンティ局長こそ、トビウオの夜のたびに、ご協力いただきありがとうございます」
「うふふ。魔界水道局長として、当然のことをしているまでですよ。使う方が旅立ったのに水道が使えるままになっていては、いろいろと問題もおきますから」
「ええ、本当にそうですね。空の上にいらっしゃるときなら、問題が起きてもギリギリなんとかなりますが、トビウオの夜の後ではどうにもなりませんから」
二人が行っていたのは、トビウオの夜で旅立った住人や、元の世界に戻った魂だけの住人が使っていた上下水道が、しっかりと止まっているかのチェックだった。
「一昨日から始めて、ようやく全件完了……、この魔導機化の時代でも、なかなかこの作業はなくなりませんね……」
「あらあら、仕方ありませんわよ。魔導機で一気に処理できない、複雑なケースもありますからね」
「ああ……、たしかに。旅立った方が、遠方に住んでいるご家族の分の契約もなさっていたなんて例も、往々にしてありますからね」
「そうですわよ。それに、私たちは仮にも、『悪魔』なんて呼ばれることもある超生物なんですから。まだまだ魔導機よりも、ずっと正確な結果を出せますわよ」
「ははは、お互いに隠居はまだまだ先になりそうですな」
「うふふふ、ええ、本当に」
二人は五十代後半くらいの管理職が交わしていそうな会話をした。
まさに、そのとき!
トントン
「失礼いたします。お茶とおやつをお持ちいたしました」
可憐な声とともに、緑茶と羊羹を乗せた盆を手にしたおさげ髪のカッパ、緑川蘭子が現れた。
「あら、蘭子、ありがとうね」
「お忙しい中、恐れ入ります。緑川さん」
二人がそう言いながら頭を下げると、蘭子はワタワタと首を横に振った。
「いえいえ! どうか、お気になさらずに!」
蘭子はワタワタとしたまま、机の上のわずかなスペースに、緑茶と羊羹を乗せた。
「確認作業、終わりそうですか?」
不安げに尋ねる蘭子に、ハーゲンティはニコリと微笑んだ。
「ええ。たった今、終わったところよ」
「本当ですか!? それならよかったです……」
「これも、蘭子が他のみんなをまとめて、業務を支えてくれたおかげよ」
「いえ、そんな、私なんてまだまだで……」
蘭子が頬を赤らめる……、というよりも黄色っぽくすると、ビフロンがクルリと一回転した。
「そんなことないですよ。局長は常々、緑川さんは頼りになるとおっしゃっているんですから」
「うふふ、そうよ、蘭子」
「あ……、ありがとう、ございます」
魔界の重鎮二人に褒められて、蘭子はタジタジと頭を下げた。
そんな様子を見て、ハーゲンティがニッコリと笑いながら、胸の辺りで手を打った。
「そんなわけで、頼りになる蘭子に、一つお願いがあるのよ」
「……ふぇ?」
気の抜けた声を漏らしながら蘭子が顔を上げると、ハーゲンティは手を合わせたまま小首を傾げた。
「ほら、旧カワウソ村ってあるじゃない?」
「あ……、はい。あの、陛下が直々に契約をして、利用料を支払って下さっている場所、ですよね?」
「ええ。それでね、ちょっとそこに行って、調査をしてきて欲しいのよ」
「わかりまし……、えぇ!?」
頭の皿がずれ落ちるかと思えるくらい、蘭子はおおげさに飛び上がった。
「む、む、無茶を言わないでくださいよ! あの場所って、反乱分子が不法占拠しているんですよね!?」
「そうよ」
「なら、わ、私には荷が勝ちすぎです!」
「そうかしら? 貴女の相撲力なら、かるくあしらえると思うのだけれども」
「新しい単位を使って、買い被らないでください!」
「そうね……、たしかに、相撲は多人数相手だと……、ちょっとどんな感じになるか、想像できないわね……」
「いえ、そういう問題ではなく!」
「でも、大丈夫よ。素早さに自信のある助っ人は、もう手配済みだから」
「助っ人!?」
「ええ。ほら、マダムのところの、可愛らしいカナヘビのお嬢さん」
「え……、それって……、チョロさん、ですか?」
勢いのあるツッコミから一転、蘭子は戸惑いながら首をかしげた。すると、ハーゲンティはコクリとうなずく。
「ええ、そうよ。『緑川のお嬢が来てくれんなら、百人力でございやす!』って喜んでいたわね」
「チョロさんが……、私を待ってくれている……」
「うふふ。恋する相手に、いいところを見せるチャンスなんじゃないかしら?」
「こ……!? 別に、決して、そういうわけ、じゃあり、ません!!」
蘭子はしどろもどろになりながら、首を横に振った。しかし、すぐに真剣な表情にもどると、ハーゲンティの目をまっすぐに見つめた。
「でも……、私の力を頼りにしてくれている方がいるなら、頑張ってこようと思います」
蘭子の言葉に、ハーゲンティとビフロンは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうね、蘭子。気をつけていってらっしゃい」
「ありがとうございます、蘭子さん。頑張ってくださいね」
「はい!」
水道局の一室には、蘭子の決意に満ちた返事が響いた。
こうして、旧カワウソ村には、相撲要素も加わることになったのだった。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる