仔猫殿下と、はつ江ばあさん

鯨井イルカ

文字の大きさ
上 下
121 / 191
第二章 フカフカな日々

のんびりな一日・その四

しおりを挟む
 窓から差し込む陽射しがユラユラと揺れる水中の廊下を、シーマ十四世殿下とはつ江ばあさんはフワリフワリと歩いていた。

「はつ江、このあたりに生えているのは、キョッコウサンゴだ」

 シーマが耳をピンと立てながら得意げな表情で説明すると、はつ江は感心したようにコクコクと頷いた。

「ほうほう、七色に光っててキレイだねぇ」

「そうだろう! 昔は、宝飾品に加工されたりもしていたんだ! 今は、採集は禁止されてるんだけどね」

「こっちでも、珊瑚は勝手に採っちゃだめなんだぁね」

「ああ。先代魔王のときに、キレイだからって乱獲させて数が減っちゃったから、らしいよ」

「ほうほう、そうなのかい」

 はつ江がシーマの説明に再びコクコクと頷いていると、二人の頭上に長い影が現れた。二人が見上げると、そこには、絹のように滑らかな長いヒレをもつ、細長い白い魚が泳いでいた。

「あれまぁよ! キレイなお魚だねぇ!」

 はつ江が目を丸くして驚くと、シーマは得意げな表情でふふんと鼻を鳴らした。

「ああ、キレイだろ! あれはハゴロモタチウオっていうお魚なんだ!」

「ほうほう、そうなのかい! こっちには、キレイなお魚がいるんだねぇ」

「ああ、ただ、あのお魚も、先代魔王のときにキレイだからって乱獲させて、数が減っちゃったんだって」

 シーマが片耳をパタパタと動かしながら残念そうにそう言うと、はつ江はまたコクコクと頷いた。

「ほうほう、先代さんっていうのは、随分と欲張りさんだったんだねぇ」

「ああ、そうみたいだな。圧政もしていたらしいし、あんまり良い魔王じゃなかったみたいだぞ」

「あれまぁよ、そうだったのかい! ヤギさんはあんなに優しいのに、お父さんはそうじゃなかったのかねぇ……」

 はつ江がそう言うと、シーマは尻尾の先をクニャリと曲げて首を傾げた。

「え? お父さん? はつ江、何の話をしているんだ?」

 シーマが問いかけると、はつ江もキョトンとした表情で首を傾げた。

「え? 先代さんっていうのは、ヤギさんのお父さんじゃないのかい?」

 はつ江が問い返すと、シーマは片耳をパタパタと動かして、ああ、と呟いた。

「えーとな、はつ江、魔王は世襲制じゃないんだよ」

 シーマが説明すると、はつ江は目を見開いた。

「あれまぁよ! そうなのかい!」

「そうなんだ。魔界を統べる資格を持つ十六人が持ち回りで就任する、っていうことになってるんだ」

 シーマが説明すると、はつ江はコクコクと頷いた。

「ほうほう、そうだったのかい」

「ああ、それで魔王になる順番と任期は、ずーっと昔にじゃんけんみたいなので決めたらしいぞ」

「あれまぁよ! じゃんけんで王様が決まったのかい!」

 はつ江が再び目を見開くと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。

「まあ、たしかに、軽い方法ではあるよな。でも、なんだかんだで、上手くいってたみたいだよ。ただ……」

 シーマはそこで言葉を止めると、深いため息を吐いた。

「先代魔王が、自分の番になる直前に、色々とケチをつけてきたらしい」

「ケチをつけた?」

 はつ江がキョトンとした表情で問い返すと、シーマはコクリと頷いた。

「ああ。先代の任期がまだ残ってるのに、無理矢理魔王の座を奪ったり、ずっと魔王の座に居座ろうとしたり……」

「ほうほう、それじゃあ、先々代さんやヤギさんは大変だったんだぁね」

「そうみたいだな。兄貴も、詳しくは教えてくれないけど、魔王になるときは大変だった、って言ってたから」

「へぇ……」

「歴史の教科書で読んだけど、大きな戦になったらしいぞ……、ああ、そうだ」

 シーマは不意に、豪奢な扉の前で足を止めた。

「ちょうど、この部屋に歴代魔王の肖像画があるから、見ていくか?」

 シーマが扉をポフポフと叩きながら問いかけると、はつ江はニッコリと笑って頷いた。

「是非見ていきたいだぁよ!」

「そうか! じゃあ、中に入ろう!」

 そんなわけで、二人は扉を開いた。
 部屋の中に入ると、奥の壁に大きな肖像画がずらりと並んでいた。その肖像画は、人のような姿をしているものもあれば、カエルに似たもの、ヒョウに似たもの、馬に似たものもあった。

「ほうほう、色んな人がいたんだぁね……ん? これは、女の人かい?」

 はつ江はそう言いながら、一つの肖像画を指さした。そこには、宝石の髪飾りをつけきらびやかな服を着た、長い黒髪の美しい人物が描かれていた。

「えーと、これは……、迷宮王パイモン。だから、フルメイクをした灰門さんだな……」

 シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力すると、はつ江は目を見開いて驚いた。

「あれまぁよ! 源さんは、女の人だったのかい!?」

「あーいや、多分、この衣装が女性物っぽいから、そう見えるだけだけだと思うよ」

「ほうほう、そうなのかい……ありゃ? 次の絵は破れちまってるし、次の次の絵は黒塗りになってるねぇ」

 はつ江はそう言いながら、キョトンとした表情で首を傾げた。

「ああ、そうだな。先々代魔王、友愛王ベレトの肖像画は先代魔王が破いて……、先代魔王、虚栄王ベリアルの肖像画は、兄貴が塗り潰したんだって」

「へぇ……色々あったんだねぇ……」
 
 はつ江はそう言いながら、コクコクと頷いた。そして、一番端にかけられた肖像画に目を移した。
 その視線の先には、赤銅色の髪の、どこか気弱そうな表情をした少年の絵が飾られていた。少年の頭には、一対の堅牢な角が生えている。

「ということは、髪の毛は短いけど、これがヤギさんの絵なんだぁね」

 はつ江がそう言うと、シーマはコクリと頷いた。

「ああ、そうだな。恐怖の王バラム、兄貴の肖像画だ」

「恐怖の王? あの優しいヤギさんがかい?」

 はつ江が問いかけると、シーマは、うーん、と声を漏らしながら、尻尾の先をピコピコと動かした。

「たしかに、いまでこそ兄貴は人見知りでひきこもりだけど……、魔王になるときの経緯がかなり壮絶だったみたいで、そんな二つ名がついちゃったみたいだよ」

「へぇ、そうだったのかい」

「ああ。本人はその二つ名、あんまり好きじゃないみたいだけどな」

「ほうほう」

 二人はそんな話をしながら、若かりし頃の魔王の肖像を眺めていた。


 一方その頃、魔王の自室では……

「あと一個音符を取れれば、ここのミッションはコンプリート……、うわっ! 取り損ねた! 久々だからカーブが上手くいかないな……。よし、気を取り直してもう一回チャレンジを……うわぁー!!?」

 ……魔王がコントローラーを握りしめ、大型液晶画面を覗き込みながら、爆走する石像から飛び降りたポンチョを着たヒゲのおじさんが勢い余って毒沼に落ちる姿を見送っていた。

 かくして、水中を散歩したり、百二十話ちょっと目にしてはじめて魔王の名前が明かされたり、魔王が久しぶりのゲームで手を滑らせたりしながら、仔猫殿下とはつ江ばあさんの、のんびりとした一日は進んでいくのだった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...