仔猫殿下と、はつ江ばあさん

鯨井イルカ

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第一章 シマシマな日常

トーン

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  魔界水道局中央本部の玄関前で、サバトラ模様のフカフカ仔猫、シーマ14世殿下はムニャムニャと呪文を唱えていた。呪文が終わると、シーマの前には光が集まり、豪奢なレリーフが施された白い扉が現れる。

「よし。これで、準備は完了だ」

 シーマはヒゲと尻尾をピンと立て、満足げな表情を浮かべた。すると、クラシカルなメイド服に身を包んだハツラツ婆さん、森山はつ江もカラカラがカラカラと笑った。

「これから、色んなところにお出かけできるなんて、楽しみだねぇ!」

 楽しそうに笑うはつ江の隣で、灰色の作業服を着たおさげ髪の河童、緑川蘭子が大きく深呼吸をした。

「殿下達の足手まといになってしまったら、どうしましょう……」

 緊張した面持ちでそう言う蘭子に向かって、シーマはヒゲと尻尾をピンと立てたままニッコリ笑った。

「緑川さん。足手まといだなんて、とんでもないぞ。ボク達の方こそ素人なんだから、今日は世話を掛けないように頑張らせてもらうよ」

「その通りだぁよ!蘭子ちゃん、一緒に頑張ろうね!」

 シーマに続いて、はつ江も蘭子に励ましの声を掛けた。二人の言葉を受けた蘭子は、戸惑いの表情を浮かべた。しかし、水かきのついた両手を握りしめると、クチバシを引き締めて凜々しい表情を浮かべた。

「お二人にそう言っていただけるなら、私、頑張ります!」

 蘭子が決意を新たにしていると、後ろから、うふふ、という笑い声が聞こえた。声の主は、灰色の作業着を着たスタイル抜群な有翼の雌牛、ハーゲンティ水道局局長だった。

「皆さん、今日はよろしくお願いいたしますね。蘭子、何か困ったことがあったら、すぐに連絡するのよ」

「はい!分かりました局長!」

 ハーゲンティに向かって返事をすると、蘭子はペコリと頭を下げた。続いて、シーマとはつ江も、ハーゲンティに向かってペコリとお辞儀をする。

「では、ハーゲンティ局長、行ってきます」
「行ってきます!はーげんちーさん!」
「行ってまいります!」

 三人が声を揃えてそう言うと、ハーゲンティは口元に手を当てて、うふふ、と笑った。

「気を付けて行ってらっしゃいませ」

 ハーゲンティの言葉に、三人は揃ってお辞儀をすると白い扉を開けて中へ入っていった。

 三人が扉を通り抜けると、目の前にかやぶき屋根の建物が現れた。建物の入り口には、「うどんやさん」と書かれたのれんが掛けられている。シーマは小脇に抱えていた資料を手に取って、最後のページとのれんに書かれた文字を見比べた。

「えーと……ここが最初の調査場所、だな」

 シーマが確認した内容を口にすると、隣ではつ江が、ほうほう、といいながら頷いた。

「こっちにも、うどん屋さんがあるんだぁねぇ」

 はつ江が感心していると、蘭子がコクリと頷いた。

「はい。魔界でも、うどんは人気のある食べ物なんですよ。とくに、この『うどんやさん』は、予約がなかなか取れない人気店なんです!」

「ほうほう、そうなのかい」

 得意げに話す蘭子の言葉に、はつ江は更に感心した。

「はつ江がこっちに来ている間に、一回くらいは食べに来たいかな」

 シーマはそう呟きながらトコトコと進み、入り口の前で立ち止まると、磨りガラス製の引き戸をノックした。

「ごめんくださーい!」

「はーい。少し待ってくださいねー」

 シーマが声を掛けると、中からのんびりとした声が聞こえてきた。続いて、トーン、トーンと何かが跳ねる音が聞こえ、入り口の引き戸がガラリと音を立てて開いた。
 そこから現れたのは、豆絞りの手ぬぐいを頭に巻き、藍色の着物の上に割烹着を着た小柄な女性だった。女性は、一見するとはつ江とさほど変わらない姿に見える。しかし、着物の裾から除く足は一つしかなく、しかも1メートルはあろうかというほど巨大なものだった。

「ほうほう、うどんやさんは、一本だたらさんなんだねぇ」

 はつ江がしみじみとした口調でそう呟くと、女性はニコニコとした笑顔を浮かべた。

「違いますよー。私はスキアポデス族ですよー。一本だたらさん達とは、ちょっとだけ違う種族なんですねー」

「あれまぁよ!そうなのかい!」

 のんびりとした口調でスキアポデスが答えると、はつ江は目を丸くして驚いた。その隣でシーマが耳を伏せ、ヒゲと尻尾をダラリと垂らした。

「なんで、一本だたら族なんていう、こっちでもかなり少数派の種族を知ってるんだよ……」

 脱力するシーマに気づくと、スキアポデスはニコニコした表情で深々と頭を下げた。

「これはこれは、シーマ殿下ですねー。今日はどのようなご用件ですかー?」

「ああ、今日は……」

 のんびりとした口調で尋ねるスキアポデスに対して、シーマが答えようとしたまさにその時、蘭子がすぅと大きく息を吸い込んだ。

「失礼いたします!魔きゃい……っ!?」

 本日の要件を伝えようとした蘭子だったが、意気込みすぎてろれつが回らなくなってしまった。
 頬をほんのりと赤らめて蘭子が俯くと、はつ江がニコニコとした表情でその肩をポンポンと叩いた。

「失礼いたしました……魔界水道局中央本部です。本日は、井戸の定期調査にまいりました」

 意気消沈気味に蘭子が言い直すと、スキアポデスはニッコリと笑いながら胸の辺りでパンと手を打った。

「あー。もう、そんな時期だったんですねー。ただいま井戸の方にご案内するので、ついてきてくださいねー」

 そう言うと、スキアポデスはクルリと振り返り、トントンと飛び跳ねながら店の奥へと進んでいった。
 三人もスキアポデスの後に続いて店に入り、厨房を抜け、勝手口から店の裏側へ出た。そこには、竹製の井戸蓋が被された、つるべ式の井戸があった。

「では、よろしくお願いしますねー」

 スキアポデスはそう言ってペコリとお辞儀をすると、シーマ達を残して勝手口から店の中へ入っていった。 

「さて、じゃあ始めるとしようか。はつ江、ポシェットから必要な機材を出してくれ」

「はいよ!シマちゃん!」

 シーマに声を掛けられると、はつ江は元気よく返事をしてポッシェットのファスナーを開き、ガサゴソと中身を探った。そして、水位計、水質調査キット、調査結果の記録用端末を取り出した。 
 三人は何を担当するかを相談し、水位計は取り扱いが難しいため蘭子が担当、記録用端末の操作は文字が細かいためシーマが担当、水質調査キットをはつ江が担当することになった。
 蘭子が二人に調査方法を説明して、各々の作業に取りかかった。しかし、水位計を手にする蘭子は、浮かない表情をしていた。

「うう……局長直々から、ご依頼いただいたお仕事でしたのに……訪問の段階で失敗してしまうなんて……」

 蘭子がそう呟いてため息を漏らすと、はつ江が桶に汲んだ井戸水をピペットで吸い上げながらカラカラと笑った。

「蘭子ちゃんや、そんなに落ち込むでねぇよ!すきやさんだって、そんなに気にしてなかったんだからよぅ!」

 はつ江はそう言うと、ピペットに入った水を試験管立てに並べられた試験管の中に垂らしていった。

「そうだぞ、緑川さん。あんなの、うちのバカ兄貴に比べたら大したことないからな」
 
 はつ江に続いて、シーマも蘭子にフォローを入れると、水が入れられた試験管に蓋をして軽く振り、試験管立てに戻していった。そして、眉間にしわを寄せながら、説明資料と試験管の中身を見比べ記録用端末をポチポチと入力した。

「……よし。緑川さん、水質調査結果の入力ができたから、確認をお願いしたい」

 シーマはそう言うと、記録用端末を蘭子に向かって差し出した。

「あ、はい。ただいま確認いたしますね!」

 蘭子はシーマから記録用端末を受け取ると、真剣な面持ちで数値の表示された画面と試験管を見比べた。そして、記録用端末の画面から顔を上げると、深々と頭を下げた。

「恐れ入ります、殿下。この、有機物の項目だけ、0.01ほど数値がズレております」

「そうか、すまなかった。緑川さん」

 シーマがヒゲを軽く垂らしてペコリと頭を下げると、蘭子は慌てながら首を左右にブンブンと振った。

「いえいえいえ!ズレがあったとしても、充分安全な数値内ですし、他の項目については、全く狂いはありませんでした!なので、どうかお気になさらないでください!」

 蘭子が取り乱していると、はつ江が感心したように、ほうほう、と声を漏らした。

「でも、ちょっと見ただけでそんな細かい違いが分かるなんて、蘭子ちゃんは凄いだぁね!」

「ああ、本当だな!」

 はつ江の言葉に続いてシーマも目を輝かせながら同意すると、蘭子は頬を赤らめながらうな垂れた。

「あ、ありがとうございます……昔から、水質調査結果の判別だけは得意だったんですが……なにぶん、細かすぎるみたいなので……」

 蘭子はそう言うと、深くため息を吐いた。

「それに、先ほどの対応でお分かりいただけたと思うのですが、人前で緊張してしまって……それでいつも、失敗ばかりで……」

 再びため息を吐く蘭子に向かって、はつ江はカラカラと笑いかけた。

「ちょっとの失敗ぐらい、気にすることねぇだぁよ!みんな、得意なことと得意じゃ無いことがあるんだからよぅ!」

 はつ江の励ましの言葉に、シーマも、そうだな、と言いながらコクリと頷いた。

「もしも、訪問の挨拶で緊張してしまうなら、ボクに任せてくれ。そういうのは慣れているからな」

 シーマが耳をピンと立てながら得意げな表情でそう言うと、蘭子は目を輝かせながら二人を見つめ、ありがとうございます、と口にした。しかし、はたと何かに気づいた表情を浮かべると、困惑した表情をして首を傾げた。

「あの……殿下は何と申しますか……ご年齢のわりに随分と、場慣れしている気がするのですが……何か秘訣があるのでしょうか?」

 蘭子の言葉に、シーマはギクリとした表情を浮かべた。そして、尻尾をゆらゆらと動かすと、目を泳がせながらフカフカの頬を掻いた。

「あー……それは何というか……関係各所から音声での連絡が来たときに、魔王は今留守です!、と回答するような兄貴がいると、自然とこうなった感じだな……」

 そう言うと、シーマは深いため息を吐いた。

「それは……心中お察しいたします……」

「わははは!シマちゃんも頑張ってるんだねぇ!」

 蘭子とはつ江が声を掛けると、シーマは力なく、ありがとう、と呟いた。
 
 一方その頃魔王城では、書類の山を前にした魔王が、筋肉痛の最中に盛大なクシャミをしてもんどり打っていた。しかし、三人はそのことを知るよしもなかった。
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