仔猫殿下と、はつ江ばあさん

鯨井イルカ

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第一章 シマシマな日常

モッチリ

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 湿った空気の漂う薄暗い地下迷宮。
 その第一階層の最奥地にて、魔法陣の描かれた金盥かなだらいから、けたたましい金管楽器の演奏とともに濛々もうもうとした煙が立ちこめていた。
 しわがれた声で魔王を怒鳴りつけた煙は、徐々に人の形に集まり、ついにハッキリとその姿を現した。
 
 ポニーテールに結われた長い黒髪。
 
 長い睫毛が特徴的な薄く化粧の施された美しい顔立ち。
 
 身に纏った紺色のつなぎからは、鱗のついた長い尻尾とアヒルのように水かきのついた足がのぞいている。
 つなぎの人物は、五人をギロリと睨みつけると、憤怒の表情を浮かべて息を大きく吸い込んだ。

「仕事中だってのに呼び出しやがって!この大馬鹿野郎共!」

「あれまぁよ。それは、すまなかったねぇ」

「お仕事の邪魔しちゃって、ごめんなさい」

 申し訳なさそうな表情をしたはつ江と、ヒゲを垂らして尻尾を体に巻き付けたモロコシは、つなぎの人物にペコリと頭を下げた。つなぎの人物は、二人に向かって、おうよ、と答えて腕を組んだ。シーマ、魔王、五郎左衛門の三人は、その様子を呆然とした表情で眺めている。しかし、五郎左衛門が耳を伏せて尻尾を垂らしながら、おずおずと挙手をした。

「あの……あなた様は、かの御高名な迷宮王様でござりまするか?」

 五郎左衛門の質問に、つなぎの人物は腕を組んだまま苛立った視線を向けた。

「魔王職は随分前に引退してるだろ!今はさすらいの迷宮職人、灰門はいもん 源太郎げんたろうだ!役職じゃなくて名前で覚えときやがれ、ワンコ!」

「申し訳ござりませぬ……」

 耳を伏せながら頭を下げる五郎左衛門に向かって、灰門は腕を組んだまま、次から気ぃつけろ、と言い放った。そして、今度は魔王に向かってギロリとした視線を向けた。

「それで、当代の魔王さまが、一体全体この俺に何の用だってんだ!?」

 灰門が怒鳴り声を上げると、魔王は視線を泳がしながら白銀のガントレットを外した。そして、ガントレットを灰門の前に差し出して、うやうやしく頭を下げた。

「あの……幼い頃から憧れていました……サイン下さい……」

 魔王がそう口にした途端に、灰門の眉間の皺が深くなる。

「バカ兄貴!今、そんな場合じゃないだろ!?」

 尻尾を縦に大きく振りながら魔王を叱りつけるシーマに、まぁ待て、と灰門が声をかけた。

「サバトラ坊主、そんなにカリカリするもんじゃねぇぞ」

 つなぎのポケットからペンを取り出して、ガントレットにサインをしたためながら、灰門はシーマを宥める。

「サバトラ坊主?……ともかく、貴方にだけは、その台詞を言われたくないですね……」

 急につけられたあだ名に戸惑いながらも、シーマはヒゲと尻尾を垂らして脱力した。

「細けぇこたぁ気にすんな!ほら、できたぞ当代魔王」

 灰門はそう言うと、サインの入ったガントレットを魔王に向かってひょいと投げた。魔王はそれを受け取ると、目を輝かせて灰門に向かって頭を下げた。

「……ありがとうございます!」

「おうよ!で、本当は何の用だったんだ?」

 灰門が語気をやや和らげながら尋ねると、はつ江とモロコシが揃って挙手をした。

「源さんに、聞きたいことがあるだぁよ!」
「源さんに、教えてほしいことがありまーす!」

 先先先代とはいえ、魔王を務めていた人物に対して、フレンドリーすぎる呼び方をするはつ江とモロコシに対して、一同は息を飲んだ。しかし、当の灰門は特に気分を害した様子も無く、はつ江とモロコシに目を向けた。

「おう何だ?婆さんと茶トラ坊主」

「この下の階に行きてぇんだけど、行き止まりになっちまったんだよ」

「降りる方法を知りませんかー?」

 二人の言葉を受けると、灰門はハッとした表情を浮かべて辺りを見回した。自分が呼び出された場所が魔王城の地下迷宮の中だと気づいた灰門は、うーん、とうなり声を上げながら腕を組んだ。

「事情は大体分かった。どうやら、俺がこの階の試練を担当するみてぇだな」

 灰門がそう言うと、シーマは黒目を大きくして驚いた。

「貴方と、戦うのですか?」

 シーマが身構えると、魔王も素早く白銀のガントレットをつけ直し、剣の柄に手をかけた。

「……一階層の試練にしては、少々厳しすぎではありませんかね?」

 冷や汗を垂らしながらも無表情に尋ねる魔王に続き、五郎左衛門も耳を伏せながら緊張した面持ちで四方手裏剣を構えた。

「魔王陛下、拙者も及ばずながら、尽力いたしますでござる」

 そんな三人の様子を見て、灰門は盛大にため息を吐いて俯いた。そして、勢いよく頭を上げると、青筋の立った顔を身構える三人に向けた。

「誰がそんなこと言った!?この馬鹿野郎共!」

 大声で怒鳴られた三人が怯んでいると、灰門は怒りの表情を浮かべたまま、まくし立てるように言葉を続けた。

「俺は今、ミノタウロスん所の『ワクワク迷宮アイランド』の大改修作業で、忙しいんだよ!さっさと現場に戻んねぇと、他のもんに示しがつかねぇんだ!お前らと戦闘してる暇なんかねぇよ!」

 叱られて肩を落とす三人とは対照的に、モロコシは人気テーマパークの改修という言葉に、目を輝かせながら尻尾を立てて、フカフカの手をブンブンと上下に振った。

「ワクワク迷宮アイランドが新しくなるの!?」

「……おうよ。古くなった所の修理だけじゃなくて、いくつか新しいのも作ってるぞ。なんだ、茶トラ坊主?遊びに来る予定でもあんのか?」
 
 モロコシに声をかけられた灰門は、再び語気を和らげて尋ねた。

「うん!今度の遠足で行きます!!今からすごく楽しみなんです!」

「そうかそうか!茶トラ坊主くらいの子供向けのもんも作ってるから、楽しみにしとけよ!」

 灰門が笑顔でそう言うと、モロコシは、わーい!、と言いながら、ピョコピョコと飛び跳ねて喜んだ。
 はつ江はその様子を見て、ニコニコと笑いながら、良かったね、とモロコシの頭を撫でた。そして、灰門に顔を向けて、小首を傾げる。

「そんで、源さんや。試練ってのは何をすれば良いのかね?」

 はつ江に尋ねられた灰門は、あー、と呟きながら、困り顔を浮かべて頭をかいた。

「……それじゃ、お前ら。何かして俺を楽しませろ」

「布団がふっとんだ、とかかね?」
「道ばたでバッタさんにバッタリ会った、とか?」

 はつ江とモロコシは、示し合わせたように、同時に小首を傾げて、ダジャレを口にした。

「……せめてもう少し、ひねってくれよ……」

 灰門が脱力していると、魔王が何かを思い着いたように手を打った。

「……魔王は、引きこもってしまおう……」

「……それはダジャレのふりをした、ただの願望だろ!?このバカ兄貴!」
「そ、ソンナコトナイゾー」

 眉間に皺を寄せたシーマに叱られ、魔王は目を泳がせながら棒読みで答えた。二人の様子を見た灰門は、腕を組んで、ふん、と呟いた。

「まあ、和むっちゃ和むやり取りだな。はい!最後、ワンコ!」

 急に声をかけられた五郎左衛門は、驚いてビクッと跳び上がった。そして、他の五人から期待の目が向けられていることに気づくと、耳を伏せて尻尾を垂らしながら、オロオロとして目を泳がせた。

「えーと、では……ものまねを……」

「なんでもいいから、早くしろぃ!」

「は、はい!でござる!」

 大声でせかされた五郎左衛門は、姿勢を正して返事をすると、フカフカとした自分の頬を掴んだ。そして、そのまま、頬をゆっくりと左右に引っ張る。

「……できたてのきなこ餅、でござる」
 
 灰門は金盥から身を乗り出すと、眉間に皺を寄せながら五郎左衛門の顔をのぞき込んだ。そして、緊張した面持ちで頬を掴んでいる五郎左衛門の頭に手を乗せる。一同の緊張が高まる中、紅を引かれた灰門の口がゆっくりと開いた。



「よし。合格だ」



 座った目をして灰門がそう言うと、魔法陣の描かれた壁が音を立てながら左右に開き、次の階層に下るための階段が現れる。階段が現れる間、灰門はずっと五郎左衛門の頭をワシワシと撫でていた。

「よ、良かったでござる……」

 安堵する五郎左衛門をよそに、シーマは釈然としないと言いたげな表情を浮かべた。

「これが試練ということで、本当に良かったのか……?」

「良いんだよ、サバトラ坊主!俺は生粋の柴犬派なんだからな!」

 シーマの呟きに答えながらも、灰門は五郎左衛門の頭を撫で続けている。ひとしきり五郎左衛門を撫で終わると、灰門は身を起こして、つなぎの胸ポケットからペンを二本取り出した。

「あと、サバトラ坊主と茶トラ坊主!これ持ってけ!」

 そして、モロコシとシーマに向かってペンをひょいひょいと投げた。二人は落としそうになりながらも、フカフカの手でペンを受け取る。

「ワクワク迷宮アイランドの、ロゴマーク入りペンだ!割とどこにでも書けるから、上手く使いな!」

 人気テーマパークのロゴ入りのペンに、シーマとモロコシは目を輝かせた。

「ありがとうございます」
「源さん!ありがとー!」

 二人がペコリと頭を下げると、灰門は、気にすんな!、と大声で返事をしてから頷いた。

「じゃあ、俺は現場に戻るから、お前ら達者でな!」

 灰門がそう言うと、辺りには再び金管楽器のけたたましい演奏が鳴り響き、白い煙が充満した。
 一同がゲホゲホとむせかえっているうちに、演奏は段々と小さくなり、煙も徐々に消えていく。
 演奏が止まり、煙が完全に消え去ると、灰門の姿と金盥も跡形も無く消えていた。

「……ともかく、第一階層は無事に突破したようでござるな」

 灰門に撫でられてくしゃくしゃになった頭の毛並みを直しながら、五郎左衛門が安堵のため息を吐いて呟いた。五郎左衛門の言葉に、魔王も、そうだな、と同意してから、灰門のサインが記された白銀のガントレットをしみじみと眺めた。

「……まさか、第一階層で迷宮王にお会いできるとは思わなかった」

「意外と近くで働いていたことに、ビックリしたでござるよ……」

 魔王は再び、そうだな、と同意した。そして、目を輝かせながらワクワク迷宮アイランドのペンの書き心地を床で試しているシーマとモロコシ、二人をニコニコと見守るはつ江に向かって声をかけた。

「じゃあ三人とも、そろそろ先に進むぞ」

 三人は顔を上げると、はーい、と揃って返事をした。
 かくして、無事に第一の試練、らしきもの、を突破した一行は、第二階層へ歩みを進めていくのだった。
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