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教えを説く者
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輝く月に届くほど高く積みあがる瓦礫にも似た高層建築物。城塞と呼ばれるそれの最上階。
「……ん」
橙色の灯りが灯る部屋の窓辺で、シュウは水音を聞き流しながら口内の異物感に耐えていた。視線を送った窓には、貪るような口づけを受ける姿が映っている。
早く終わればいいのに。
そう思った途端、舌を喰んでいた唇がおもむろに離れていった。それに併せるように口角をやわらかく上げる。
唇が完全に離れると、目の前で男の顔が満足げに笑んだ。
アッシュグレーの髪に同じ色の瞳、どこか甘さを帯びた端正な顔立ち。
首筋には蠍を模った刺青。
目に入るたびに胸に重苦しい不快感が生じた。
「シュウ」
「はい、なんでしょう?」
込み上げてくるものを堪えなが首を傾げる。するとすぐに、派手な柄のシャツに顔が埋まるほどキツく抱きしめられた。
「愛してる」
苦みを帯びた柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。
「ええ。僕もですよ、トウヤさん。今日はこのまま続きをいたしますか?」
「ははっ。可愛いこと言ってくれるのはスゲー嬉しいけど、明日は大事な日だから」
「それは残念です」
「悪かったって。その代わり、明日すべてが終わったらたっぷり愛し合おうぜ」
「ふふ、楽しみにしていますよ」
「そうしてくれ」
背に回された腕が一瞬さらにキツくなり、ゆるやかに解けていった。見上げた顔にはやはり笑みが浮かんでいる。
「それじゃ、俺は部屋に戻るから」
「はい」
「シュウも今日はしっかり休んどけよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えますね」
「ああ、おやすみ」
指輪だらけの指で頭をやや雑にひとなですると、トウヤは部屋を出ていった。扉から響く足音がゆっくりと遠ざかっていく。
辺りが静寂に包まれると、シュウは外された詰襟シャツのボタンを掛けながら眉をひそめた。
「汚らわしい」
毛足の長い絨毯を踏みつけながら部屋の中央に位置するソファーに腰掛け、側のテーブルに置かれた「教典」に手を伸ばす。黒皮の表紙を開くと、象牙色のページに黒い文字が浮かび上がった。
いくつかの大きな戦を経て、人は二度と間違いを犯さないように回路と電気信号でカミサマを作り上げました。
神様は残すべきものを残しながら、世界をとても良いものへ変えていきました。
飢えも、争いも、病も、老いさえない、そんな良い世界です。
幼いようにも老いたようにも聞こえる音声が「教典」の内容を読みあげる。その声が不快感を和らげていった。
そう、今の世界は以前よりもずっと良いものになっている。それは紛れもない事実だ。それなのに。
──リリリリ
苦々しい思いを打ち消すように電子音が響いた。慌てて上着のポケットから通信機を取り出す。画面には「カナギ」と表示されていた。にわかにシュウの目が輝く。
「お待たせいたしました!」
「いや、問題ないよ」
通話を開始するとスピーカーから柔和な男性の声が響いた。
「それより、この会話が誰かに聞かれたり見られたりする心配は?」
「はい、まったく問題ありませんよ。監視カメラと盗聴器はここに来てすぐにすべて見つけて、こちらに都合の悪いものは捕捉できないように細工しましたから」
「ああ、そうだったね。その様子だと細工が露呈していることもなさそうかな」
「はい。相手は所詮、欲の子らですから」
思わず表情が険しくなる。
欲の子ら。
その言葉を口にするだけで、再び胸を重苦しい不快感が襲った。
生まれる前から死んだあとまで、人の全てをカミサマが正しく管理するこの世界で、未だに自らの欲望の赴くままに生きるものたち。本来なら視界に入れることすら厭わしい。しかし、彼らを清め救済するのが自分たち聖職者の仕事だ。
「そうだね、彼ら欲の子らは実に哀れな存在だ。ただし、同時に狡猾で残忍でもある。くれぐれも気を抜いてはいけないよ」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。カナギの指示通り首魁に取り入って、不可侵条約を結ぶと信じ込ませましたから。今ごろは、明日来る使節団のことを夢見て眠っているはずです」
「そう。なら、予定どおりの決行で大丈夫かな?」
「はい。なにも問題はありません」
「分かった。じゃあ部隊には昨日送ってもらった城塞の見取り図を渡しておくよ。つらい任務を任せてしまってすまなかったね」
「いいえ、そんなことはありません。彼らを清め救済することはカミサマの一番の望みですから。それに明日には街に戻れますし」
「ああ、そうだね。私も君の帰還を楽しみにしているよ。それじゃあ、今夜はこれで。おやすみなさい、シュウ」
「はい。おやすみなさい」
「愛しているよ」
「僕も愛しています」
通話が終了すると、暗くなった画面に綻んだ顔が映っていた。それも当然なのだろう。明日この城塞をすべて清め救済すれば、数ヶ月ぶりに愛しいパートナーに会えるのだから。
通信機をポケットにしまうと、不意に苦味を帯びた柑橘系の香りがほのかに漂った。俄にシュウの表情は険しくなる。
「愛してる」
通話の余韻をかき消すように、首魁の男、トウヤの姿が脳裏に浮かんだ。
粗野な言葉遣い。
粗雑な行動。
品性の欠片もない服装。
愛情を騙った欲情。
気にならなくなっていた胸の不快感がまた強くなる。
聖職者の統括であるカナギ直々の任務なければ、真っ先に清め救済していただろう。
それでも、身に纏う香りだけはなぜか心地良く感じる。
「……きっと、気の迷いですね」
目を閉じて首を横に振ると、急激に睡魔に襲われた。まだ入浴も着替えも済んでいない、それにカミサマから配られた就寝用のビタミン剤もまだ飲んでいない。しかしなんとか目を覚まそうとしても、目蓋が少しも持ちあがらない。
シュウはそのまま深い眠りへと落ちていった。
苦い柑橘系の香りに包まれながら。
※※※
紺青の空。
焼けるような陽射し。
遠くに見える白い雲と瓦礫の山。
「──、ようやくみつけた!」
「あ、──」
懐かしい声と懐かしい香り。
「こんなところでなにしてるんだ?」
「えっと……、ちょっと、用があって」
「ふーん。ひょっとして、またあのカミサマの本を読みに行くのか?」
「う、うん! そうだよ! 秘密基地ならゆっくり読めるし!」
「へー、そのわりには鞄から食い物と消毒液の匂いがするけどな?」
「え……、うそ!? ちゃんと封はしてあるのに!?」
「そうだろうな。だって嘘だもん」
「……ごめん」
「はははは! 謝んなよ! ──は優しいから、ほっとけなかったんだろ?」
「ケガが治るまでだから……、黙っててくれる?」
「もちろん! ──と俺の仲なんだからな! でも、大人たちには絶対見つかんなよ!」
「うん! ありがとう──!」
「なに、いいってことよ! それより、世話が終わったら一緒に探検にいくぞ!」
「わかった!! すぐに行くから!!」
「おう! 待ってるからな!」
遠ざかっていく懐かしい声と匂い。
「逃げろ!!」
「──!」
「助けて!!」
「どうか……だけは……」
「──!、──!!」
そして、近づいてくる断末魔と全てが焼ける臭い。
この世に生を受けてからずっと「街」と呼ばれる人間の世界で暮らしてきたシュウが、こんな光景を知り得るはずはない。それなのに、折に触れて鮮明に現れる悪夢。
醒めていく意識のなかでおのずとため息がこぼれた。
気分は最悪だが、しばらく耐えていればいつも通り跡形もなく消え去っているはずだ。
「──ウ」
しかし、今日はやけに臭いを強く感じる。
それでも、目を開いてしばらくすれば跡形もなく消えていくだろう。
そう考えた矢先。
「……起きろよ、シュウ」
「ぐっ!?」
鳩尾を激しい痛みが襲った。
途端に周囲が明るくなり、血と肉が焼ける臭いが鼻をつく。
目に入ったのは見慣れた部屋、自分を見下ろすトウヤの冷めた表情。いつのまにか眠り込み、ソファーから転げ落ちていたようだ。
痛みでぼやけた意識のなか目を凝らすと視界の端で何かが蠢いているのが見える。
「……ぅ、あ」
焼けだたれた顔から煙と呻きを上げ転がる、自分と同じ人間。
「!?」
身に纏った救済用の装束は引き裂かれ、そこから覗いた部分は目を覆いたくなるような有様となっている。
「た、すけ……」
「!? 気をしっかり持ってください!! 今手当を……!?」
駆けよろうとしたシュウは体勢を崩し再び床に倒れた。
気がつけば両腕が背面で拘束されている。両脚も革と思われるベルトで一纏めにされ、立ち上がることさえままならない。
「はは、ざまぁねえな」
「っトウヤ! なぜ、こんな酷いことを!?」
「酷い、ね。不可侵条約だなんて嘘を吐いてここら一帯の人間を根絶やしにしようとしたやつらにだけは、言われたくねぇな」
「は? 人間?」
冷ややかな笑みを前に、必死に記憶を辿る。しかし、いくら城塞についての資料を思い返しても言葉の意味は分からなかった。
「……なんか腑に落ちてねぇかんじだな?」
「……ええ、だって。ここには、欲の子らしかいないはず、ですよね?」
「……」
一瞬にして目の前の端正な顔から一切の表情が消える。
理由までは分からないが、気分を害したことだけは明瞭だった。鼓動が速まり背筋を冷たいものが這う。
救済が失敗したことは明らかだ。
おそらく、通信も掌握されいるのだろう。
下手をすれば偽の情報を流され被害が広がるかもしれない。
もしもカナギにまで何かあったら。
全ては欲の子らを侮った自分の責任だ。
頭の中が後悔と不安で埋め尽くされる。
「……はははははは!」
止まない耳鳴りを遮るように哄笑が響いた。
「そうだった、そうだった! お前らみたいな人間、特に聖職者様ならそう言うに決まってるよな!」
鋭い犬歯を覗かせながらトウヤが顔を寄せる。
「ただ、見たかんじお前はまだ誰も殺してないんだろ?」
「……救済の現場に立ち会ったのは今回が初めてです」
「へえ、初めて、ねぇ。まあ、深く追求しても仕方ないか。ともかく、お前のことを気に入ってるのはたしかだからな」
鼻腔を苦い柑橘系の香りが満たしていく。
「何があっても俺に従うって誓えば、命の補償はしてやるよ。それに、従順でいるかぎりそっちへの本格的な報復は待ってやる」
欲の子らの持ち出す取引など信用できるわけがない。
しかし答えを間違えれば、呻き声さえ上げなくなった仲間と同じ道を辿ることになるだろう。
それに、カナギを危険にさらすことにもなる。
「返事は?」
「……分かりました。誓います」
今は生き延び機会を伺うことに徹しなくては。
「なら、約束通り今日はたっぷり愛し合おうぜ」
歪な笑みを前に、シュウは目を閉じて首を縦に振った。
「……ん」
橙色の灯りが灯る部屋の窓辺で、シュウは水音を聞き流しながら口内の異物感に耐えていた。視線を送った窓には、貪るような口づけを受ける姿が映っている。
早く終わればいいのに。
そう思った途端、舌を喰んでいた唇がおもむろに離れていった。それに併せるように口角をやわらかく上げる。
唇が完全に離れると、目の前で男の顔が満足げに笑んだ。
アッシュグレーの髪に同じ色の瞳、どこか甘さを帯びた端正な顔立ち。
首筋には蠍を模った刺青。
目に入るたびに胸に重苦しい不快感が生じた。
「シュウ」
「はい、なんでしょう?」
込み上げてくるものを堪えなが首を傾げる。するとすぐに、派手な柄のシャツに顔が埋まるほどキツく抱きしめられた。
「愛してる」
苦みを帯びた柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。
「ええ。僕もですよ、トウヤさん。今日はこのまま続きをいたしますか?」
「ははっ。可愛いこと言ってくれるのはスゲー嬉しいけど、明日は大事な日だから」
「それは残念です」
「悪かったって。その代わり、明日すべてが終わったらたっぷり愛し合おうぜ」
「ふふ、楽しみにしていますよ」
「そうしてくれ」
背に回された腕が一瞬さらにキツくなり、ゆるやかに解けていった。見上げた顔にはやはり笑みが浮かんでいる。
「それじゃ、俺は部屋に戻るから」
「はい」
「シュウも今日はしっかり休んどけよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えますね」
「ああ、おやすみ」
指輪だらけの指で頭をやや雑にひとなですると、トウヤは部屋を出ていった。扉から響く足音がゆっくりと遠ざかっていく。
辺りが静寂に包まれると、シュウは外された詰襟シャツのボタンを掛けながら眉をひそめた。
「汚らわしい」
毛足の長い絨毯を踏みつけながら部屋の中央に位置するソファーに腰掛け、側のテーブルに置かれた「教典」に手を伸ばす。黒皮の表紙を開くと、象牙色のページに黒い文字が浮かび上がった。
いくつかの大きな戦を経て、人は二度と間違いを犯さないように回路と電気信号でカミサマを作り上げました。
神様は残すべきものを残しながら、世界をとても良いものへ変えていきました。
飢えも、争いも、病も、老いさえない、そんな良い世界です。
幼いようにも老いたようにも聞こえる音声が「教典」の内容を読みあげる。その声が不快感を和らげていった。
そう、今の世界は以前よりもずっと良いものになっている。それは紛れもない事実だ。それなのに。
──リリリリ
苦々しい思いを打ち消すように電子音が響いた。慌てて上着のポケットから通信機を取り出す。画面には「カナギ」と表示されていた。にわかにシュウの目が輝く。
「お待たせいたしました!」
「いや、問題ないよ」
通話を開始するとスピーカーから柔和な男性の声が響いた。
「それより、この会話が誰かに聞かれたり見られたりする心配は?」
「はい、まったく問題ありませんよ。監視カメラと盗聴器はここに来てすぐにすべて見つけて、こちらに都合の悪いものは捕捉できないように細工しましたから」
「ああ、そうだったね。その様子だと細工が露呈していることもなさそうかな」
「はい。相手は所詮、欲の子らですから」
思わず表情が険しくなる。
欲の子ら。
その言葉を口にするだけで、再び胸を重苦しい不快感が襲った。
生まれる前から死んだあとまで、人の全てをカミサマが正しく管理するこの世界で、未だに自らの欲望の赴くままに生きるものたち。本来なら視界に入れることすら厭わしい。しかし、彼らを清め救済するのが自分たち聖職者の仕事だ。
「そうだね、彼ら欲の子らは実に哀れな存在だ。ただし、同時に狡猾で残忍でもある。くれぐれも気を抜いてはいけないよ」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。カナギの指示通り首魁に取り入って、不可侵条約を結ぶと信じ込ませましたから。今ごろは、明日来る使節団のことを夢見て眠っているはずです」
「そう。なら、予定どおりの決行で大丈夫かな?」
「はい。なにも問題はありません」
「分かった。じゃあ部隊には昨日送ってもらった城塞の見取り図を渡しておくよ。つらい任務を任せてしまってすまなかったね」
「いいえ、そんなことはありません。彼らを清め救済することはカミサマの一番の望みですから。それに明日には街に戻れますし」
「ああ、そうだね。私も君の帰還を楽しみにしているよ。それじゃあ、今夜はこれで。おやすみなさい、シュウ」
「はい。おやすみなさい」
「愛しているよ」
「僕も愛しています」
通話が終了すると、暗くなった画面に綻んだ顔が映っていた。それも当然なのだろう。明日この城塞をすべて清め救済すれば、数ヶ月ぶりに愛しいパートナーに会えるのだから。
通信機をポケットにしまうと、不意に苦味を帯びた柑橘系の香りがほのかに漂った。俄にシュウの表情は険しくなる。
「愛してる」
通話の余韻をかき消すように、首魁の男、トウヤの姿が脳裏に浮かんだ。
粗野な言葉遣い。
粗雑な行動。
品性の欠片もない服装。
愛情を騙った欲情。
気にならなくなっていた胸の不快感がまた強くなる。
聖職者の統括であるカナギ直々の任務なければ、真っ先に清め救済していただろう。
それでも、身に纏う香りだけはなぜか心地良く感じる。
「……きっと、気の迷いですね」
目を閉じて首を横に振ると、急激に睡魔に襲われた。まだ入浴も着替えも済んでいない、それにカミサマから配られた就寝用のビタミン剤もまだ飲んでいない。しかしなんとか目を覚まそうとしても、目蓋が少しも持ちあがらない。
シュウはそのまま深い眠りへと落ちていった。
苦い柑橘系の香りに包まれながら。
※※※
紺青の空。
焼けるような陽射し。
遠くに見える白い雲と瓦礫の山。
「──、ようやくみつけた!」
「あ、──」
懐かしい声と懐かしい香り。
「こんなところでなにしてるんだ?」
「えっと……、ちょっと、用があって」
「ふーん。ひょっとして、またあのカミサマの本を読みに行くのか?」
「う、うん! そうだよ! 秘密基地ならゆっくり読めるし!」
「へー、そのわりには鞄から食い物と消毒液の匂いがするけどな?」
「え……、うそ!? ちゃんと封はしてあるのに!?」
「そうだろうな。だって嘘だもん」
「……ごめん」
「はははは! 謝んなよ! ──は優しいから、ほっとけなかったんだろ?」
「ケガが治るまでだから……、黙っててくれる?」
「もちろん! ──と俺の仲なんだからな! でも、大人たちには絶対見つかんなよ!」
「うん! ありがとう──!」
「なに、いいってことよ! それより、世話が終わったら一緒に探検にいくぞ!」
「わかった!! すぐに行くから!!」
「おう! 待ってるからな!」
遠ざかっていく懐かしい声と匂い。
「逃げろ!!」
「──!」
「助けて!!」
「どうか……だけは……」
「──!、──!!」
そして、近づいてくる断末魔と全てが焼ける臭い。
この世に生を受けてからずっと「街」と呼ばれる人間の世界で暮らしてきたシュウが、こんな光景を知り得るはずはない。それなのに、折に触れて鮮明に現れる悪夢。
醒めていく意識のなかでおのずとため息がこぼれた。
気分は最悪だが、しばらく耐えていればいつも通り跡形もなく消え去っているはずだ。
「──ウ」
しかし、今日はやけに臭いを強く感じる。
それでも、目を開いてしばらくすれば跡形もなく消えていくだろう。
そう考えた矢先。
「……起きろよ、シュウ」
「ぐっ!?」
鳩尾を激しい痛みが襲った。
途端に周囲が明るくなり、血と肉が焼ける臭いが鼻をつく。
目に入ったのは見慣れた部屋、自分を見下ろすトウヤの冷めた表情。いつのまにか眠り込み、ソファーから転げ落ちていたようだ。
痛みでぼやけた意識のなか目を凝らすと視界の端で何かが蠢いているのが見える。
「……ぅ、あ」
焼けだたれた顔から煙と呻きを上げ転がる、自分と同じ人間。
「!?」
身に纏った救済用の装束は引き裂かれ、そこから覗いた部分は目を覆いたくなるような有様となっている。
「た、すけ……」
「!? 気をしっかり持ってください!! 今手当を……!?」
駆けよろうとしたシュウは体勢を崩し再び床に倒れた。
気がつけば両腕が背面で拘束されている。両脚も革と思われるベルトで一纏めにされ、立ち上がることさえままならない。
「はは、ざまぁねえな」
「っトウヤ! なぜ、こんな酷いことを!?」
「酷い、ね。不可侵条約だなんて嘘を吐いてここら一帯の人間を根絶やしにしようとしたやつらにだけは、言われたくねぇな」
「は? 人間?」
冷ややかな笑みを前に、必死に記憶を辿る。しかし、いくら城塞についての資料を思い返しても言葉の意味は分からなかった。
「……なんか腑に落ちてねぇかんじだな?」
「……ええ、だって。ここには、欲の子らしかいないはず、ですよね?」
「……」
一瞬にして目の前の端正な顔から一切の表情が消える。
理由までは分からないが、気分を害したことだけは明瞭だった。鼓動が速まり背筋を冷たいものが這う。
救済が失敗したことは明らかだ。
おそらく、通信も掌握されいるのだろう。
下手をすれば偽の情報を流され被害が広がるかもしれない。
もしもカナギにまで何かあったら。
全ては欲の子らを侮った自分の責任だ。
頭の中が後悔と不安で埋め尽くされる。
「……はははははは!」
止まない耳鳴りを遮るように哄笑が響いた。
「そうだった、そうだった! お前らみたいな人間、特に聖職者様ならそう言うに決まってるよな!」
鋭い犬歯を覗かせながらトウヤが顔を寄せる。
「ただ、見たかんじお前はまだ誰も殺してないんだろ?」
「……救済の現場に立ち会ったのは今回が初めてです」
「へえ、初めて、ねぇ。まあ、深く追求しても仕方ないか。ともかく、お前のことを気に入ってるのはたしかだからな」
鼻腔を苦い柑橘系の香りが満たしていく。
「何があっても俺に従うって誓えば、命の補償はしてやるよ。それに、従順でいるかぎりそっちへの本格的な報復は待ってやる」
欲の子らの持ち出す取引など信用できるわけがない。
しかし答えを間違えれば、呻き声さえ上げなくなった仲間と同じ道を辿ることになるだろう。
それに、カナギを危険にさらすことにもなる。
「返事は?」
「……分かりました。誓います」
今は生き延び機会を伺うことに徹しなくては。
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