鯨井イルカ

文字の大きさ
上 下
6 / 7

紫色の渦の前で

しおりを挟む
 目の前の暗闇に、紫色の渦が浮かんでいる。
 渦は収縮と膨張を繰り返し、ザワザワと音を立てている。
 そんな光景がずっと続いている。

 どこに移動するわけでもない。
 何かが始まるわけでもない。

 ただ、紫色の渦が収縮と膨張を繰り返している。
 ザワザワとした音を立てながら。

 どのくらいこの光景を眺めていただろうか。

 いつの間にか、ザワザワという音に何か別の音が混じり始める。


  ――ぶ――――の――だ―


 その音は、何か意味を持った音のようにも聞こえる。


  ぜ―――お――――い――


 数年間悪夢を見続けてきたが、こんなことは初めてだ。

 
  ―ん――――え―せ―――


 いや、もしかしたら、気づかなかっただけなのかもしれない。


  ―――、―ま―――――。


 もしくは、意図的に、忘れたのかもしれない。
 こんな言葉、聞きたくもないのだから。



  ぜ ん ぶ 、 お ま え の せ い だ 。


 
 紫の渦は、ハッキリとした声で、そう言い放った。
 私は咄嗟に反論の言葉を探した。
 しかし、声を上手く出すことができない。
 そうしている間にも、渦は私を責め続ける。


  ぜ ん ぶ 、 お ま え の せ い だ 。


 そんな言葉と共に、渦は収縮と膨張を繰り返す。
 徐々に姿を変えながら。

 いつの間にか、渦には紫色の顔が浮かび上がった。

 家族、友人、同僚、上司、後輩、知人、見知らぬ人。
 そんな無数の顔が、紫色に染まり、連なり、渦を巻いている。
 収縮と膨張を繰り返しながら。

  全部、お前のせいだ。

  全部、お前のせいだ。

  全部、お前のせいだ。

 無数の顔が、何故か私を非難する。

 私が、何をしたというのか?

 そんな問いを投げかけても、顔達は答えない。

  全部、お前のせいだ。

 その代わり、私をなじる言葉を発し続ける。
 
 あまりに苛立ちが募る状況に、我慢ができなくなった。
 そのため、私は紫の渦の元へ足を進めた。 
 そして、渦の目の前で足を止め、全体を見渡した。
 すると、一番苛立ちを覚える顔が見つかった。
 
  全部、お前のせいだ。
  全部、お前のせいだ。
  全部、お前のせいだ。

 その顔は、他の顔より騒がしく非難の言葉を繰り返している。
 まるで、喚き散らすように。


 
 だから、私は、その顔を思い切り殴り潰した。


 
 そこで、轟音と共に目が覚めた。
 窓の方向から、ザアザアと雨の音が聞こえる。
 雨が強いためなのか、昨日よりも頭痛が酷い気がする。
 しかし、すぐに壁を殴りつけた拳が痛み始め、頭痛は気にならなくなった。
 痛む箇所に目をやると、滲んだ視界の中に、血の滲んだ手の甲が映った。
 私は目元を拭って起き上がり、救急箱を探すことにした。

 それから、手のケガを処置し、身支度をし、満員電車に乗り込んだ。
 雨のせいで、電車の中はいつもにも増して超満員だ。
 そのためか、いつもより強めに空調がかかっている。
 
 車内に響く空調の音に、先ほどの夢を思い出す。
 それと共に、右手の傷がピリピリと痛んだ。


 恐ろしい光景を見るよりも、ずっと嫌な夢だった。
 それでも、ただの夢なのだから、気にしても仕方ない。


 そんなことを繰り返し考えているうちに、電車は下車駅へ到着した。

 それから、電車を降り、勤め先に到着し、執務室に入った。
 軽く頭を下げながら、ほぼ滞りなく挨拶を済ませ、自分の席につく。
 すると、背後から誰かが近づいてくる気配がした。

「少し、いいか?」

 振り返ると、上司が真剣な面持ちで立っている。

「はい、大丈夫です」

 私は返事をし、上司は軽く頷く。
 そして、二人して会議室に移動し、予定していた打ち合わせを始める。
 
 今回の件、お前に非がないのは分かっている。
 ただ、先輩として、もう少し早く気づいてやることはできなかったのか。
 それと、今、他の仕事のフォローに回ったら、担当している仕事はどうなる。
 あちらの仕事は、これ以上失敗できない。
 もしも、何か起きたとしても、上司としてどこまでフォローできるか分からない。
 それに、もしもお前が体を壊すことになったりしたら……

 そんなことを口にしながら、上司はチラチラと私に視線を送った。

「ご心配なさらずに。これ以上問題が発生するようなら、私が始末書を提出しますから」

 私がそう答えると、上司は苦笑を浮かべた。

「そうか、悪いな」

 そして、どこか淋しげな声で、力なく呟いた。
 どうやら、彼の望んでいた回答をすることができたようだ。

 予定調和の打ち合わせを切り上げると、私は会議室を後にした。
 上司はまた別の打ち合わせがあるらしく、会議室に残ったままだった。
 執務室に戻ると、私はより一層過密になった業務に取りかかった。

 業務に集中しているうちに、昼の休憩時間になった。
 私は、何気なくポケットからスマートフォンを取り出した。
 すると、一件のメッセージを受信していた。
 それに加え、大量の不在着信と一件の留守番電話も。
 思わず、深いため息が口からこぼれた。
 それと同時に、右手の傷がピリピリと痛んだ。
 
 私は痛みを堪えながら、まずはメッセージを確認した。
 送り主は、中学時代の旧友だった。
 私が同窓会を欠席するせいで、レストランの貸し切りができなくなった。
 そんな恨み言が、つらつらと長文で書かれていた。
 私は、よくもここまで長文を書けるものだ、と感心しながら、謝罪の言葉を返信した。
 
 旧友からのメッセージも、あまり気分のいいものではないことは確かだ。
 しかし、これから聞く留守番電話に比べればまだマシなのだろう。

 私は執務室を出て、廊下の隅へ移動した。
 それから、スマートフォンを操作し、留守番電話を再生する。

 今月の生活費が、まだ振り込まれていない。
 それなのに、連絡もよこさないなんてどういうつもりだ。
 年寄りを飢え死にさせる気か。
 周りの同年代は優雅に趣味を楽しんでいるのに。
 こんなに惨めな思いをさせるなんて。
 大学まで出させてやったのに、恩知らず。
 お前が進学したせいで、金がなくなったということを分かっているのか。
 そういう薄情なところは、アイツにそっくりだ。
 そうだ、お前のせいでアイツとずっと別れられなかったのに。
 それなのに、お前は家族を見捨てるつもりなのか。
 お前なんか育ててやるんじゃなかった。


  今不幸なのは、全部、お前のせいだ。

 
 耳から少し離したスピーカーから、大声が聞こえる。
 要は、仕送りが遅れたことを憤っているのだろう。
 それと、不幸な気持ちを誰かに聞いて欲しかった、というのもあるかもしれない。
 ともかく、早く銀行に行って、必要な分の振り込みを済ませよう。
 それから、謝罪の連絡も入れておかなくてはいけない。


 私達は、血のつながった家族なのだから。


 スマートフォンをしまうと、右手の傷がピリピリと痛んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

#ザマァミロ

鯨井イルカ
ホラー
 主人公の小田マキは、SNSに「#ザマァミロ」というタグを使って、スカッとする体験談を投稿していた。  フォロワーから体験談を募集する日々の中、マキは「アザミ」というアカウントから、メッセージを受け取る。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

処理中です...