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白熱灯の下で
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視線の先に、傘だけがついた白熱灯がぶら下がっていた。
天井が低いのか、私の身長が急に伸びたのかは分からない。
もしかしたら、宙に浮いているのかもしれない。
そんなことを考えてしまうほどに、白熱灯は私の目の高さと同じ位置にあった。
視線の高さに戸惑っていると、足下から何かが聞こえた。
見下ろすと、遙か下方に小さな人影が見えた。
どうやら、天井が低いわけではなく、私の視線がいつもより高くなっているようだ。
視線の高さがいつもと違う理由が分かったところで、私は改めて目をこらした。
人影は子供のようだった。
スポットライトを浴びるように、暗闇の中にポツリと浮かび上がっている。
性別までは分からないが、短い髪をして検査服のようなものを纏っている。
更に目をこらすと、子供の表情が詳細に見て取れた。
子供は、顔を歪めて泣きじゃくっていた。
目からは絶え間なく涙を流し、低めの鼻からは鼻水があふれ、口からは涎をまき散らしている。
号泣という言葉が相応しい有様だ。
しかし、泣き声は微かにしか聞こえない。
いっそのこと、大声で泣きわめいてくれた方が助かるというのに。
この場所から、抜け出せるかもしれないのだから。
そんな薄情なことを考えながら、私は子供の様子を眺めた。
そうしていると、俄に白熱灯が左右に揺れ始めた。
すると、子供から少し離れた場所にも、光が当たっていく。
はじめは灰色のタイルが敷き詰められた床が見えるだけだった。
しかし、揺れが大きくなるにつれ、紫色のシミができた床が映し出された。
なんのシミだろうと疑問に思っていると、白熱灯の揺れは更に大きくなった。
そして今度は、サンゴのような何かが姿を現した。
それは、白熱灯の揺れに合わせ、ほんの少し姿を見せては、また暗闇に消えていく。
私が凝視していると、白熱灯の揺れはますます大きくなっていった。
そして、サンゴのような何かは徐々に全貌を現した。
それはサンゴなどではなく、人の形をした血管の塊だった。
子供の両脇に、血管の塊が横たわっている。
ああ、ドクミツバチに刺されたのだな。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
ドクミツバチに刺された者は、その毒によって悲惨な最期を迎えることになる。
血管が凝固し、それ以外の部分が溶解してしまうのだ。
皮膚も、毛髪も、筋肉も、内臓も、骨や歯でさえもすべて。
助かるためには、すぐに毒嚢のついた針を引き抜くしかない。
しかし、針には細かい返しが無数についている。
そのため、引き抜く際には耐えがたい激痛に襲われることになる。
多くの人は、激痛を恐れて躊躇しているうちに、手遅れになってしまう。
子供の両脇に横たわる血管の塊のように。
実際に目にするのは初めてだが、想像以上に凄惨な亡骸だ。
こんな亡骸が近くにあるのでは、子供が号泣するのは当然なのだろう。
しかし、恐ろしいならば、早くこの場所から逃げてしまえば良いのに。
もしくは、この塊は子供の両親なのだろうか?
だから、悲しくて号泣しているのだろうか?
私は子供のことが気になり、再び目をこらした。
すると、子供の様子が今までより、更に詳細に目に入った。
そして、子供が泣いている理由を知ることができた。
どうやら、恐怖や悲しみで泣いているわけではないようだ。
子供の右手の人差し指に、ドクミツバチの針が刺さっている。
そして、針についた毒嚢が脈打ちながら、毒を送り続けている。
子供は泣きながらも、毒針を摘まんで引き抜こうとしていた。
しかし、痛みに耐えられず、すぐに手を放し更に号泣する。
そんなことをずっと繰り返していた。
私は食い入るようにその姿を見つめた。
そして、汗ばむ手を握りしめながら、毒針が引き抜かれることを願った。
それからしばらくして、子供は歯を食いしばり、再び毒針を摘まんだ。
そして、勢いよく左腕を振り上げた。
その瞬間、毒針はズルリと引き抜けた。
腕の形をした血管を纏わりつかせながら。
それから、子供はドサリと卒倒した。
右腕があった場所から、赤黒い液体をまき散らしながら。
倒れ込んだ子共は、白目を剥いて浅い呼吸を繰り返した。
呆然としているうちにも、子供の呼吸は弱々しくなっていく。
それから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。
いつの間にか、白熱灯は揺れるのを止めていた。
そして、ほとんど動かなくなった子供を照らしている。
そこで、目が覚めた。
部屋の中は薄暗く、ポツポツと雨粒が屋根を打つ音が聞こえる。
私は鈍く痛む頭をさすりながら、身を起こした。
あの子供は助かったのだろうか?
そんな疑問が、ぼんやりとした頭の中によぎった。
しかし、目が覚めていくにつれ、そんな疑問も消えていった。
いつまでも気にしていても仕方がない。
あの子供も、ドクミツバチも、現実には存在しないのだから。
それから、身支度をし、家を出て、満員電車に揺られ、勤め先に到着した。
執務室に入り、軽く頭を下げながら挨拶をする。
概ね滞りなく挨拶を済ませて、自分の席についた。
それから程なくして、所属部署の定例会議に出席した。
会議といっても、各自が担当している仕事の進捗状況を報告するだけのものだ。
形骸化した会議ではあるが、部門内での情報共有は必要だろう。
今日も、部員達が上司に進捗状況を報告していく。
そして、何事もなく会議は終わる。
そのはずだった。
進捗状況を報告する後輩の様子が、明らかにおかしい。
進捗は予定通り、と口では言っている。
しかし、あからさまに目が泳ぎ、まばたきの回数が増えている。
「その報告は、本当のことなのですか?」
私は、出来る限り高圧的にならないように、後輩に尋ねた。
すると、後輩は顔を引きつらせながら、肩を震わせた。
そして、私から目を逸らしながら、モゴモゴと何かを呟いた。
それから、後輩は血の気の引いた顔を俯かせ、いえ、とだけ呟いた。
その後、私は会議室から後輩を連れ出した。
そして、二人して別の会議室に移動した。
二人きりになると、後輩はポツポツと真実を語り出した。
担当した直後から、一人でこなすのは無理な仕事量だと感じていた。
しかし、人員を増やせないことも、分かっていた。
だから、自分一人でどうにかしようとしていた。
少しくらいの遅れなら、取り返すことができると思っていた。
だから、必死になっていた。
しかし、進捗の遅れは徐々に酷くなっていた。
気がつけば、来月末の納期には到底間に合わないくらいに、進捗は遅れていた。
聞いていると、気が遠くなるような話だ。
しかし、納期が来る前に真実が分かったのは、幸いだったのかもしれない。
それに、まだ後輩の心身も、手遅れという状態ではなさそうだ。
ひとまず、上司に相談しなくては。
後輩のサポートにつけるよう、話を取り繕わなければいけないのだから。
天井が低いのか、私の身長が急に伸びたのかは分からない。
もしかしたら、宙に浮いているのかもしれない。
そんなことを考えてしまうほどに、白熱灯は私の目の高さと同じ位置にあった。
視線の高さに戸惑っていると、足下から何かが聞こえた。
見下ろすと、遙か下方に小さな人影が見えた。
どうやら、天井が低いわけではなく、私の視線がいつもより高くなっているようだ。
視線の高さがいつもと違う理由が分かったところで、私は改めて目をこらした。
人影は子供のようだった。
スポットライトを浴びるように、暗闇の中にポツリと浮かび上がっている。
性別までは分からないが、短い髪をして検査服のようなものを纏っている。
更に目をこらすと、子供の表情が詳細に見て取れた。
子供は、顔を歪めて泣きじゃくっていた。
目からは絶え間なく涙を流し、低めの鼻からは鼻水があふれ、口からは涎をまき散らしている。
号泣という言葉が相応しい有様だ。
しかし、泣き声は微かにしか聞こえない。
いっそのこと、大声で泣きわめいてくれた方が助かるというのに。
この場所から、抜け出せるかもしれないのだから。
そんな薄情なことを考えながら、私は子供の様子を眺めた。
そうしていると、俄に白熱灯が左右に揺れ始めた。
すると、子供から少し離れた場所にも、光が当たっていく。
はじめは灰色のタイルが敷き詰められた床が見えるだけだった。
しかし、揺れが大きくなるにつれ、紫色のシミができた床が映し出された。
なんのシミだろうと疑問に思っていると、白熱灯の揺れは更に大きくなった。
そして今度は、サンゴのような何かが姿を現した。
それは、白熱灯の揺れに合わせ、ほんの少し姿を見せては、また暗闇に消えていく。
私が凝視していると、白熱灯の揺れはますます大きくなっていった。
そして、サンゴのような何かは徐々に全貌を現した。
それはサンゴなどではなく、人の形をした血管の塊だった。
子供の両脇に、血管の塊が横たわっている。
ああ、ドクミツバチに刺されたのだな。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
ドクミツバチに刺された者は、その毒によって悲惨な最期を迎えることになる。
血管が凝固し、それ以外の部分が溶解してしまうのだ。
皮膚も、毛髪も、筋肉も、内臓も、骨や歯でさえもすべて。
助かるためには、すぐに毒嚢のついた針を引き抜くしかない。
しかし、針には細かい返しが無数についている。
そのため、引き抜く際には耐えがたい激痛に襲われることになる。
多くの人は、激痛を恐れて躊躇しているうちに、手遅れになってしまう。
子供の両脇に横たわる血管の塊のように。
実際に目にするのは初めてだが、想像以上に凄惨な亡骸だ。
こんな亡骸が近くにあるのでは、子供が号泣するのは当然なのだろう。
しかし、恐ろしいならば、早くこの場所から逃げてしまえば良いのに。
もしくは、この塊は子供の両親なのだろうか?
だから、悲しくて号泣しているのだろうか?
私は子供のことが気になり、再び目をこらした。
すると、子供の様子が今までより、更に詳細に目に入った。
そして、子供が泣いている理由を知ることができた。
どうやら、恐怖や悲しみで泣いているわけではないようだ。
子供の右手の人差し指に、ドクミツバチの針が刺さっている。
そして、針についた毒嚢が脈打ちながら、毒を送り続けている。
子供は泣きながらも、毒針を摘まんで引き抜こうとしていた。
しかし、痛みに耐えられず、すぐに手を放し更に号泣する。
そんなことをずっと繰り返していた。
私は食い入るようにその姿を見つめた。
そして、汗ばむ手を握りしめながら、毒針が引き抜かれることを願った。
それからしばらくして、子供は歯を食いしばり、再び毒針を摘まんだ。
そして、勢いよく左腕を振り上げた。
その瞬間、毒針はズルリと引き抜けた。
腕の形をした血管を纏わりつかせながら。
それから、子供はドサリと卒倒した。
右腕があった場所から、赤黒い液体をまき散らしながら。
倒れ込んだ子共は、白目を剥いて浅い呼吸を繰り返した。
呆然としているうちにも、子供の呼吸は弱々しくなっていく。
それから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。
いつの間にか、白熱灯は揺れるのを止めていた。
そして、ほとんど動かなくなった子供を照らしている。
そこで、目が覚めた。
部屋の中は薄暗く、ポツポツと雨粒が屋根を打つ音が聞こえる。
私は鈍く痛む頭をさすりながら、身を起こした。
あの子供は助かったのだろうか?
そんな疑問が、ぼんやりとした頭の中によぎった。
しかし、目が覚めていくにつれ、そんな疑問も消えていった。
いつまでも気にしていても仕方がない。
あの子供も、ドクミツバチも、現実には存在しないのだから。
それから、身支度をし、家を出て、満員電車に揺られ、勤め先に到着した。
執務室に入り、軽く頭を下げながら挨拶をする。
概ね滞りなく挨拶を済ませて、自分の席についた。
それから程なくして、所属部署の定例会議に出席した。
会議といっても、各自が担当している仕事の進捗状況を報告するだけのものだ。
形骸化した会議ではあるが、部門内での情報共有は必要だろう。
今日も、部員達が上司に進捗状況を報告していく。
そして、何事もなく会議は終わる。
そのはずだった。
進捗状況を報告する後輩の様子が、明らかにおかしい。
進捗は予定通り、と口では言っている。
しかし、あからさまに目が泳ぎ、まばたきの回数が増えている。
「その報告は、本当のことなのですか?」
私は、出来る限り高圧的にならないように、後輩に尋ねた。
すると、後輩は顔を引きつらせながら、肩を震わせた。
そして、私から目を逸らしながら、モゴモゴと何かを呟いた。
それから、後輩は血の気の引いた顔を俯かせ、いえ、とだけ呟いた。
その後、私は会議室から後輩を連れ出した。
そして、二人して別の会議室に移動した。
二人きりになると、後輩はポツポツと真実を語り出した。
担当した直後から、一人でこなすのは無理な仕事量だと感じていた。
しかし、人員を増やせないことも、分かっていた。
だから、自分一人でどうにかしようとしていた。
少しくらいの遅れなら、取り返すことができると思っていた。
だから、必死になっていた。
しかし、進捗の遅れは徐々に酷くなっていた。
気がつけば、来月末の納期には到底間に合わないくらいに、進捗は遅れていた。
聞いていると、気が遠くなるような話だ。
しかし、納期が来る前に真実が分かったのは、幸いだったのかもしれない。
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