虐待防止アンドロイド

黒宮海夢

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最終テスト

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 胸騒ぎがして、真理子はサンダルを履いて友実を探しに彷徨い始めた。
「友実?友実」
近所の道路や、さっきのスーパーの近く、公園などを探してみても友実の姿は見当たらない。真理子の脳みそは嫌な想像で埋め尽くされていった。どうしてあんなバカな真似をしてしまったのだろうと、後悔をしても遅かった。あの子が自分の元から消えてしまうと思うと胸が酷く締め付けられた。真理子は息を切らして立ち止まった。すぐ横の赤い鳥居を見上げた。前に一度、友実と訪れたことがあった。迷うことなく神社に足を踏み入れる。だんだんと外は薄暗くなってきたため、彼女の足も焦露ながら石畳を踏んだ。
 拝殿の前に、うずくまって座っている白い服の女の子を見つけて、真理子は思わず走って近づき背中を軽く叩いた。
「友実」
友実は母の声に、顔を上げた。
「お母さんごめんね」
小さな拳が広げられると、金木犀の花弁があった。
「友実が謝ることじゃない」
真理子は声を詰まらせた。
「悪いのはお母さんの方」
「お母さんは悪くない。友実がいい子にしてなかったから。これからはもっといい子になるから」
友実は母の体にひしりとしがみつく。真理子は、一瞬それが幼い頃の自分に見えて、どうしようもなく涙が止まらなくなった。友実の体を抱きしめながら、自分を抱きしめている感覚だった。幼い真理子は、今の友実と同じように痣だらけだった。母の前で無理して笑うあの顔があった。
「ごめんなさい」
こぼれ落ちるような声で、真理子と、目の前の小さな真理子は言った。
  

 [母親適正値 A]
 子供アンドロイドのデータに、新たな数値が刻まれた。
「そろそろか。では最終テストだ」
トオルは、感動的なシーンを目の前にして淡々と呟いた。
 吉原親子は、人から見れば理想的な親子のように手を繋いで帰路の商店街を歩いていた。辺りはすっかり夜に染まって、真理子は今日は友実の大好きなカレーライスを作ってあげようなどと考えながら家に着いた。
 だが様子がおかしかった。なぜか扉の鍵が空いているのだ。けれど、ついさっき慌てて出ていったことを思い出すとすぐに真理子は気にしないように友実に微笑みかけて家に入った。 
 人間の勘の鋭さというものは不思議なもので、この時慣れ親しんだ家が異質な空間に変わっているかのような不気味さを真理子の嗅覚は感じ取っていて、友実の手を強く握りしめた。
がたりと、物音が奥の部屋から聞こえてくるとそれは確信に変わって、靴箱の横に立てかけてある傘を掴んで、忍足で廊下を進んだ。
「お母さん」
心ぼそいような声色で見つめてくる友実に真理子は、しいっと音を立てぬように指示をした。
誰?誰なの?真理子は恐ろしさと、我が子を守らなくちゃという使命感で一歩一歩慎重に前に歩み出した。リビングにたどり着く。
窓の外の灯りを背に、男が立っていた。喉がひっくり返りそうだった。今一度傘の柄を強く握る。
「真理子」
男は聞き覚えのある声で自分の名前を呼んだ。咄嗟に真理子は「秀喜?」と返した。
「ああ、俺だよ。秀喜だよ」
帽子のつばで顔は隠れていたものの、鼻を啜る癖や猫背は秀喜に間違いなかった。
「帰ってきたの?」
「いやいや」
秀喜は鼻で笑うと、真理子のシャツの裾を握って隠れている友実の方へ近づいて覗き込んだ。
「友実ぃ、お父さんだぞー」
友実が怯えて固まっていることに気づくと、真理子は背中に隠れるように動いた。
「い、今更なに……」真理子は目を逸らしながら聞いた。さっきとはまた別の強張りが、真理子の体を支配する。
「あ?友実を返してもらいにきたんだよ」
「駄目」
真理子は詰まる喉から必死に声を出す。秀喜は威圧的な目で、真理子を睨んだ。
「はあ?なんだとコラ」
ごつごつとした男の指の骨が、真理子の頬へ食い込んで、鈍い痛撃と共に床に吹っ飛んだ。真理子は痛む頬を押さえながらすぐに顔を上げた。友実は「お母さん!」と引き裂く声で手を伸ばすも、秀喜は構わず手を引っ張った。
「友実……!やめて、友実は私の子供なのよ!」
あんまりにも子供が泣いて叫ぶため、この人間もどきの男は小さな白いほっぺたを平手で思い切り叩いた。その光景に真理子の中でプツンと何かが切れ、転がっている傘を手に掴むと激しく振り乱し暴漢に襲い狂った。頭、体を何度も何度も力を込めて殴りつける。秀喜は腕で身を庇うだけで反抗はしてこなかった。何も考えられず、真理子は数十発と傘で叩いたのちに、男の胸を突き刺した。
秀喜は口を遊泳魚のようにパクパクしながら、荷物の多く入った袋よろしくドサリ、木目の床に落っこちた。
真理子は肩で息をして、いかっていた肩をようやく落とすとフローリングの上に崩れ落ちた。
するとパッと急に辺りの電気がついたと思うと、部屋の扉から拍手をしながら松田トオルが笑顔を浮かべてやってきた。
「おめでとう。おめでとう。あなたは最も難しい適正テストに合格しました」
そして、胸から血を流し目をかっ開いたまま動かなくなった秀喜の傍にしゃがみこんで、その表情を穴が開くほど見つめた。
「死んじゃってるじゃないですか!」
彼は、無邪気な子供のような声をあげた。
「私……わけがわからなくて……、友実を取られなくて」
震える言葉を、トオルは遮った。
「大丈夫です。これはただの機械なので」
「えっ?」
「あなたは母親適正Sと診断されました。このままあと終了日まで穏やかに過ごせれば、また本物のお子さんと暮らすことができますよ」
松田トオルは紳士的な風に、真理子に手を差し伸べた。真理子の華奢な手はその手を掴んで、立ち上がった。
「それじゃあ友実は、返してもらえるんですね?」
「ええ、それが法律ですから」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
母、真理子は何度も礼を述べながら頭を深々と下げた。友実そっくりな顔をした、機械が「お母さん」と服の裾を引っ張っても何も聞こえなかった。

 真理子は最終日まで、よくやり遂げた。いつも穏やかな気持ちで友実と接し、叱る時も優しく友実の目を見て深呼吸をすることで冷静になれた。母の愛情をたっぷりと与えた。翌日の午前中、最終面談にあの白い施設に呼び出された真理子は、清々しい面持ちで正面を潜った。
 真理子は施設の女性に友実を預けてから、面談室に入り前に座ったっことのある椅子にそっと腰をかけた。自動ドアが開いて、すぐにトオルもやってきて対面に座る。
「吉原真理子さん。あなたは母親適正テストにーー」
真理子は緊張した喉に唾を流し込んだ。
「合格です」
松田トオルはニッコリと笑った。真理子は喜びと安堵から、両手で口元を覆った。
「では……」とトオルが言った途端、ドアが開く。
一瞬で、真理子は椅子から飛び上がる。
「友実……!」
本物の友実がそこにいた。機械とは全く違う、母親の本能が一気に沸き起こってきて、愛しさでいっぱいになった。真理子は友実に駆け寄り、しゃがんで彼女の黒く手入れされた長い髪や、頬を、確かめるように何度も触れて見つめた。すると友実はキョトンとした顔で真理子を指差す。
「この人、だあれ?」
真理子は、目を見開いて言葉を疑った。
「何を言ってるの友実?私よ、お母さんよ」
友実のワンピースを掴んで、真理子は大きな声で言った。友実はそわそわと体を動かす。自動ドアが開くと、友実の後ろからやってきた人物に真理子は愕然がくぜんとした。白いロングワンピースに、友実は抱きついて「お母さん!」と嬉しそうな声を発した。目の前には、自分とそっくりな顔をしたナニかがいた。顔の小さなシミ、ほくろ、鼻や唇の造形まで生き写しの……。そのかは、友実に素敵な輝く笑顔を向けて包み込むように頭を撫でている。
「ねえお母さん、お母さんの真似してる人がいる」と友実。
「本当ね、友実」ソレは母親らしく答える。
真理子は叫んだ。
「違うのよ友実!ソレは、アンドロイドなのよ!」
「ねえお母さん。お腹すいた」
「そう、じゃあ早く帰ってご飯にしよっか。今日は友実の好きなカレーライスね」
「わあいやったあ!」
偽物の真理子は、友実の手を握って背中を向ける。真理子は必死に「やめて、友実を連れてかないで!」と訴える。友実の服を掴もうとするが、自動ドアから複数の、施設の制服を着た人間がやってきて真理子を羽交締めにする。うっうっとしゃくりあげる真理子に、トオルは両腕を背中につける姿勢で正面に立ちながら言った。
「吉原さん。残念ながら母親を選ぶのは子供なので」
トオルはその後、はっきりとした声で告げた。


「吉原真理子、母親失格」


友実の偽物は動かずに固まっていた。真理子も同じように抜け殻と等しくなっていた。松田トオルは何も気にせず部屋を後にし、モニタールームに移動して椅子に腰掛け、飲みかけのまだ湯気のたったコーヒーを啜った。そして次の母親のデータに画面を切り替えた。後ろのドアから、同じような制服を身に纏った女性がやってきて松田トオルに言った。
「少し可哀想ではありませんか?吉原真理子、彼女も過去に虐待を受けた被害者だというのに」
ズズズ……、とコーヒーを啜って画面のほのかな青い光に照らされた、松田トオルは振り返らずに。
「それが新しい法律ですから」
 白い部屋には新しい母親が、すでに座っていた。松田トオルは残りの一滴を飲み干してデータに目を通した。










 
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