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虐待防止支援施設
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吉原真理子はくたびれたラクダ色のセーターを着て、背中を折り曲げながら、全ての不幸を吸っているかのような顔でテーブルの端っこを眺めていた。向かいには児童虐待支援センターの職員である松田トオルが、ピシリとした白い詰襟の制服を着て座っている。それは施設の壁の色と同じで、汚れひとつなかった。
「吉原さん、ですね。あなたは愛子ちゃんの実の母親で間違いありませんか?」
トオルは白い手袋をテーブルの上に滑らせてデータを空中に浮き上がらせた。彼は職員の中では比較的若く有能だった。
「はい……」
真理子は掠れた声で返事をする。
「何故あなたがここに連れてこられたかは分かっていますか?」
沈黙が返ってくる。
「あなたが行った事は、ひどく残忍なことだということを理解してますか?」
「残忍?」
ようやく顔を上げた彼女は、恨めしそうに睨んだ。
「あなた、子供を育てた事がないでしょう?私だって、辛かったのよ」
「ほう。それで、辛いからといって愛子ちゃんに当たったのですか?」
トオルは意志の強い真っ直ぐな黒い両目を向けた。しかし、真理子はその目を見ずに俯いて、また虚な目に戻った。トオルは、はぁと溜息をつく。
「愛子ちゃんの体には無数の痣や傷があった。そして右腕には火傷の跡も。あの形からいって、ヘアアイロンを押し付けたのでは?そして何より、愛子ちゃんは肋が一本折れていた。あれは、呼吸をする度に痛かったでしょう」
これらは実際にトオル自身の目で確かめたことだった。一部女性職員も手伝ったが、最終的に子供が心を開いたのはトオルにだけで、のちに吉原愛子自身の口から悲惨な行為の数々を聞くことになった。無論、証言は被害者が治療を受けた末に行われた。震える小さな唇から放たれた言葉を聞きながらトオルは怒り狂いそうであった。聞くだけでも耐えられないのに、行われていた時の彼女の恐怖たるや、筆舌に尽くしがたい。
「あなたの夫、吉原秀喜はどこへ?」
「知らないわ」
「秀喜さんと一緒になって友実ちゃんを虐待したのは認めますか?」
「わ、私は本当はあんなことしたくなかった……あの人のせいで」
「人間のやることじゃあない!!」
トオルは部屋中に響くほど、大きく机を叩いた。真理子の肩はびくりと跳ね上がって硬直する。
「誰の罪だかは関係ないでしょう。現実に、友実ちゃんをあなたは痛めつけた。あの子はそれでもあなたに会いたいと言っているんだ。あなたは今、友実ちゃんの顔を真っ直ぐに見られますか?」
「友実……友実……」
彼女はぶつぶつ呟きながら、やがて頬に涙が伝っていった。
「それではあなたは虐待したことを認めますね?」
静かに、小さく彼女は頷いた。
白い手袋は、データを打ち込んだ。[吉原真理子 承認]と。
「それでは」
トオルが席を立つと、真理子も急いで席を立った。
「友実はっ、友実に合わせてください……!」
しかし、トオルは何も答えなかった。すると突然、真理子の後ろのドアが自動で開いた。振り返ると、友実が立っていた。
「友実……!」
堪らず駆け寄って、娘の体を強く抱きしめる。
「お母さん、友実いいこにするから捨てないで」
友実はそう言って、ひしりと小さい両手で抱きついた。真理子は罪悪感で胸が詰まった。両目からは涙が止まらず、娘を離さぬよう必死に力を込めた。その感動的な再会を目の前にして、トオルはゆっくり拍手をした。
「やはり、効果はテキメンですね」
「何?」
真理子は娘の肩からぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「それは友実ちゃんではございません。アンドロイドです」
「はあ…… ?そんなはず」
母親は娘の顔を食い入るように見つめる。頬にある小さな黒子だって、少しかさついた唇もどこをどう見たって友実であった。
「まあ、信じがたいでしょう。僕もそう思いましたからね。彼女の性格も体の傷も、口の中の口内炎すら完璧に再現されたアンドロイドです」
真理子は訳のわからぬ説明を聞いても未だ信じきれない様子で、友実を見つめた。
「お母さん、お家に帰ろう…… ?」
友実は甘えるような声で言った。そんな声を聞くと真理子の胸はいっぱいになり、正体などどうでも良くなってしまった。
なので真理子は一週間という期間、友実にそっくりなアンドロイドと共に過ごすこととなった。皮の中を想像する気味の悪さは、見ないふりをすることに決めた。このテストは虐待防止支援施設の監視の元に行われた。真理子は友実を自宅に連れて帰った時、久しぶりに新鮮な空気を吸い込んだように感じた。
はじめ、母と偽物の子供は順調にごく普通の幸せな生活を暮らしていた。真理子は失われた時を取り戻すよう、本物の子供以上に愛を注いだ。事件が起きたのは三日目のことだった。
朝、真理子は忙しそうに朝食の準備をしていた。
「ジュースちょうだい」
友実は母のエプロンの裾を引っ張った。
「ちょっと待ってて」
真理子は焦げた目玉焼きを皿に移す。友実はねえねえ、と袖を引っ張っている。真理子は不機嫌そうに冷蔵庫へ向かい、オレンジジュースをコップに注いでやると、友実に押し付けた。
「自分で持っていきなさい」
友実は小さな両手でオレンジジュースの入ったコップを一生懸命テーブルに運んだのだが、何かの拍子につまずいてしまいカーペットの上にこぼしてしまった。気づいた真理子は急いで駆け寄って、
「なんで、なんでいい子にしないのよ……!」
と、頬を叩いた。バチンと弾ける音が鳴って、友実は大きな声を上げて泣き始めた。真理子はハッとして娘の体を胸に抱き寄せる。
「ごめん友実。ごめんね」
友実の真っ赤に腫れたほっぺたに、涙が流れて止まなかった。
「ごめんね……ごめんね」
モニタリング室にて、トオルはティーカップからコーヒーを啜りながらその様子を見つめていた。母と子が映っている画面の他に、各部屋の画面やら、数値が映し出されている。
[母親適正値 B]
これは子供アンドロイドを通して、真理子の言動からAIが自己的に母親の適性があるかを判断するシステムだ。
大体の親は最初はいい母親を演じようとするのだ。トオルは前屈みになって、AIに告げた。
「それじゃあ、子供アンドロイドのレベルBに移行するとしよう」
四日目、真理子は苛立ちを隠せずにとうとう友美の腕を強く引っ張って家の外へ追い出した。
「いい加減にしなさい!」
その冷たい怒号は近所中に轟いた事だろう。友実は泣きじゃくらない。虐待される子供特有の我慢強さで、感情を心の扉の奥にしまい込んだ。
事の発端は、真理子が友実と一緒に買い物に出かけた事だった。歩いてすぐのところのスーパーでは、玩具を買ってあげたにもかかわらず、お菓子を買ってとしつこくダダをこねたのだ。
「玩具を買ったら我慢してねって言ったでしょ」
真理子は外でこそ良い顔をして、優しく友実を宥めていた。ところが家に帰ると、友実がずっとその事について拗ねていたので、真理子の怒りは一気に頂点に達したのだった。
「ふざけないでよ!!どうして良い子にしてないの!?なんで私の言うことが聞けないのよ、ええ?」
真理子は鬼の形相で友実の長い髪を掴んだ。友実は痛みに顔を顰めるだけで、一切反抗はしない。
友実を外に追いやってから、真理子は興奮状態でテーブルに突っ伏して涙を流していた。ダメな母親。あの親と自分は同じ。何であの子は悪いことをするのだろう……。ぐるぐると頭の中に、言葉が洪水のごとく流れ込んでくる。
顔を上げて時計を見てみると、もう十六時になっていた。もう夕陽が落ちてそろそろ真っ暗になる頃だった。あれから一時間半は経っていた事に気づくと、真理子は焦って椅子から立ち上がり玄関へ走り出し、扉を開け「友実!」と叫んだ。
そこには影一つない。子供の姿は忽然と消えてしまった。
「ゆ、み……」
「吉原さん、ですね。あなたは愛子ちゃんの実の母親で間違いありませんか?」
トオルは白い手袋をテーブルの上に滑らせてデータを空中に浮き上がらせた。彼は職員の中では比較的若く有能だった。
「はい……」
真理子は掠れた声で返事をする。
「何故あなたがここに連れてこられたかは分かっていますか?」
沈黙が返ってくる。
「あなたが行った事は、ひどく残忍なことだということを理解してますか?」
「残忍?」
ようやく顔を上げた彼女は、恨めしそうに睨んだ。
「あなた、子供を育てた事がないでしょう?私だって、辛かったのよ」
「ほう。それで、辛いからといって愛子ちゃんに当たったのですか?」
トオルは意志の強い真っ直ぐな黒い両目を向けた。しかし、真理子はその目を見ずに俯いて、また虚な目に戻った。トオルは、はぁと溜息をつく。
「愛子ちゃんの体には無数の痣や傷があった。そして右腕には火傷の跡も。あの形からいって、ヘアアイロンを押し付けたのでは?そして何より、愛子ちゃんは肋が一本折れていた。あれは、呼吸をする度に痛かったでしょう」
これらは実際にトオル自身の目で確かめたことだった。一部女性職員も手伝ったが、最終的に子供が心を開いたのはトオルにだけで、のちに吉原愛子自身の口から悲惨な行為の数々を聞くことになった。無論、証言は被害者が治療を受けた末に行われた。震える小さな唇から放たれた言葉を聞きながらトオルは怒り狂いそうであった。聞くだけでも耐えられないのに、行われていた時の彼女の恐怖たるや、筆舌に尽くしがたい。
「あなたの夫、吉原秀喜はどこへ?」
「知らないわ」
「秀喜さんと一緒になって友実ちゃんを虐待したのは認めますか?」
「わ、私は本当はあんなことしたくなかった……あの人のせいで」
「人間のやることじゃあない!!」
トオルは部屋中に響くほど、大きく机を叩いた。真理子の肩はびくりと跳ね上がって硬直する。
「誰の罪だかは関係ないでしょう。現実に、友実ちゃんをあなたは痛めつけた。あの子はそれでもあなたに会いたいと言っているんだ。あなたは今、友実ちゃんの顔を真っ直ぐに見られますか?」
「友実……友実……」
彼女はぶつぶつ呟きながら、やがて頬に涙が伝っていった。
「それではあなたは虐待したことを認めますね?」
静かに、小さく彼女は頷いた。
白い手袋は、データを打ち込んだ。[吉原真理子 承認]と。
「それでは」
トオルが席を立つと、真理子も急いで席を立った。
「友実はっ、友実に合わせてください……!」
しかし、トオルは何も答えなかった。すると突然、真理子の後ろのドアが自動で開いた。振り返ると、友実が立っていた。
「友実……!」
堪らず駆け寄って、娘の体を強く抱きしめる。
「お母さん、友実いいこにするから捨てないで」
友実はそう言って、ひしりと小さい両手で抱きついた。真理子は罪悪感で胸が詰まった。両目からは涙が止まらず、娘を離さぬよう必死に力を込めた。その感動的な再会を目の前にして、トオルはゆっくり拍手をした。
「やはり、効果はテキメンですね」
「何?」
真理子は娘の肩からぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「それは友実ちゃんではございません。アンドロイドです」
「はあ…… ?そんなはず」
母親は娘の顔を食い入るように見つめる。頬にある小さな黒子だって、少しかさついた唇もどこをどう見たって友実であった。
「まあ、信じがたいでしょう。僕もそう思いましたからね。彼女の性格も体の傷も、口の中の口内炎すら完璧に再現されたアンドロイドです」
真理子は訳のわからぬ説明を聞いても未だ信じきれない様子で、友実を見つめた。
「お母さん、お家に帰ろう…… ?」
友実は甘えるような声で言った。そんな声を聞くと真理子の胸はいっぱいになり、正体などどうでも良くなってしまった。
なので真理子は一週間という期間、友実にそっくりなアンドロイドと共に過ごすこととなった。皮の中を想像する気味の悪さは、見ないふりをすることに決めた。このテストは虐待防止支援施設の監視の元に行われた。真理子は友実を自宅に連れて帰った時、久しぶりに新鮮な空気を吸い込んだように感じた。
はじめ、母と偽物の子供は順調にごく普通の幸せな生活を暮らしていた。真理子は失われた時を取り戻すよう、本物の子供以上に愛を注いだ。事件が起きたのは三日目のことだった。
朝、真理子は忙しそうに朝食の準備をしていた。
「ジュースちょうだい」
友実は母のエプロンの裾を引っ張った。
「ちょっと待ってて」
真理子は焦げた目玉焼きを皿に移す。友実はねえねえ、と袖を引っ張っている。真理子は不機嫌そうに冷蔵庫へ向かい、オレンジジュースをコップに注いでやると、友実に押し付けた。
「自分で持っていきなさい」
友実は小さな両手でオレンジジュースの入ったコップを一生懸命テーブルに運んだのだが、何かの拍子につまずいてしまいカーペットの上にこぼしてしまった。気づいた真理子は急いで駆け寄って、
「なんで、なんでいい子にしないのよ……!」
と、頬を叩いた。バチンと弾ける音が鳴って、友実は大きな声を上げて泣き始めた。真理子はハッとして娘の体を胸に抱き寄せる。
「ごめん友実。ごめんね」
友実の真っ赤に腫れたほっぺたに、涙が流れて止まなかった。
「ごめんね……ごめんね」
モニタリング室にて、トオルはティーカップからコーヒーを啜りながらその様子を見つめていた。母と子が映っている画面の他に、各部屋の画面やら、数値が映し出されている。
[母親適正値 B]
これは子供アンドロイドを通して、真理子の言動からAIが自己的に母親の適性があるかを判断するシステムだ。
大体の親は最初はいい母親を演じようとするのだ。トオルは前屈みになって、AIに告げた。
「それじゃあ、子供アンドロイドのレベルBに移行するとしよう」
四日目、真理子は苛立ちを隠せずにとうとう友美の腕を強く引っ張って家の外へ追い出した。
「いい加減にしなさい!」
その冷たい怒号は近所中に轟いた事だろう。友実は泣きじゃくらない。虐待される子供特有の我慢強さで、感情を心の扉の奥にしまい込んだ。
事の発端は、真理子が友実と一緒に買い物に出かけた事だった。歩いてすぐのところのスーパーでは、玩具を買ってあげたにもかかわらず、お菓子を買ってとしつこくダダをこねたのだ。
「玩具を買ったら我慢してねって言ったでしょ」
真理子は外でこそ良い顔をして、優しく友実を宥めていた。ところが家に帰ると、友実がずっとその事について拗ねていたので、真理子の怒りは一気に頂点に達したのだった。
「ふざけないでよ!!どうして良い子にしてないの!?なんで私の言うことが聞けないのよ、ええ?」
真理子は鬼の形相で友実の長い髪を掴んだ。友実は痛みに顔を顰めるだけで、一切反抗はしない。
友実を外に追いやってから、真理子は興奮状態でテーブルに突っ伏して涙を流していた。ダメな母親。あの親と自分は同じ。何であの子は悪いことをするのだろう……。ぐるぐると頭の中に、言葉が洪水のごとく流れ込んでくる。
顔を上げて時計を見てみると、もう十六時になっていた。もう夕陽が落ちてそろそろ真っ暗になる頃だった。あれから一時間半は経っていた事に気づくと、真理子は焦って椅子から立ち上がり玄関へ走り出し、扉を開け「友実!」と叫んだ。
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「ゆ、み……」
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