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28 邪竜

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(どうしてマルクは私を連れ出したのかしら……?)

 リーチェは平静を装っていたものの、内心ではひどく混乱していた。
 それはそうだろう。ゲームではマルクが連れ去ったのはララだったし、バッドエンドではハーベルを脅して彼を神殿に向かわせていたのだから。
 今マルクは邪竜の眠る神殿に直接向かっている。こんな展開、ゲームにはない。

(モブの私にどうして……)

 リーチェはマルクを睨みつけた。

(私を憎んでいるから……? 利用しようと思っていた駒が使えなくて、逆恨みでもしているの?)

 リーチェの疑心に満ちた瞳に気付き、マルクは皮肉げに笑う。

「リーチェ、そんな目で僕を見ないでくれ。愛する人に嫌悪されるのは胸が痛い」

「愛する人ですって……?」

 リーチェはマルクがとても本気で言っているとは思えなかった。口先だけで何でも言う男だ。
 彼女は求婚されたことも己を利用しようとマルクが企んだからだろうと疑っていない。

(まさか……マルクは本気で私を愛していると言うつもり?)

 その時、ふいにバッドエンドで片足を切られたあげく、『これで、きみは僕の籠の鳥だね。フフフ』と暗黒微笑するマルクのスチルが脳裏に浮かんだ。

(え……、嘘でしょ?)

 それが己の未来かもしれないという可能性に気付いて、リーチェは血の気が失せていくのを感じた。

「きみを抱きしめてあげたいけれど、今は両手がふさがっているからね。……でも後で、たっぷり可愛がってあげるからね?」

 そうマルクに言われて、リーチェは失神しそうになった。あまりにもマルクが気持ち悪すぎて。
 しかし、その言葉を聞いていたエノーラが泣き出してしまう。
 首に小剣を突きつけられ、自身の喉に血がにじんでいても、彼女はまだマルクを愛していたのだろう。しかしマルクの言動で、ようやく自分が騙されたのだと目を覚ましたのだ。

「うるさいなぁ。静かにしていてくれ」

 マルクが小剣を押し付けると、エノーラは苦しそうに顔を歪めた。

「……っ、彼女に乱暴なことしないで!」

 リーチェが訴えると、マルクはニッコリと微笑んで「きみが望むなら」と言い、エノーラの首から小剣を少しだけ離す。

 馬車の中は緊張状態が続き、永遠のような長い時間の果てに──岬にたどり着いた。
 外に出ると真っ暗だ。もう夜中だろう。
 しかし、ひっそりとたたずむ神殿の入り口には篝火が焚かれていた。常に番人が見張りをしているのだ。
 マルクは番人から見えないようにエノーラの背中に小剣を当てて、リーチェに先に進むよう命じる。
 柱廊玄関の階段に座り込んで退屈そうにあくびをしていた番人は、リーチェ達の姿を見つけると、慌てて立ち上がって背筋を伸ばした。
 マルクが番人に向かって言う。

「扉を開けろ」

「いや、しかし……っ! ここは許可証がないと通れない決まりが……」

「僕を誰だと思っている?」

 そう言って、マルクはエノーラの首に後ろから腕をまわし、小剣の柄頭に刻まれた王家の紋章を番人に見せつける。

「こ、これは王家の……!? なぜ、その女性を……」

「良いから開けるんだ」

 マルクは有無を言わせず、そう命じた。
 番人は狼狽しつつも、マルクの言葉に従った。大きな扉の蝶番が、錆びたような音を立てて開かれる。

「明かりをつけて先導しろ」

 マルクに命じられ、番人はオドオドした様子で石柱の並んだ廊下を歩いて行く。リーチェ、エノーラ、マルクと、その後に続いた。
 円堂に入ると、リーチェも状況を忘れて思わず目を剥いてしまう。
 マルクは「おお……」と感嘆の声を上げた。
 巨大な半球状の天井や柱には精緻な模様がほどこされており、床の中央には石竜が台座の上に鎮座している。

「これが、邪竜を模した石像か……?」

 マルクはエノーラを連れたまま石竜の前に立った。

(邪竜はこの大地の下に眠っているのよね……?)

 そのせいか、重々しい空気が辺りを包んでいるように感じられた。

(どうしよう……)

 リーチェはずっと、マルクからエノーラを助け出す機会を窺っていた。
 しかし、マルクはずっと彼女のそばを離れない。うかつに近づけばエノーラを怪我させてしまう可能性がある。
リーチェが悶々と葛藤しているうちに、神殿までやってきてしまった。

(マルクが邪竜を復活させたら、世界は大混乱に陥る……! ゲームの通りなら、多くの人が犠牲になってしまう……)

 エノーラが危ない目に合うことを覚悟の上でマルクと戦うべきなのか、リーチェは判断をしかねていた。
 息を殺してリーチェがマルクの動きを注視していると、彼はエノーラの背中に小剣を当てたまま、自身の懐を探り始めた。

(ペンダントを取り出すつもりだ!)

 リーチェが動く前に反応したのは、エノーラだった。
 彼女の動きに気付いたマルクが剣先を背中に突き刺したのも構わず、エノーラは振り向きざまにマルクを殴った。剣が床に転がり回る。
 マルクがよろめいた拍子に、その手からペンダントが落ちた。
 倒れたマルクが咳き込みながらペンダントの方に手を伸ばすが、直前でエノーラに思いきり、その手を踏みつけられる。

「女心をもてあそんだ罰よ」

 そうエノーラは冷淡に吐き捨てると、マルクの腹部につま先で蹴りを入れた。

(すご……)

 リーチェが呆然としている間に、エノーラが「よくもやってくれたわね」と自身の背中を痛そうに撫で、その手でペンダントを拾い上げる。

「まったく。このペンダントが何だっていうのよ?」

 リーチェは「あっ」と声を漏らした。
 それは誰も予想できなかった事態だった。
 エノーラが自身の血がついた手で、邪竜のペンダントに触れたのだ。
 
「お、お前! なんて真似を……!!」

 マルクが血の気が引いた顔でそう叫ぶ。

「え? 何よ……?」

 当惑ぎみにエノーラがつぶやく。
 リーチェは周囲を見回す。辺りの空気が変わったのを感じた。寒々しい空気がどこかから入ってきている。

「……ッ!」

 突然、建物全体が大きく揺れ始めた。

「きゃああッ」

 エノーラは叫び、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

「エノーラ! しっかりして!」

 リーチェは割れた石床に足を取られそうになりながらエノーラの元へ駆け寄って声をかける。
 エノーラは血の気を失っていた。虚空を凝視しながら、頭に両手を当てている。

「なにか……頭の中で、声がする……だれ?」

 エノーラは、ぽつりと言った。

「ッ、危ない!」

 リーチェはそう叫んで、エノーラを押し倒した。先ほどまで彼女たちがいた床から何かが突出していた。

「な……岩?」

 事態を呑み込めていないエノーラが、そう困惑気味に声を漏らした。しかし、リーチェは知っている。あれは、竜の角だ。土の下に眠る邪竜が、上体を起こそうとしている。

「逃げましょう! エノーラ!」

 リーチェはそう声を上げると、エノーラを引っ張って出口に向かって駆け出した。


◇◆◇


「おい! お前ら、ちょっと待て!!」

 マルクがそう叫ぶのもお構いなしに、二人は円堂から離れていく。番人も悲鳴を上げながら二人を追って行く。
 その直後、地響きと共に石床が山のように盛り上がり、逃げようとしたマルクの足が床の裂け目に引っかかった。足がもつれて、その場に転がってしまう。

「うぅっ……! クソぉ、こんなはずじゃ……え?」

 倒れてきた石柱に、マルクの左足がつぶされた。

「うわぁぁぁ!! う、うぐゥ……うぅ。あ、あいつら、覚えていろよ……。絶対に生かしておかない……」

 マルクがそう足を抑えて悪態をついた時、石床をひび割らせながら小山のような黒い鱗が現れた。
 彼は助けてくれ、と大声で叫び続けた。しかし、誰もマルクを気にかける者はいない。
 邪竜は己の首を振り回し、石柱や壁をなぎ倒した。天井が崩落する。

(死ぬ……!?)

 マルクはぎゅっと目を閉じた。
 しかし、マルクは生きていた。奇跡的に柱と石像の間に挟まれて倒れていたのだ。

(何本か骨が折れたか……?)

 マルクはうめきながら辺りを見回すと、すぐ目の前に巨大な黒竜がいた。立派な牙の隙間から黒い毒息が漏れている。
 邪竜は翼を大きく動かし、夜空に向かって足を踏み出す。目の前に障害物があることなんて構いもせずに。

「オイ、オイオイ! 近づいてくるなッ!! それ以上こっちにくるなよ!! 頼むからぁ……ッ」

 マルクの前に邪竜の大きな影が迫ってくる。

(僕の人生、これで終わりだっていうのか……!? そんな……、うそ、だろ……?)

 そして愕然とした表情を浮かべるマルクをよそに、邪竜は一瞥すらすることなく、彼を踏みつけた。

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