上 下
7 / 31

7 初恋

しおりを挟む
 リーチェとハーベルの間に奇妙な沈黙が落ちる。

(マルクが何か変なことを言っていたけど……それより、ハーベル様が私のことを好きって……)

 その言葉ばかりが頭の中を巡っていく。

「リーチェ」

「はっ、はいっ!」

 緊張のあまり声が上擦ってしまった。
 ハーベルは落ち着きなく視線を辺りに上滑りさせると、「少し歩こうか」と言ってリーチェを庭園へ連れ出した。
 火照った頬に涼風が心地よい。
 二人は会話もなくしばらく歩き、少し大きな木の下にたどり着く。ハーベルは幹に手をあてて言った。

「……この場所、覚えているか?」

「えっ……?」

 どこにでもある木だ。リスの親子が枝の上にいて、二人を見下ろしている。黒目がちの目が可愛いらしい。

(私は王宮に来たことなんて、ほとんどないはず……いや、待って。一度だけ迷子になったことならあった)

 リーチェは数少ない記憶を思い返して、十年近く前──八歳の頃に王の庭で迷子になってしまったことを思い出した。
 詳しい場所まで覚えていないが、確かこんな場所だった気がする。
 もしかして、あの時、王子宮の近くまで迷い込んでしまっていたのだろうか。

「ひょっとしたら、一度来たことがあるかもしれません……」

 リーチェは戸惑いながらも、そうつぶやいた。
 父親の仕事を見学しに来た帰りに王の庭に入り、リスを追いかけているうちに従者とはぐれてしまったのだ。
 今いる場所が分からなくなり、途方にくれて泣いていると見知らぬ少年に声をかけられた。



『……迷子か?』

『えっ……』

 彼女が顔を上げると、木の陰から少年が出てきた。
 背格好は彼女と同じくらいだろう。目元まで隠れる黒いマントを身につけている。
 その下から垣間見える衣装は仕立ての良いものだった。

『王宮に戻りたいのか? だったら、あっちに向かって行けば良い』

 ぶっきらぼうに、その少年はそう言って立ち去ろうとした。
 リーチェは目元をゴシゴシこすり、少年の背中に向かって声を上げる。

『あのっ! ありがとうっ!!』

 声の大きさに驚いてか、少年が彼女の方を振り返ろうとした瞬間──突風が吹き抜けた。
 その拍子に、少年のかぶっていたフードがめくれてしまう。
 リーチェはスカートの裾がはしたなくひるがえるのも気にならないくらい、その少年の相貌に目を奪われた。
 艶のある黒髪、神秘的なその紫の瞳に魅入られたように身動きができなくなる。
 風が止むと、その少年はハッとした様子でマントのフードをかぶった。耳が赤らんでいる。
 その様子に、リーチェは首をひねった。

『どうして隠しちゃうの? せっかく綺麗な顔をしているのに……』

『……綺麗なものか。目つきが鋭くて、生意気そうな顔つきだろう』

 確かに子供なのに、あどけなさはない。天性のものなのか相手を怖気付かせるような悪役めいたオーラがある。
 けれどリーチェはそんなに美しい顔立ちの少年を初めて見たので、子供心にすごいなぁと感心する気持ちの方が強かった。

『そんなことないよ! 顔を上げて皆に見せた方がいいよ』

 リーチェはそう力説したが、少年はゆるく首を振った。

『……昔から色んな人に顔が怖いと言われてきた。小動物だって、オレの顔を見ると怯えて逃げ出してしまうんだ』

『そんな人類がいるはずが……』

 そこまで生き物に嫌われる人間をリーチェは見たことがない。
 懐疑的なリーチェの反応に何を思ったか、少年は指で彼女が先ほどまでいた木をしめした。
 その木の根っこには、どんぐりを抱えたリスが二本足で立っている。
 少年がおもむろにフードを下げてリスを凝視すると、リスは凍りついたように動かなくなった。どんぐりをポトリと地面に落とし、心なしか小刻みに震えているようにすら見える動作をする。

(……え? まさか、リスが怯えているの?)

『……ほらな』

 自虐まじりにそう顔を歪めて言い、少年はフードをかぶろうとした。
 リーチェは胸がギュッと詰まるような気持ちになり、少年の元へ歩いていくと、そのまま勢いよく彼のフードをつかんで後ろに下げた。

『おいっ』

 少年は突然のリーチェの行動に声を荒らげた。
 リーチェは彼の顔を間近で凝視する。

『こわくない! おとうさんが怒ったときの方がよっぽど怖いよっ!』
 
 リーチェがそう言い張ると、少年の顔面はみるみるうちに紅潮していく。
 彼女は何かを思いついたように言う。

『そうだ! 笑えばもっと雰囲気が柔らかくなると思うよ』

『笑う……?』

 戸惑っている少年に、リーチェは手に持っていた愛読書を押し付けた。
 それは魔導書ばかり読んで引きこもりがちな娘を心配して、先日父親がプレゼントしてくれたものだ。『友達ができる本』。これには周囲との接し方や自身の表情の作り方などが事細かに書かれている。

『私は読み終わっちゃったから、あげるね』

『……あ、あぁ。あり……がとう』

 困惑しながらも、少年は受け取ってくれた。
 その時、王宮のある方角から聞き慣れた従者の声がした。

『お嬢様ぁ──! リーチェお嬢様、いらっしゃいませんか!!』

『あっ……捜しにきてくれたんだ。もう行くね。道を教えてくれて、ありがとう!』

 リーチェは少年に手を振って、従者の元へ駆けて行った。





「えっ……まさか、あの時の?」

 リーチェは目を見張って尋ねると、ハーベルは殊勝しゅしょうにうなずいた。
 あれから王宮に行く機会はなかったから、すっかり忘れてしまっていた。

「……リーチェはあの時のことを忘れてしまっていたようだが、俺はずっと覚えていた。言われた通り、きみとすれ違うことがあれば俺は満面の笑顔を向けるようにしていた」

(今まであくどい顔で笑っていたのは、そういう理由だったの!? ま、まさか、友好的な態度を示してくれていたなんて……)

 リーチェは彼を誤解していたことを申し訳なく感じた。
 しかし、ハーベルが作る笑みは朗らかな笑みとはほど遠く、たとえるなら獲物を前にした獣が口を開けて目をギラギラさせながら舐め回してくるような感覚にさせるものだった。
 恐らく、リーチェ以外の人も彼に近づいたらヤバいと感じていたはずだ。

「……ハーベル様は、ご自身の笑顔を鏡で確かめたことは?」

「毎朝しているが?」

「…………」

(それで、これなんだ……)

 リーチェは何とも言えない微妙な気持ちになった。
 いや、もちろん彼なりに頑張っているのだろうが……。

「見てくれ。俺の研究の成果を」

 ハーベルはそう言うと、リーチェに向かって不自然な笑顔を向けてきた。口の端が上がっているし、表情としては笑みのはずなのに──目が笑っていないせいか、とても怖い。
 寒気を覚えて、リーチェは腕をさすった。
 気付けば、ぽつぽつと雨が降り出している。ハーベルは自然な動作で己のまとっていた上着を脱ぎ、リーチェに羽織らせてくれた。

「あ、ありがとうございます……ヒッ」

 ハーベルの背後で雷光が走り、彼の笑顔がますます悪魔めいて見えていたのだ。

(さすがは『悪魔王子』……天候を操る設定も伊達じゃない……!)

 ハーベルは雨や雷が降らせる魔法を使えるわけじゃない。しかしゲームの補正力によって、彼の登場シーンでは不穏な天気になりやすいのだ。いわゆる雨男のようなものである。
 あまりにも気の毒に思えたので、リーチェはハーベルに笑顔の指南をしようと決意した。

「俺が自然な笑顔をできるようになったのも、きみのおかげだ。またリーチェに会いたいと思って、この本をいつも持ち歩いていた」

 ハーベルは懐から一冊の書籍を取り出して見せる。
 それは何度も読み返したのか、年月が経って端がボロボロになってしまっていた。

「ハーベル様……」

 リーチェは胸が切なさでいっぱいになる。
 自分があげた本をそんなに大事にしてくれていたことが嬉しかった。

(こんな展開、ゲームにはない……)

 けれど確かに彼女自身の記憶として、幼いハーベルと出会ったことを覚えていた。
 
(私が運命を変えたから?)

 本来なら、ありえなかったはずのルートが表れたのだろうか?

「ハーベル様、あの……私は……っ」

「リーチェ、愛している」

 つかまれた手から熱が伝わり、脈が速くなるのを感じる。
 不快ではないその感覚に当惑しながら、リーチェは頬を染めてうつむいた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない

エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい 最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。 でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。

もしもし、王子様が困ってますけど?〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜

矢口愛留
恋愛
公爵令嬢エミリア・ブラウンは、突然前世の記憶を思い出す。 この世界は前世で読んだ小説の世界で、泣き虫の日本人だった私はエミリアに転生していたのだ。 小説によるとエミリアは悪役令嬢で、婚約者である王太子ラインハルトをヒロインのプリシラに奪われて嫉妬し、悪行の限りを尽くした挙句に断罪される運命なのである。 だが、記憶が蘇ったことで、エミリアは悪役令嬢らしからぬ泣き虫っぷりを発揮し、周囲を翻弄する。 どうしてもヒロインを排斥できないエミリアに代わって、実はエミリアを溺愛していた王子と、その側近がヒロインに罠を仕掛けていく。 それに気づかず小説通りに王子を籠絡しようとするヒロインと、その涙で全てをかき乱してしまう悪役令嬢と、間に挟まれる王子様の学園生活、その意外な結末とは――? *異世界ものということで、文化や文明度の設定が緩めですがご容赦下さい。 *「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。

【完結】異世界転生したら悪役令嬢でした。ヒロインと親友になって、断罪は絶対回避します♪

yanako
恋愛
ある日、異世界に転生してしまった私 しかも、悪役令嬢?断罪なんて絶対嫌!国外追放なんで絶対無理! ヒロインと親友になって、断罪は絶対回避します!

王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。

みゅー
恋愛
 王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。  いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。  聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。  王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。  ちょっと切ないお話です。

見ず知らずの(たぶん)乙女ゲーに(おそらく)悪役令嬢として転生したので(とりあえず)破滅回避をめざします!

すな子
恋愛
 ステラフィッサ王国公爵家令嬢ルクレツィア・ガラッシアが、前世の記憶を思い出したのは5歳のとき。  現代ニホンの枯れ果てたアラサーOLから、異世界の高位貴族の令嬢として天使の容貌を持って生まれ変わった自分は、昨今流行りの(?)「乙女ゲーム」の「悪役令嬢」に「転生」したのだと確信したものの、前世であれほどプレイした乙女ゲームのどんな設定にも、今の自分もその環境も、思い当たるものがなにひとつない!  それでもいつか訪れるはずの「破滅」を「回避」するために、前世の記憶を総動員、乙女ゲームや転生悪役令嬢がざまぁする物語からあらゆる事態を想定し、今世は幸せに生きようと奮闘するお話。  ───エンディミオン様、あなたいったい、どこのどなたなんですの? ******** できるだけストレスフリーに読めるようご都合展開を陽気に突き進んでおりますので予めご了承くださいませ。 また、【閑話】には死ネタが含まれますので、苦手な方はご注意ください。 ☆「小説家になろう」様にも常羽名義で投稿しております。

断罪シーンを自分の夢だと思った悪役令嬢はヒロインに成り代わるべく画策する。

メカ喜楽直人
恋愛
さっきまでやってた18禁乙女ゲームの断罪シーンを夢に見てるっぽい? 「アルテシア・シンクレア公爵令嬢、私はお前との婚約を破棄する。このまま修道院に向かい、これまで自分がやってきた行いを深く考え、その罪を贖う一生を終えるがいい!」 冷たい床に顔を押し付けられた屈辱と、両肩を押さえつけられた痛み。 そして、ちらりと顔を上げれば金髪碧眼のザ王子様なキンキラ衣装を身に着けたイケメンが、聞き覚えのある名前を呼んで、婚約破棄を告げているところだった。 自分が夢の中で悪役令嬢になっていることに気が付いた私は、逆ハーに成功したらしい愛され系ヒロインに対抗して自分がヒロインポジを奪い取るべく行動を開始した。

モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました

みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。 ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。 だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい…… そんなお話です。

[完結]18禁乙女ゲームのモブに転生したら逆ハーのフラグを折ってくれと頼まれた。了解ですが、溺愛は望んでません。

紅月
恋愛
「なに此処、18禁乙女ゲームじゃない」 と前世を思い出したけど、モブだから気楽に好きな事しようって思ってたのに……。 攻略対象から逆ハーフラグを折ってくれと頼まれたので頑張りますが、なんか忙しいんですけど。

処理中です...