上 下
3 / 31

3 悪魔王子

しおりを挟む
 ハーベルは庭園にあるガゼボのベンチにリーチェをエスコートしてくれた。

「……大丈夫か? ロジェスチーヌ嬢」

 リーチェを気遣わしげに見つめて、ハーベルはそう言った。

「は、はい。大丈夫です……って、ハーベル殿下、私のことをご存知なんですね……」

(リーチェの名前なんて知られていないモブキャラだと思っていたのに……)

 ハーベルは不思議そうに目を瞬かせる。

「リーチェ・ロジェスチーヌ伯爵令嬢だろう? 魔法士団所属の。何度も騎士団との合同演習で一緒になったじゃないか」

(……そうだった)

 王立学園は六年制で、騎士科と魔法科、普通科に分かれている。
 騎士科と魔法科には選抜された生徒が所属する組織があり、それぞれ騎士団、魔法士団と呼ばれて、公的な活動と自治が認められていた。
 マルクはその魔法士団長、第二王子のハーベルは騎士科の騎士団長を務めている。そしてリーチェは魔法士団所属だ。

 確かにそれを考えると、ハーベルが知っていてもおかしくはないように思えるが……。
 マルクでさえ化粧をした彼女に気付かなかったのに、ハーベルがリーチェの正体を見破ってしまったことに驚いてしまう。

「はい。その、リーチェ・ロジェスチーヌです」

 リーチェは顔面に血がのぼるのを感じた。
 ハーベルに気付いてもらえたことが思った以上に嬉しかった。
 緊張を誤魔化すために運ばれてきたレモネードを口に含む。使用人はさっと立ち去り、辺りにいるのは二人だけになってしまった。
 推しと二人きりの空間という事実に目眩がしそうになる。ハーベルは画面で見るより相当、格好良かった。

(こんなにハーベル様を好きになるなんて、今でも信じられない……)

 じつを言うとリーチェは記憶が戻る前までは、むしろハーベルに苦手意識を持っていたのだ。
 ハーベルとはこれまで学園の廊下やパーティですれ違うことがあったが、そのたびに彼はリーチェを冷ややかな瞳で見つめ、何かをたくらんでいるかのような凶悪な顔で笑うからだ。純粋に顔が怖い。それに使用人を虐待しているとか、赤子の肝を食うとか、彼にまつわる悪評は枚挙にいとまがなかった。

(でも、今はそれが全て誤解だって分かっている)

 マルクがハーベルを陥れるために、故意に悪い噂を流していたのだ。そしてハーベルもわざわざ誤伝を否定してまわったりしないから、話に尾ひれがついてしまっている。

(ハーベル様の悪魔めいた魅力的な顔立ちが、『彼ならやってもおかしくない』と妙な説得力を持たせてしまっているのも不幸の要因ね……)

 愛していたはずのマルクは忌避し、避けていたはずのハーベルを好ましく思う。それぞれのキャラクターが多面的に見えるようになったからだろうが、リーチェは己の感情の変化を不思議に感じつつも受け入れていた。

「あの……助けてくださって、ありがとうございます」

 とりあえずリーチェは、お礼を伝えることにした。

「やはり困っていたのか。最近きみはマルクと親しいようだったから、俺が間に入って話を遮って良いものか迷っていたのだが……」

「えっ、そんな……! マルク殿下と親しいだなんて、そんなことはありえませんよ」

 以前のリーチェならともかく、今は天地がひっくり返ってもありえない。
 マルクからしたら突然態度をひるがえしたリーチェに驚いているかもしれないが。

「そうなのか?」

「ええ。近々、退団届も出そうと思っていますし」

「そうか……それなら良かった。マルクは女に見境がないからな。きみのような純粋な女性が奴のそばにいると心配になる」

(……周りから見たら、マルクはそんなイメージなのね。私は本当に男を見る目がなかったわ……)

 記憶を取り戻して本当に良かったと思う。マルクにただ利用されて殺されるだけの存在になるなんて、ごめんだ。

「しかし、マルクが素直にきみの退団を許してくれるかどうか……」

 ハーベルが懸念するように顎に手をあてて言った。
 リーチェは微苦笑して肩をすくめる。

「ご心配には及びませんわ。副長に退団届を出せばすぐ受理されると聞いていますし……私はそれほど魔法士団では役に立っていませんでしたから」

「いや、そんなことはないだろう。どうして、きみがそう思っているのか分からないが……」

 ハーベルはそう言ってくれたが、リーチェは軽く首を振っただけで流した。

 リーチェは魔法科に入学した時の筆記試験の成績が良かったため、五年前にマルクから直々に魔法士団に入るよう勧誘を受けた。
 しかしリーチェは、ある事情で攻撃魔法が使えず、雑用ばかり任されてきた。後方支援はしていたものの、付与魔法や回復魔法といったサポート業務が中心で、一部の生徒からは『落ちこぼれ』と陰で馬鹿にされていたのだ。魔法士団では攻撃魔法が使える者達が優遇される傾向にある。
 そんなリーチェに好意を持ってくれたのはマルクだけだったので、彼女はコロリとマルクに落ちてしまったのだ。
 しかしゲームの中で、マルクは彼女を己の駒としか考えていなかった。そして今日のパーティの後にマルクはリーチェと秘密の恋人同士になると、ハーベル暗殺のために彼女を利用しようとたくらむ。リーチェはハーベルを罠にはめるための哀れな羊役として、マルク王子に言い寄られていたというわけだ。

(リーチェって、可哀想すぎない!?)

 愛した男性から利用されただけとは……。
 しかしハーベル暗殺計画は今月末に起きることだ。それまでに対策を練れば、自身の死とハーベルの窮地は救えるはず。

(マルクの思い通りになんてさせないわ)

 リーチェはそっとハーベルの腰に下げた剣に目をやる。

(やはり、いつも身につけているわよね……)

 バッドエンドでは、今月末に騎士団と魔法士団で行われる魔物狩りで、リーチェは殺されてしまう。
 リーチェの死体にハーベル王子の剣が刺さっていたため、ハーベルはリーチェ暗殺の濡れ衣を着せられてしまうのだ。リーチェの父親が娘の死に激怒し、穏健派で有力貴族だった伯爵がマルクの派閥に入ることで国内の勢力図が一気に変わるキッカケになった事件だった。そのせいでハーベル王子の立場が危うくなり、後の破滅につながってしまうのである。
 その後ハーベル王子はマルクの罠に嵌まり囚人塔に投獄され、毒殺されてしまうし、ララはハーベルと仲良くなったことでマルクの嫉妬を受け、監禁されてしまう。しかも外に出られないよう片足を切られた上で『これで、きみは僕の籠の鳥だね』と暗黒微笑されて終わりを迎えるのだ。
 全員が悪夢のような目にあう、マルクルートのバッドエンド。
 推しと親友が不幸になるのを、みすみす放っておくことなんてできない。

(それにしても、マルクはハーベル様の剣をどうやって手に入れたのかしら……)

 ハーベルの剣は彼が騎士団長に任命された時に国王からたまわったもので、それから彼が肌身離さず身に着けている。
 そんなものを盗みだすのは容易なことではない。おそらく、ハーベルの身近な誰かがマルクのスパイなのだろう。

(それが誰なのかはゲームでは省略されてたから。困ったな……)

 マルクの間者がハーベルのそばにいる限り、いつ彼の身が危険になるかは分からない。見つけ出したいけれど、魔法科のリーチェにできることは限りがある。

(つねにハーベル様のそばにいて、彼の周りに目を光らせておければ一番いいんだろうけど……友人でもない私がそれをするのは難しいし……)

 リーチェは悩みに悩んでいた。ハーベルは、なぜか黙って彼女を見つめている。

(やはり『お友達作戦』しかないか)

 正攻法にハーベルと仲良くなって、マルクのたくらみを阻止するのだ。
 しかし問題は、何と言って切り出すかだ。いきなり友達になってほしい、と頼んでも受け入れてくれるかどうか……。
 それでもマルクと違って腹の探り合いが苦手なリーチェは、直球勝負をかけるしかなかった。

「あの……ハーベル殿下。私は殿下と、もっと親しくなりたいと思っております」

 リーチェの顔がカッと赤くなる。

(お友達になってくださいって、小学生みたい……!)

 しかし、他にどう言えばいいか分からなかったのだ。緊張から嫌な汗が湧いてきて、彼女はぎゅっと拳を握りしめる。
 ハーベルは石像のように硬直していた。しばし呼吸を忘れていたようだが、浅く息を吐いてから強ばった声で言う。

「……じ、じつは、俺もそう思っていた」

「えっ! そうだったんですか!?」

(そんなことがあって良いの!?)

 ハーベルが冴えないリーチェと友達になりたかったという意外すぎる事実に、彼女は衝撃を受けた。

(と、友達……! 友達! これで、大手を振って彼を護れる!)

「ありがとうございます、殿下。とても嬉しいです」

「その殿下というのは止めてくれないか。ハーベルと呼んでくれ」

 ハーベルは赤い顔でそうゴホンと咳払いした。

「え? でも、良いんですか?」

「構わない。俺達はお互いに同じ想いを抱えているんだろう? なら、俺もきみをリーチェと呼ばせてくれ」

「もちろんですわ、ハーベル様」

(そういえば、親しくなるためには気安い愛称が必要って、本にも書いてあったわね)

 リーチェは昔から魔法の研究ばかりして引きこもりがちだったため、人間関係に疎い。そのため、彼女の将来を心配した父親から『友達ができる本』を渡されたことがあったのだ。それには仲良くなるには相づちと同意が必要、と書いてあった。
 不幸なことに、前世でも彼女は社交的なタイプではない。だから、ここで勘違いの悲劇が起きていることにも気付かなかった。

「……リーチェ」

「はい」

 ハーベルの頬が赤く染まって見える。
 リーチェが座っている場所は日陰だが、ハーベルの肩には日差しが当たっていた。

(熱いのかしら?)

 リーチェはハンカチを取り出し、汗をかき始めているハーベルに差し出す。彼はぎこちなくハンカチを受け取った。

「……きみの気持ちは、よく分かった。俺もとても光栄に思うよ。──父上は説得しよう。こういうのは段階を踏まねばならないからな。だが、そんなに待たせるつもりはないから、安心してくれ」

「……? はい」

(段階って何?)

 まあ、友達だって知人から友人、そして親友になるまでは時間がかかる。すぐに、とはいかないだろうけど……そういう意味かな? とリーチェは首をひねる。

「楽しみにしておりますわ、ハーベル様」

 リーチェは、そう笑顔で返した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

完 あの、なんのことでしょうか。

水鳥楓椛
恋愛
 私、シェリル・ラ・マルゴットはとっても胃が弱わく、前世共々ストレスに対する耐性が壊滅的。  よって、三大公爵家唯一の息女でありながら、王太子の婚約者から外されていた。  それなのに………、 「シェリル・ラ・マルゴット!卑しく僕に噛み付く悪女め!!今この瞬間を以て、貴様との婚約を破棄しゅるっ!!」  王立学園の卒業パーティー、赤の他人、否、仕えるべき未来の主君、王太子アルゴノート・フォン・メッテルリヒは壁際で従者と共にお花になっていた私を舞台の中央に無理矢理連れてた挙句、誤り満載の言葉遣いかつ最後の最後で舌を噛むというなんとも残念な婚約破棄を叩きつけてきた。 「あの………、なんのことでしょうか?」  あまりにも素っ頓狂なことを叫ぶ幼馴染に素直にびっくりしながら、私は斜め後ろに控える従者に声をかける。 「私、彼と婚約していたの?」  私の疑問に、従者は首を横に振った。 (うぅー、胃がいたい)  前世から胃が弱い私は、精神年齢3歳の幼馴染を必死に諭す。 (だって私、王妃にはゼッタイになりたくないもの)

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

処理中です...