64 / 66
第二章
勝負の行方
しおりを挟む
リアムの体がぐんっと沈む。エルベールは咄嗟に後ろに跳んだ。
剣が鋭い唸りを上げる。霞む銀色。下がった分を一瞬で詰められた。剣を合わせ、防いだ手がじんと痺れる。
下から掬い上げる斬撃を叩き落とした次の瞬間、眼前に膝が迫る。紙一重で躱すが、体勢が崩れて左手を地面についた。
「くっ」
胸ポケットから引き出したスクロール。先端をリアムに向けて炎を放つ。放射状に広がった炎は、火力は低いが牽制にはなる。
「っ、ははっ」
笑いながらリアムは飛び退った。火炎放射はまだ途切れない。スクロールを槍のように構えて突進する。
リアムはひらひらと踊るように炎を避け、魔力が切れた瞬間に突っ込んできた。スクロールを投げ捨て、エルベールも迎え撃つ。
小さな火花が幾度も散る。大上段から振り下ろされた一撃を受けて、右肘が嫌な軋みを上げた。一歩下がる。顔を狙った突きを逸らす。もう二歩下がる。
(隙がっ、無い!)
こちらの攻撃を挟み込む隙間が、無い。一撃が重い。こめかみを汗が伝う。
端に追い詰められる。明確に首を狙う切っ先を視認し、足に仕込んだスクロールを発動させた。
石畳が柔らかく波打ち、エルベールの体をすっぽりと飲み込む。地面に潜り、猛攻から逃れ、ようやく一息ついた。
(なんなんだ、あれは!)
辛気臭いただの従者だと思っていた、それなのに。
泳ぐようにして広場の中央付近まで移動し、地上の様子を伺う。
(化け物か!)
速度も、膂力も、まるで人並外れている。それでいて無駄が無い、と思う。エルベールの目では、リアムの動きを捉えきれなかった。
あんなのは、帝国軍にもいやしない。冗談じゃない。本当に戦争ともなれば、あれ一人で戦況をひっくり返すことすらありえる。
荒れる呼吸を押さえつけて、エルベールは唇を噛んだ。
(呑まれるな、次で逆転する! 短期決戦だ)
そろそろスクロールの魔力が切れる。頭上から響くリアムの足音を頼りに、エルベールは地面から躍り出た。
切っ先を上に、足元からの完璧な奇襲、獰猛に笑うリアムの顔。
エルベールの顔めがけて投げられたスクロールが、強烈な光を放った。
「がっ」
目潰し。耐え切れず腕で覆う。無防備になった腹に、衝撃が突き刺さった。剣の腹で殴られたのだと気づいたのは、吹っ飛ばされて転がった後だった。
息が吸えず苦悶するエルベールの喉に、冷たい刃先が押し当てられる。ちらとも揺れないその切っ先が、冷酷にエルベールの敗北を伝えていた。
「し……、勝者、リアム・バルフォア!」
調停役を務めるテティオの神官が、震える声で決着を告げた。
ヴィクトリアは戻って来たリアムを満面の笑みで迎え入れた。かすり傷すらなく、穏やかな顔には疲れも見えない。
「お疲れ様。楽しかった?」
「少し。最近はもう、兄上たちくらいしか相手をしてくださらないので」
ちょっと離れた場所で警護に当たっていたリアムの兄たちが口々に、勘弁してくれ、と嘆いているのは見なかったことにする。
リアムは小さい頃から、身体能力が高かった。騎士の家系であるバルフォア伯爵家に養子に入ったのも、それが理由だ。今にして思えば、軍人であるフォルジュ家の血も影響していたのだろう。
従者の仕事よりも、剣を覚える方が早かった。戦うことが楽しいらしく、みるみる強くなって剣の師匠を倒したのが十一歳の頃。以来、様々な武術の師から手ほどきを受け、騎士たちに混じって鍛錬し、気づけばこんな風に育っていた。
これに関してはヴィクトリアは関係ない。本当に。決して。
「リアムが楽しいならそれでいいわ」と好きにさせて、色んな武術の達人を呼び寄せたせいではない。絶対に。
事実、いつも傍にいるのだから強いのに越したことはないのだ。アルフレッドも諦めたようにそう言っていた。
「お嬢様」
リアムは戦闘中とはまったく違う笑みを浮かべて、期待の籠った目でヴィクトリアを見つめた。
「勝ちました。どうか褒めてください」
得意げにする従者がかわいくて、ヴィクトリアは胸を高鳴らせつつ両手で頭を撫でてあげた。
「さすがリアムよ。分かっていた結果だけれど」
わざわざ腰を屈めて撫でられているリアムから、小さな笑い声が上がる。まだ戦いの興奮が残っているようだ。
そんなヴィクトリアたちの横で、ユージェニーとレスターが複雑そうな顔をしていた。
「悪趣味な主従ですわ……」
「ゆ、ユージェニー嬢!」
泡を食ったレスターが止めようとしているが、ユージェニーはどこ吹く風だ。
「ヴィクトリア様が悪趣味なのは前からですけれど、リアム卿もなかなかおかしいのですわね。よろしいのではないでしょうか、お似合いで」
「わたくし、ユージェニーのその素直なところ、好きよ」
「知っておりますわ」
仲がいいのは本当なので、レスターは唖然とするのをやめて欲しい。
ひとしきりリアムを褒めて、ヴィクトリアは広場の中央へ視線を戻した。
視界を奪われ、未だ動けずにいるエルベールが横たわっている。アイラの騎士が周囲を囲んで、水を差し入れたり怪我の様子を見たりしていた。
騎士たちの手を振り払おうとしているが、まだ目が眩んでいるようだ。腕がふらふらと宙を彷徨っている。
「さて」
決闘の勝敗は決まった。あれほど一方的にやられては、難癖をつける余地も無いだろう。エルベール本人が、実力の差を嫌というほど実感したはずだ。
巡らされた柵を外してもらい、ヴィクトリアはリアムを連れてエルベールに歩み寄った。焦点の合わない目が、ぼんやりとヴィクトリアを眺めている。
「エルベール・フォルジュ、決闘はわたくしの勝ちよ。異論はないわね?」
下品な舌打ちが返事だ。
「ならば結構。あなたが整えたというわたくしとの婚約、これで破棄させていただくわ」
ヴィクトリアはピンと張りつめた声で宣言した。
剣が鋭い唸りを上げる。霞む銀色。下がった分を一瞬で詰められた。剣を合わせ、防いだ手がじんと痺れる。
下から掬い上げる斬撃を叩き落とした次の瞬間、眼前に膝が迫る。紙一重で躱すが、体勢が崩れて左手を地面についた。
「くっ」
胸ポケットから引き出したスクロール。先端をリアムに向けて炎を放つ。放射状に広がった炎は、火力は低いが牽制にはなる。
「っ、ははっ」
笑いながらリアムは飛び退った。火炎放射はまだ途切れない。スクロールを槍のように構えて突進する。
リアムはひらひらと踊るように炎を避け、魔力が切れた瞬間に突っ込んできた。スクロールを投げ捨て、エルベールも迎え撃つ。
小さな火花が幾度も散る。大上段から振り下ろされた一撃を受けて、右肘が嫌な軋みを上げた。一歩下がる。顔を狙った突きを逸らす。もう二歩下がる。
(隙がっ、無い!)
こちらの攻撃を挟み込む隙間が、無い。一撃が重い。こめかみを汗が伝う。
端に追い詰められる。明確に首を狙う切っ先を視認し、足に仕込んだスクロールを発動させた。
石畳が柔らかく波打ち、エルベールの体をすっぽりと飲み込む。地面に潜り、猛攻から逃れ、ようやく一息ついた。
(なんなんだ、あれは!)
辛気臭いただの従者だと思っていた、それなのに。
泳ぐようにして広場の中央付近まで移動し、地上の様子を伺う。
(化け物か!)
速度も、膂力も、まるで人並外れている。それでいて無駄が無い、と思う。エルベールの目では、リアムの動きを捉えきれなかった。
あんなのは、帝国軍にもいやしない。冗談じゃない。本当に戦争ともなれば、あれ一人で戦況をひっくり返すことすらありえる。
荒れる呼吸を押さえつけて、エルベールは唇を噛んだ。
(呑まれるな、次で逆転する! 短期決戦だ)
そろそろスクロールの魔力が切れる。頭上から響くリアムの足音を頼りに、エルベールは地面から躍り出た。
切っ先を上に、足元からの完璧な奇襲、獰猛に笑うリアムの顔。
エルベールの顔めがけて投げられたスクロールが、強烈な光を放った。
「がっ」
目潰し。耐え切れず腕で覆う。無防備になった腹に、衝撃が突き刺さった。剣の腹で殴られたのだと気づいたのは、吹っ飛ばされて転がった後だった。
息が吸えず苦悶するエルベールの喉に、冷たい刃先が押し当てられる。ちらとも揺れないその切っ先が、冷酷にエルベールの敗北を伝えていた。
「し……、勝者、リアム・バルフォア!」
調停役を務めるテティオの神官が、震える声で決着を告げた。
ヴィクトリアは戻って来たリアムを満面の笑みで迎え入れた。かすり傷すらなく、穏やかな顔には疲れも見えない。
「お疲れ様。楽しかった?」
「少し。最近はもう、兄上たちくらいしか相手をしてくださらないので」
ちょっと離れた場所で警護に当たっていたリアムの兄たちが口々に、勘弁してくれ、と嘆いているのは見なかったことにする。
リアムは小さい頃から、身体能力が高かった。騎士の家系であるバルフォア伯爵家に養子に入ったのも、それが理由だ。今にして思えば、軍人であるフォルジュ家の血も影響していたのだろう。
従者の仕事よりも、剣を覚える方が早かった。戦うことが楽しいらしく、みるみる強くなって剣の師匠を倒したのが十一歳の頃。以来、様々な武術の師から手ほどきを受け、騎士たちに混じって鍛錬し、気づけばこんな風に育っていた。
これに関してはヴィクトリアは関係ない。本当に。決して。
「リアムが楽しいならそれでいいわ」と好きにさせて、色んな武術の達人を呼び寄せたせいではない。絶対に。
事実、いつも傍にいるのだから強いのに越したことはないのだ。アルフレッドも諦めたようにそう言っていた。
「お嬢様」
リアムは戦闘中とはまったく違う笑みを浮かべて、期待の籠った目でヴィクトリアを見つめた。
「勝ちました。どうか褒めてください」
得意げにする従者がかわいくて、ヴィクトリアは胸を高鳴らせつつ両手で頭を撫でてあげた。
「さすがリアムよ。分かっていた結果だけれど」
わざわざ腰を屈めて撫でられているリアムから、小さな笑い声が上がる。まだ戦いの興奮が残っているようだ。
そんなヴィクトリアたちの横で、ユージェニーとレスターが複雑そうな顔をしていた。
「悪趣味な主従ですわ……」
「ゆ、ユージェニー嬢!」
泡を食ったレスターが止めようとしているが、ユージェニーはどこ吹く風だ。
「ヴィクトリア様が悪趣味なのは前からですけれど、リアム卿もなかなかおかしいのですわね。よろしいのではないでしょうか、お似合いで」
「わたくし、ユージェニーのその素直なところ、好きよ」
「知っておりますわ」
仲がいいのは本当なので、レスターは唖然とするのをやめて欲しい。
ひとしきりリアムを褒めて、ヴィクトリアは広場の中央へ視線を戻した。
視界を奪われ、未だ動けずにいるエルベールが横たわっている。アイラの騎士が周囲を囲んで、水を差し入れたり怪我の様子を見たりしていた。
騎士たちの手を振り払おうとしているが、まだ目が眩んでいるようだ。腕がふらふらと宙を彷徨っている。
「さて」
決闘の勝敗は決まった。あれほど一方的にやられては、難癖をつける余地も無いだろう。エルベール本人が、実力の差を嫌というほど実感したはずだ。
巡らされた柵を外してもらい、ヴィクトリアはリアムを連れてエルベールに歩み寄った。焦点の合わない目が、ぼんやりとヴィクトリアを眺めている。
「エルベール・フォルジュ、決闘はわたくしの勝ちよ。異論はないわね?」
下品な舌打ちが返事だ。
「ならば結構。あなたが整えたというわたくしとの婚約、これで破棄させていただくわ」
ヴィクトリアはピンと張りつめた声で宣言した。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
踏み台令嬢はへこたれない
IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる