耽美令嬢は不幸がお好き ~かわいそかわいい従者を愛でながら、婚約破棄して勘違い男たちにお仕置きします~

神野咲音

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第二章

主従の在り方

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 セルマが立ち去ってから、ヴィクトリアは少し冷めている紅茶を自分でカップに注いだ。香りが飛んでしまっている。手が自然と人を呼ぶためのベルに伸びて、持ち上げてから躊躇った。

 意を決してベルを鳴らしたのと同時、扉がノックされる。返事をすると、リアムの声がした。


「お嬢様、お茶が冷めた頃かと思いまして」


 少しだけ震える声に、唖然としてから小さく笑みを零した。考えることが同じだ。


「ええ。ちょどそれで、あなたを呼ぼうと思ったの」


 ティーポットを乗せたカートを部屋に入ってきたリアムは、安心したような顔をしていた。熱源のスクロールが仕込まれたカートを使えば、その場でお湯を作ることができる。リアムの淀みない手つきを眺めながら、ヴィクトリアは口を開いた。


「先ほど、お母様にお説教されてしまったわ」

「お説教、ですか?」

「ええ。怒っていたわけではないけれど、わたくしにはお説教だったわ。とても耳が痛かったから」


 感情的に怒る人たちではない分、両親からの言葉はよく刺さる。

 リアムは目尻を下げて、「私もです」と言った。


「旦那様に注意を受けました。本当に……、頭が上がりません」

「お父様も?」


 母は、父に内緒だと言ってここに来ていたけれど。もしかしたら父はすべて分かっているのかもしれない。

 リアムはお湯が沸くのをじっと待っていたが、不意にヴィクトリアに視線を移した。何度か口を開いては閉じ、何かを言いかけるが、言葉が出てこない。

 急かしてはいけないかと黙って待っていると、やがて言葉を選ぶのを諦めたのか、リアムはヴィクトリアの正面に来て膝をついた。


「お嬢様は……、近頃、あまり私を愛でてくださらない」


 声に、隠し切れない不満が滲んでいた。ヴィクトリアは息を呑む。


「美しいとも、かわいいとも。それよりも大きな問題があるのは分かっていますが、……寂しいと、思ってしまうのです」


 思い返す。リアムとの婚約を許されてからの、ヴィクトリアの言動。

 誰かに向かってリアムのことを自慢したり、軽く意地悪をした記憶はある。けれど、前のように頻繁に交流を持っていただろうか。

 目の前のことに必死で、このかわいい従者の顔を、ちゃんと見ていただろうか。

 このことか、と、セルマの言葉がすとんと胸に落ちた。

 ヴィクトリアは、婚約者となったリアムと、ちゃんと向き合っていなかった。


「……ごめんなさい」


 手を伸ばして、リアムの頬を撫でる。


「お母様のおっしゃる通りだわ。わたくし、浮かれていたのね。舞い上がっているところにエルベールが来たものだから、他のことが見えなくなっていたのだわ」


 一度奪われたトラウマが焦りを生んでいるのだと思っていた。けれどそもそも、ヴィクトリア自身が冷静ではなかった。それでは何をやっても失敗するに決まっている。


「そうね、そうだわ。エルベール・フォルジュがあらゆる意味であなたを奪いに来たのだと、無意識にそう思っていたのだわ。なんて無様なのかしら。こんな簡単なことに振り回されていたなんて」


 敵を見極めることすらできずに、解決策なんて出てくるわけもなかった。

 リアムはヴィクトリアの手を上から押さえて、頬をすり寄せた。


「旦那様が、私は全部の感情を一緒にするからいけないのだと。私も同じです。従者としては正しくとも、婚約者の振る舞いとしては違っていた。両立したいならば、もっと考えなければいけなかったのに」


 お互いに、言葉にせずとも理解できるという驕りがあったから。関係性が変わったのだから、もっと話し合うべきだったのに。

 ヴィクトリアが恐れていること。やりたいこと。整理されていない気持ちを表面だけ語ったところで、リアムが、そしてヴィクトリア自身が、理解できる訳が無かった。


「婚約者としては、わたくしたちはまだまだね」


 僅かに潤む赤い瞳と目が合って、吸い寄せられるように唇が触れ合った。

 照れたように俯いたリアムをひとしきり撫でまわして、膝の上に抱えるように抱きしめた。


「わたくしの、かわいいリアム。忠実な従者。愛情深い婚約者。それから……」


 ふと、ヴィクトリアの脳裏に閃くものがあった。

 言葉を止めたヴィクトリアを、不思議そうな顔をしたリアムが見つめる。


「お嬢様?」


 無言のまま見つめ返す。リアムの頬がほんのりと赤らむが、それでも視線を逸らさない。


「あの……?」


 ヴィクトリアがいつまでも口を閉ざしているからか、照れていたリアムは徐々に不安を覚えたように眉を下げ始めた。

 微笑を刻んでいた唇が力を失くし、一瞬だけ震えたのを見て、ヴィクトリアは微笑んだ。


「本当、わたくしったらどうしてリアムを愛でずにいられたのかしら。こんなにかわいいというのに」

「……お嬢様が平常にお戻りになられたようで、良かったです」


 がっくりと項垂れたリアムだったが、すぐに気を取り直して立ち上がった。


「何か、思いつかれたのでしょうか? エルベールについて」

「ええ。魔法印の仕掛けを暴くのは、必要だけど今ではないわ。わたくし一人でやることでもない。それこそ鑑定官に任せましょう」

「では、どのように?」

「あなたよ、リアム。わたくしの優秀な護衛」


 ヴィクトリアがスラムで拾った少年は、なんでもできるようになりたいと、そう願った。結果、貴族家の養子に入り、従者としての技能だけでなく戦う術も覚えたのだ。

 バルフォア家は長く続く騎士の家系だ。帝国と国境を接するアイラ家の騎士は、ひょっとすると王家が抱える騎士団よりも強い。

 ヴィクトリアが好きに行動できるのも、リアムという護衛が常に傍にいるからだ。アイラの騎士として鍛え上げられた、リアム・バルフォアが。


「私、ですか」

「レスターが書いてくれた脚本を覚えている?」


 ヴィクトリアたちの婚約を祝福し、エルベールを悪役に仕立て上げるための物語。


「あれをなぞりましょう。もう下地はできているわ」


 エルベールは確かに、リアムを連れ戻すためにやってきた。だが、今の目的はリアムから逸れ、ヴィクトリアを足掛かりにアイラ領を手に入れようとしている。

 その行動は、フォルジュ家の息子という立場でのものだ。ならばヴィクトリアも、アイラ公爵家の後継として相対しなければ。


「……また、頼り切りになってしまうけれど。わたくし一人では何もできないわ」


 光は見えた。だが、それだけが口惜しい。

 ヴィクトリアは眉根を寄せた。しかしリアムは首を振る。


「いいえ、前にも申し上げました。私はヴィクトリアお嬢様のためならば、なんでもいたします。それは、お嬢様にお仕えしたくなる魅力があるからです。正しく使ってくださると、そう信じているから。だから私の力を、お預けするのです」

「リアム……」

「他の者とて同じ。私はお嬢様のように人の上に立つことはできません。人を使うことができるのは、それそのものが才能であり、一つの力です」


 だから、とリアムは笑う。


「お嬢様は、堂々と我々をお使いください」


 目の前が晴れ渡った気がした。


「……その信頼に、答えなければいけないわね」


 リアムだけではなく、ヴィクトリアに仕えてくれる使用人、アイラ公爵家の下につく家臣たち。それから、祝福してくれた民すべて。

 彼らが誇れる主人であらねばならない。それが、ヴィクトリア・リーヴズ・アイラの務めだ。
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