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第二章
焦りの中に見えるもの
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翌日から、ヴィクトリアは自室に籠もって魔法印の解析を始めた。
本来ならそろそろ領地に帰る予定だったユージェニーは、「この目で最後まで見届けますわ」と残ってくれている。心強いが、相手ができず放置状態になってしまうことは心苦しい。
レスターは朗読のために書き上げた物語を、演劇用に新たに書き直していると聞いた。これまでの評判がいいので、完全に自信を取り戻したらしい。
リアムから二人の状況を聞きながら、ひたすら捏造された魔法印と向かい合う。
そもそも魔力は目に見えない。魔力の宿った血や、その血で書かれた文字、印に触れれば、肌で波動のように感じ取ることができる。しかしこれも人によって差があるという。
その波を特殊な紙に写し取って魔力紋を確認するのだが、これも素人目には分からないことが多い。だからこその鑑定官だ。魔力に敏感で、しかも特殊な訓練を積まなければなれない職業だ。
魔力を必要とする仕事は、それなりにある。家督を継げない長男以外の貴族は、騎士や官僚、あるいはこういった特殊な職業に就く。鑑定官の仕事は、その中でもかなり地位や給料の高い仕事だ。
反対に、家具や小物に使う魔法スクロールを書くだけの仕事もあり、こちらは嫌がる者が多い。学園に通った者なら誰にでもできる仕事である上、平民の職人と一緒に働くことになるからだろう。プライドの高い貴族子弟が問題を起こすケースが時々見受けられる。
そのため、できるだけ良い仕事に就けるように、彼らは学園の成績を維持する努力をするのだ。成績が良ければ学園から就職の斡旋をしてもらえる。
ヴィクトリアのように、跡継ぎでありながら魔法まで一定以上の成績を出している方が珍しい。必要な能力が違うからだ。現に、アイラ公爵アルフレッドは魔力量が多い方ではないし、術式の構築は夫人であるセルマの方が得意だ。
閑話休題。
ヴィクトリアは魔法印を睨みながら、自分の血を使って魔力紋の波を誤魔化す方法を考えていた。
「捏造したいのならお父様の血をどこかで入手するのが一番楽だけど……。それだと使える回数が限られるわ、フォルジュ家全体で行っている研究なら、徹底して管理するでしょう。魔力紋自体を書き換える? 紙に写し取る時に別の紋が出れば良いのだもの……。魔力そのものを変質させるより、その方が手軽にできるかしら」
術式ペンで魔法用のロールから引き出した紙に線を引く。これを別人の魔力だとするなら。
「でも、そもそも鑑定用の道具にもある程度の捏造防止の魔法はかかっているわ。それを欺くならやはり、魔力そのものを書き換える必要が……?」
「お嬢様、お茶と軽食をお持ちしました。少し休憩されてはいかがですか?」
「ありがとう、リアム」
机から顔を上げずに返事をする。部屋に入ってきたリアムはテーブルにトレイを置き、ヴィクトリアがあちこちに放置したままの紙や本を拾い集め始めた。
「平民に実施する魔力検査の応用、それに魔力発生機序に関する研究……。お嬢様、今はどのような仮説を?」
「魔力の変質かと思うのだけど、どう考えてもそれだと数十年単位の研究が必要なのよ。それに、かなり人命を軽視した研究になりそう。そんな重要な研究結果を、あのエルベールが自由に扱えるものかしら」
だとするならば、やはり検出段階での偽装。
重罪とはいえ、これまでにこの手の研究をした者がいなかった訳がない。その度に魔力紋の鑑定技術も進化し、生半な方法では誤魔化しきれないだろう。
魔力の変質か、鑑定の偽装か。
まとまりのないヴィクトリアの考えを聞いていたリアムは、首を傾げて口を開いた。
「一度、魔法印から離れて息抜きをしてみてはいかがでしょう。かなり煮詰まっているように思えます。お嬢様が部屋に籠もられてから三日目です。食事の時間くらいは外に出てもよいのでは」
「時間が惜しいわ。鑑定官が到着するまで、あと二日しかないというのに」
「あと二日で暴ける技術でしょうか。フォルジュ家が総力を挙げて研究しているかもしれないものでしょう? お嬢様ならばいつかは解明なさると思いますが、今はとにかく時間が……」
「分かってるわよ」
術式ペンを置いて、放り出していた普通のペンを持つ。考えられる術式を書き出してみて、やはり違うと消す。
「リアム、書庫から本を持ってきて欲しいの。ここにある辞典だけでは足りないわ」
「……お嬢様」
「それから、お父様から本物の魔法印を貰えないかしら。手元にある手紙を探したのだけど、見つからなかったのよ」
「お嬢様」
強く呼ばれて、ヴィクトリアはようやくリアムを見た。思ったよりも近くに顔があって、びくりと肩が揺れる。
リアムはどこか悲しそうな、辛そうな顔をしている。暗い表情をしているのはいつものことだが、今のような顔は初めて見た気がする。
狼狽えるヴィクトリアに、リアムは落ち着いた声で言った。
「一度、冷静になってください。今のお嬢様は焦っておられます。目的を見失わないでください、お嬢様の成すべきことはいったいなんですか?」
「何、って」
聞かれるまでもない。エルベールの企みを暴き、父に認められ、リアムを失わずにいることだ。そのために必要なのは、この魔法印が捏造されたものであることを証明すること。
だから、そのために。
「大切な矜持を忘れないでください。大丈夫です、お嬢様はいつでもお美しい」
「……少しだけ、一人にして」
頭の中がいっぱいだった。
「かしこまりました」
リアムは放置されていたポットから紅茶をカップに注いで、すぐに部屋を出て行った。
本来ならそろそろ領地に帰る予定だったユージェニーは、「この目で最後まで見届けますわ」と残ってくれている。心強いが、相手ができず放置状態になってしまうことは心苦しい。
レスターは朗読のために書き上げた物語を、演劇用に新たに書き直していると聞いた。これまでの評判がいいので、完全に自信を取り戻したらしい。
リアムから二人の状況を聞きながら、ひたすら捏造された魔法印と向かい合う。
そもそも魔力は目に見えない。魔力の宿った血や、その血で書かれた文字、印に触れれば、肌で波動のように感じ取ることができる。しかしこれも人によって差があるという。
その波を特殊な紙に写し取って魔力紋を確認するのだが、これも素人目には分からないことが多い。だからこその鑑定官だ。魔力に敏感で、しかも特殊な訓練を積まなければなれない職業だ。
魔力を必要とする仕事は、それなりにある。家督を継げない長男以外の貴族は、騎士や官僚、あるいはこういった特殊な職業に就く。鑑定官の仕事は、その中でもかなり地位や給料の高い仕事だ。
反対に、家具や小物に使う魔法スクロールを書くだけの仕事もあり、こちらは嫌がる者が多い。学園に通った者なら誰にでもできる仕事である上、平民の職人と一緒に働くことになるからだろう。プライドの高い貴族子弟が問題を起こすケースが時々見受けられる。
そのため、できるだけ良い仕事に就けるように、彼らは学園の成績を維持する努力をするのだ。成績が良ければ学園から就職の斡旋をしてもらえる。
ヴィクトリアのように、跡継ぎでありながら魔法まで一定以上の成績を出している方が珍しい。必要な能力が違うからだ。現に、アイラ公爵アルフレッドは魔力量が多い方ではないし、術式の構築は夫人であるセルマの方が得意だ。
閑話休題。
ヴィクトリアは魔法印を睨みながら、自分の血を使って魔力紋の波を誤魔化す方法を考えていた。
「捏造したいのならお父様の血をどこかで入手するのが一番楽だけど……。それだと使える回数が限られるわ、フォルジュ家全体で行っている研究なら、徹底して管理するでしょう。魔力紋自体を書き換える? 紙に写し取る時に別の紋が出れば良いのだもの……。魔力そのものを変質させるより、その方が手軽にできるかしら」
術式ペンで魔法用のロールから引き出した紙に線を引く。これを別人の魔力だとするなら。
「でも、そもそも鑑定用の道具にもある程度の捏造防止の魔法はかかっているわ。それを欺くならやはり、魔力そのものを書き換える必要が……?」
「お嬢様、お茶と軽食をお持ちしました。少し休憩されてはいかがですか?」
「ありがとう、リアム」
机から顔を上げずに返事をする。部屋に入ってきたリアムはテーブルにトレイを置き、ヴィクトリアがあちこちに放置したままの紙や本を拾い集め始めた。
「平民に実施する魔力検査の応用、それに魔力発生機序に関する研究……。お嬢様、今はどのような仮説を?」
「魔力の変質かと思うのだけど、どう考えてもそれだと数十年単位の研究が必要なのよ。それに、かなり人命を軽視した研究になりそう。そんな重要な研究結果を、あのエルベールが自由に扱えるものかしら」
だとするならば、やはり検出段階での偽装。
重罪とはいえ、これまでにこの手の研究をした者がいなかった訳がない。その度に魔力紋の鑑定技術も進化し、生半な方法では誤魔化しきれないだろう。
魔力の変質か、鑑定の偽装か。
まとまりのないヴィクトリアの考えを聞いていたリアムは、首を傾げて口を開いた。
「一度、魔法印から離れて息抜きをしてみてはいかがでしょう。かなり煮詰まっているように思えます。お嬢様が部屋に籠もられてから三日目です。食事の時間くらいは外に出てもよいのでは」
「時間が惜しいわ。鑑定官が到着するまで、あと二日しかないというのに」
「あと二日で暴ける技術でしょうか。フォルジュ家が総力を挙げて研究しているかもしれないものでしょう? お嬢様ならばいつかは解明なさると思いますが、今はとにかく時間が……」
「分かってるわよ」
術式ペンを置いて、放り出していた普通のペンを持つ。考えられる術式を書き出してみて、やはり違うと消す。
「リアム、書庫から本を持ってきて欲しいの。ここにある辞典だけでは足りないわ」
「……お嬢様」
「それから、お父様から本物の魔法印を貰えないかしら。手元にある手紙を探したのだけど、見つからなかったのよ」
「お嬢様」
強く呼ばれて、ヴィクトリアはようやくリアムを見た。思ったよりも近くに顔があって、びくりと肩が揺れる。
リアムはどこか悲しそうな、辛そうな顔をしている。暗い表情をしているのはいつものことだが、今のような顔は初めて見た気がする。
狼狽えるヴィクトリアに、リアムは落ち着いた声で言った。
「一度、冷静になってください。今のお嬢様は焦っておられます。目的を見失わないでください、お嬢様の成すべきことはいったいなんですか?」
「何、って」
聞かれるまでもない。エルベールの企みを暴き、父に認められ、リアムを失わずにいることだ。そのために必要なのは、この魔法印が捏造されたものであることを証明すること。
だから、そのために。
「大切な矜持を忘れないでください。大丈夫です、お嬢様はいつでもお美しい」
「……少しだけ、一人にして」
頭の中がいっぱいだった。
「かしこまりました」
リアムは放置されていたポットから紅茶をカップに注いで、すぐに部屋を出て行った。
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