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第二章
新しい脚本
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指の先を軽く切って、水を張った水盤に浸ける。じわりと滲んだ血を馴染ませるように指で混ぜて、水面を覗き込んだ。ヴィクトリアの紫色の瞳が、波紋に揺れて形を変える。
「お嬢様」
消毒された布を持って待っていたリアムが、焦れたように呼ぶ。水面から指を引き抜くと、すぐさま布で包み込まれた。
「この程度の傷でいつも大袈裟ね」
「術式ペンと違って、治癒の魔法も痛み止めの魔法もかかっていないのですよ。万が一、跡に残ったらどうするのですか」
「だからって、その治癒魔法はやり過ぎではない……?」
リアムが用意している治癒魔法のスクロールを見て、ヴィクトリアはなんとも言えない顔をする。爪の長さほどしかない切り傷を治すだけなのに、びっしりと細かい字で術式が刻み込まれていた。
傷の治療をするリアムは置いておいて、空いている左手で紙片を持ち上げる。血文字で刻まれているのは、タディリス王国第二王子の名前だ。
その紙を水盤に浮かべると、映り込んでいたヴィクトリアの顔が別の人物のものに変わった。
向こうには見えないだろうが、ヴィクトリアは膝を折って一礼する。
「お時間をいただきありがとうございます、ジェラルド殿下」
『アイラ領は我らの国において重要な場所だ。守るための策ならばいくらでも手を貸すとも』
にこりともしないジェラルドは、縁の太い眼鏡を押し上げて手元に目を落としたようだった。
『前回の連絡で聞いた、レスター・クリーズの脚本の変更点。基本はこれで構わないよ。ギルバートとの類似点はすべて消えているからね。ヴィクトリア嬢たちはそのままのようだけど、これはいいんだね?』
「わたくしとリアムについてはこれで問題ありませんわ」
王家から止められていたというレスターの脚本。父アルフレッドに改めて尋ねたところ、やはりギルバートの失態をそのまま設定に盛り込んでいたことが問題だったようだ。
とはいえ、レスターもそれで完成としていた訳ではない。改定案を提出し、そこにエルベールの動きとこちらの目的も添えると、王宮はすぐに動いてくれた。
水鏡を用いた連絡魔法は、双方の時間を合わせることや、そもそも使用する魔力量が多いことなど、制約の多い手段だ。それでも、手紙でのやりとりと比べれば遙かに利点が多い。緊急時の手段である水鏡を使う許可までもらえたのはありがたかった。
『あとは帝国のフォルジュ家がどう出るかだね。国民の意見を動かすのは悪くない手だと思うが、フォルジュ家当主が気にしなければ終わりだ。まだフォルジュ侯爵は何も言ってきていないんだろう?』
「はい、不気味なことに。さすがに父の手紙はもう届いているとは思うのですが」
『エルベール・フォルジュがどこまで独断で動いているかにもよるかな。ヴィクトリア嬢はどう思う?』
「当主は黙認状態なのではないかと考えていますわ。エルベールはあくまでも“自分の目的”として話をしていましたし、手紙には当主の魔法印もありませんでした。ですが、フォルジュ家の噂がすべて真実なら、次男を連れ帰るのは当主にとって喜ばしいことでしょう」
『成功すればそれでよし、失敗すれば責任は息子に。合理的だね。自分の保身だけを考えればの話だが』
水鏡の向こうで、ジェラルドは薄く笑った。読み間違えようがないほどに、軽蔑の色しか浮かんでいなかった。いっそ清々しい。
家の存続を考えるのならば、一人しかいない息子を切り捨てるのは愚行だ。息子に愛情がないのか、家そのものに頓着していないのか。
『ところで、君のところの従者とエルベール・フォルジュ、そんなに似ているんだ? フォルジュ家の嫡男は外交に出てこないから、見たことなくて』
「顔の造りは似ていると思いますわ。髪型と表情が違うので、間違えることはありませんが」
『へぇ。愛しの従者くんと同じ顔には惹かれなかったんだね?』
ジェラルドの茶化すような言葉に、ヴィクトリアも微笑んだ。
「殿下、国への忠誠を試されたいのなら、自死でもお命じになられては? 喜んで首を捧げますわよ」
『……悪かったよ。怖い顔で映り込んでる従者くんを下げてくれ』
「わたくしの愛と忠誠を疑うからいけないのですわ。国を裏切るつもりなど毛頭ございませんし、リアム以外の男も願い下げです。いくら似ていても、あの男はリアムではありません。選ぶ理由が一つもございませんわ」
『ヴィクトリア嬢、いや、アイラ公爵家の忠誠は知っているとも。からかってすまなかった。……もう時間だね』
ふとジェラルドが視線を横に流した。ヴィクトリアもリアムが差し出す時計を確認し、頷く。
「ジェラルド殿下、本日はありがとうございました」
『この策がうまくいくことを期待しているよ。それでは』
ジェラルドの側から魔法が切られたのを確認し、ヴィクトリアも水盤に浮かべていた紙片を掬い上げる。そうして、ようやく肩の力を抜いた。
「ジェラルド殿下と話すのは緊張するわ。何を言わされるか分からないもの」
あの第二王子は軽い調子でこちらを試してくるから油断ができない。迂闊なことを言えばあっさり弱みを握られる。
軽く息をついて、ヴィクトリアは背筋を伸ばした。
「さて、レスター卿に報告しましょう。これで劇団にも動いてもらえるわね」
「すぐに使いを出します」
王宮とのやりとりの間に、レスターは作品を書き上げていた。仕事の間に朗読を聞いてもらえるように、政治的な策略などはすべて消して短い物語にしたと言っていた。小国の姫と騎士を主人公にした恋愛の物語だ。悪役は悪い隣国の王子様。姫と結婚するはずだった王子は、しかし我が儘放題で悪事の限りを尽くし、最後には騎士との決闘で倒される。
アイラ領の者ならば、主人公の二人がヴィクトリアとリアムであることは分かるだろう。悪い隣国というのも、帝国を連想する者が多いはずだ。
この物語が広まった頃を見計らって二人の婚約を発表できるように、アルフレッドが整えてくれている。既に根回しは済んでいるから、どこからも文句は出ない。
「エルベールは一体どんな顔をするかしらね」
ヴィクトリア好みの美しい顔だといい。
「お嬢様」
消毒された布を持って待っていたリアムが、焦れたように呼ぶ。水面から指を引き抜くと、すぐさま布で包み込まれた。
「この程度の傷でいつも大袈裟ね」
「術式ペンと違って、治癒の魔法も痛み止めの魔法もかかっていないのですよ。万が一、跡に残ったらどうするのですか」
「だからって、その治癒魔法はやり過ぎではない……?」
リアムが用意している治癒魔法のスクロールを見て、ヴィクトリアはなんとも言えない顔をする。爪の長さほどしかない切り傷を治すだけなのに、びっしりと細かい字で術式が刻み込まれていた。
傷の治療をするリアムは置いておいて、空いている左手で紙片を持ち上げる。血文字で刻まれているのは、タディリス王国第二王子の名前だ。
その紙を水盤に浮かべると、映り込んでいたヴィクトリアの顔が別の人物のものに変わった。
向こうには見えないだろうが、ヴィクトリアは膝を折って一礼する。
「お時間をいただきありがとうございます、ジェラルド殿下」
『アイラ領は我らの国において重要な場所だ。守るための策ならばいくらでも手を貸すとも』
にこりともしないジェラルドは、縁の太い眼鏡を押し上げて手元に目を落としたようだった。
『前回の連絡で聞いた、レスター・クリーズの脚本の変更点。基本はこれで構わないよ。ギルバートとの類似点はすべて消えているからね。ヴィクトリア嬢たちはそのままのようだけど、これはいいんだね?』
「わたくしとリアムについてはこれで問題ありませんわ」
王家から止められていたというレスターの脚本。父アルフレッドに改めて尋ねたところ、やはりギルバートの失態をそのまま設定に盛り込んでいたことが問題だったようだ。
とはいえ、レスターもそれで完成としていた訳ではない。改定案を提出し、そこにエルベールの動きとこちらの目的も添えると、王宮はすぐに動いてくれた。
水鏡を用いた連絡魔法は、双方の時間を合わせることや、そもそも使用する魔力量が多いことなど、制約の多い手段だ。それでも、手紙でのやりとりと比べれば遙かに利点が多い。緊急時の手段である水鏡を使う許可までもらえたのはありがたかった。
『あとは帝国のフォルジュ家がどう出るかだね。国民の意見を動かすのは悪くない手だと思うが、フォルジュ家当主が気にしなければ終わりだ。まだフォルジュ侯爵は何も言ってきていないんだろう?』
「はい、不気味なことに。さすがに父の手紙はもう届いているとは思うのですが」
『エルベール・フォルジュがどこまで独断で動いているかにもよるかな。ヴィクトリア嬢はどう思う?』
「当主は黙認状態なのではないかと考えていますわ。エルベールはあくまでも“自分の目的”として話をしていましたし、手紙には当主の魔法印もありませんでした。ですが、フォルジュ家の噂がすべて真実なら、次男を連れ帰るのは当主にとって喜ばしいことでしょう」
『成功すればそれでよし、失敗すれば責任は息子に。合理的だね。自分の保身だけを考えればの話だが』
水鏡の向こうで、ジェラルドは薄く笑った。読み間違えようがないほどに、軽蔑の色しか浮かんでいなかった。いっそ清々しい。
家の存続を考えるのならば、一人しかいない息子を切り捨てるのは愚行だ。息子に愛情がないのか、家そのものに頓着していないのか。
『ところで、君のところの従者とエルベール・フォルジュ、そんなに似ているんだ? フォルジュ家の嫡男は外交に出てこないから、見たことなくて』
「顔の造りは似ていると思いますわ。髪型と表情が違うので、間違えることはありませんが」
『へぇ。愛しの従者くんと同じ顔には惹かれなかったんだね?』
ジェラルドの茶化すような言葉に、ヴィクトリアも微笑んだ。
「殿下、国への忠誠を試されたいのなら、自死でもお命じになられては? 喜んで首を捧げますわよ」
『……悪かったよ。怖い顔で映り込んでる従者くんを下げてくれ』
「わたくしの愛と忠誠を疑うからいけないのですわ。国を裏切るつもりなど毛頭ございませんし、リアム以外の男も願い下げです。いくら似ていても、あの男はリアムではありません。選ぶ理由が一つもございませんわ」
『ヴィクトリア嬢、いや、アイラ公爵家の忠誠は知っているとも。からかってすまなかった。……もう時間だね』
ふとジェラルドが視線を横に流した。ヴィクトリアもリアムが差し出す時計を確認し、頷く。
「ジェラルド殿下、本日はありがとうございました」
『この策がうまくいくことを期待しているよ。それでは』
ジェラルドの側から魔法が切られたのを確認し、ヴィクトリアも水盤に浮かべていた紙片を掬い上げる。そうして、ようやく肩の力を抜いた。
「ジェラルド殿下と話すのは緊張するわ。何を言わされるか分からないもの」
あの第二王子は軽い調子でこちらを試してくるから油断ができない。迂闊なことを言えばあっさり弱みを握られる。
軽く息をついて、ヴィクトリアは背筋を伸ばした。
「さて、レスター卿に報告しましょう。これで劇団にも動いてもらえるわね」
「すぐに使いを出します」
王宮とのやりとりの間に、レスターは作品を書き上げていた。仕事の間に朗読を聞いてもらえるように、政治的な策略などはすべて消して短い物語にしたと言っていた。小国の姫と騎士を主人公にした恋愛の物語だ。悪役は悪い隣国の王子様。姫と結婚するはずだった王子は、しかし我が儘放題で悪事の限りを尽くし、最後には騎士との決闘で倒される。
アイラ領の者ならば、主人公の二人がヴィクトリアとリアムであることは分かるだろう。悪い隣国というのも、帝国を連想する者が多いはずだ。
この物語が広まった頃を見計らって二人の婚約を発表できるように、アルフレッドが整えてくれている。既に根回しは済んでいるから、どこからも文句は出ない。
「エルベールは一体どんな顔をするかしらね」
ヴィクトリア好みの美しい顔だといい。
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*荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください
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*他のサイトでも公開します
*10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします
*誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです
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