51 / 66
第二章
説得の行方
しおりを挟む
「なるほど、話は分かったわ」
改めてレスターから説明を聞いたヴィクトリアは、僅かに首を傾げて「では」と言った。
「その陛下から止められたというお話、登場人物の設定を変えて書くことは可能かしら?」
「あの、俺はもう書けないという話をしたはずだったのですが」
目一杯困惑したレスターが、小声で反論を試みる。
「わたくしは自分の目を盲信している訳ではないけれど、それなりに人を見抜くことができるとは思っているわ。レスター卿は自分の才能に蓋をしている」
ヴィクトリアが美しいと思うもの。宝石やドレスは当然のこと。色とりどりの花々を愛でるのも楽しい。実は、乱れなく整理された書架も好きだ。それから、宝石を磨く手、草木を整える逞しい腕、本の埃を払う仕草。風に波打つ小麦畑。土に汚れた笑顔。何かに迷いなく心を傾ける、暖炉の熾火のように燃える瞳。己の重責を感じさせず、研いだ剣の切っ先を隠して微笑む姿。秋空のように高く突き抜ける矜持。
もちろん、人が不幸に喘ぐ様はいっとう美しい。手を伸ばしても届かない望みに縋り、それでも諦めきれずに足掻く姿は。かわいくてかわいくて、こちらから手を差し伸べて引き上げてやりたくなる。そうして愛でて、愛して、愛おしんで、どろどろに溶けきって安堵する顔の、なんと愛らしいことか。
けれど、今のレスターにはそのどれもが見当たらない。
「今のレスター卿は美しくないわ。好きなものから目を逸らし、逃げ場を探している。そこには義務も愛もないでしょう。初めてここで会った時はまだかわいらしくもがいていたのに、それすら辞めてしまったのは残念だわ」
レスターはぐっと息を詰めた。何か反論しようと言葉を探していたようだが、ユージェニーと目が合ってがっくりと項垂れる。
彼なりに言い分はあるのだろうが、傍からみればそうとしか見えない。
ヴィクトリアは口元に指を添えて、ふ、と微笑んだ。
「わたくし、今とっても困っておりますの。領地を狙う帝国の貴族に求婚されていて」
「は!?」
「なので、領民にわたくしとリアムのお話を広めて欲しいの。既に型があるならそれを使わない手はないわ。悪役はそうね、隣の国の悪い王子、とかに変えて。わたくしとリアムは分かるくらいでいいわ」
「いやいや、ちょっと待ってください。切羽詰まった状況ってそういうことなんですか!?」
「やる気が出るんじゃないかしら? あなたの書いた話で民の心を動かすのよ。流行のきっかけを作るの。誰もがあなたの劇を見て楽しむでしょうね。そして次の作品をわくわくしながら待つのだわ」
再び言葉を詰めたレスターだったが、その表情は少しだけ変わっていた。じっと考え込むような目つきで押し黙る。
ヴィクトリアはさらに続ける。
「あなたもクリーズ家の者なら、このアイラ領が重要な土地であることは分かるわね? 帝国に取られる訳にはいかない。わたくしとリアムの結婚を歓迎し、隣国に敵意を抱く領民が増えれば、帝国にとってこの土地を略取する旨味はある程度下がるでしょう。そして話が帝国の民まで広まれば」
「求婚して来た男の支持も下がる、と?」
「そうなれば喜ばしいわね。ある程度噂を操作する必要はあるけれど」
地位はあれど、ほかの貴族からの目が厳しいエルベール。権力を高めたい彼にとっては、付け入る隙を与える真似は避けたいはず。
父とは違う、ヴィクトリアにできる手段で動くのだ。
「……俺がすぐに話を書いても、劇にするとなると時間がかかりすぎますね。劇団の準備期間が必要ですから」
レスターがそう言った。
「それに、近頃は民衆向けの劇も増えては来ましたが、やはり富裕層向けです。民に広げたいならむしろ……、そうですね、朗読はどうでしょうか?」
「朗読?」
「演技の練習も最低限で済みますし、言葉を覚える必要もありません。書き上げてすぐに町を回ることができます。その後に劇として公演すれば、様々な層の人たちに長く楽しんでもらえる」
それはいい、とヴィクトリアは頷いた。
自分で作る立場にないヴィクトリアには、そこまで考えることができない。
「アイラ令嬢は酷いお方です。あんな風に言われたら、書きたくなるに決まっているじゃないですか。書けないと言っているのに」
「ふふふ。ああは言ったけれど、あなたは好きに書いてくれればいいのよ。売れるかどうかなんて気にせずに。レスター卿はその方がいいと思うわ。そうね……、作品ができてもできなくても、一年は生活の保障をしましょう。うまくいけば改めて支援をするわ。ほかに憂いがあれば言ってちょうだい」
レスターは諦めたように苦笑する。
「本当に書けなかったら、その求婚相手はどうするおつもりなんですか」
「また次の策を考えるわ」
「陛下に執筆を止められている作品ですが」
「お父様に理由をお聞きしましょう。何か知っておられる様子だったから」
「……分かりました。その依頼、お受けいたします」
自信が無さそうに、それでも目だけは先ほどと違ってギラついて、レスターは姿勢を正して頭を下げた。
劇場前に止まった馬車まで見送りに来たレスターに、小声で囁く。
「自分の才能を簡単に諦めるような男を、ユージェニーの相手として許すことはないわよ」
その途端に背筋が伸びたレスターを笑って、ヴィクトリアは馬車に乗り込んだ。
改めてレスターから説明を聞いたヴィクトリアは、僅かに首を傾げて「では」と言った。
「その陛下から止められたというお話、登場人物の設定を変えて書くことは可能かしら?」
「あの、俺はもう書けないという話をしたはずだったのですが」
目一杯困惑したレスターが、小声で反論を試みる。
「わたくしは自分の目を盲信している訳ではないけれど、それなりに人を見抜くことができるとは思っているわ。レスター卿は自分の才能に蓋をしている」
ヴィクトリアが美しいと思うもの。宝石やドレスは当然のこと。色とりどりの花々を愛でるのも楽しい。実は、乱れなく整理された書架も好きだ。それから、宝石を磨く手、草木を整える逞しい腕、本の埃を払う仕草。風に波打つ小麦畑。土に汚れた笑顔。何かに迷いなく心を傾ける、暖炉の熾火のように燃える瞳。己の重責を感じさせず、研いだ剣の切っ先を隠して微笑む姿。秋空のように高く突き抜ける矜持。
もちろん、人が不幸に喘ぐ様はいっとう美しい。手を伸ばしても届かない望みに縋り、それでも諦めきれずに足掻く姿は。かわいくてかわいくて、こちらから手を差し伸べて引き上げてやりたくなる。そうして愛でて、愛して、愛おしんで、どろどろに溶けきって安堵する顔の、なんと愛らしいことか。
けれど、今のレスターにはそのどれもが見当たらない。
「今のレスター卿は美しくないわ。好きなものから目を逸らし、逃げ場を探している。そこには義務も愛もないでしょう。初めてここで会った時はまだかわいらしくもがいていたのに、それすら辞めてしまったのは残念だわ」
レスターはぐっと息を詰めた。何か反論しようと言葉を探していたようだが、ユージェニーと目が合ってがっくりと項垂れる。
彼なりに言い分はあるのだろうが、傍からみればそうとしか見えない。
ヴィクトリアは口元に指を添えて、ふ、と微笑んだ。
「わたくし、今とっても困っておりますの。領地を狙う帝国の貴族に求婚されていて」
「は!?」
「なので、領民にわたくしとリアムのお話を広めて欲しいの。既に型があるならそれを使わない手はないわ。悪役はそうね、隣の国の悪い王子、とかに変えて。わたくしとリアムは分かるくらいでいいわ」
「いやいや、ちょっと待ってください。切羽詰まった状況ってそういうことなんですか!?」
「やる気が出るんじゃないかしら? あなたの書いた話で民の心を動かすのよ。流行のきっかけを作るの。誰もがあなたの劇を見て楽しむでしょうね。そして次の作品をわくわくしながら待つのだわ」
再び言葉を詰めたレスターだったが、その表情は少しだけ変わっていた。じっと考え込むような目つきで押し黙る。
ヴィクトリアはさらに続ける。
「あなたもクリーズ家の者なら、このアイラ領が重要な土地であることは分かるわね? 帝国に取られる訳にはいかない。わたくしとリアムの結婚を歓迎し、隣国に敵意を抱く領民が増えれば、帝国にとってこの土地を略取する旨味はある程度下がるでしょう。そして話が帝国の民まで広まれば」
「求婚して来た男の支持も下がる、と?」
「そうなれば喜ばしいわね。ある程度噂を操作する必要はあるけれど」
地位はあれど、ほかの貴族からの目が厳しいエルベール。権力を高めたい彼にとっては、付け入る隙を与える真似は避けたいはず。
父とは違う、ヴィクトリアにできる手段で動くのだ。
「……俺がすぐに話を書いても、劇にするとなると時間がかかりすぎますね。劇団の準備期間が必要ですから」
レスターがそう言った。
「それに、近頃は民衆向けの劇も増えては来ましたが、やはり富裕層向けです。民に広げたいならむしろ……、そうですね、朗読はどうでしょうか?」
「朗読?」
「演技の練習も最低限で済みますし、言葉を覚える必要もありません。書き上げてすぐに町を回ることができます。その後に劇として公演すれば、様々な層の人たちに長く楽しんでもらえる」
それはいい、とヴィクトリアは頷いた。
自分で作る立場にないヴィクトリアには、そこまで考えることができない。
「アイラ令嬢は酷いお方です。あんな風に言われたら、書きたくなるに決まっているじゃないですか。書けないと言っているのに」
「ふふふ。ああは言ったけれど、あなたは好きに書いてくれればいいのよ。売れるかどうかなんて気にせずに。レスター卿はその方がいいと思うわ。そうね……、作品ができてもできなくても、一年は生活の保障をしましょう。うまくいけば改めて支援をするわ。ほかに憂いがあれば言ってちょうだい」
レスターは諦めたように苦笑する。
「本当に書けなかったら、その求婚相手はどうするおつもりなんですか」
「また次の策を考えるわ」
「陛下に執筆を止められている作品ですが」
「お父様に理由をお聞きしましょう。何か知っておられる様子だったから」
「……分かりました。その依頼、お受けいたします」
自信が無さそうに、それでも目だけは先ほどと違ってギラついて、レスターは姿勢を正して頭を下げた。
劇場前に止まった馬車まで見送りに来たレスターに、小声で囁く。
「自分の才能を簡単に諦めるような男を、ユージェニーの相手として許すことはないわよ」
その途端に背筋が伸びたレスターを笑って、ヴィクトリアは馬車に乗り込んだ。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
領主の妻になりました
青波鳩子
恋愛
「私が君を愛することは無い」
司祭しかいない小さな教会で、夫になったばかりのクライブにフォスティーヌはそう告げられた。
===============================================
オルティス王の側室を母に持つ第三王子クライブと、バーネット侯爵家フォスティーヌは婚約していた。
挙式を半年後に控えたある日、王宮にて事件が勃発した。
クライブの異母兄である王太子ジェイラスが、国王陛下とクライブの実母である側室を暗殺。
新たに王の座に就いたジェイラスは、異母弟である第二王子マーヴィンを公金横領の疑いで捕縛、第三王子クライブにオールブライト辺境領を治める沙汰を下した。
マーヴィンの婚約者だったブリジットは共犯の疑いがあったが確たる証拠が見つからない。
ブリジットが王都にいてはマーヴィンの子飼いと接触、画策の恐れから、ジェイラスはクライブにオールブライト領でブリジットの隔離監視を命じる。
捜査中に大怪我を負い、生涯歩けなくなったブリジットをクライブは密かに想っていた。
長兄からの「ブリジットの隔離監視」を都合よく解釈したクライブは、オールブライト辺境伯の館のうち豪華な別邸でブリジットを囲った。
新王である長兄の命令に逆らえずフォスティーヌと結婚したクライブは、本邸にフォスティーヌを置き、自分はブリジットと別邸で暮らした。
フォスティーヌに「別邸には近づくことを許可しない」と告げて。
フォスティーヌは「お飾りの領主の妻」としてオールブライトで生きていく。
ブリジットの大きな嘘をクライブが知り、そこからクライブとフォスティーヌの関係性が変わり始める。
========================================
*荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください
*約10万字で最終話を含めて全29話です
*他のサイトでも公開します
*10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします
*誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる