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第二章

求婚相手の正体

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 馬車に揺られながら、ヴィクトリアは求婚の手紙を読み直していた。目の前でリアムが嫌そうな顔をしているのがかわいいので、あえて気づかないふりを貫いている。

 差出人はエルベール・フォルジュ。こちらを見下すような文章に苛立つが、そういう余計な装飾を飛ばして読み解くと、見えてくるものがある。


「……ヴィクトリアお嬢様」


 むすっとした声がかかる。


「なあに?」


 手紙から顔を上げずに返事をすれば、リアムの声がさらに低くなる。


「その手紙は、今必要なものなのでしょうか? もう旦那様が断りの返事を出されたのでしょう」

「ええ、そうね。でもその返事、エルベール本人には届いてはいないと思うわ」


 この手紙には、フォルジュ家当主の魔法印がない。エルベールは帝国の軍務大臣の息子で後継と目されてはいるが、まだ当主ではないから魔法印は当然使えない。だから、この求婚はエルベールの独断だろうとは最初に予想していたが。


「お父様はフォルジュ家にお返事を出したの。でもエルベールは帝国にいないでしょうから」


 そこでようやくヴィクトリアはリアムを見た。あからさまに不機嫌な顔をしていて、思わず笑ってしまう。手を差し出すと、その渋い顔のまま頭を寄せてきた。さらさらの髪を梳くように撫でる。


「ふふ、意地悪したわ。この手紙、リアムにはちゃんと見せてなかったわね」


 封筒の記名が見えるように指先で持ち上げると、リアムは目を丸くした。


「……なるほど? 確かにこれは、こちらを馬鹿にしておりますね」

「でしょう? だから、立場を分からせてあげようと思って」


 馬車が止まった。窓にかかったカーテンを上げると、報告にあった屋敷が見える。

 以前はどこかの貴族が所有していたが、金に困って手放されて以降は貴族専用の宿泊施設として使用されている場所だ。


「ハーバートの居場所、ここでよいのね?」

「はい。架空の名義で屋敷を丸ごと借り上げています」


 架空の名義で借りることができるのは問題だろう。呆れて首を振りつつ、ヴィクトリアは手紙を仕舞い込んだ。機嫌を直したリアムの手を借り、馬車を降りる。

 アイラ公爵家の家紋が入った馬車が乗り付けたからか、屋敷の入り口付近で使用人たちが慌てているのが見えた。近くにいた庭師が急いでやってきて、門を開けてヴィクトリアたちを通す。


「突然悪いわね。今の借主はいるかしら? アイラ公爵家のヴィクトリアが来たと伝えてくれるかしら」


 無作法は承知の上。向こうがこちらを侮ってくるのだから、相応の返しをするだけだ。

 待つことしばし、屋敷の中から出てきた銀髪の男に、ヴィクトリアは貼り付けた淑女の笑みを見せた。


「ごきげんよう、エルベール・フォルジュ殿。ここはしがない商人が借りた宿のはずだけど、わたくしの情報が間違っていたのかしら?」


 ただの商人では借りられないはずの屋敷をぐるりと見渡すと、ハーバート――本名エルベールは、苦虫を噛み潰したような顔を、瞬く間に輝く笑顔で覆い隠した。


「お見事です、ヴィクトリア嬢。まさかこの僕の正体を見破るとは」

「ええ。あなたの偽名があまりにも安直だったから、まさか隠しているつもりだったなんて思わなかったわ。こちらを引っかける罠かと思って警戒していたのに、特に何もなくて驚いた」


 Herbertハーバートは、古い帝国語の読みでHerbertエルベールと読む。その程度の知識もないと思われているなんて、随分と見くびられている。


「引っかけるなんて、まさかそんな。……どうぞ、中へ。おもてなしの準備はできておりませんが」

「ふふ、わたくしたちが押しかけたのだもの。仕方がないわ」


 エルベールはちらりとリアムを見た。そっくりの顔立ちに、まったく違う表情を浮かべた二人。

 いつも暗い表情でヴィクトリアに付き従う従者は、変わらぬ陰鬱な表情に剣呑な視線をギラつかせ、エルベールを見返した。





 急いで集められたのだと分かる茶菓子に、茶葉だけは最高級のものを。ちぐはぐなテーブルの上を見ぬふりをし、ヴィクトリアは勧められた椅子にゆったりと腰を下ろした。その隣に、寄り添うようにしてリアムが立つ。

 エルベールは既に平静を取り戻していた。一筋縄ではいかないか、とヴィクトリアは一分の隙もない笑顔の下で考える。

 この訪問の目的は、エルベールの真意を確かめることだ。予想は立てているが、できれば当たって欲しくはない。


「それで、ヴィクトリア嬢。僕が誰か分かって訪ねてきたということは、求婚の返事を持ってきてくれたということかな?」


 このふんぞり返った態度が彼の本性なのだろう。ハーバートの時は随分と猫を被っていたらしい。とはいえ、被りきれない隙間から漏れてはいたけれど。


「求婚の返事なら、父がフォルジュ家に送ったわ。わたくしはたった一人の跡継ぎであるうえ、このリアムとの婚約が内定しているので、どなたからの求婚もお断りしている、と」

「……もしや、本気でそちらの従者と結婚するつもりなのか?」


 エルベールは驚いたように目を見開いた。

 ヴィクトリアたちの婚約を知らしめるための行動は、ちゃんとエルベールに届いていたらしい。本気とは思われていなかったようだが。


「おかしいかしら? 彼は養子とはいえバルフォア家の一員。魔力を持っていれば出自など関係ないし、元々わたくしの婚約者となるべく教育されていた。何も問題はないわ」


 誰がなんと言おうと、この婚約が覆ることはない。アイラ公爵が認め、バルフォア伯爵が応じた。国王の耳にも入れてあると聞く。

 ヴィクトリアは貼り付けていた笑みを消して、エルベールをひたと見据えた。やや怯んだように身を引いたエルベールは、一体どこまでが演技で、どこまでが本音なのだろうか。


「最初に厳しく追い返したのは、確かに少しやり過ぎたわ。けれどわたくしたちの答えは変わらない。どれだけあなたの弟に似ていようと、ここにいる彼はリアム・バルフォアであり、わたくしの従者であり、婚約者なのよ。わたくしが帝国に嫁げばリアムもついてくると考えたのでしょうけれど、それはできないわ。だってわたくしはアイラ領の次期領主。アイラ公爵の後継者ですもの」


 ハーバートを名乗っていた彼は、絶対に弟を取り戻すと言っていた。生き別れの兄弟を探すというのが尊重されるべき目的であることは自明だが、その手段が正体を明かさずに求婚することなら、ヴィクトリアとしては拒むだけだ。

 ユージェニーの言うとおり、攻撃的になっていたことは認めよう。だが、正式な手続きを踏んでくれと言ったのに、寄越されたのは立場を誤った上から目線の求婚だけ。

 これで、誰が好意的になれるというのだ。

 エルベールはなんと返してくるか。

 ヴィクトリアが構える前で、エルベールは小さくため息を吐いた。
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