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第二章
レスターの手紙
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「そういえば、レスター卿のことなのだけど」
ユージェニーが紅茶でむせた。
脈絡もなく言い出したから仕方ない。つい今まで、ハーバート対策について話していたところだったから。
「けほっ、びっくりさせないでくださいませ……!」
「ふふ、ごめんなさい」
ユージェニーは恨みがましくヴィクトリアを見たが、すぐに大きくため息をついた。
「昨夜のことでしたら、ヴィクトリア様が思っていらっしゃるようなことはありませんわよ」
「そう? では、何を話していたの?」
「挨拶をした後は、ずっとヴィクトリア様のお話でしたわ。レスター卿は随分とヴィクトリア様を尊敬してらっしゃるようでした」
劇場で話した時の様子を思い出し、ヴィクトリアはほんの少しだけ渋い顔をした。何となく、どんな会話をしていたか分かってしまったからだ。
それにくすくすと笑ったユージェニーは、驚かされた意趣返し、とばかりに意地の悪い声で言う。
「二人でヴィクトリア様の素晴らしい所を言い連ねておりましたわ。お美しく、聡明で、誇り高いと」
「やめてちょうだい。赤の他人にあれこれ言われるならともかく、友人に言われるのは恥ずかしいわ」
もちろん、そうあろうと努力してきたのは確かだ。だが面と向かって言われると全身が痒くなる心地がする。
「レスター卿は緊張からか、随分と酔っておられましたが。その状態であんなにもヴィクトリア様を賛美する言葉が出るので、いっそ感心してしまいましたわ。さすがは作家ですわね」
ヴィクトリアが見る限り、レスターは帰りもしっかりした足取りで歩いていたようだったが、酔っていたのか。
「それで、気になったのです。何故ヴィクトリア様の支援を断ったのか……。聞いてみたのですが、それは頑として答えてくださらず。人目があるからかと、バルコニーに移動しましたが、それでも駄目でしたわ」
ユージェニーはどこか悔しそうにそう言って、ふと苦笑した。
「お役に立てず、申し訳ございません」
「気にしないで。彼の意思が固いのでしょう。資格がない、というのが気になるけれど」
昨日の夜会で、ヴィクトリアの想定以上にリアムのことを印象付けることができた。だから、噂の後押しをレスターに手伝ってもらう、という当初の予定は、遂行されなくても問題ないと判断している。
リアムが令嬢たちから人気を集めていたことも昨日ついでに知ったが、それは頭の隅に追いやった。
「ところで、そのレスター卿がね」
ヴィクトリアは最初に言おうとしていたことを、もう一度繰り返した。
「ユージェニー宛てに手紙を送って来たのだけれど」
「……私に、ですか?」
きょとんとするユージェニーに、リアムが横からそっと手紙を差し出す。封蝋に捺されたクリーズ家の紋はどこも欠けていない。
「なぜ私に……? ヴィクトリア様ではなく?」
「読んでみれば分かるのではないかしら」
ユージェニーは躊躇いがちに手紙を取って、封を切った。中の紙を引っ張り出して、小さく息を吸い込んでから開く。
ゆっくりと目が文字を辿り、徐々に安心したような、けれど残念そうな表情になった。
「昨夜、お酒に酔って失礼にも絡んでしまった、という謝罪の手紙ですわね。お詫びを兼ねて、希望があれば観劇のために席を用意することができる、と」
なるほど、とヴィクトリアは頷いた。
常識の範囲内で、しかも無遠慮に押してくることも無い、誠実な内容だ。だがこれだけでは、レスターがユージェニーをどう思っているのかは分からない。迷惑をかけたと感じて謝罪をしただけのようにも取れるし、デートの誘いにも思える。
しかし、ユージェニーの方は随分と分かりやすかった。
困ったように手紙を見下ろして、持て余すように指先で便箋の端を弾いている。いつも快活な彼女にしては珍しい。
大切な友人の力になりたい。その思いは本物だが、しかしヴィクトリアにとって恋愛ごとは専門外だ。自分の恋心でさえ最近自覚したばかりだと言うのに、誰かの相談になんて乗れるはずもない。
そしてきっと、ユージェニーも望まないだろう。
そんなヴィクトリアの心に気付いたのか、ユージェニーはふと視線を上げて、微笑んだ。
「ヴィクトリア様、そんな顔をなさらずとも、本当に何もありませんから」
「……そうは、見えないけど」
「いいえ、何もないのです。私は家のため、領地のため、条件の合う男性を見つけねばなりませんから」
むやみに傷を見せることを良しとしない、その心根はヴィクトリアにも分かるから、それ以上は何も言えなかった。
「では、少しだけ失礼して、お返事を書いてきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、そうね。謝罪のお手紙なら、返事は必要ね」
ユージェニーは自分の侍女を連れて、滞在中に使用している客間へ戻っていく。その背中を見送り、ヴィクトリアはぽつりと呟いた。
「デリックの罪は重いわね」
だが、ヴィクトリアにはその本当の重さが分からない。そのことが悲しくも、喜ばしくもあった。
ユージェニーが紅茶でむせた。
脈絡もなく言い出したから仕方ない。つい今まで、ハーバート対策について話していたところだったから。
「けほっ、びっくりさせないでくださいませ……!」
「ふふ、ごめんなさい」
ユージェニーは恨みがましくヴィクトリアを見たが、すぐに大きくため息をついた。
「昨夜のことでしたら、ヴィクトリア様が思っていらっしゃるようなことはありませんわよ」
「そう? では、何を話していたの?」
「挨拶をした後は、ずっとヴィクトリア様のお話でしたわ。レスター卿は随分とヴィクトリア様を尊敬してらっしゃるようでした」
劇場で話した時の様子を思い出し、ヴィクトリアはほんの少しだけ渋い顔をした。何となく、どんな会話をしていたか分かってしまったからだ。
それにくすくすと笑ったユージェニーは、驚かされた意趣返し、とばかりに意地の悪い声で言う。
「二人でヴィクトリア様の素晴らしい所を言い連ねておりましたわ。お美しく、聡明で、誇り高いと」
「やめてちょうだい。赤の他人にあれこれ言われるならともかく、友人に言われるのは恥ずかしいわ」
もちろん、そうあろうと努力してきたのは確かだ。だが面と向かって言われると全身が痒くなる心地がする。
「レスター卿は緊張からか、随分と酔っておられましたが。その状態であんなにもヴィクトリア様を賛美する言葉が出るので、いっそ感心してしまいましたわ。さすがは作家ですわね」
ヴィクトリアが見る限り、レスターは帰りもしっかりした足取りで歩いていたようだったが、酔っていたのか。
「それで、気になったのです。何故ヴィクトリア様の支援を断ったのか……。聞いてみたのですが、それは頑として答えてくださらず。人目があるからかと、バルコニーに移動しましたが、それでも駄目でしたわ」
ユージェニーはどこか悔しそうにそう言って、ふと苦笑した。
「お役に立てず、申し訳ございません」
「気にしないで。彼の意思が固いのでしょう。資格がない、というのが気になるけれど」
昨日の夜会で、ヴィクトリアの想定以上にリアムのことを印象付けることができた。だから、噂の後押しをレスターに手伝ってもらう、という当初の予定は、遂行されなくても問題ないと判断している。
リアムが令嬢たちから人気を集めていたことも昨日ついでに知ったが、それは頭の隅に追いやった。
「ところで、そのレスター卿がね」
ヴィクトリアは最初に言おうとしていたことを、もう一度繰り返した。
「ユージェニー宛てに手紙を送って来たのだけれど」
「……私に、ですか?」
きょとんとするユージェニーに、リアムが横からそっと手紙を差し出す。封蝋に捺されたクリーズ家の紋はどこも欠けていない。
「なぜ私に……? ヴィクトリア様ではなく?」
「読んでみれば分かるのではないかしら」
ユージェニーは躊躇いがちに手紙を取って、封を切った。中の紙を引っ張り出して、小さく息を吸い込んでから開く。
ゆっくりと目が文字を辿り、徐々に安心したような、けれど残念そうな表情になった。
「昨夜、お酒に酔って失礼にも絡んでしまった、という謝罪の手紙ですわね。お詫びを兼ねて、希望があれば観劇のために席を用意することができる、と」
なるほど、とヴィクトリアは頷いた。
常識の範囲内で、しかも無遠慮に押してくることも無い、誠実な内容だ。だがこれだけでは、レスターがユージェニーをどう思っているのかは分からない。迷惑をかけたと感じて謝罪をしただけのようにも取れるし、デートの誘いにも思える。
しかし、ユージェニーの方は随分と分かりやすかった。
困ったように手紙を見下ろして、持て余すように指先で便箋の端を弾いている。いつも快活な彼女にしては珍しい。
大切な友人の力になりたい。その思いは本物だが、しかしヴィクトリアにとって恋愛ごとは専門外だ。自分の恋心でさえ最近自覚したばかりだと言うのに、誰かの相談になんて乗れるはずもない。
そしてきっと、ユージェニーも望まないだろう。
そんなヴィクトリアの心に気付いたのか、ユージェニーはふと視線を上げて、微笑んだ。
「ヴィクトリア様、そんな顔をなさらずとも、本当に何もありませんから」
「……そうは、見えないけど」
「いいえ、何もないのです。私は家のため、領地のため、条件の合う男性を見つけねばなりませんから」
むやみに傷を見せることを良しとしない、その心根はヴィクトリアにも分かるから、それ以上は何も言えなかった。
「では、少しだけ失礼して、お返事を書いてきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、そうね。謝罪のお手紙なら、返事は必要ね」
ユージェニーは自分の侍女を連れて、滞在中に使用している客間へ戻っていく。その背中を見送り、ヴィクトリアはぽつりと呟いた。
「デリックの罪は重いわね」
だが、ヴィクトリアにはその本当の重さが分からない。そのことが悲しくも、喜ばしくもあった。
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