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第二章
裁判の日程
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「ヴィクトリア、元第三王子たちの裁判だが、日程が決定したぞ」
父であるアイラ公爵、アルフレッドからそう聞かされたのが、観劇から帰ったその日の晩だった。
公爵邸の執務室で、ヴィクトリアは広い執務机の前に立ち、王都から届いた書状を広げる父の言葉を待っていた。
「学園の後期が始まる直前だ。おおよそふた月後だな」
「意外と遅いのですわね。クーデターであると陛下がお認めになったのですから、もっと早いと思っておりました」
ヴィクトリアの元婚約者、ギルバート第三王子は、平民出身の男爵令嬢ポーラと恋に落ち、身分制度の撤廃を思いついた。特権を持つ者としての自覚が無かった彼は、甘い考えからアイラ公爵家の資産を横領し、結果的に王政へのクーデターを計画したとして罪に問われることとなった。
ギルバートは既に王子としての身分を剥奪され、きっかけとなった令嬢ポーラも平民に戻っている。彼らに追従し、馬鹿げた考えを支持した者たちと共に、王都の牢で裁判の日を待っているはずだ。
彼らの計画を暴いたのがヴィクトリアとリアムであったため、裁判には証人として出席することになっている。
「証拠の裏取りに時間をかけるようだ。王族によるクーデターなど、歴史を紐解いても例が少ない。貴族院の中でも意見がかなり割れている。陛下は厳罰を求めていらっしゃるが……」
アルフレッドは顔をしかめた。何やら思うところがあるらしい。
「下位貴族の子供たちばかりだったとはいえ、関係者が多すぎるからな。利権絡みであまり重い罰を望まない者がそれなりにいる」
計画の内容が杜撰だったこと、関係者が全員未成年だったことも、意見が割れる理由だと聞いている。
だが、横領の被害者であるアイラ公爵家としては、減刑を許す理由が無い。ヴィクトリアの個人的な気持ちとしても、許すつもりは無かった。彼らは自分勝手な思い込みから、リアムを傷つけたのだ。
その件が無ければ、恋心を自覚することも無かっただろうとは思うが、それとこれとは別である。
ヴィクトリアは部屋の隅に控えているリアムをちらっと見た。いつも通り陰鬱な表情をしている。
「では、お父様。わたくしとリアムの婚約は、その裁判が終わってからということに?」
「そうなるな。二人には申し訳ないが」
言葉の通り、情けなさそうに眉を下げたアルフレッド。
ギルバートが王族としての身分を剥奪されたことにより、ヴィクトリアは婚約者がいなくなった。ヴィクトリアは次の相手としてリアムを希望し、両親にも許可をもらった。しかし、次の婚約が早すぎると体裁も悪いし、「意中の相手と結婚するためにギルバートを嵌めた」などと根も葉もない疑いをかけられる可能性もある。
そのため、正式に婚約を結ぶのは事件に片が付いてから、ということになっていた。
アイラ公爵家を継ぐのはヴィクトリアだ。血を繋ぐために伴侶は必要不可欠。来年には成人することを考えると、今年中に新しい婚約者を探す必要がある。
長期休みの間に身内から婚約者のいない令息を見繕い、関わった事件が終息すると同時に新しく婚約を結ぶ。やや急いでいる感はあるが、ヴィクトリアの年齢を考えれば妥当なところ。公爵家としての体裁は最低限守られるだろう。
貴族は何よりも体裁を大切にするのだ。本音がどうであろうと、建前が整えられていれば文句を言う者はいない。新しい婚約者が自分の従者という身内だからこそ、外側は完璧に繕わなければならない。
ヴィクトリアもリアムも、それは当然のように理解していた。
「お父様がわたくしたちのために動いてくださっていることは、分かっておりますわ。『噂』が流れる分にはよろしいのでしょう?」
「良い子だ、ヴィクトリア。『次期婚約者の噂』については、むしろ流した方が良い。余計な横槍が入っても面倒だから」
アルフレッドは表情を緩めて、柔らかい声で言った。
「多少のトラブルなど我がアイラ公爵家には些細なことだと、広く示していかなければ。ギルバートとの婚約が調う前は、リアムが婚約者の第一候補だった。何も問題はないから、お前は好きなようにやりなさい」
「ええ。ありがとう、お父様」
「報告と相談は忘れないように。ああ、それから」
裁判の日程が書かれた書状を折り畳み、父は話を変えた。公爵としての顔はここまでらしい。
「観劇はどうだった? いつもの劇団だったはずだが」
「とても良かったですわ。劇団はもちろんですが、劇作家の腕が素晴らしいと感じました。本日はいらっしゃらなかったようでお会いすることはできなかったけれど、お名前は伺ってきました。レスター・クリーズとおっしゃるそうですわ」
「クリーズ……、クリーズ伯爵家の次男か」
「ご存じですの?」
ヴィクトリアは首を傾げた。クリーズ伯爵家といえば、領地は持たないが優秀な官僚を代々輩出している、歴史ある家系だったはずだ。その家の次男が劇作家をしているのは、ヴィクトリアも今日初めて知ったばかりだ。
アルフレッドは少し苦笑いを浮かべた。
「劇作家として売れ始めたのはごく最近のようだ。お父様が知ったのは、新作の執筆を王家が止めたと聞いたからだな」
「あんなに才能ある作家の執筆を……? よほど王家に不敬な内容だったのでしょうか?」
「まあ……、そうだな」
歯切れの悪い返事にますます疑問が浮かぶ。だが父はそれ以上劇作家には触れなかった。
「領地に戻ってからは、あちこち視察に回ったりして忙しくしているだろう。せっかくの長期休みなのだから、今日のようにゆっくり過ごしてもいいんだよ」
「ふふ、わたくしは次のアイラ公爵になるのですもの。領地にいる間に、できることをしたいだけですわ」
やる気に満ちているヴィクトリアに、アルフレッドは頼もしそうに目を細めた。
「無理はしないようにな」
「はい」
「では下がって休みなさい」
「ええ。おやすみなさい、お父様」
挨拶をしたヴィクトリアは、父の執務室を辞した。
明日は王都の植物園に作るティールームの参考に、いくつか店を回る予定なのだ。早く休んだ方が良いだろう。
リアムにも休むように言いつけて、ヴィクトリアは部屋に戻った。
父であるアイラ公爵、アルフレッドからそう聞かされたのが、観劇から帰ったその日の晩だった。
公爵邸の執務室で、ヴィクトリアは広い執務机の前に立ち、王都から届いた書状を広げる父の言葉を待っていた。
「学園の後期が始まる直前だ。おおよそふた月後だな」
「意外と遅いのですわね。クーデターであると陛下がお認めになったのですから、もっと早いと思っておりました」
ヴィクトリアの元婚約者、ギルバート第三王子は、平民出身の男爵令嬢ポーラと恋に落ち、身分制度の撤廃を思いついた。特権を持つ者としての自覚が無かった彼は、甘い考えからアイラ公爵家の資産を横領し、結果的に王政へのクーデターを計画したとして罪に問われることとなった。
ギルバートは既に王子としての身分を剥奪され、きっかけとなった令嬢ポーラも平民に戻っている。彼らに追従し、馬鹿げた考えを支持した者たちと共に、王都の牢で裁判の日を待っているはずだ。
彼らの計画を暴いたのがヴィクトリアとリアムであったため、裁判には証人として出席することになっている。
「証拠の裏取りに時間をかけるようだ。王族によるクーデターなど、歴史を紐解いても例が少ない。貴族院の中でも意見がかなり割れている。陛下は厳罰を求めていらっしゃるが……」
アルフレッドは顔をしかめた。何やら思うところがあるらしい。
「下位貴族の子供たちばかりだったとはいえ、関係者が多すぎるからな。利権絡みであまり重い罰を望まない者がそれなりにいる」
計画の内容が杜撰だったこと、関係者が全員未成年だったことも、意見が割れる理由だと聞いている。
だが、横領の被害者であるアイラ公爵家としては、減刑を許す理由が無い。ヴィクトリアの個人的な気持ちとしても、許すつもりは無かった。彼らは自分勝手な思い込みから、リアムを傷つけたのだ。
その件が無ければ、恋心を自覚することも無かっただろうとは思うが、それとこれとは別である。
ヴィクトリアは部屋の隅に控えているリアムをちらっと見た。いつも通り陰鬱な表情をしている。
「では、お父様。わたくしとリアムの婚約は、その裁判が終わってからということに?」
「そうなるな。二人には申し訳ないが」
言葉の通り、情けなさそうに眉を下げたアルフレッド。
ギルバートが王族としての身分を剥奪されたことにより、ヴィクトリアは婚約者がいなくなった。ヴィクトリアは次の相手としてリアムを希望し、両親にも許可をもらった。しかし、次の婚約が早すぎると体裁も悪いし、「意中の相手と結婚するためにギルバートを嵌めた」などと根も葉もない疑いをかけられる可能性もある。
そのため、正式に婚約を結ぶのは事件に片が付いてから、ということになっていた。
アイラ公爵家を継ぐのはヴィクトリアだ。血を繋ぐために伴侶は必要不可欠。来年には成人することを考えると、今年中に新しい婚約者を探す必要がある。
長期休みの間に身内から婚約者のいない令息を見繕い、関わった事件が終息すると同時に新しく婚約を結ぶ。やや急いでいる感はあるが、ヴィクトリアの年齢を考えれば妥当なところ。公爵家としての体裁は最低限守られるだろう。
貴族は何よりも体裁を大切にするのだ。本音がどうであろうと、建前が整えられていれば文句を言う者はいない。新しい婚約者が自分の従者という身内だからこそ、外側は完璧に繕わなければならない。
ヴィクトリアもリアムも、それは当然のように理解していた。
「お父様がわたくしたちのために動いてくださっていることは、分かっておりますわ。『噂』が流れる分にはよろしいのでしょう?」
「良い子だ、ヴィクトリア。『次期婚約者の噂』については、むしろ流した方が良い。余計な横槍が入っても面倒だから」
アルフレッドは表情を緩めて、柔らかい声で言った。
「多少のトラブルなど我がアイラ公爵家には些細なことだと、広く示していかなければ。ギルバートとの婚約が調う前は、リアムが婚約者の第一候補だった。何も問題はないから、お前は好きなようにやりなさい」
「ええ。ありがとう、お父様」
「報告と相談は忘れないように。ああ、それから」
裁判の日程が書かれた書状を折り畳み、父は話を変えた。公爵としての顔はここまでらしい。
「観劇はどうだった? いつもの劇団だったはずだが」
「とても良かったですわ。劇団はもちろんですが、劇作家の腕が素晴らしいと感じました。本日はいらっしゃらなかったようでお会いすることはできなかったけれど、お名前は伺ってきました。レスター・クリーズとおっしゃるそうですわ」
「クリーズ……、クリーズ伯爵家の次男か」
「ご存じですの?」
ヴィクトリアは首を傾げた。クリーズ伯爵家といえば、領地は持たないが優秀な官僚を代々輩出している、歴史ある家系だったはずだ。その家の次男が劇作家をしているのは、ヴィクトリアも今日初めて知ったばかりだ。
アルフレッドは少し苦笑いを浮かべた。
「劇作家として売れ始めたのはごく最近のようだ。お父様が知ったのは、新作の執筆を王家が止めたと聞いたからだな」
「あんなに才能ある作家の執筆を……? よほど王家に不敬な内容だったのでしょうか?」
「まあ……、そうだな」
歯切れの悪い返事にますます疑問が浮かぶ。だが父はそれ以上劇作家には触れなかった。
「領地に戻ってからは、あちこち視察に回ったりして忙しくしているだろう。せっかくの長期休みなのだから、今日のようにゆっくり過ごしてもいいんだよ」
「ふふ、わたくしは次のアイラ公爵になるのですもの。領地にいる間に、できることをしたいだけですわ」
やる気に満ちているヴィクトリアに、アルフレッドは頼もしそうに目を細めた。
「無理はしないようにな」
「はい」
「では下がって休みなさい」
「ええ。おやすみなさい、お父様」
挨拶をしたヴィクトリアは、父の執務室を辞した。
明日は王都の植物園に作るティールームの参考に、いくつか店を回る予定なのだ。早く休んだ方が良いだろう。
リアムにも休むように言いつけて、ヴィクトリアは部屋に戻った。
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