耽美令嬢は不幸がお好き ~かわいそかわいい従者を愛でながら、婚約破棄して勘違い男たちにお仕置きします~

神野咲音

文字の大きさ
上 下
32 / 66
第一章

美しいものはすべて、

しおりを挟む
 学園が夏の長期休みに入り、ヴィクトリアは領地に帰って来た。

 これまでは定期的にギルバートに手紙を贈ったり、時には王族の別荘に赴いたりしていたけれど、今年はその必要もない。

 開放的な気分だった。

 ユージェニーとはお互いの領地に遊びに行く約束をしているが、彼女との予定は市場調査で埋まりそうだと予想している。きっとそれも楽しいだろう。外出用のドレスを新調するのに、仕立屋を呼ばなくてはいけない。

 だが、まずはやらなくてはならないことがある。

 久しぶりに家族三人、顔を合わせて話した。近況報告や、これからのヴィクトリアの望みなど。

 両親はちゃんと話を聞いて、ヴィクトリアの我が儘も聞いて、頷いてくれた。わざわざリアムを置いてポーラに会いにいった甲斐があったというものだ。

 準備を終えて、ヴィクトリアはリアムを連れ、領都の植物園にやって来た。

 昔リアムがいた、スラム街の面影はどこにもない。人々が明るい笑顔で行き交う、このアイラ公爵領有数の観光地の一つだ。

 ヴィクトリアは植物園のエリア一つを貸し切り、テーブルを用意させていた。普段であれば給仕はリアムの仕事だが、今日は別に侍女を連れてきている。

 いつものようにお茶を淹れようとしたリアムを止めて、正面に座らせた。


「お嬢様、どうなさったのですか?」


 学期末パーティー以来、リアムはヴィクトリアへの好意を隠さなくなった。これまでの忠誠に、さらに恋情が乗せられてヴィクトリアに向けられる。

 赤い瞳に籠る熱に、焦がされそうになる。全身が燃え上がって、形も残らないくらいに。それが心地よいと感じるのだから、まったく、確かにヴィクトリアたちはおかしいのかもしれない。

 窺うように向けられた熱い視線に快感を覚えながらも、ヴィクトリアはお茶を飲んで心を落ち着かせた。


「リアム、大切な話があるの」

「……はい」


 わざと沈んだ表情で重々しく切り出せば、面白いくらいにリアムの瞳が揺れた。

 小さく息を吐く。リアムから送られる視線が徐々に縋るようなものに変わって、テーブルに乗せられた両手がきつく握られた。


「あのね、」


 躊躇うように、そっと声を潜ませる。

 リアムが無理やり息を吸い込み、ぎゅっと目を閉じた。かたかたと小刻みに震える拳を、上から握る。


「お父様とお母様が、わたくしたちの婚約を認めてくれたわ!」

「……え」


 ぱっと目を開いたリアムは、呆けたように口を開けた。

 ヴィクトリアは満面の笑みで身を乗り出し、リアムの頬に手の平を滑らせる。


「ふふふ、今日も素敵な顔をありがとう、リアム。ちょっと頬が冷たくなっているわね」

「お嬢様がお喜びなら、それでいいです……」


 がっくりと力が抜けたらしいリアムは、一呼吸分おいてから、はは、と声を上げて笑った。

 重なった手を握り返して、じわじわと顔を赤くしていく。そんな従者の姿に、ヴィクトリアも頬を熱くさせた。


「本当に……、私が、お嬢様の婚約者に?」

「ええ、許してもらったわ。最初に駄目と言われた時は、どうしようかと思ったけれど」


 我ながら完璧な理論でリアムの有用性を説いたと思ったのに、即座に却下されたのだ。父のアルフレッドだってリアムを気に入っているのだから、許可はすぐに下りるだろうと考えていたヴィクトリアは、あまりにもびっくりして作った資料を破いてしまった。

 けれど、領地に戻ってきてからゆっくり話をして、父の思惑を初めて知った。


「わたくしがギルバートと婚約する前は、リアムを結婚相手に考えていたのですって」

「そう、なのですか?」


 リアムが目を丸くする。ヴィクトリアも聞いた時は驚いた。

 ヴィクトリアがリアムを傍に置きたいと望み、彼の血に魔力が宿っていると判明した時。アルフレッドは使用人としてリアムを雇う予定だったのを、急遽変更して近しい家の養子にさせた。そして従者として、後継者教育を受けているヴィクトリアにつかせた。共に学び、成長することで、アイラ公爵家に相応しい人間として育つようにと。

 初めからアルフレッドは、リアムにヴィクトリアを支えさせるつもりだったのだ。


「アイラ公爵家は近頃の発展が目覚ましい。王家からすれば、これ以上アイラが力をつけるのは望ましくないでしょう? 貴族の力関係を考えれば、わたくしの結婚相手はそういないわ。爵位が釣り合う相手は家の力が強すぎるし、王家に警戒されずに済む家は爵位が低すぎる。その点、バルフォア伯爵家は家格が高すぎず低すぎず、何よりもともとアイラの家臣だから力の均衡も崩れない。そういう理由で、リアムの養子先に選んだらしいの」

「……もしや、私がスラム育ちなのも理由の一つですか? 公爵家が強くなりすぎないように」

「そうかもしれないわ。でも、王家の方からギルバートとの婚約の打診があった。王家の方から繋がりを求めてきたのだから、お父様からすれば断る理由は無いわ」


 周囲に気を配りながら結婚相手を定めるより、王家から求められて結婚する方が軋轢が少ない。どこまでも冷静な、当主としての決定だ。


「ただ、お父様もギルバートのことは独自に監視していたらしくて……。わたくしが婚約破棄を決意したのと、お父様が彼を見限ったのはほぼ同時だったらしいわ。ポーラに悪い影響を受けていたのを、もう修正不可だと判断したのね。少し怒られてしまったわ、もっと婚約者の動向に注意を向けるべきだったと」


 ヴィクトリアの婚約破棄をあっさりと許可したのも、そういう背景があったからだ。

 やはり、まだまだ父には及ばない。先を見る目も、手回しの早さも。


「だからね、そもそもリアムのことは、わたくしの婚約者候補として認めてくれていたの。わたくしがリアムの必要性を説明しても意味が無くて当然よね。……悔しい」


 今度こそ、自分の力だけで成し遂げてみせようと、やる気満々だったのに。父の手の上で踊らされている気分だ。

 不満を隠すことなく唇を尖らせていると、リアムが小さく笑った。


「なら、どうやって認めていただいたのですか?」

「……それは」


 答えようとしたが、言葉に詰まった。

 リアムには、父に婚約を許可してもらえなかった理由や、ポーラに会いに行った理由を話していないのだ。

 愛が感じられない、と言われたのがショックだったし、気恥ずかしかったのもある。


「言わなきゃ駄目?」

「聞きたいです」


 だが、目の前に座るリアムは期待に目を輝かせている。そんな風に見つめられたら、応えてあげたくなるのが主人の性だ。


「……リアムのせいで死んでも後悔しないくらい、愛してるから、結婚したいって言ったのよ」


 自然と顔が俯き、声も小さくなった。意味もなく指先に髪を巻き付ける。

 恋愛なんて無縁だったヴィクトリアにとって、パーティーの時のように気持ちが昂っていない状態で、自分の気持ちを口にするのは難しい。そもそも貴族の令嬢は、感情を悟らせないようにする術を教え込まれる。本音で語ることは少ない。

 ちらっとリアムを見る。どんな顔をしているのか見たくて。照れているのか、喜んでいるのか。

 リアムは、さっきまで浮かべていた笑みを消して、血の気の引いた顔をしていた。


「リアム?」

「それは……、いけません、お嬢様」

「ど、うして? だって、わたくしは」


 まさか、次はリアムに拒絶されるとは思わなかった。

 ヴィクトリアが愕然としたのを、リアムはどう捉えたのか、慌てて立ち上がって傍に跪いた。


「ちがう、違うんですお嬢様」

「何が違うの? わたくしが何のために……。だってポーラも言っていたのよ、ギルバートのために死ぬかもしれないと思ったら、気持ちが冷めたのだと。わたくしは絶対にそんなこと無いわ。それは、リアムのことが好きだからではないの? これは、愛ではないの?」


 リアムに両腕を掴まれて、びくりと体が揺れた。


「そうじゃありません。私も同じ気持ちです。申し訳ありません、違うんです。ただ……、私にとってお嬢様は命をかけてお守りする存在なんです。私のせいでお嬢様が死ぬ、なんて、そんなの」


 リアムの声がか細く震えて、湿り気を帯びる。


「想像だとしても耐えられません。もしお嬢様に何かあったら、私は迷いなく後を追います」


 それは簡単に予想がついた。きっとリアムは、ヴィクトリアのいない世界では生きていけないだろう。


「ええ、そうね。そうだったわ。いつも言っているものね」


 求愛を拒まれたのではなかった。そのことに安堵して、薄く涙の浮いた赤い瞳のふちを、親指で撫でた。

 いつものかわいいリアムだ。ヴィクトリアが愛する、この世で一番美しい従者。

 誤解が解けたことに安心したのか、リアムはほうと息をついて、口元を緩ませた。


「ヴィクトリアお嬢様、私もあなたを愛しています。ずっとお傍にいさせてください。従者としても、男としても」

「従者をやめる気は無いのね?」

「絶対にやめません。私以外の人間が従者になったら、嫉妬で消してしまいそうです」

「ふふふ、意外と欲張りだったのね、リアムは」


 自然と顔が近づいて、鼻先が触れ合う。ぼやけた視界でも、リアムがくしゃりと目元を歪めたのが分かった。


「口づけを、許してくださいますか?」

「……ええ、許すわ」


 静かに重なった唇は、お互いに震えていて、泣きそうになった。

 この場所で出会って、その美しさに目を奪われた。ヴィクトリアの世界を丸ごと塗り替えて、心を捉えて離さない。ずっとずっと、大好きだった。


(わたくしの、最愛。何よりも美しい、愛しい、初恋)


 体を離すと、リアムもぽろぽろと涙を零していて、顔を見合わせて笑ってしまった。


「愛しているわ、リアムの不幸も、幸福も、丸ごと」


 貴族としての矜持も、個人としての幸せも。

 美しいと思うもの、すべてはヴィクトリアのためにある。

 胸が張り裂けそうなほどの想いを噛み締めて、今度はヴィクトリアからリアムに口づけた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

婚約破棄で命拾いした令嬢のお話 ~本当に助かりましたわ~

華音 楓
恋愛
シャルロット・フォン・ヴァーチュレストは婚約披露宴当日、謂れのない咎により結婚破棄を通達された。 突如襲い来る隣国からの8万の侵略軍。 襲撃を受ける元婚約者の領地。 ヴァーチュレスト家もまた存亡の危機に!! そんな数奇な運命をたどる女性の物語。 いざ開幕!!

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました

さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。 私との約束なんかなかったかのように… それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。 そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね… 分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処刑から始まる私の新しい人生~乙女ゲームのアフターストーリー~

キョウキョウ
恋愛
 前世の記憶を保持したまま新たな世界に生まれ変わった私は、とあるゲームのシナリオについて思い出していた。  そのゲームの内容と、今の自分が置かれている状況が驚くほどに一致している。そして私は思った。そのままゲームのシナリオと同じような人生を送れば、16年ほどで生涯を終えることになるかもしれない。  そう思った私は、シナリオ通りに進む人生を回避することを目的に必死で生きた。けれど、運命からは逃れられずに身に覚えのない罪を被せられて拘束されてしまう。下された判決は、死刑。  最後の手段として用意していた方法を使って、処刑される日に死を偽装した。それから、私は生まれ育った国に別れを告げて逃げた。新しい人生を送るために。 ※カクヨムにも投稿しています。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

他人の婚約者を誘惑せずにはいられない令嬢に目をつけられましたが、私の婚約者を馬鹿にし過ぎだと思います

珠宮さくら
恋愛
ニヴェス・カスティリオーネは婚約者ができたのだが、あまり嬉しくない状況で婚約することになった。 最初は、ニヴェスの妹との婚約者にどうかと言う話だったのだ。その子息が、ニヴェスより年下で妹との方が歳が近いからだった。 それなのに妹はある理由で婚約したくないと言っていて、それをフォローしたニヴェスが、その子息に気に入られて婚約することになったのだが……。

処理中です...