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第一章
愛とは何か
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揺れる馬車は王都の郊外に向かっている。ヴィクトリアの向かいに、リアムはいない。
今日だけはリアムを護衛から外した。行き先もあってものすごく嫌がられたが、こればかりはヴィクトリアも譲れなかった。
聞きたいことがあったのだ。平民の身分に戻ったポーラに。
魔法で厳重に閉ざされた牢は、分厚い石の壁と細い窓のせいで随分と重苦しい雰囲気を放っている。
事前に話を通しておいたので、ヴィクトリアはすぐにポーラの牢へ案内された。
既に魔力封印の処置は取られている。独房に入れられたポーラは、全身に倦怠感を滲ませながらヴィクトリアを見た。
「……なに? あたしのこと笑いに来たの?」
「それもあるけれど。いったいどれほど美しい絶望を見せてくれるのかと思ったけれど、そうでもないわね。学期末パーティーの時の方がまだ見事だったわ」
ポーラはすべてを諦めているようだった。これから足掻いてやろうなどという気概は見当たらない。
やはりリアムの方が美しい、と一人納得して、ヴィクトリアは頷いた。
「ほんと、あなたのそれって悪趣味だよね」
飾らない話し方は、彼女の素の姿だろう。あれで一応、ヴィクトリアの前では貴族として振る舞っているつもりだったらしい。
「リアム君もリアム君だよ。せっかく助けたと思ったのに、ヴィクトリア様を選ぶなんて。二人とも頭おかしい」
「誉め言葉として受け取っておくわ。面会時間が少ないから、さっさと済ませるわね。今日は聞きたいことがあって来たのよ」
そのために、わざわざリアムではない護衛を三人も引き連れてきたのだ。ポーラからしてみれば圧が強いだろうが、そこは仕方がないので諦めてもらう。
「あたしに聞きたいこと? そんなのあるの?」
自嘲気味に笑うポーラをじっと見つめる。
「あなた、ギルバートのことを本当に愛していたの?」
ポーラの笑みがゆっくりと消えた。
そもそもは、ギルバートとポーラの関係から始まった。だから、今更なことを聞いている自覚はある。
けれど聞いてみたかったのだ。愛の一言のみでここまで突っ走った彼女に、愛とはなんなのか。
「……たぶん、本当に好きだったよ」
「たぶん?」
「今はもう分かんないや。だってあたしたち、裁判の結果では死刑なんでしょう? ギル君のために死ぬかもしれないんだ、って思ったら……。理不尽に感じちゃった。それって、好きだったけど、そこまででもないってことだよね」
もう遅いけど、とため息をついたポーラは、独り言のように語る。
「おばあちゃんが、愛を知ったら幸せになれるのよって言ってた。おじいちゃんは、チャンスを掴めって。でも結局あたしは失敗して、幸せにはなれない。愛も本物じゃなかったし、チャンスも掴み損ねたんだなって」
どこか遠くを見る目で、ため息をついた。
「貴族になんて、ならなきゃよかったな……」
「……そうね。あなたは平民として生きていた方が、幸せになれたかもしれないわね」
ポーラは貴族には向いていなかった。平民として、祖父母の元で暮らしていれば、それなりに裕福で恵まれた生活ができただろう。
だが、同時にこうも思うのだ。
すべてを環境のせいにして嘆くだけの彼女は、貴族にならなくともどこかで躓いていただろう、と。
「ていうか、どうしてそんなこと聞きに来たの? 裁判に影響する?」
「いいえ、まったくの個人的な事情よ」
ポーラは少し興味を持った風だった。
「へえ。価値観の歪み切った『耽美令嬢』様が、いったいどういう風の吹き回し?」
「関係ないけど、その『耽美令嬢』って呼び方、結構気に入ってるの。悪口にはならないから、嫌味たっぷりに言っても無駄よ」
「そう。それで?」
鉄格子の向こうにいるポーラに、柔らかく微笑みかける。
「リアムと婚約したくてお父様にいろいろと訴えてみたのだけど、お許しがもらえなくて。アイラ公爵家への忠誠とか、これまでの功績とか、資料まで作って演説したのだけど。バルフォア家はそもそもアイラの縁戚だから、家の繋がりで婚約の理由を作るには弱くて……」
「……え、本気で言ってるの? リアム君と結婚するつもり?」
「本気じゃなかったらこんな所まで来ないわ」
嘘でしょ……、と呟いたポーラは、唖然としてヴィクトリアを見上げた。
「だってヴィクトリア様、リアム君のこと完全に所有物扱いだったじゃない。好きだったの?」
「そうなのよ。ユージェニーに言われて初めて気づいたわ」
重々しく頷くヴィクトリア。
「あ、ありえない! 好きな相手を虐めて楽しんでたの? それ……、十歳くらいの男の子がやる奴だよ!」
「それは好きな相手に素直になれない幼心の発露でしょう。わたくしはただリアムを愛でていただけよ」
「もっとありえないんだけど!?」
そんな、化け物を見るような目をしなくても。
やはりリアムを連れて来なくて正解だった。最近のリアムは少し、忠誠とか愛情が限界突破してユージェニーにも引かれるほどだから。
彼がここにいたら、ポーラが裁判前に謎の死を遂げることになっていたかもしれない。
「リアムは嬉しそうだから良いのではなくて?」
「もう……、いいよ……。それで、どうして反対されてるの?」
ポーラは疲れ切った顔をした。
「……わたくしは、愛が分かってないのですって」
「はあ?」
「お前の説得からは愛が感じられない、ってお父様に言われてしまったわ。リアムが有用なのは知っているから、そこを説明されても今更だって」
そんなことを言われても、というのがヴィクトリアの正直な感情だ。リアムが好きだから結婚したい。それはヴィクトリアからしてみたら、ただの我が儘だ。だから家のためになる理由をつけて、どうにか父を説得しようとしたのに。
貴族の結婚に愛は必要ないのだ。まずは義務があって、そこに愛が付属するのが理想。ヴィクトリアの両親のように。
そうヴィクトリアに教育した父が、愛を優先するとは思わなかった。
難しい顔をするヴィクトリアは、周りの護衛がほっこりした顔をしていることも、ポーラが思いっきり顔をしかめているのにも気づかない。
「それって」
「なに?」
「あなたに幸せになってほしいっていう、お父さんの親心じゃないの?」
ヴィクトリアは目をぱちぱちさせた。ポーラを見て、睨み返されて、護衛の三人を見て微笑まれる。
「あたしが言うのもおかしいんだけど、義務だけの婚約で酷い目に遭ったから、次はちゃんと好きな人と結ばれてほしいっていう……。だってリアム君のことは認めてるんでしょう? その上で、二人が本気で愛しあってるのかを確認してるんじゃないの?」
そこまで言ってから、ポーラは頭を掻き毟った。
「もうっ、なんであたしは大っ嫌いな相手の恋愛相談に乗らなきゃいけないの! もうそろそろ時間も終わるでしょ、さっさと帰ってよ。魔力封印されてるとすっごいしんどいんだから!」
確かに彼女の顔は青白い。ヴィクトリアは素直に謝罪した。
「それはごめんなさい。そうね、もう帰らないといけないわ。リアムがやきもきしていそうだし」
鉄格子から離れて、護衛に囲まれて一歩を踏み出して。ヴィクトリアは振り返った。
「相談に乗ってくれてありがとう、ポーラ。あなたとギルバートより、わたくしとリアムの方が心の底から愛しあってるって分かったわ。今ならお父様を説得できそう」
ここに来たのは、ヴィクトリアの知る限り、愛を原動力にしていたのがポーラだけだったからだ。何か掴めるかもしれないと思っていたが、想像以上の収穫だった。
だから礼を言ったのだが、今日見た中で一番嫌そうな顔をされてしまった。
「ほんっとに性格悪いよ!」
「誉め言葉ね、ありがとう」
「嫌い!」
「ふふ、今のあなたはそんなに醜くないから、わたくしは嫌いではないわよ」
絶句しているポーラに笑いかけて、ヴィクトリアは牢を後にした。
今日だけはリアムを護衛から外した。行き先もあってものすごく嫌がられたが、こればかりはヴィクトリアも譲れなかった。
聞きたいことがあったのだ。平民の身分に戻ったポーラに。
魔法で厳重に閉ざされた牢は、分厚い石の壁と細い窓のせいで随分と重苦しい雰囲気を放っている。
事前に話を通しておいたので、ヴィクトリアはすぐにポーラの牢へ案内された。
既に魔力封印の処置は取られている。独房に入れられたポーラは、全身に倦怠感を滲ませながらヴィクトリアを見た。
「……なに? あたしのこと笑いに来たの?」
「それもあるけれど。いったいどれほど美しい絶望を見せてくれるのかと思ったけれど、そうでもないわね。学期末パーティーの時の方がまだ見事だったわ」
ポーラはすべてを諦めているようだった。これから足掻いてやろうなどという気概は見当たらない。
やはりリアムの方が美しい、と一人納得して、ヴィクトリアは頷いた。
「ほんと、あなたのそれって悪趣味だよね」
飾らない話し方は、彼女の素の姿だろう。あれで一応、ヴィクトリアの前では貴族として振る舞っているつもりだったらしい。
「リアム君もリアム君だよ。せっかく助けたと思ったのに、ヴィクトリア様を選ぶなんて。二人とも頭おかしい」
「誉め言葉として受け取っておくわ。面会時間が少ないから、さっさと済ませるわね。今日は聞きたいことがあって来たのよ」
そのために、わざわざリアムではない護衛を三人も引き連れてきたのだ。ポーラからしてみれば圧が強いだろうが、そこは仕方がないので諦めてもらう。
「あたしに聞きたいこと? そんなのあるの?」
自嘲気味に笑うポーラをじっと見つめる。
「あなた、ギルバートのことを本当に愛していたの?」
ポーラの笑みがゆっくりと消えた。
そもそもは、ギルバートとポーラの関係から始まった。だから、今更なことを聞いている自覚はある。
けれど聞いてみたかったのだ。愛の一言のみでここまで突っ走った彼女に、愛とはなんなのか。
「……たぶん、本当に好きだったよ」
「たぶん?」
「今はもう分かんないや。だってあたしたち、裁判の結果では死刑なんでしょう? ギル君のために死ぬかもしれないんだ、って思ったら……。理不尽に感じちゃった。それって、好きだったけど、そこまででもないってことだよね」
もう遅いけど、とため息をついたポーラは、独り言のように語る。
「おばあちゃんが、愛を知ったら幸せになれるのよって言ってた。おじいちゃんは、チャンスを掴めって。でも結局あたしは失敗して、幸せにはなれない。愛も本物じゃなかったし、チャンスも掴み損ねたんだなって」
どこか遠くを見る目で、ため息をついた。
「貴族になんて、ならなきゃよかったな……」
「……そうね。あなたは平民として生きていた方が、幸せになれたかもしれないわね」
ポーラは貴族には向いていなかった。平民として、祖父母の元で暮らしていれば、それなりに裕福で恵まれた生活ができただろう。
だが、同時にこうも思うのだ。
すべてを環境のせいにして嘆くだけの彼女は、貴族にならなくともどこかで躓いていただろう、と。
「ていうか、どうしてそんなこと聞きに来たの? 裁判に影響する?」
「いいえ、まったくの個人的な事情よ」
ポーラは少し興味を持った風だった。
「へえ。価値観の歪み切った『耽美令嬢』様が、いったいどういう風の吹き回し?」
「関係ないけど、その『耽美令嬢』って呼び方、結構気に入ってるの。悪口にはならないから、嫌味たっぷりに言っても無駄よ」
「そう。それで?」
鉄格子の向こうにいるポーラに、柔らかく微笑みかける。
「リアムと婚約したくてお父様にいろいろと訴えてみたのだけど、お許しがもらえなくて。アイラ公爵家への忠誠とか、これまでの功績とか、資料まで作って演説したのだけど。バルフォア家はそもそもアイラの縁戚だから、家の繋がりで婚約の理由を作るには弱くて……」
「……え、本気で言ってるの? リアム君と結婚するつもり?」
「本気じゃなかったらこんな所まで来ないわ」
嘘でしょ……、と呟いたポーラは、唖然としてヴィクトリアを見上げた。
「だってヴィクトリア様、リアム君のこと完全に所有物扱いだったじゃない。好きだったの?」
「そうなのよ。ユージェニーに言われて初めて気づいたわ」
重々しく頷くヴィクトリア。
「あ、ありえない! 好きな相手を虐めて楽しんでたの? それ……、十歳くらいの男の子がやる奴だよ!」
「それは好きな相手に素直になれない幼心の発露でしょう。わたくしはただリアムを愛でていただけよ」
「もっとありえないんだけど!?」
そんな、化け物を見るような目をしなくても。
やはりリアムを連れて来なくて正解だった。最近のリアムは少し、忠誠とか愛情が限界突破してユージェニーにも引かれるほどだから。
彼がここにいたら、ポーラが裁判前に謎の死を遂げることになっていたかもしれない。
「リアムは嬉しそうだから良いのではなくて?」
「もう……、いいよ……。それで、どうして反対されてるの?」
ポーラは疲れ切った顔をした。
「……わたくしは、愛が分かってないのですって」
「はあ?」
「お前の説得からは愛が感じられない、ってお父様に言われてしまったわ。リアムが有用なのは知っているから、そこを説明されても今更だって」
そんなことを言われても、というのがヴィクトリアの正直な感情だ。リアムが好きだから結婚したい。それはヴィクトリアからしてみたら、ただの我が儘だ。だから家のためになる理由をつけて、どうにか父を説得しようとしたのに。
貴族の結婚に愛は必要ないのだ。まずは義務があって、そこに愛が付属するのが理想。ヴィクトリアの両親のように。
そうヴィクトリアに教育した父が、愛を優先するとは思わなかった。
難しい顔をするヴィクトリアは、周りの護衛がほっこりした顔をしていることも、ポーラが思いっきり顔をしかめているのにも気づかない。
「それって」
「なに?」
「あなたに幸せになってほしいっていう、お父さんの親心じゃないの?」
ヴィクトリアは目をぱちぱちさせた。ポーラを見て、睨み返されて、護衛の三人を見て微笑まれる。
「あたしが言うのもおかしいんだけど、義務だけの婚約で酷い目に遭ったから、次はちゃんと好きな人と結ばれてほしいっていう……。だってリアム君のことは認めてるんでしょう? その上で、二人が本気で愛しあってるのかを確認してるんじゃないの?」
そこまで言ってから、ポーラは頭を掻き毟った。
「もうっ、なんであたしは大っ嫌いな相手の恋愛相談に乗らなきゃいけないの! もうそろそろ時間も終わるでしょ、さっさと帰ってよ。魔力封印されてるとすっごいしんどいんだから!」
確かに彼女の顔は青白い。ヴィクトリアは素直に謝罪した。
「それはごめんなさい。そうね、もう帰らないといけないわ。リアムがやきもきしていそうだし」
鉄格子から離れて、護衛に囲まれて一歩を踏み出して。ヴィクトリアは振り返った。
「相談に乗ってくれてありがとう、ポーラ。あなたとギルバートより、わたくしとリアムの方が心の底から愛しあってるって分かったわ。今ならお父様を説得できそう」
ここに来たのは、ヴィクトリアの知る限り、愛を原動力にしていたのがポーラだけだったからだ。何か掴めるかもしれないと思っていたが、想像以上の収穫だった。
だから礼を言ったのだが、今日見た中で一番嫌そうな顔をされてしまった。
「ほんっとに性格悪いよ!」
「誉め言葉ね、ありがとう」
「嫌い!」
「ふふ、今のあなたはそんなに醜くないから、わたくしは嫌いではないわよ」
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