26 / 66
第一章
二人のドレスは揃わない
しおりを挟む
ヴィクトリアが王宮にやって来るのは久しぶりだった。
このところはギルバートに定期的な顔合わせを断られていたし、王家からも遠回しに「無理はしなくていい」という連絡を貰っている。
根回しは着々と進んでいる。何も知らないのはギルバートたちだけだ。
父と二人、国王に謁見した後。ヴィクトリアからの申し出で、応接間でギルバートと会うことになった。
「何かな? わざわざ父上を通して誘ってくるなんて」
やって来たギルバートは、開口一番そう言った。もはや冷笑を隠しもしない。その背後にいるリアムが、きつく拳を握りしめたのが分かった。視線だけで宥めると、ふっと彼の体から力が抜ける。
少し前まではその姿を見ると苛立って仕方がなかったが、今は何とも思わない。心持ち一つでこうも違うかと、ヴィクトリアは張り付けた笑顔の下で感心した。
「婚約者として、事務的なお話ですわ。この期に及んで無駄な論争などいたしません」
澄ました口調で言うと、ギルバートの眉が僅かに寄った。だがすぐに、「聞こう」と傲然と顎を上げる。
「……もうすぐ学園の前期が終わります。学期末パーティーには出席されるのでしょうか?」
「もちろんだよ」
学期末に学園で催されるパーティーは、学期の終了を祝うためのものだ。成績上位者や特別な功績を立てた生徒が表彰されるが、成績が足りなかった者もここで発表される。留年などということになれば家の面子にも関わるため、誰もが必死に勉強するのだ。
学期末パーティーは、貴族の子供が本格的に社交界に出る前の、実践教育の場でもある。下級生は上級生の振る舞いを見て学び、最終学年ともなれば無様な姿を見せれば笑われる。
婚約者がいるならば、共に出席するのが当然だ。衣装を揃え、パーティーの後半にはダンスを踊る。
ヴィクトリアはわざとらしくため息をついて見せた。
「いつまでたっても殿下から連絡がこないものですから、参加する気が無いのかと思っていましたわ。ドレスのデザインを合わせるのには、もう間に合いませんわよ?」
「君は僕の色に合わせたドレスをいくつも持っているだろう? それで十分なはずだ」
実に馬鹿げたことを言われた。さすがにこれは、この場で怒っていい。
「なんてことをおっしゃるんですか。わたくしたち学生の大切なパーティーで、ドレスを着回せと? アイラ公爵令嬢たるこのわたくしに?」
「パーティーの度にドレスを作るなんて、無駄な出費だろう。一度しか着ていないドレスだってあるはずだ。それくらいならバレないさ」
バレないはずがない。授業の日に着るドレスならともかく、パーティー用のドレスなんて細部まで確認されるのだ。ヴィクトリアほど注目される存在ならば、特に。
「一国の王子たる方の発言とは思えませんわね。それでは、殿下のお召し物はどうされますの?」
「僕の衣装も既に用意してある。君が口を出すことではない」
少し前までのギルバートなら、もう少し常識があったのに。
とはいえ、そう言われることは想定していた。ギルバートがどんな準備をしているのかは、すべてリアムを通して報告されているからだ。
「分かっておられるとは思いますが、殿下がエスコートするのはアーキンさんではなく、婚約者のわたくしですわよ。でなければ、殿下だけではなくアーキンさんも白い目で見られるのですから」
滑稽な話だ。お互いに恋愛感情が無いのはともかく、ヴィクトリアに至っては既に、ギルバートを婚約者とも認めていない。だが、二人はまだ契約で結ばれている。
ここへきて、気持ちの伴わない契約の関係を疎んじるポーラの気持ちが分かってしまった。彼女のように愚かな行いはしないが。
「それは、脅しかい?」
「何に対する?」
「君を婚約者として扱わなければ、ポーラに手を出すという」
「どうとでも受け取ってください。殿下がパーティーに参加することが大事なのですから」
ギルバートの婚約者であるという点に、ほんの少しの価値もないのに。ヴィクトリアがギルバートの寵愛を求めていないことなど、百も承知の関係だった。
そんなことさえ忘れているなら、救いようがない。
「それを確認したかっただけです。殿下からの連絡が無かったので、わたくしのドレスもこちらで勝手に準備しておりますわ。殿下とは揃っておりませんが、それは承諾済みということで、よろしいですわね」
「構わないよ」
ヴィクトリアが欲しかったのは、パーティーに出ること、ドレスがギルバートに合わせたものではないこと、これらをギルバート本人が承諾したという言質だ。
特にドレスのことなど、パーティー会場で声高に指摘されたらたまらない。
目的を果たしたヴィクトリアは、一部の隙もない姿勢で礼をした。
「それでは、今日はこれで失礼しますわ。殿下も、わたくしよりアーキンさんと過ごすことをお望みでしょう」
貴族らしい振る舞い、表情、そして寛大さ。今のギルバートの気に障ることを分かっていて、ヴィクトリアは薄く微笑んだ。
ギルバートは顔をしかめて、だが何も言わなかった。
涼しげに退出を告げ、応接間を出る直前に振り返る。
「そうですわ、殿下。一つ忘れておりました」
「なんだい?」
「今回の学期末パーティー、王太子殿下が来賓としていらっしゃるそうですわ。くれぐれも、見苦しいお姿は晒さないようにお願いいたします」
「は? 兄上が? 何故」
「わたくしではなく、王太子殿下に直接お聞きすればよろしいでしょう。ご兄弟なのですから」
それでは、と改めて一礼して、応接間を後にする。リアムが惜しむような視線を送って来るのに、微笑みを返すのは忘れずに。
ギルバートはきっと、最後まで気づかないのだろう。
学期末パーティーなどにわざわざ王族が出てくる意味も、ヴィクトリアがドレスを合わせない意味も。
今日の会話に何も思わないのなら、彼の未来には一筋の光さえ残らないだろう。
このところはギルバートに定期的な顔合わせを断られていたし、王家からも遠回しに「無理はしなくていい」という連絡を貰っている。
根回しは着々と進んでいる。何も知らないのはギルバートたちだけだ。
父と二人、国王に謁見した後。ヴィクトリアからの申し出で、応接間でギルバートと会うことになった。
「何かな? わざわざ父上を通して誘ってくるなんて」
やって来たギルバートは、開口一番そう言った。もはや冷笑を隠しもしない。その背後にいるリアムが、きつく拳を握りしめたのが分かった。視線だけで宥めると、ふっと彼の体から力が抜ける。
少し前まではその姿を見ると苛立って仕方がなかったが、今は何とも思わない。心持ち一つでこうも違うかと、ヴィクトリアは張り付けた笑顔の下で感心した。
「婚約者として、事務的なお話ですわ。この期に及んで無駄な論争などいたしません」
澄ました口調で言うと、ギルバートの眉が僅かに寄った。だがすぐに、「聞こう」と傲然と顎を上げる。
「……もうすぐ学園の前期が終わります。学期末パーティーには出席されるのでしょうか?」
「もちろんだよ」
学期末に学園で催されるパーティーは、学期の終了を祝うためのものだ。成績上位者や特別な功績を立てた生徒が表彰されるが、成績が足りなかった者もここで発表される。留年などということになれば家の面子にも関わるため、誰もが必死に勉強するのだ。
学期末パーティーは、貴族の子供が本格的に社交界に出る前の、実践教育の場でもある。下級生は上級生の振る舞いを見て学び、最終学年ともなれば無様な姿を見せれば笑われる。
婚約者がいるならば、共に出席するのが当然だ。衣装を揃え、パーティーの後半にはダンスを踊る。
ヴィクトリアはわざとらしくため息をついて見せた。
「いつまでたっても殿下から連絡がこないものですから、参加する気が無いのかと思っていましたわ。ドレスのデザインを合わせるのには、もう間に合いませんわよ?」
「君は僕の色に合わせたドレスをいくつも持っているだろう? それで十分なはずだ」
実に馬鹿げたことを言われた。さすがにこれは、この場で怒っていい。
「なんてことをおっしゃるんですか。わたくしたち学生の大切なパーティーで、ドレスを着回せと? アイラ公爵令嬢たるこのわたくしに?」
「パーティーの度にドレスを作るなんて、無駄な出費だろう。一度しか着ていないドレスだってあるはずだ。それくらいならバレないさ」
バレないはずがない。授業の日に着るドレスならともかく、パーティー用のドレスなんて細部まで確認されるのだ。ヴィクトリアほど注目される存在ならば、特に。
「一国の王子たる方の発言とは思えませんわね。それでは、殿下のお召し物はどうされますの?」
「僕の衣装も既に用意してある。君が口を出すことではない」
少し前までのギルバートなら、もう少し常識があったのに。
とはいえ、そう言われることは想定していた。ギルバートがどんな準備をしているのかは、すべてリアムを通して報告されているからだ。
「分かっておられるとは思いますが、殿下がエスコートするのはアーキンさんではなく、婚約者のわたくしですわよ。でなければ、殿下だけではなくアーキンさんも白い目で見られるのですから」
滑稽な話だ。お互いに恋愛感情が無いのはともかく、ヴィクトリアに至っては既に、ギルバートを婚約者とも認めていない。だが、二人はまだ契約で結ばれている。
ここへきて、気持ちの伴わない契約の関係を疎んじるポーラの気持ちが分かってしまった。彼女のように愚かな行いはしないが。
「それは、脅しかい?」
「何に対する?」
「君を婚約者として扱わなければ、ポーラに手を出すという」
「どうとでも受け取ってください。殿下がパーティーに参加することが大事なのですから」
ギルバートの婚約者であるという点に、ほんの少しの価値もないのに。ヴィクトリアがギルバートの寵愛を求めていないことなど、百も承知の関係だった。
そんなことさえ忘れているなら、救いようがない。
「それを確認したかっただけです。殿下からの連絡が無かったので、わたくしのドレスもこちらで勝手に準備しておりますわ。殿下とは揃っておりませんが、それは承諾済みということで、よろしいですわね」
「構わないよ」
ヴィクトリアが欲しかったのは、パーティーに出ること、ドレスがギルバートに合わせたものではないこと、これらをギルバート本人が承諾したという言質だ。
特にドレスのことなど、パーティー会場で声高に指摘されたらたまらない。
目的を果たしたヴィクトリアは、一部の隙もない姿勢で礼をした。
「それでは、今日はこれで失礼しますわ。殿下も、わたくしよりアーキンさんと過ごすことをお望みでしょう」
貴族らしい振る舞い、表情、そして寛大さ。今のギルバートの気に障ることを分かっていて、ヴィクトリアは薄く微笑んだ。
ギルバートは顔をしかめて、だが何も言わなかった。
涼しげに退出を告げ、応接間を出る直前に振り返る。
「そうですわ、殿下。一つ忘れておりました」
「なんだい?」
「今回の学期末パーティー、王太子殿下が来賓としていらっしゃるそうですわ。くれぐれも、見苦しいお姿は晒さないようにお願いいたします」
「は? 兄上が? 何故」
「わたくしではなく、王太子殿下に直接お聞きすればよろしいでしょう。ご兄弟なのですから」
それでは、と改めて一礼して、応接間を後にする。リアムが惜しむような視線を送って来るのに、微笑みを返すのは忘れずに。
ギルバートはきっと、最後まで気づかないのだろう。
学期末パーティーなどにわざわざ王族が出てくる意味も、ヴィクトリアがドレスを合わせない意味も。
今日の会話に何も思わないのなら、彼の未来には一筋の光さえ残らないだろう。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。


断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。
私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。
処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。
魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる