9 / 66
第一章
ギルバートとの決別
しおりを挟む
学園の様子がおかしくなってきたと、知らせてくれたのはユージェニーだった。基本的に高位貴族としか関わらないヴィクトリアは、下の者の様子は人から聞くしかない。伯爵令嬢であるユージェニーは、その点で随分と働いてくれていた。
「アーキンさんが、下位貴族や後継者でない立場の子息たちの中心になり始めているようですの」
去年までとは大きな違いですわね、と顔をしかめるユージェニー。周囲にいた別の令嬢が、それを聞いて眉を吊り上げた。
「マナーもなっていないあの娘に、そこまでの魅力があるとは思えませんわ。何が起こっていますの?」
今はヴィクトリアが主催している勉強会の最中だった。当然ここには、伯爵家以上の令嬢しかいない。ユージェニー以上の情報を持つ令嬢はほかにおらず、自然と注目は彼女に集まった。
「聞いたところによると、アーキンさんを介して、ギルバート殿下が下位貴族たちと交流を図っているようですわ」
ヴィクトリアが婚約破棄を目論んでいることを知っているユージェニーは、その動きを特に問題視してはいないようだった。だが、勉強会に集まっている令嬢たちはざわついた。
婚約者であるヴィクトリアを軽視するようなギルバートの行動は、今後彼女たちの立ち回りにも響いてくる。ヴィクトリアを取るか、ポーラを取るか。
ここで見放しても面白そうだとは思うが、彼女たちはこれからの社交界を背負うことになるのだ。あまり道を誤る人間が増えても良くないと、ヴィクトリアはことりと首を傾げた。
「殿下はもともと、さまざまな身分の方と交流されておりましたもの。アーキンさんと親しくしているのも存じ上げていますわ。王族という立場からは見えない意見が聞けるそうですわよ」
ポーラとのことを暗に認めているのだと、そう聞こえるように言葉を繋げる。実際、愛人を持つこと自体は否定していなかった。もう、婚約を続けるつもりもないが。
「ただ……、最近のギルバート殿下は、少し熱心さが行き過ぎておられる気もしますから。わたくしも少々、考えなければならないことが多くて、困っておりますの」
察しの良い令嬢なら、ヴィクトリアが既にギルバートを見限っていることに気付くだろう。そこから誰を選ぶかは、家の意向もあるだろうから口を挟むことはない。
リアムの用意したお茶を一口飲んで、ヴィクトリアは辞書を開いた。
「さあ、勉強いたしましょう?」
勉強会の終了間近になって、ギルバートが現れた。先触れが無かったため、令嬢たちは慌てて立ち上がり、頭を下げる。ヴィクトリアも同じようにしながら、僅かに目を細めた。
「突然来てしまってすまない。邪魔するつもりはないから、終わるまで待つよ」
ギルバートは、いつもと変わらぬ柔らかい笑みを浮かべる。
「いいえ。殿下をお待たせするわけにはいきませんわ。もう終了する時間でしたし、皆さんもそれでよろしいかしら?」
令嬢たちを解散させ、リアムに新しいお茶を用意させる。
ギルバートは薦められるままに椅子に座った。
「どうなさったのですか、殿下。こちらにいらっしゃるのは珍しいですわね」
ポーラに熱を上げていることとは別に、ギルバートが令嬢の集まりに顔を出すことはこれまでにもなかった。男と女では社交のやり方も違う。ギルバートは女性の社交を、あまり重視していないようだった。
「婚約者に会いに来てはいけないのかい?」
「そういうわけではございませんわ」
お茶会の予定変更を問いただす手紙を読んだか。ヴィクトリアは表情を変えないまま、思考を巡らせた。
さすがに不味いと思って、埋め合わせをしようとでも言うのだろうか。愛人との逢瀬を目撃していなければ、人によっては許したかもしれない。
だが、あいにくヴィクトリアは、もう許すも何もない。
「前は僕の都合で急遽予定を変更してしまったからね。君と話す時間を持ちたくて」
「そうですか」
婚約解消に役立つ情報をくれるなら、いくらでも話し相手を務めるのに。
ヴィクトリアがそんなことを考えているとは露知らず、ギルバートは少し上機嫌に話を始めた。
「最近僕は、あまり関わりのなかった貴族たちと話しているのだけど。それで気づいたんだ。ヴィクトリア、僕たちにはもっと必要なものがあると思わないかい?」
出されたお茶に口もつけず、ギルバートは熱の籠った目で拳を握る。
「……必要なものといいますと?」
「愛だよ」
ここで吹き出さなかったことを褒めてほしい。
「もちろん、僕と君のことだけではない。僕たち王侯貴族は、下々の民に対する愛が足りないんだ。平民たちが必死に働く中で、僕たちは何をしている? 贅沢を極めて、汗水たらして働くことも知らない。もっと、できることがあるはずなんだ」
ヴィクトリアはため息を隠し損ねた。その途端、ギルバートがムッとする。
「……やはり、公爵令嬢として育った君には、分からないのだろうね」
誰と比べているかは明白だ。だが、もうそんなことはどうでもいい。
「殿下のそのお考えは、とてもとても尊いものだと思いますわ」
「ならば何故、理解してくれない?」
「平民のことを学ぶ前に、まずわたくしたち貴族の在り方を知った方が良いのではと、思ったまでです」
「そんなもの、生まれた時からよく知っている。僕は王子なのだから」
そうだろう。王子として生まれ、育てられてきた彼は、とても純粋だ。彼が勉学に熱心だったことも、ヴィクトリアは知っている。
心優しく、誰にでも手を差し伸べられる人だ。
「殿下が、何を理想とされているかは分かります。ただ、理想とは、容易に実現できるものではありません」
「もちろん分かっているとも」
「表面上の情報だけをなぞって、理解した気になることほど愚かなことはないと、わたくしは思っていますわ。わたくしにできることなど限られております。だから、間違えたくはないのです。安易な回答に飛びつくのは、わたくしがもっとも恐れることですわ」
ギルバートはヴィクトリアを見つめた。そして、静かな声で言う。
「そうやって機を逃すくらいなら、僕は走り続けることを選ぶさ」
「……わたくしたちは、最初から相容れませんわね」
ヴィクトリアの言葉に、ギルバートは清々しい笑みを浮かべた。
「その通りだね。だが、君が僕の婚約者であることに変わりはないよ」
それが彼の諦めなのか、決意なのか。ヴィクトリアには分からなかった。
「アーキンさんが、下位貴族や後継者でない立場の子息たちの中心になり始めているようですの」
去年までとは大きな違いですわね、と顔をしかめるユージェニー。周囲にいた別の令嬢が、それを聞いて眉を吊り上げた。
「マナーもなっていないあの娘に、そこまでの魅力があるとは思えませんわ。何が起こっていますの?」
今はヴィクトリアが主催している勉強会の最中だった。当然ここには、伯爵家以上の令嬢しかいない。ユージェニー以上の情報を持つ令嬢はほかにおらず、自然と注目は彼女に集まった。
「聞いたところによると、アーキンさんを介して、ギルバート殿下が下位貴族たちと交流を図っているようですわ」
ヴィクトリアが婚約破棄を目論んでいることを知っているユージェニーは、その動きを特に問題視してはいないようだった。だが、勉強会に集まっている令嬢たちはざわついた。
婚約者であるヴィクトリアを軽視するようなギルバートの行動は、今後彼女たちの立ち回りにも響いてくる。ヴィクトリアを取るか、ポーラを取るか。
ここで見放しても面白そうだとは思うが、彼女たちはこれからの社交界を背負うことになるのだ。あまり道を誤る人間が増えても良くないと、ヴィクトリアはことりと首を傾げた。
「殿下はもともと、さまざまな身分の方と交流されておりましたもの。アーキンさんと親しくしているのも存じ上げていますわ。王族という立場からは見えない意見が聞けるそうですわよ」
ポーラとのことを暗に認めているのだと、そう聞こえるように言葉を繋げる。実際、愛人を持つこと自体は否定していなかった。もう、婚約を続けるつもりもないが。
「ただ……、最近のギルバート殿下は、少し熱心さが行き過ぎておられる気もしますから。わたくしも少々、考えなければならないことが多くて、困っておりますの」
察しの良い令嬢なら、ヴィクトリアが既にギルバートを見限っていることに気付くだろう。そこから誰を選ぶかは、家の意向もあるだろうから口を挟むことはない。
リアムの用意したお茶を一口飲んで、ヴィクトリアは辞書を開いた。
「さあ、勉強いたしましょう?」
勉強会の終了間近になって、ギルバートが現れた。先触れが無かったため、令嬢たちは慌てて立ち上がり、頭を下げる。ヴィクトリアも同じようにしながら、僅かに目を細めた。
「突然来てしまってすまない。邪魔するつもりはないから、終わるまで待つよ」
ギルバートは、いつもと変わらぬ柔らかい笑みを浮かべる。
「いいえ。殿下をお待たせするわけにはいきませんわ。もう終了する時間でしたし、皆さんもそれでよろしいかしら?」
令嬢たちを解散させ、リアムに新しいお茶を用意させる。
ギルバートは薦められるままに椅子に座った。
「どうなさったのですか、殿下。こちらにいらっしゃるのは珍しいですわね」
ポーラに熱を上げていることとは別に、ギルバートが令嬢の集まりに顔を出すことはこれまでにもなかった。男と女では社交のやり方も違う。ギルバートは女性の社交を、あまり重視していないようだった。
「婚約者に会いに来てはいけないのかい?」
「そういうわけではございませんわ」
お茶会の予定変更を問いただす手紙を読んだか。ヴィクトリアは表情を変えないまま、思考を巡らせた。
さすがに不味いと思って、埋め合わせをしようとでも言うのだろうか。愛人との逢瀬を目撃していなければ、人によっては許したかもしれない。
だが、あいにくヴィクトリアは、もう許すも何もない。
「前は僕の都合で急遽予定を変更してしまったからね。君と話す時間を持ちたくて」
「そうですか」
婚約解消に役立つ情報をくれるなら、いくらでも話し相手を務めるのに。
ヴィクトリアがそんなことを考えているとは露知らず、ギルバートは少し上機嫌に話を始めた。
「最近僕は、あまり関わりのなかった貴族たちと話しているのだけど。それで気づいたんだ。ヴィクトリア、僕たちにはもっと必要なものがあると思わないかい?」
出されたお茶に口もつけず、ギルバートは熱の籠った目で拳を握る。
「……必要なものといいますと?」
「愛だよ」
ここで吹き出さなかったことを褒めてほしい。
「もちろん、僕と君のことだけではない。僕たち王侯貴族は、下々の民に対する愛が足りないんだ。平民たちが必死に働く中で、僕たちは何をしている? 贅沢を極めて、汗水たらして働くことも知らない。もっと、できることがあるはずなんだ」
ヴィクトリアはため息を隠し損ねた。その途端、ギルバートがムッとする。
「……やはり、公爵令嬢として育った君には、分からないのだろうね」
誰と比べているかは明白だ。だが、もうそんなことはどうでもいい。
「殿下のそのお考えは、とてもとても尊いものだと思いますわ」
「ならば何故、理解してくれない?」
「平民のことを学ぶ前に、まずわたくしたち貴族の在り方を知った方が良いのではと、思ったまでです」
「そんなもの、生まれた時からよく知っている。僕は王子なのだから」
そうだろう。王子として生まれ、育てられてきた彼は、とても純粋だ。彼が勉学に熱心だったことも、ヴィクトリアは知っている。
心優しく、誰にでも手を差し伸べられる人だ。
「殿下が、何を理想とされているかは分かります。ただ、理想とは、容易に実現できるものではありません」
「もちろん分かっているとも」
「表面上の情報だけをなぞって、理解した気になることほど愚かなことはないと、わたくしは思っていますわ。わたくしにできることなど限られております。だから、間違えたくはないのです。安易な回答に飛びつくのは、わたくしがもっとも恐れることですわ」
ギルバートはヴィクトリアを見つめた。そして、静かな声で言う。
「そうやって機を逃すくらいなら、僕は走り続けることを選ぶさ」
「……わたくしたちは、最初から相容れませんわね」
ヴィクトリアの言葉に、ギルバートは清々しい笑みを浮かべた。
「その通りだね。だが、君が僕の婚約者であることに変わりはないよ」
それが彼の諦めなのか、決意なのか。ヴィクトリアには分からなかった。
10
お気に入りに追加
77
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
妹の身代わり人生です。愛してくれた辺境伯の腕の中さえ妹のものになるようです。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。
※※※※※※※※※※※※※
双子として生まれたエレナとエレン。
かつては忌み子とされていた双子も何代か前の王によって、そういった扱いは禁止されたはずだった。
だけどいつの時代でも古い因習に囚われてしまう人達がいる。
エレナにとって不幸だったのはそれが実の両親だったということだった。
両親は妹のエレンだけを我が子(長女)として溺愛し、エレナは家族とさえ認められない日々を過ごしていた。
そんな中でエレンのミスによって辺境伯カナトス卿の令息リオネルがケガを負ってしまう。
療養期間の1年間、娘を差し出すよう求めてくるカナトス卿へ両親が差し出したのは、エレンではなくエレナだった。
エレンのフリをして初恋の相手のリオネルの元に向かうエレナは、そんな中でリオネルから優しさをむけてもらえる。
だが、その優しささえも本当はエレンへ向けられたものなのだ。
自分がニセモノだと知っている。
だから、この1年限りの恋をしよう。
そう心に決めてエレナは1年を過ごし始める。
※※※※※※※※※※※※※
異世界として、その世界特有の法や産物、鉱物、身分制度がある前提で書いています。
現実と違うな、という場面も多いと思います(すみません💦)
ファンタジーという事でゆるくとらえて頂けると助かります💦

婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

【短編完結】記憶なしで婚約破棄、常識的にざまあです。だってそれまずいって
鏑木 うりこ
恋愛
お慕いしておりましたのにーーー
残った記憶は強烈な悲しみだけだったけれど、私が目を開けると婚約破棄の真っ最中?!
待って待って何にも分からない!目の前の人の顔も名前も、私の腕をつかみ上げている人のことも!
うわーーうわーーどうしたらいいんだ!
メンタルつよつよ女子がふわ~り、さっくりかる~い感じの婚約破棄でざまぁしてしまった。でもメンタルつよつよなので、ザクザク切り捨てて行きます!

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。
紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。
「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」
最愛の娘が冤罪で処刑された。
時を巻き戻し、復讐を誓う家族。
娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。

【完結】どうやら私は婚約破棄されるそうです。その前に舞台から消えたいと思います
りまり
恋愛
私の名前はアリスと言います。
伯爵家の娘ですが、今度妹ができるそうです。
母を亡くしてはや五年私も十歳になりましたし、いい加減お父様にもと思った時に後妻さんがいらっしゃったのです。
その方にも九歳になる娘がいるのですがとてもかわいいのです。
でもその方たちの名前を聞いた時ショックでした。
毎日見る夢に出てくる方だったのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる