7 / 66
第一章
忠誠と、血の契約
しおりを挟む
「まあ! ヴィクトリア様の術式は、さすが美しいですわね!」
ユージェニーがヴィクトリアの手元を覗き込んで、感嘆のため息をもらした。今日の授業は、基本的な術式を応用し、独自の術式を構築するというものだった。
魔法は貴族の血筋のもの。古来より、魔力は血に宿る。
魔法とは、魔力の宿った血で術式を綴ることで発動させる。特殊なペンで指先から血を吸い取り、紙に刻むのだ。学生はそれぞれ、自分専用のペンと白紙のロールを持っている。術式を刻み、ロールから切り取ったものをスクロールと呼ぶ。
「どうすればこのように美しい術式が……、私の術式と何が違うのかしら?」
ロールではなく普通のノートに書いた術式を眺めながら、ユージェニーが唸る。
「そこまで深く考えてはいないわよ? 術式の短縮が第一ですもの」
同じようにノートを開いていたリアムが、すっと手を差し出した。
「ユージェニー嬢、見せていただいても?」
「ええ、お願いしますわ」
「……特に問題はないと思いますが、ここの主語、それとここの副詞は省略できるのではないでしょうか」
座学の授業なので、使うのは普通のペンだ。リアムが添削した箇所を見ながら、ユージェニーはさらに首を傾げた。
「確かにすっきりしますわ……。でもやっぱり、ヴィクトリア様の術式には及びませんわね」
「お嬢様は天才ですから。審美眼は誰もが知るところではありますが、言葉選びのセンスも突き抜けたものをお持ちです」
普段鬱々としているリアムが、目を輝かせてヴィクトリアを褒め称える。
しかしユージェニーは、そこで意外なことを言った。
「ヴィクトリア様は当然ですが、リアム卿もとても優秀でいらっしゃるのね。一目見ただけで人の術式を修正できるなんて。バルフォア伯爵家は騎士の家系と聞いておりますが、学問に造詣が深い方もいらっしゃるのね」
自分が褒められるとは思わなかったのだろう。リアムはきょとんとして目を何度か瞬く。
ヴィクトリアの従者という立場が目立ち、リアム自身の優秀さが注目されることは少ない。自慢の従者が認められるのは、ヴィクトリアとしても悪い気はしなかった。
「リアムはわたくしが拾ってから、従者としてあらゆる分野を修めようと努力してきたの。かわいいでしょう?」
「そういえば、リアム卿も養子でらっしゃいましたわね」
平民が魔力を持っていた場合、貴族家に引き取られて学園に通うことになる。ポーラ・アーキンもそうだが、リアムも同じだった。
ヴィクトリアが拾い、アイラ公爵家と縁戚であるバルフォア伯爵家の養子になった。バルフォアの血は引いていないため継承権はないが、その身分があるからこそ、ヴィクトリアの従者として傍にいられるのだ。
リアムは少し複雑そうに目を細めた。
「お嬢様にお仕えするため、できることは何でもやろうと決めております」
「リアム卿の忠誠は素晴らしいですわね」
ユージェニーはどこかうっとりした顔で言う。
「でも、今時主従契約を自分から言い出すのはやりすぎだとは思わない?」
「使用人たちと交わす契約書ですか? 確かに、貴族家の者が奉公に出る時は、あまり契約は交わさないようになってきておりますけど。王族に近しいものはともかく」
貴族家で働く使用人たちは、スクロールを使用した魔法契約を交わしている。秘密の順守や報酬のことなど、お互いに不利益が出ないようにするためのものだ。
だが、ヴィクトリアは首を振った。
「そちらではなく、血の契約の方よ」
「え!? それこそ王族が側近と結ぶ強い契約ではないですか!?」
驚いたユージェニーがリアムを見る。リアムは何故か、どこか恍惚とした顔で頬を染めた。
「ヴィクトリアお嬢様と、強い結びつきが欲しかったのです」
「もはやそれは、忠誠という言葉に収まるものですの?」
ユージェニーが引いているのも無理はない。
血の契約は、結びつく二人の血を混ぜ合わせ、強い強制力を持つ縛りを設ける魔法契約だ。普通の魔法契約とは異なり、契約を破れば大きな反動がある。
内容としては背信行為を禁じたりといったごく普通のものだが、仮にリアムがヴィクトリアに刃を向けたりすれば、その場で死に至ることになるだろう。
ヴィクトリアは何度か合意のもとでその契約を解除しようとしているのだが、リアムが頑なに拒んでいるため、未だに血の契約は結ばれたままだ。
優秀なかわいい従者ではあるけれど、この点だけはヴィクトリアは彼を理解できない。
「リアムがそれでいいのなら、わたくしから強制はしないけれど」
「はい、お嬢様。私は今が幸せですので」
その言葉は本心だと分かるから、ヴィクトリアは仕方がないと笑うしかない。
――この会話を、離れた場所でポーラが聞いているとは思わずに。
「ギル君、血の契約ってなあに?」
「ポーラは随分古いものに興味を持ったね。裏切りを防ぐために、主従の間で交わす魔法契約だよ。従者の方からは破る事さえ難しいし、主人の方から契約を破棄するのにもそれなりに代償が必要になる」
「なんだか怖いのね……」
「今となっては、王族くらいしか使わないものだよ。かつてはこの契約を悪用して、悪逆なことを行った貴族もいた」
「酷いことをされた人がいたってこと?」
「そうだよ。僕らが目指す改革とは、相容れないものだね」
「……やっぱり、ヴィクトリア様は許しちゃいけない人なんだ」
甘い逢瀬の中に、その決意は溶けていった。
ユージェニーがヴィクトリアの手元を覗き込んで、感嘆のため息をもらした。今日の授業は、基本的な術式を応用し、独自の術式を構築するというものだった。
魔法は貴族の血筋のもの。古来より、魔力は血に宿る。
魔法とは、魔力の宿った血で術式を綴ることで発動させる。特殊なペンで指先から血を吸い取り、紙に刻むのだ。学生はそれぞれ、自分専用のペンと白紙のロールを持っている。術式を刻み、ロールから切り取ったものをスクロールと呼ぶ。
「どうすればこのように美しい術式が……、私の術式と何が違うのかしら?」
ロールではなく普通のノートに書いた術式を眺めながら、ユージェニーが唸る。
「そこまで深く考えてはいないわよ? 術式の短縮が第一ですもの」
同じようにノートを開いていたリアムが、すっと手を差し出した。
「ユージェニー嬢、見せていただいても?」
「ええ、お願いしますわ」
「……特に問題はないと思いますが、ここの主語、それとここの副詞は省略できるのではないでしょうか」
座学の授業なので、使うのは普通のペンだ。リアムが添削した箇所を見ながら、ユージェニーはさらに首を傾げた。
「確かにすっきりしますわ……。でもやっぱり、ヴィクトリア様の術式には及びませんわね」
「お嬢様は天才ですから。審美眼は誰もが知るところではありますが、言葉選びのセンスも突き抜けたものをお持ちです」
普段鬱々としているリアムが、目を輝かせてヴィクトリアを褒め称える。
しかしユージェニーは、そこで意外なことを言った。
「ヴィクトリア様は当然ですが、リアム卿もとても優秀でいらっしゃるのね。一目見ただけで人の術式を修正できるなんて。バルフォア伯爵家は騎士の家系と聞いておりますが、学問に造詣が深い方もいらっしゃるのね」
自分が褒められるとは思わなかったのだろう。リアムはきょとんとして目を何度か瞬く。
ヴィクトリアの従者という立場が目立ち、リアム自身の優秀さが注目されることは少ない。自慢の従者が認められるのは、ヴィクトリアとしても悪い気はしなかった。
「リアムはわたくしが拾ってから、従者としてあらゆる分野を修めようと努力してきたの。かわいいでしょう?」
「そういえば、リアム卿も養子でらっしゃいましたわね」
平民が魔力を持っていた場合、貴族家に引き取られて学園に通うことになる。ポーラ・アーキンもそうだが、リアムも同じだった。
ヴィクトリアが拾い、アイラ公爵家と縁戚であるバルフォア伯爵家の養子になった。バルフォアの血は引いていないため継承権はないが、その身分があるからこそ、ヴィクトリアの従者として傍にいられるのだ。
リアムは少し複雑そうに目を細めた。
「お嬢様にお仕えするため、できることは何でもやろうと決めております」
「リアム卿の忠誠は素晴らしいですわね」
ユージェニーはどこかうっとりした顔で言う。
「でも、今時主従契約を自分から言い出すのはやりすぎだとは思わない?」
「使用人たちと交わす契約書ですか? 確かに、貴族家の者が奉公に出る時は、あまり契約は交わさないようになってきておりますけど。王族に近しいものはともかく」
貴族家で働く使用人たちは、スクロールを使用した魔法契約を交わしている。秘密の順守や報酬のことなど、お互いに不利益が出ないようにするためのものだ。
だが、ヴィクトリアは首を振った。
「そちらではなく、血の契約の方よ」
「え!? それこそ王族が側近と結ぶ強い契約ではないですか!?」
驚いたユージェニーがリアムを見る。リアムは何故か、どこか恍惚とした顔で頬を染めた。
「ヴィクトリアお嬢様と、強い結びつきが欲しかったのです」
「もはやそれは、忠誠という言葉に収まるものですの?」
ユージェニーが引いているのも無理はない。
血の契約は、結びつく二人の血を混ぜ合わせ、強い強制力を持つ縛りを設ける魔法契約だ。普通の魔法契約とは異なり、契約を破れば大きな反動がある。
内容としては背信行為を禁じたりといったごく普通のものだが、仮にリアムがヴィクトリアに刃を向けたりすれば、その場で死に至ることになるだろう。
ヴィクトリアは何度か合意のもとでその契約を解除しようとしているのだが、リアムが頑なに拒んでいるため、未だに血の契約は結ばれたままだ。
優秀なかわいい従者ではあるけれど、この点だけはヴィクトリアは彼を理解できない。
「リアムがそれでいいのなら、わたくしから強制はしないけれど」
「はい、お嬢様。私は今が幸せですので」
その言葉は本心だと分かるから、ヴィクトリアは仕方がないと笑うしかない。
――この会話を、離れた場所でポーラが聞いているとは思わずに。
「ギル君、血の契約ってなあに?」
「ポーラは随分古いものに興味を持ったね。裏切りを防ぐために、主従の間で交わす魔法契約だよ。従者の方からは破る事さえ難しいし、主人の方から契約を破棄するのにもそれなりに代償が必要になる」
「なんだか怖いのね……」
「今となっては、王族くらいしか使わないものだよ。かつてはこの契約を悪用して、悪逆なことを行った貴族もいた」
「酷いことをされた人がいたってこと?」
「そうだよ。僕らが目指す改革とは、相容れないものだね」
「……やっぱり、ヴィクトリア様は許しちゃいけない人なんだ」
甘い逢瀬の中に、その決意は溶けていった。
10
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
踏み台令嬢はへこたれない
IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる