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第一章

美しいものが好きならば

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 ヴィクトリアたちの通う学園は、魔法教育に特化した場所だ。

 貴族の子息たちは、十五歳までには家での基本的な学習を終えて入学してくる。だから、マナーのなっていない者はほとんどいない。

 それまで社交界に出ていなかった令息令嬢であっても、学園で実践するうちに振る舞いが洗練されていくものだ。

 だからこそ、ポーラの平民そのままの振る舞いはひどく目立っていた。

 誰もが彼女の事情を知っているため、最初の一年間は目を瞑られていた。けれど、彼女に向上心がないと分かった途端、誰もがそっと関わるのをやめていった。

 今思えば、ギルバートは皆が離れていた間も彼女との交流を続けていたのだろう。そして、平民的な思考に少しずつ染まっていったのだ。

 そんなポーラが、最近ほかの令嬢と話しているところを見るようになった。高位の貴族令嬢たちは相変わらず遠巻きにしているけれど、男爵家や子爵家の者たちが交流を図っているようだ。

 多分、彼女が身に着けている宝飾品のせいだろう。男爵家で用意するにしては、少し不相応な格の品ばかりだから。


「ヴィクトリアお嬢様。まだ調査途中ですが、やはりポーラ・アーキンのドレスやアクセサリーは、ギルバート第三王子が購入しているようです」


 リアムの報告を聞きながら、ヴィクトリアはいつものテラスで休憩していた。実技の授業は体力を削る。今日は倒れた生徒も出たので、いつもよりも休憩時間が長めに取られていた。

 リアムも同じ授業を受けているのだが、疲れた様子は見えない。


「王子本人ではありませんが、側近の一人が店に出入りしているという目撃証言があります」

「なるほどね。けれど、やっぱり愛人扱いは抜けないのね。普通の男爵家には届かないでしょうけれど、せいぜい伯爵家が持つ程度の品ばかり。寵愛はするけれど、わたくしには及ばないと……」


 ならば、もっと二人の逢瀬を隠せばよいのに、と思わないでもない。近頃は本当に、二人の関係性が公然の秘密となっている。恐らく、学生だけでなくその親たちにも伝わっているだろう。

 少し前までは隠していたのに、とヴィクトリアは眉をひそめる。ギルバートの考えがいまいちよく分からない。ポーラと出会う前までは、確かに立派な王族だと思っていたのだが。

 ヴィクトリアとの結婚は、彼がアイラ公爵家に入ることが前提なのだ。今の後継は一人娘のヴィクトリアにあるが、結婚すればギルバートがアイラ公爵を名乗ることになる。

 普通ならば、もっとヴィクトリアの機嫌を取ろうとするはず。たとえお互いに愛が無いと分かっていても、別の女に心を捧げていたとしても、隠す素振りくらいはしそうなものだ。

 淑女として名高いヴィクトリアが、家同士の契約を破棄するはずがないと高を括っているのか。それとも、こちらを舐めているのか。


(あるいは、恋に狂った……、なんてね。わたくしもユージェニーに影響されたかしら)


 だが、ギルバートは本当のところ、ヴィクトリアを理解などしていないのだろう。『耽美令嬢』などと呼ばれる由縁を。


「わたくしは、美しいものが好き。醜いものは必要ないわ」

「ギルバート第三王子とポーラ・アーキンの恋が美しければ、お嬢様は喜んでお二人を祝福したのでしょう?」

「よく分かっているわね、リアム」


 場合によってはそんな形もあり得たかもしれないが、ポーラの性格が変わらなければ実現はしないだろう。


「調査を続けて、リアム。殿下の有責で婚約を解消したいもの」

「仰せの通りに、お嬢様」


 その時、テラスの下から声が聞こえた。裏庭の方を覗き込むと、女生徒が集まっている。二階のテラスに届く大きな声を上げたのは、どうやらポーラのようだった。


「あんな大きな声……、はしたない」

「お嬢様、ユージェニー嬢がいらっしゃいます」


 リアムが少しだけ緊迫した声を出した。ちゃんと見ていなかったヴィクトリアは、椅子から立ち上がって確認する。

 確かに、ユージェニーがそこにいた。それも、一人で複数の女生徒と対面しているようだ。ぴんと伸びた姿勢はいつ見ても美しいが、あまり良い雰囲気には見えない。

 ヴィクトリアは術式を刻むための白紙のロールとペンを取り出した。だが、リアムに制止される。


「お嬢様、私が」


 リアムは自分のペンを取り出して、紙に短い術式をさっと走り書きする。切り取って完成した浮遊魔法のスクロールは、ヴィクトリアの目から見ても見事な出来だ。


「ありがとう。行きましょう」


 リアムが差し出した手を取って、ヴィクトリアは空中に足を踏み出した。手すりを飛び越え、裏庭の柔らかい芝生に着地する。

 エスコートしてくれたリアムの腕を叩いて礼を告げ、唖然としてこちらを見る女生徒たちに声をかける。


「ここで何をしていらっしゃるのかしら?」

「ヴィクトリア様。休息を妨げてしまい、申し訳ありませんわ」


 ユージェニーだけは平然と淑女の礼を取った。それに倣って、ポーラ以外の令嬢もぎこちなく膝を折る。

 よく見れば、ユージェニーと相対していたのは子爵家や男爵家の令嬢たちばかりだった。普段、公爵令嬢であるヴィクトリアと直接言葉を交わすことのない者たち。緊張するのは当然だろうと、ヴィクトリアは口を開く。


「発言を……」

「邪魔しないでください、ヴィクトリア様!」


 許すわ、と言う前に、ポーラがキッと睨んできた。ユージェニーにもっと強い眼光で睨み返されて、すぐに怯んでいたが。


「ヴィクトリア様の言葉を遮るなんて!」

「ありがとう、ユージェニー。でも、それを言い出したらキリがないわ」


 そのやり取りだけで日が暮れそうなので、話を先に進めることにする。


「あなた方は何をしていたのです?」

「それは、」


 ポーラが言い淀み、唇を噛んだ。後ろの令嬢たちもこわごわと視線を交わして、何も言わない。


「ユージェニー?」


 対して、ユージェニーははきはきと答えてくれた。


「そこの者たちが、愚かにもヴィクトリア様のことを侮辱したのですわ」

「わたくしを?」

「ええ。真にギルバート殿下の寵愛を受けているのはアーキンさんで、彼女こそが王子妃となるに相応しい、などと」


 嘲笑を隠しもせずに、ハッと笑うユージェニー。もともと気の強い彼女だが、「ポーラ嫌い」の一心でさらに攻撃的になっているらしい。

 令嬢たちの中には泣きそうになっている者もいたが、ポーラは変わらずヴィクトリアを敵視しているようだった。

 じっと睨んでくる目の奥には、強い反感の光がある。


「だって、ギル君はあたしのことを好きでいてくれるもの」


 誰に語るでもない呟きだったが、それはさすがに失言ではないだろうか。


「わたくしと殿下の婚約は、王家と我がアイラ公爵家との契約ですわ。あなたはそれを誤りだとでも?」

「そっ、そんなつもりじゃありません!」


 勝手な振る舞いばかりしているポーラも、王家を敵に回すつもりはないらしい。その程度の知恵はあるようだ。


「わたくしたちの間に、愛などありませんわ。だからこそあなた方の関係を黙認してあげていたというのに、そんなくだらない理由でわたくしに無礼を働いたというの?」

「だって!」


 まるで小さな子供のよう。ユージェニーがまた鼻で笑って、今度はリアムも小さく咳払いした。


「……ヴィクトリア様、あのハンカチはお返ししたんですか?」

「まだそんなことを言っているの?」


 呆れ返ってしまった。

 どうあってもヴィクトリアを悪者にしたいのなら、ヴィクトリア本人が何を言っても信じないだろうに。


「そもそも、何故ヴィクトリア様がハンカチを盗ったことになっているのです? 馬鹿馬鹿しい」


 ユージェニーがそう言えば、意外にもほかの令嬢から答えが返って来た。


「だって、皆言っています……。耽美令嬢ヴィクトリア様が『美しい』と言った物は、それ以降誰も持ち歩かない。その代わり、ヴィクトリア様が同じものを持っているって」


 援護を得たからか、ポーラが勢いを増す。


「ユージェニー様だって、前にブローチを盗られてたじゃないですか!」

「ブローチ? これのことかしら?」


 だが、ユージェニーが銀細工のブローチを見せると、呆気なく動揺した。


「えっ、それって」

「ヴィクトリア様、私から説明させていただいても?」


 ええ、と頷けば、ユージェニーは胸を張って嬉しそうに語りだした。


「ヴィクトリア様は美しいものを見初めると、産地や職人を調べて支援をなさるのよ。美しいものがもっと増えるようにと。そして、ご自分でも身に着けて私たち周りの女性に広く知らせてくださるの」


 そうすれば美しいものに囲まれる。それはヴィクトリアにとっては嬉しいことだ。


「でも元の持ち主が」

「アーキンさん、あなた鏡を見たことが無いのかしら? ヴィクトリア様ほどの美貌の持ち主と、同じものを身につけることに耐えられるとでも?」

「まあ、そんな理由で隠していたの? わたくし、美しいものを見るのも大好きだから、そのような遠慮はしなくてもよいのに」

「みなに伝えておきますわ」


 ユージェニーがにっこり笑い、しかしポーラたちに向き直った時には冷たい目に戻っている。


「上位貴族でなくとも、家のための交流、情報収集を怠らなければ、誰でも知っていることですわ。あなた方は、お茶会でいったい何をなさっていたのかしら」


 だいたいの経緯は把握した。ヴィクトリアのことを悪役にしたいポーラと、その発言に感化された下位貴族の令嬢たちが、ユージェニーに喧嘩を売ったのだろう。

 ポーラに影響された彼女たちは、令嬢の務めたる情報の扱いが甘く、誤った言説をそのまま信じてしまったと。


「そう……。そんな醜い方々が、わたくしの友人たるユージェニーの手を煩わせたと?」


 思っていたよりも冷たい声が出た。ずっとヴィクトリアを睨んでいたポーラでさえ、ぶるりと体を震わせる。


「醜いものは存在する価値もないというのに……。なんと許しがたい蛮行かしら」

「ヴィクトリア様、私なら特に何も気にしておりませんわよ」

「だとしてもよ」


 気ままに贅沢をするだけが貴族の嗜みだと思っているのなら、それほど醜いことはない。


「リアム」

「はい、お嬢様」


 これで父伝いに、それぞれの家門に話が伝わるだろう。どういう扱いになるかは知らないが、怒られる程度で済むのではないだろうか。一応は成人前の、学生の行動だ。多少の失敗は許されてしかるべきだ。

 醜いままを望むのなら、別にそれでも構わないが。


「行きましょう、リアム、ユージェニー。あなたたちの美しさが損なわれてしまうわ」


 美しいものはヴィクトリアのために。醜いものは、必要ない。

 それがヴィクトリアの信条だ。

 そして今、ギルバートだけでなく、ポーラの事も必要ないと、そう判断した。
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