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第一章
男爵令嬢ポーラとは
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いつものように鬱々とした顔をしたリアムを連れ、ヴィクトリアは学園に併設された二階テラスで休息を楽しんでいた。
ヴィクトリアたちが通うのは、王立の魔法学園である。貴族の子息たちは十五歳で入学し、十八歳で卒業するとともに成人したと認められる。
古来より、魔力とは血に宿るものであった。このタディリス王国に限らず、魔法とは王侯貴族の血筋に連なる者だけが扱える力だ。
ただ、さまざまな事情により、平民の中にも魔法を使える人間がごく稀に現れることがある。あの男爵令嬢、ポーラもその一例だ。彼女の場合は既に亡くなった父親が貴族だった可能性が高いと聞いている。
魔力を持つ者は、それを扱う術を学ばなければいけない。そのため、魔力が持つ平民は貴族の家に引き取られ、学園に通うことになるのだ。
だが、学園で学ぶのは本当に魔法に必要な知識と技術のみ。貴族としての教養やマナーは家で身に着けるものだ。
ポーラがいつアーキン男爵家に引き取られたかは知らないが、彼女はヴィクトリアたちと同じ三年生。最終学年だ。
最低でも三年は貴族令嬢としての教育を受けているはず。それなのに、あの無礼な振る舞い。リアムがぷんぷんするのも当然だ。
ゆったりとティーカップを口に運ぶヴィクトリアが見下ろすのは、学園の裏庭で二人きり、睦まじく過ごすギルバート第三王子とポーラ。
確かに校舎からは見えない位置ではある。だが、今ヴィクトリアがテラスから見ているように、完全に隠された場所というわけではない。
「……己の言動が常に見られているということを、理解していないのかしら」
「どこまでも自分中心なのでしょう。他者のことなど頭にない」
木の陰に座り込み、肩の触れ合う距離で手を握り合う二人。ともすればそれは、平民の恋人同士のようにも見える。
ヴィクトリアはカップを置いて、テーブルに紙を広げた。淡々と魔法術式を書いていく主を、リアムが案じるように呼ぶ。
「お嬢様……」
「あら。そんな顔をしなくとも、特に気にしてはいないわ。わたくしとギルバート殿下の間に、愛など端から存在しないのですもの」
事実、ヴィクトリアは傷ついてなどいない。貴族は政略結婚が当たり前で、家のために身を捧げるのがあるべき姿だ。だから、結婚相手以外に愛を求めるのはよくあることだ。
「殿下は我がアイラ公爵家に婿入りし、公爵位を継いでくださればそれでよいの。愛人の一人や二人、お小遣いの範囲なら目こぼしするわ」
王家と公爵家の結びつきを強めるための結婚。
それが貴族の義務だ。何も問題はない。
ただ、いろいろと弱みは握っておくことに越したことはない。そう思っているだけだ。
「心配なのはアーキンさんね。彼女は愛人という扱いになることを、分かっていらっしゃるのかしら」
ここから見えるだけでも、ポーラは随分と嬉しそうな顔でギルバートに寄り添っている。何か勘違いをしてなければいいなと思った。
しかし、世の中そううまくはいかないものである。
「ヴィクトリア様は、どうしてギル君を独り占めするんですか?」
授業後、術式の復習をしていたヴィクトリアに、ポーラが話しかけてきた。例の如く、マナーも何もない態度だ。
「独り占め、とは?」
素早く反応したリアムを下がらせて、ヴィクトリアは返事をした。だが、視線は手元に落としたままだ。
まともに向かい合う必要性を感じなかった。
教科書をめくるヴィクトリアに、ポーラは声を荒げる。
「ちゃんと話を聞いてください!」
「あなたがまともにお話しできるのなら聞きますわ」
「……っ、ヴィクトリア様って噂通り冷たい人なんですね! それに酷い! あたしが元は平民だからって馬鹿にしてるんでしょう!」
ヴィクトリアは呆れをそのままため息に乗せて吐き出した。馬鹿にされているのは、三年目になっても成長しない振る舞いのせいだと、何故気づかないのだろう。
「いくらギル君の婚約者だからって、やっていいことと悪いことがあります! この間、ヴィクトリア様が褒めてたハンカチ。あの子、あれから持ち歩いてないんですよ。お母さんの形見らしいのに!」
その勢いのままあの令嬢の所へ聞きに行けば、形見そのものを奪ったわけではないことが分かるだろうに。
もはや静かに勉強もできないと、ヴィクトリアは立ち上がった。リアムが素早く荷物をまとめて、すぐ後ろに従う。
相手をするだけ馬鹿らしい。リアムもその思いを分かってくれたのだろう。さりげなくポーラが視界に入らない位置に動いてくれている。
さすがはわたくしの従者、と満足した時。
「リアム君だってそうですよ! そんな風に、いつも辛そうな顔で扱き使われて。かわいそうだと思わないんですか!?」
ヴィクトリアはぴたりと動きを止めた。
指先一つでリアムを黙らせる。反論しようとしていたリアムは、ハッとして目を伏せた。
「アーキンさん」
「……な、なんですか」
「あなたがどのような噂に惑わされようとも、わたくしには関係ございませんわ。同じように、ギルバート殿下とどのような関りがあろうと、度を越さなければ目を瞑って差し上げましょう。ですが、リアムは我がアイラ公爵家の臣。リアムの忠誠を踏みにじるは、我が家門に対する侮辱と捉えますわ。たかだが男爵令嬢ごときが」
さすがのポーラも、ヴィクトリアの怒りを感じ取ったらしい。びくりと震えて、初めて口を噤んだ。
「それと、もう一つ」
まとめられたリアムの銀髪を軽く引いて、ヴィクトリアは口元を綻ばせた。
「リアムはかわいそうな時が、一番かわいいの。なぁんにも分かっていないのね」
唖然としたポーラの顔に、少しだけヴィクトリアの溜飲が下がった。
ヴィクトリアたちが通うのは、王立の魔法学園である。貴族の子息たちは十五歳で入学し、十八歳で卒業するとともに成人したと認められる。
古来より、魔力とは血に宿るものであった。このタディリス王国に限らず、魔法とは王侯貴族の血筋に連なる者だけが扱える力だ。
ただ、さまざまな事情により、平民の中にも魔法を使える人間がごく稀に現れることがある。あの男爵令嬢、ポーラもその一例だ。彼女の場合は既に亡くなった父親が貴族だった可能性が高いと聞いている。
魔力を持つ者は、それを扱う術を学ばなければいけない。そのため、魔力が持つ平民は貴族の家に引き取られ、学園に通うことになるのだ。
だが、学園で学ぶのは本当に魔法に必要な知識と技術のみ。貴族としての教養やマナーは家で身に着けるものだ。
ポーラがいつアーキン男爵家に引き取られたかは知らないが、彼女はヴィクトリアたちと同じ三年生。最終学年だ。
最低でも三年は貴族令嬢としての教育を受けているはず。それなのに、あの無礼な振る舞い。リアムがぷんぷんするのも当然だ。
ゆったりとティーカップを口に運ぶヴィクトリアが見下ろすのは、学園の裏庭で二人きり、睦まじく過ごすギルバート第三王子とポーラ。
確かに校舎からは見えない位置ではある。だが、今ヴィクトリアがテラスから見ているように、完全に隠された場所というわけではない。
「……己の言動が常に見られているということを、理解していないのかしら」
「どこまでも自分中心なのでしょう。他者のことなど頭にない」
木の陰に座り込み、肩の触れ合う距離で手を握り合う二人。ともすればそれは、平民の恋人同士のようにも見える。
ヴィクトリアはカップを置いて、テーブルに紙を広げた。淡々と魔法術式を書いていく主を、リアムが案じるように呼ぶ。
「お嬢様……」
「あら。そんな顔をしなくとも、特に気にしてはいないわ。わたくしとギルバート殿下の間に、愛など端から存在しないのですもの」
事実、ヴィクトリアは傷ついてなどいない。貴族は政略結婚が当たり前で、家のために身を捧げるのがあるべき姿だ。だから、結婚相手以外に愛を求めるのはよくあることだ。
「殿下は我がアイラ公爵家に婿入りし、公爵位を継いでくださればそれでよいの。愛人の一人や二人、お小遣いの範囲なら目こぼしするわ」
王家と公爵家の結びつきを強めるための結婚。
それが貴族の義務だ。何も問題はない。
ただ、いろいろと弱みは握っておくことに越したことはない。そう思っているだけだ。
「心配なのはアーキンさんね。彼女は愛人という扱いになることを、分かっていらっしゃるのかしら」
ここから見えるだけでも、ポーラは随分と嬉しそうな顔でギルバートに寄り添っている。何か勘違いをしてなければいいなと思った。
しかし、世の中そううまくはいかないものである。
「ヴィクトリア様は、どうしてギル君を独り占めするんですか?」
授業後、術式の復習をしていたヴィクトリアに、ポーラが話しかけてきた。例の如く、マナーも何もない態度だ。
「独り占め、とは?」
素早く反応したリアムを下がらせて、ヴィクトリアは返事をした。だが、視線は手元に落としたままだ。
まともに向かい合う必要性を感じなかった。
教科書をめくるヴィクトリアに、ポーラは声を荒げる。
「ちゃんと話を聞いてください!」
「あなたがまともにお話しできるのなら聞きますわ」
「……っ、ヴィクトリア様って噂通り冷たい人なんですね! それに酷い! あたしが元は平民だからって馬鹿にしてるんでしょう!」
ヴィクトリアは呆れをそのままため息に乗せて吐き出した。馬鹿にされているのは、三年目になっても成長しない振る舞いのせいだと、何故気づかないのだろう。
「いくらギル君の婚約者だからって、やっていいことと悪いことがあります! この間、ヴィクトリア様が褒めてたハンカチ。あの子、あれから持ち歩いてないんですよ。お母さんの形見らしいのに!」
その勢いのままあの令嬢の所へ聞きに行けば、形見そのものを奪ったわけではないことが分かるだろうに。
もはや静かに勉強もできないと、ヴィクトリアは立ち上がった。リアムが素早く荷物をまとめて、すぐ後ろに従う。
相手をするだけ馬鹿らしい。リアムもその思いを分かってくれたのだろう。さりげなくポーラが視界に入らない位置に動いてくれている。
さすがはわたくしの従者、と満足した時。
「リアム君だってそうですよ! そんな風に、いつも辛そうな顔で扱き使われて。かわいそうだと思わないんですか!?」
ヴィクトリアはぴたりと動きを止めた。
指先一つでリアムを黙らせる。反論しようとしていたリアムは、ハッとして目を伏せた。
「アーキンさん」
「……な、なんですか」
「あなたがどのような噂に惑わされようとも、わたくしには関係ございませんわ。同じように、ギルバート殿下とどのような関りがあろうと、度を越さなければ目を瞑って差し上げましょう。ですが、リアムは我がアイラ公爵家の臣。リアムの忠誠を踏みにじるは、我が家門に対する侮辱と捉えますわ。たかだが男爵令嬢ごときが」
さすがのポーラも、ヴィクトリアの怒りを感じ取ったらしい。びくりと震えて、初めて口を噤んだ。
「それと、もう一つ」
まとめられたリアムの銀髪を軽く引いて、ヴィクトリアは口元を綻ばせた。
「リアムはかわいそうな時が、一番かわいいの。なぁんにも分かっていないのね」
唖然としたポーラの顔に、少しだけヴィクトリアの溜飲が下がった。
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