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第二章 安土桃山時代編
愛宕百韻、光秀と信長
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「光秀、発句はどうした? お前が詠まないと連歌会ははじまらぬぞ」
信長の突然の登場のためか、明智光秀の額から汗が玉のように吹きだしている。
信長の側には少し未来の光秀改め、天海が控えていた。
事情を知るものにとっては、何とも複雑怪奇な光景である。
発句とは和歌を連ねる連歌会のはじまりの句である。
主催者が最初の句を読んで、参加者が次々に和歌を詠んでつなげていくのが連歌会である。
愛宕山連歌会は『愛宕百韻』と呼ばれていて、参加者が百の連歌を詠むはずだったが、何故か実際は九十九句になっている。
鎌倉末期、明智家の祖先の土岐氏の初代頼貞や二代頼遠は勅撰和歌集にのるほど和歌の名手で、合戦に際して戦勝祈願の『法楽連歌』を奉納しています。
古代から和歌には呪術的効果があると信じられていたし、戦勝祈願で詠まれるのは良くあることだったようです。やはり、和歌の達人だった太田道灌は和歌の知識を戦に生かしたと言われています。
小机はまづ 手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりにせむ
(小机といえば字の習いはじめで、子どもみたいに弱いだろう。道灌が小机城を攻めた時、兵を鼓舞するために詠んだ歌である)
底ひ無き 淵やは騒ぐ山川の 浅き瀬にこそ あだ波は立て
(川の底が判らないような深い処は波の音も立たないもの 浅瀬にこそ波立つ音がするのです。古今和歌集より)
遠くなり 近くなるみの 浜千鳥 声にぞ潮の 満干をば知る
(潮がみちていれば浜千鳥は近くまで寄ってくる。潮が引いていれば遠く離れて鳴き声も聞こえない)
このような和歌の知識を生かして、戦争の時に川の浅瀬を見分けて渡ったり、潮の満ち引きを言い当てたというエピソードもあります。
比叡山の法師らしい賀朝法師が人妻に間男していて、夫に見つかって一首。
見投ぐとも人に知られじ世の中に知られぬ山をみるよしもがな
(露顕したからには身投げしたいが、それも秘密にしたい。人に知られていないような山を見つけたい)
夫の返歌は、
世の中に知られぬ山に身投ぐともたにの心はいはで思はむ
(お前が山に身投げしたって、俺の方はこの恨みを心の奥底の谷に秘めているんだぞ)
間男に激怒したいところだが、歌を詠まれたら返歌しないことは恥である。
どちらもなかなか風流である。
「いや、では、詠みまする。―――ときは今 天が下しる 五月かな」
この発句は後に『土岐氏の末裔である光秀がまさに今天下を治める五月になった』と解釈され、光秀が信長を本能寺で殺すことを決意した句だと言われている。
「どういう意味じゃ?」
信長の眼光が鋭くなった。
「五月雨の句ですが、備前出陣の戦勝祈願です。と共に殿の天下が来るという意味です。天皇家が五月生まれの殿に征夷大将軍の位を与えるという意味でもあります」
光秀は咄嗟の機転か、そう言い訳した。
案外、光秀の本音だったかもしれない。
事実、天皇家からは太政大臣、関白、征夷大将軍の位のいずれでも与えるという打診がきていたが、信長は色良い返事をしなかったという。
ちなみに、信長の誕生日は旧暦では天文3年5月12日(1534年6月23日)である。
当時は誕生日を祝う風習はなく、正月に数え年で年を重ねていたのでとても苦しい言い訳に聞こえただろう。
「わしは征夷大将軍などには興味がないぞ」
信長はそっけなく答えた。
「しかし、天皇家を奉ることがこの日本で上手くやっていく秘訣かと思いまする」
光秀は莞爾と笑いながら答えた。
「お前もなかなか人が悪いな」
信長も口元に笑みを浮かべた。
祀り上げて利用できるものは利用してしまえと言ってるのだ。
「脇(句)は行祐殿かな」
信長が行祐を見る。
脇句とは二番目に詠まれる句のことで、普通、座を用意する亭主が務める。
今回の場合は愛宕山威徳院で行われているので、愛宕西之坊威徳院住職の行祐が詠むことになる。
この愛宕山連歌会の参加者は光秀の他、光慶(光秀の長子)、行澄(東六郎兵衛行澄、光秀の家臣)、紹巴(里村紹巴、連歌師)、昌叱(里村紹巴門の連歌師)、心前(里村紹巴門の連歌師)、行祐(愛宕西之坊威徳院住職)、宥源(愛宕上之坊大善院住職)、兼如(猪名代家の連歌師)であった。
ちなみに、愛宕山は京都府京都市右京区の北西部にあり、ちょうど山城国(京都府南部)と丹波国(京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部)の国境にある。
「水上まさる 庭の夏山」
行祐が詠んだ。
『真説 本能寺の変』(立花京子著)によれば、この句は一年前に丹波宮津で細川藤孝が詠んだ「夏山うつす水の見なかみ」という句に類似しているという。メンバーも藤孝以外はほとんど同じである。
これは急用で来れなくなって欠席した細川藤孝の気持ちを代弁して、行祐が詠んだとされています。
真意は光秀の謀反の計画を後押し励ます(まさる=勝てる)ものだと思われます。
つまり、光秀の謀反計画は一年前の丹波宮津の連歌会で練られていたものではないかと思う。
そして、今、最大の好機が訪れたということでしょう。
「花落つる 池の流れを せきとめて」
続けて、三句は紹巴が詠む。
この句には二通りの解釈があり、「花(信長)が落つる(死ぬ)」もしくは「花(光秀の謀反)が落つる(失敗する)」というものである。「池の流れ」は「朝廷による統治」もしくは「信長の天下武布」という解釈があり、ここでは信長に気づかれているとみて、光秀に謀反は失敗するのでおやめなさいと忠告していることになります。
その後、連歌会は流れるように進んでいった。
そして、最後の九十九句目は光秀の長子(長男)の光慶が詠んだ。
「国々は猶 のどかなるころ」
と挙句を締めくくった。
最後の締めの句である「挙句」は祝言で締めるのが習わしであり、「桜の花が爛漫と咲くのどかな春、国々ものどかに治まる太平の世である」というような意味である。
無難な句で収めた。
「では、わしも一句、詠むかな」
と信長が言い出した。
一同、驚きを隠せない。挙句で締めた連歌であるのに、一体、何を詠むというのか。
その時、鈴の音のような女の声音が聴こえた。
「信長さま、お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れました。イエズス会の宣教師ベアトリスと申します」
信長に頭を軽く下げると顔を上げた。
女は碧い目をしていた。髪は金髪で流れるようなウェーブがかかっていた。
青い法衣に銀色の十字架を首から下げている。
天使のように微笑む顔に何故か震えを覚える信長であった。
(あとがき)
ついに、魔女ベアトリス登場ですが、何か起こりそうな予感がします。
信長の突然の登場のためか、明智光秀の額から汗が玉のように吹きだしている。
信長の側には少し未来の光秀改め、天海が控えていた。
事情を知るものにとっては、何とも複雑怪奇な光景である。
発句とは和歌を連ねる連歌会のはじまりの句である。
主催者が最初の句を読んで、参加者が次々に和歌を詠んでつなげていくのが連歌会である。
愛宕山連歌会は『愛宕百韻』と呼ばれていて、参加者が百の連歌を詠むはずだったが、何故か実際は九十九句になっている。
鎌倉末期、明智家の祖先の土岐氏の初代頼貞や二代頼遠は勅撰和歌集にのるほど和歌の名手で、合戦に際して戦勝祈願の『法楽連歌』を奉納しています。
古代から和歌には呪術的効果があると信じられていたし、戦勝祈願で詠まれるのは良くあることだったようです。やはり、和歌の達人だった太田道灌は和歌の知識を戦に生かしたと言われています。
小机はまづ 手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりにせむ
(小机といえば字の習いはじめで、子どもみたいに弱いだろう。道灌が小机城を攻めた時、兵を鼓舞するために詠んだ歌である)
底ひ無き 淵やは騒ぐ山川の 浅き瀬にこそ あだ波は立て
(川の底が判らないような深い処は波の音も立たないもの 浅瀬にこそ波立つ音がするのです。古今和歌集より)
遠くなり 近くなるみの 浜千鳥 声にぞ潮の 満干をば知る
(潮がみちていれば浜千鳥は近くまで寄ってくる。潮が引いていれば遠く離れて鳴き声も聞こえない)
このような和歌の知識を生かして、戦争の時に川の浅瀬を見分けて渡ったり、潮の満ち引きを言い当てたというエピソードもあります。
比叡山の法師らしい賀朝法師が人妻に間男していて、夫に見つかって一首。
見投ぐとも人に知られじ世の中に知られぬ山をみるよしもがな
(露顕したからには身投げしたいが、それも秘密にしたい。人に知られていないような山を見つけたい)
夫の返歌は、
世の中に知られぬ山に身投ぐともたにの心はいはで思はむ
(お前が山に身投げしたって、俺の方はこの恨みを心の奥底の谷に秘めているんだぞ)
間男に激怒したいところだが、歌を詠まれたら返歌しないことは恥である。
どちらもなかなか風流である。
「いや、では、詠みまする。―――ときは今 天が下しる 五月かな」
この発句は後に『土岐氏の末裔である光秀がまさに今天下を治める五月になった』と解釈され、光秀が信長を本能寺で殺すことを決意した句だと言われている。
「どういう意味じゃ?」
信長の眼光が鋭くなった。
「五月雨の句ですが、備前出陣の戦勝祈願です。と共に殿の天下が来るという意味です。天皇家が五月生まれの殿に征夷大将軍の位を与えるという意味でもあります」
光秀は咄嗟の機転か、そう言い訳した。
案外、光秀の本音だったかもしれない。
事実、天皇家からは太政大臣、関白、征夷大将軍の位のいずれでも与えるという打診がきていたが、信長は色良い返事をしなかったという。
ちなみに、信長の誕生日は旧暦では天文3年5月12日(1534年6月23日)である。
当時は誕生日を祝う風習はなく、正月に数え年で年を重ねていたのでとても苦しい言い訳に聞こえただろう。
「わしは征夷大将軍などには興味がないぞ」
信長はそっけなく答えた。
「しかし、天皇家を奉ることがこの日本で上手くやっていく秘訣かと思いまする」
光秀は莞爾と笑いながら答えた。
「お前もなかなか人が悪いな」
信長も口元に笑みを浮かべた。
祀り上げて利用できるものは利用してしまえと言ってるのだ。
「脇(句)は行祐殿かな」
信長が行祐を見る。
脇句とは二番目に詠まれる句のことで、普通、座を用意する亭主が務める。
今回の場合は愛宕山威徳院で行われているので、愛宕西之坊威徳院住職の行祐が詠むことになる。
この愛宕山連歌会の参加者は光秀の他、光慶(光秀の長子)、行澄(東六郎兵衛行澄、光秀の家臣)、紹巴(里村紹巴、連歌師)、昌叱(里村紹巴門の連歌師)、心前(里村紹巴門の連歌師)、行祐(愛宕西之坊威徳院住職)、宥源(愛宕上之坊大善院住職)、兼如(猪名代家の連歌師)であった。
ちなみに、愛宕山は京都府京都市右京区の北西部にあり、ちょうど山城国(京都府南部)と丹波国(京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部)の国境にある。
「水上まさる 庭の夏山」
行祐が詠んだ。
『真説 本能寺の変』(立花京子著)によれば、この句は一年前に丹波宮津で細川藤孝が詠んだ「夏山うつす水の見なかみ」という句に類似しているという。メンバーも藤孝以外はほとんど同じである。
これは急用で来れなくなって欠席した細川藤孝の気持ちを代弁して、行祐が詠んだとされています。
真意は光秀の謀反の計画を後押し励ます(まさる=勝てる)ものだと思われます。
つまり、光秀の謀反計画は一年前の丹波宮津の連歌会で練られていたものではないかと思う。
そして、今、最大の好機が訪れたということでしょう。
「花落つる 池の流れを せきとめて」
続けて、三句は紹巴が詠む。
この句には二通りの解釈があり、「花(信長)が落つる(死ぬ)」もしくは「花(光秀の謀反)が落つる(失敗する)」というものである。「池の流れ」は「朝廷による統治」もしくは「信長の天下武布」という解釈があり、ここでは信長に気づかれているとみて、光秀に謀反は失敗するのでおやめなさいと忠告していることになります。
その後、連歌会は流れるように進んでいった。
そして、最後の九十九句目は光秀の長子(長男)の光慶が詠んだ。
「国々は猶 のどかなるころ」
と挙句を締めくくった。
最後の締めの句である「挙句」は祝言で締めるのが習わしであり、「桜の花が爛漫と咲くのどかな春、国々ものどかに治まる太平の世である」というような意味である。
無難な句で収めた。
「では、わしも一句、詠むかな」
と信長が言い出した。
一同、驚きを隠せない。挙句で締めた連歌であるのに、一体、何を詠むというのか。
その時、鈴の音のような女の声音が聴こえた。
「信長さま、お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れました。イエズス会の宣教師ベアトリスと申します」
信長に頭を軽く下げると顔を上げた。
女は碧い目をしていた。髪は金髪で流れるようなウェーブがかかっていた。
青い法衣に銀色の十字架を首から下げている。
天使のように微笑む顔に何故か震えを覚える信長であった。
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