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 奈緒紀は恭介の普段の素行を知っている。だから恭介は彼には今更取り繕う必要がない。そりゃ、弱みだけは見せたくはないが、それにしたってほぼ素の自分でいられるので、奈緒紀はつるんでいてとてもラクな相手だった。

 そしてそれとはまた違う意味でも、恭介は奈緒紀といたいと思っている。
 奈緒紀は、我儘を云ったり無茶なことをしでかしはするが、それ以上に恭介のストレスの緩衝材になってくれる存在なのだ。

 彼といるときの自分が、とてもリラックスできているということに、恭介はとうに気づいていた。彼といると呼吸がラクなのだ。だから避けるどころか、むしろ奈緒紀とはずっと一緒に過ごしていたい。

(本人には口が裂けても云えないけどな)
 ただ今は本当に極度にイラついていて、こんな状態で奈緒紀とはいっしょにいたくない。
 彼に八つ当たりをするかもしれないし、自分はまた彼に甘ったれてしまうかもしれない。これ以上、奈緒紀に自分の醜態をみせたくはない。

 恭介は神経質に眉を寄せて、ちいさく舌打ちした。
「神田くんさ、この間まで校門で挨拶運動していたんだよ。先輩は見なかった?」
「さぁ」

 見るもなにも遅刻した神田の名まえを記帳し、彼に罰則の挨拶当番の案内プリントを渡したのが自分なのだ。そんなのは今更だった。それでも奈緒紀が神田の話をするのがなんとなく面白くなくて、恭介はしょうもない嘘をつく。

「んで、登校んときにあっちが町田くんの工場にいた俺のこと覚えてくれていて、声かけてきたの。びっくりした。だから俺ついこのあいだまでは神田くんとおなじ学校だってことも知らなかったぐらいだよ? そんくらい今まで話すこともなかった」
 奈緒紀は大きな瞳で恭介を見上げて「俺的には、先輩とのほうが仲がいいつもりなんだけど?」と呟いた。

 恭介はその言葉に自分の気分がすこし浮上したことに気づいてすこしくやしくなる。
「別にそんなこと、聞いていない」
「はいはい。ところで先輩。きょう俺ん来ない?」
「んー……」

 誘われて嬉しい気持ちはあるが、なにせ今日はダメだ。恭介は気分が治まるまでは、断固彼とは距離をおくつもりでいて、その決意は固い。
 だいたいいまの状態であの家にいくと、恭介はきっと吐くだけじゃすまないだろう。うっかりぶちキレて舞子と良和のケンカに参戦している自分を想像して、恭介はげんなりした。

「無理。やめとく。今日はそんな気分じゃない」
「じゃあさ、どっか遊びにでかけよ?」
(だから、今日は‥‥…)
「また今度」と告げようとした恭介は、じっと見つめてくる奈緒紀の瞳に、そのさきが云えなくなってしまった。

「どうかな?」と誘ってくるピンクの唇に、弱い意志が簡単に溶解していく。
「それなら、いいけど……」
「じゃあ、放課後、昇降口でオッケー?」
「ああ、うん。でもお前由那ゆなの迎えは?」
「そんなの誰かに頼む――、って、ほら、みてみて。ナイスタイミング」
 嘘のように都合よく前方から歩いてくるのは、彼の兄の良和だった。

「先輩行こう」と云って恭介の袖口を引っ張った奈緒紀は、やっと立ち止まっていた場所から歩きだす。そして彼はすれ違う間際の良和の袖を掴むと、「うわっ、びっくりしたっ」と、ぎょっとする兄に一方的に告げたのだ。

「よっしー、今日、ゆんのお迎えお願いね」
 すかさず、奈緒紀は兄のポケットに保護者カードを捩じりこんでいた。
「げえっ! 奈緒紀、待てって。俺じゃアイツは無理だって! おいっこらっ‼」
「大丈夫、大丈夫!」

 奈緒紀は茶目っ気たっぷりに笑いながら云うと、恭介の手を握って彼から逃げるために走りだした。背後で「おいっこらっ逃げんな!」と、でかい声で叫ぶ良和の声に、彼を叱責する教師の声がかぶる。

「おい、いいのか?」
「いいのいいの。じゃあ先輩、それよろしくね」
 お互いの教室に向かうための分岐路で、奈緒紀はソレと恭介が手に持っていた包みを示しながら云うと、恭介の手を放して階段を駆けあがっていく。そして姿が見えなくなる寸前に一度だけ振り返って、「先輩っ、忘れないでね、校門だよ!」と叫んだ彼に、恭介はなんとも複雑な気分で「ああ」とだけ返した。



                *



 放課後、奈緒紀と待ち合わせて一度恭介の家に帰ったふたりは、着替えるとバイクに跨った。
 タンデムシートに乗りこんだ奈緒紀がぎゅっと自分の身体にしがみつく心地に満足を覚えた恭介は、今日は彼の好きなようにつきあってやってもいいと思った。

 試験場以外でふたりで出かけるのははじめてになるが、奈緒紀はいったいどんなところで、なにがしたいのだろう。そう思って恭介がリクエストを訊いてみると、奈緒紀は天気がいいから六甲山に登りたいと答えた。

 てっきり繁華街のアミューズメント施設の名まえをあげるかと思っていたので、恭介は六甲山と聞くと、顎を引いて目を丸くしたのだ。
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