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「それに春臣くんのほうが、頼りになるのだから、篠山さんのことは彼に任せておけばよかったんです。それなのに、私は、なにもできないのに――」
「今度は春臣か?」
 春臣がいったいなんだというんだと眉を顰めた篠山は、神野の声が上擦っていることに気づいて顔をあげさせた。いつから泣いていたのか、その顔はすでに涙でぐしゃぐしゃだ。
「それなのに、俺っ、図々しくしゃしゃりでて……っ、結局、自分があなたに会いたいだけだったんだっ。最低――、です」
「さっきから、お前、なにを云ってるんだ? もっと端的に話せ」

「どうせ、私なんてなにもできない。なんの魅力もないっ。近藤さんみたいじゃないって、云ってるんです!」
「はあぁぁ? なんでここで近藤の名まえがでてくるんだ?」
「だって、だって、すっ、好きなんでしょ?」
 近藤って、こいつが一度しか会ったことのないはずの、あの近藤始のことだよな? と、思うや否や、なにがなんだかわからないこの状況にやっとぴんときた篠山は、目を吊りあげた。

(はーるーおーみぃぃぃぃぃ‼)
「近藤はただの友だちだ。誰に、っていうか、春臣になんて聞いたか知らないが、そんなのは嘘だ。すぐ忘れろ」
「でも、本命だって。ずっと好きなんでしょ?」
「神野、俺、昨夜好きだって云ったよな? ちゃんと――、」
 聞いていたのかと責めようとして、はっとした。
「聞いてなかったか、そっか、そうだよな。お前、失神してたんだっけか――」
「好きって? 云ったんですか? 近藤さんに……、結婚するのに?」
 見上げて呟いたのが最後だった。あれだけ意固地が服を着て歩いているような性分をした神野が、顔をくしゃっと歪めると、ぎゅっと胸に縋りついてきた。

 ふぇっと情けない声があったかと思えば、それはあっというまに嗚咽に変わる。不器用な彼は、またひとりでいろんな気持ちを背負いすぎていたのだろう。
 篠山は肩を震わせてしゃくりはじめた神野の細い身体を、しっかり抱きしめてやった。
「それが、原因だったんだな」
  神野の背中をぽんぽん叩きながら「はあぁーっ」と、深い溜息を吐く。正直、呆れた。

「おかしいと思ってたんだよ。やってる最中、身体はとろっとろしてるのに、お前、ずっと泣きそうな顔してたから……」
 そして耐えきれずの決壊だ。しゃくりあげるたびに、胸の中の神野の薄い身体が跳ねあがる。嗚咽には女子どもが泣くときのような、「ああん」という声まで混じっていて、しばらくは止められそうにない。

 神野をここまで追いかけてきたのは、昨夜なにかを云いたそうだった彼の話を聞いてやることと、惚れたと告げて返事を聞くためだった。
 それだけで終わるつもりでいたのだが、蓋を開けてみれば話は簡単ではなかった。神野はとんでもない勘違いや思いこみを心の裡に塗り重ねていて、こうして泣き出してしまう始末だ。これはちょっとやそっとでは話はつかないだろう。

 こんなに拗れるまでひとりで延々と思い悩んでいたのかと思うとかわいそうだったが、それでもそれに気づいてやれてよかったと思う。一瞬春臣が彼に余計なことを云って、ひっかきまわしたのかと疑ったが、きっと逆だ。
 意固地な神野がいろいろと勝手に早合点していくのを身近で見ていた春臣が、どうにかしてやろうとなんらかの手にでたのだろう。そうでもなければ、いきなり神野が夜中に一升瓶抱えてやってくるなんてことは絶対にない。

(どうして俺はそのことにすぐに気づかなかったんだ)
 さきに気づいた春臣になんだか妬ける気がして、篠山は居心地の悪さに喉を鳴らした。
(しかもかわいらしく誘ってくるコイツに、デレデレ鼻のした伸ばしてのぼせ上がったりして……。はずい……)
 いまのあいだですっかり日も昇り、もう何人もの通りすがりのひとにちらちらと冷たい視線を送られている。せめてもの救いは、抱いている神野が興奮しているせいか、ぽかぽか温かくて、寒さをしのげられていることだ。

「とりあえず、マンションに帰ろう? 誤解はちゃんと解くから、ほら、もう泣きやめ」
 神野の話を総合すると、つまりこいつは春臣や遼太郎、そして近藤に嫉妬しているということだ。それは『人間的に優れたあいつら』にというだけでなく、おそらく『篠山の恋愛対象としてのあいつら』に。
 だったらことは簡単だ。臭い言葉だが自分たちは相思相愛で大団円なのだから。

 泣きじゃくる神野には悪いと思いつつ、顔がにやけるのを止められない。彼の頭をあやすようにしてポンポンしながら胸を撫でおろした篠山は、しかしどうやって彼をなだめればいいのだろうかと難儀する。彼の性格上、自分たちが相愛なのをわかってもらうのに、随分骨を折ることになりそうだった。
 そしてまずはどうやってこいつを連れ帰ろうかと考えたとき、ふと彼が失敗したと嘆いていた、色仕掛けをなるものを試してやろうと思いつく。
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