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第28話 紫の花
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「本当に結晶がある」
村の外れにある鍛冶場の近くにある井戸を覗き込んだヴァーグは、底にキラキラと輝く青い結晶が沈んでいるのを確認した。
「だから言ったじゃろ!」
「でも、他の井戸を調べても、結晶は何処にもなかったんですよ。どうしてここだけにあるんですか?」
鍛冶場の井戸に着くまでの間、ヴァーグは井戸という井戸の底を調べたが、青い結晶があった形跡はなかった。
それなのにこの井戸の底には結晶が沈んでいる。
「流れ着いた…ってことはないですよね。この鍛冶場の井戸は、貯水施設から一本の水道管で繋がっているから、どこも経由していないし」
ヴァーグはパソコンを立ち上げて、村を張り巡らせている水道管の配置を見ていた。確かに鍛冶場の井戸は村の外れにある事で、直接貯水施設と繋がっていた。
「何が原因で結晶ができるのかは、わしにも分からん。昔も、騎士団の遠征先で偶然見つけて王都に持ち帰ってきたぐらいだからな」
「採取場所とかも正確には分からないってことですか?」
「ある程度の場所は把握しているが、気候の変動で今もその場所にあるかはわからないな」
「今は手に入らないんですよね?」
「前の騎士団団長が誰にも言わずに引退した。研究所も採取場所を聞き出そうとしたが、頑なに口を割らなかったそうじゃ。今は国外に出て、平和な老後生活を送っているそうじゃ」
「どうして誰にも言わないのかしら?」
「この結晶が大きな戦争を引き起こすと考えたんじゃろ。水の結晶は生活に使うには何の問題もないが、兵器として使うとなると大きな災害を引き起こす。無限に水を出すことができる水の結晶を使えば、大洪水が起き、村を壊滅することだってできるじゃろうな」
「管理が必要ですね」
「管理ならわしらがやるぞ?」
「村での管理はゲンさんでもできますけど、一応王都にも知らせた方がいいと思うんです。王都に知らせずに隠していたら、あの村は兵器を隠し持っているって知れ渡った時が怖いですからね」
「王都から役人を呼ぶのか?」
「エテさんに頼もうと思っています。エテさん、王室を離れたがっていたので、この村に移住するための口実が欲しかったんです。エテさんに管理を任せるように国王様に伝えます」
「まあ、あの王子なら適任だな。他の王子や王女は何をやってもダメだ。ありゃ、生母たちが王子たちをダメにしている」
一時期、王宮に出入りしていたこともあり、ゲンは王宮の内部事情にも詳しい様だ。
「ゲンさんは他の王子や王女の事に詳しいんですか?」
「エテ王子が生まれるまでは王宮に出入りしていた。上四人の王子・王女の生母は、元々は国王の妃候補でな、名門貴族や大臣たちの血縁関係者ばかりだ。国王の妃になれば実家には毎年まとまった金は入るし、名誉は与えられるし、役職も与えられる。何をやっても許されるから、やりたい放題だ。今の王妃の実家はでしゃばることもないし、妃候補たちの試験中も一番まともだった。遠い親戚に隣国の先代ボルツール公と繋がりがあるからか、先代国王も先代王妃も大いに気に入っていた。何よりも国王自身が王妃を気に入っていたからな」
「し…試験って、妃になるための試験があったんですか?」
「ああ。妃候補たちに、一年間だけ王宮に住んでもらって、全員に同じ金額の金を毎月与え、どれだけ王妃に相応しいかを試していた。他の候補者が湯水のように金を使う中、王妃だけは必要最低限しか使わなかった。月終わりに清算するんだが、余った金は寄付していた。財政を圧迫しない、国の行事に進んで参加する、いつも国王を支えるという姿勢が気に入られたんだろ」
「じゃあ、今の側室は…」
「妃候補だった者たちだ。王妃の世継ぎが望めないとわかった途端、側室に立候補してきた。側室も正妃と同様の扱いを受けられる為、我儘し放題だ。その母親を見て育った王子・王女も我儘になってしまった。エテ王子が成長し、他の王子・王女と違う行動をしてもお構いなしさ。だが、二番目のセリーヌ王女はなにかを察したのだろうな。途中で態度を改めた。三番目と四番目の王女もエテ王子の背中を見て育ったようなものだ。だが他の王子・王女は変わらなかった。自分たちが次期国王になるんだからって、我儘し放題だ」
「財政は圧迫していないんですか?」
「財務大臣が実権を握っているから、なんとでもなるんだろ。それに、市民たちを罰して財産没収すれば、その金は自然と王宮に入ってくるからな」
「じゃあ、ジャン君に没収された財残が戻らなかったのは…」
「使い込んでしまったんだろ。でも、まあ、ケインのお蔭でジャンもこの村で暮らせるようになったし、王都追放と言っても今年いっぱいだ。罪を償うための奉仕とか表向きには言っていたが、ちゃんと生活を保障してくれるんだろ、ヴァーグ殿」
「そのつもりです。なぜかケインが大きな土地を国王様から譲り受けたので、村ではできなかったことを進めていくつもりです」
「ケインも変わったな。これもヴァーグ殿のお蔭じゃな」
ゲンはかっかっかっ!!と豪快に笑い出した。
確かにケインは変わった。初めて会ったころと比べて逞しく成長し、今では自分の意見も言うようになった。料理も腕を上げ、一度教えたことはすぐに習得する。未だに方向音痴であることを除けば、16歳にしてはしっかりしている。
ヴァーグは女神が付けたスキルの一つを思い出した。
「【指導者】 あなたには何かを教える才能が有ります。それを活かしてスキルを付けました。これは指導する人の隠れた能力を最大限に引き出すことができます。目に見えない能力なのでスキルが発生しているのか分かりづらいですが、あなたと触れあう人は必ず成長するってことですね」
目に見えないスキルの為、本当に発動しているのか不安だったが、ケインの成長を見ると不安になる事はなかった。
ケインだけではない。ラインハルトも自分の意見を持つようになり、村人からいい評判のなかったマックスは、今では村人たちに頼りにされている。デイジーやナンシーも自分の道を見つけ、ゲンも現役復帰した。
きっとエテ王子やリチャード達も変わっているだろう。それを直に確かめるのは難しい(出会う前の彼らを知らない事も関係している)が、きっと成長しているに違いない。
「で、ヴァーグ殿。この結晶はどうする? どこかに保管するか?」
「エテさんが定住した時に決めたいと思います。それまではゲンさんが管理してください。必要になったら貰いに来ますから」
「じゃあ、今まで通り15日ごとに、井戸の底をかっさらっていいんだな?」
「はい。…え? 15日ごと? 毎日貯まるんじゃないんですか?」
「毎日は貯まらん。何故か15日ごとに結晶が貯まっている。たぶん、15日周期でここに集まるんだろうな」
「へ~~…」
なぜ15日間隔で結晶が貯まるのか、この時は分からなかった。
だが、その後の調査でとある自然現象が関係している事に気付くことになる。
国王から広大な土地を譲り受けたケインは、リチャードと共に土地の視察に出かけた。
国有地と言っても、ほとんどが手が付けられていない荒れ地や森、大きな湿地帯、くすんだ色の池など、一目で放置されていたことが分かる。
オルシアに乗って空から視察しているケインは、国が管理しているんじゃないのか?とリチャードに訊ねた。
「国は管理していない。ここら辺一帯は、元々は貴族の持ち物だった。何代か前の国王に反発した貴族たちから取り上げたものだ」
「財産没収みたいなもの?」
「そういった方が早かったな。昔、国王と貴族の間で争いがあったんだ。その時国王に刃向かってきた貴族たちを王室侮辱罪として、ありとあらゆる財産を没収した。その貴族たちが持っていた土地がここら一帯だ」
「何が原因で争っていたんですか?」
「当時の国王が、王妃を溺愛していた為、我儘王妃の言いなりだったんだよ。三年連続、同じ王妃と豪華な結婚式を挙げたり、王妃が欲しいという物をすべて与えたり、国の財政は圧迫していた。で、国王に忠誠を誓う証に貴族から多額な寄付金を寄越せと国王が言ったものだから、貴族たちが猛反発。それで大きな内戦となった」
「因みにその寄付金の金額は?」
「一か月で5000万エジル。王室の一か月の必要経費の半分だ」
「ご…5000万!?」
あまりの高額にケインは顎が外れるのではないかというぐらい大きな口を開けた。
前に王宮でオルシアの鱗を2枚オークションにかけた。その2枚は約800万エジルで落札された。それを考えても1か月で5000万エジルは高すぎる。温泉宿の温泉は一回の入浴に500エジル掛かる。1日一回入浴するとして、5000万エジルを使い切るには一生が終わってしまう。(1エジル=約1円)
「取り上げたはいいが、誰も管理しなかったため、こんな土地になってしまった。まあ、王室もこの土地の使い道など何も考えていなかったからな。なにか施設を作れば金は掛かるし、維持費も掛かる。だったら手を付けない方がいいだろうと、王室はこの土地を放置した」
「勿体ないな。これだけの広さがあれば学校はできるのに」
「学校?」
「ヴァーグさんから教えてもらったんです。ヴァーグさんがいた土地では、6歳から15歳まで必ず学校に通わないといけなかったって。『ギムキョウイク』とかいう物で、法律で決まっていたらしいですよ。学校では母国語や外国語、計算式、科学実験、植物観察、国内と外国の歴史、絵画や料理まで習ったって言ってました」
「子供にそんなに教えるのか!?」
「それだけじゃないですよ。15歳で学校を卒業すると、更にその上の『高校』や『大学』、『専門学校』に通って、自分が将来なりたい職業の為の勉強をするって言ってました。ヴァーグさんのいた土地では、自由に自分が好きな職業に就くことができるみたいです」
「そんな国があるのか!?」
「俺も驚きましたよ。でも、ヴァーグさんはそれが『当たり前』で、何の疑問も持たなかったそうです。ヴァーグさんも『高校』までは通ったって言ってました。それに、今、村では保育所を開設していますが、そこで働く人も専門の学校を卒業して、働く資格がないと働いては行かなかったらしいんです。若くても経験と知識があれば、特殊な職業に就くことができたようです」
「まあ、王都で手に職を持っている人は、親がその職業をしていて、小さい時から手伝ったりして経験を積んでいる人が多いからな。育成学校もある程度の知識と技能がないと、いくら卒業しても職はないし」
「学校を作る事は国王様も承諾しているので、後は土地の確保だけですね。学校だけあっても潰れるだけって、ヴァーグさん言っていたし」
「どういうこと?」
「その学校に通う子供たちを近くに住まわせないと、通うだけでも疲れちゃう…らしいです。ヴァーグさんの考えでは、学校の周りに住める場所を作って、更にその周辺に買い物ができる場所、子供たちが遊ぶ場所、家族で出かけられる場所を作らないと、学校は成り立たないらしいです」
「つまり、遠くに出かけなくても学校に通え、買い物もでき、さらに遊ぶ場所まで作って、1つの街にするってことかね?」
「ええ」
ただ学校を作るだけではなく、そこに通う子供たちの事、子供たちの親の事、生活に関わる事まで考えている事にリチャードは驚いた。物事のその先まで見通しているヴァーグの頭脳は、今の王室に必要なのかもしれない。
ただ自分の優位になるように物事を決める今の大臣たちでは、国はいつか滅ぶだろう。そうなる前に改革しなければならないが、ヴァーグのように先を見ている人は誰もいない。
前にゲンが「たとえ王都が衰退しても、どこかが代わりの王都になる」と言っていた。もしかしたら、これから誕生するヴァーグの作る街がそうなるのではないだろうか……見えない未来にリチャードは不安よりも期待感の方が大きかった。
ケインはオルシアに地上に降りるように命じた。
オルシアが降り立ったのは、草1つ生えていない荒れ地だった。
「ここ、元々は何だったんですか?」
「元々はどっかの伯爵の屋敷が建っていたようだな」
国王から渡された古い地図を見ながらリチャードが答えた。
どこまでも続く砂煙の舞う荒れた土地からは、ここに貴族の屋敷があったことは想像つかない。長い間、誰も足を踏み入れなかった不毛の地は、どこか淋しい風景だった。
「…あれ?」
辺りを見渡していたケインは、前方に地面から垂直に建っている長方形の影を見つけた。
「リチャードさん、あれって何ですか?」
「どれだ?」
風で砂煙が舞う中、リチャードは目をケインが指さす方へと向けた。
「地図からすると、屋敷の庭にあった何かだと思うが……行ってみるか」
リチャードはケインとオルシアと共に謎の影の方角へと歩き出した。
ケインが見た影は、大きな壁だった。長い間、放置されていたことで、雨風で風化が進み、今にも崩れ落ちそうなレンガの壁だ。
そのレンガの壁の周りには転々と紫の小さな花が咲いていたが、手で触れると花弁はカサカサで水気はまったく感じられなかった。
「元々は屋敷を取り囲む塀だったんだろうな」
軽くレンガの壁にリチャードが触れると、煉瓦は細かい砂となって風に巻き上げられた。
どんな屋敷が建っていたのか、どんな人が住んでいたのかはわからないが、微かに残った地面の花壇の形跡に、丁寧に手入れされた庭があったんだろうと、その予測はつく。
「ケイン」
荒れ果てた土地を見渡していたケインの背中を、オルシアが突いてきた。
「どうした?」
「あれを見ろ」
オルシアは紫の小さな花が比較的集まっている所を指さした。
特に変わった様子はない。ただ小さな花が咲き、風に揺れているだけだった。
オルシアは何を見つけたんだ?
動かそうとしないオルシアの視線の先をじーっと眺めていると、乾いた地面に小さな黒い円が等間隔に浮かび上がってきた。地面に水滴が落ちているようだ。
「…なに、あれ…」
雨も降っておらず、周りには何もないのに、その黒い円は一番元気がありそうな一本の花に向かって続いており、よく見るとその花の根元が水で濡れていた。
「妖精か」
「よ…妖精?」
「植物の妖精だな。だが、だいぶ弱っているようだ」
「オルシアは見えるのか?」
「念ずれば見えるはずだ」
そんな簡単に言うなよ…ケインは半信半疑で目を閉じ、「見えろ~見えろ~!」と心で念じた。
そっと目を開けると、根本が水に濡れている花の傍らに、薄紫色の長い髪を左サイドの高い位置で一つに纏め、レモン色の瞳を持った、髪と同じ色のワンピースを着た30cmぐらいの女の子が一人立っていた。その女の子はクルミと思われる木の実の殻の中に入れた水を花にかけていた。
「本当に見えた…」
「この辺りに草木が無くなったことで、力を失いつつあるようだ。この花があの妖精の生命力なのだろう」
「じゃあ、この花が枯れたら…」
「生きることはできないはずだ」
今にも倒れそうなほどフラフラとしている妖精は、花に水をかけ終わると、背中の羽根を羽ばたかせて宙に舞い上がった。だが、浮いたのは地面すれすれで、羽ばたかせている羽根も力が入っていない事は一目瞭然だった。
オルシアは手を貸さなかった。それが自然の掟だと言うことを十分に理解していたからだ。
「助けちゃダメ?」
「我は自然界に生きる物。これが自然の掟だと悟っている。だが、ケインは人間だ。助けたいと思うのなら助ければいい。ただ、ケインとあの妖精の相性が良くないと、妖精は更に体力を失う」
「一か八かってことか…」
ケインは「よし!」と気合を入れ、妖精に歩み寄った。
妖精はケインにも気づかず、地面から数センチ上を飛び続けた。
「水を…水を……早く…」
今にも消え入るそうな声で、水を求めて飛び続ける妖精だったが、ついに力尽きてしまった。羽根に力が入らず、地面に倒れ込むも、妖精は腕の力だけで前に進もうとしている。
そんな痛々しい姿に我慢できなくなったケインは、地面に倒れ込む妖精を手のひらに乗せ、オルシアに飛び乗った。
「リチャードさん! 村に帰ります!!」
「え? 今!?」
「急用です!」
早く乗れと言わんばかりに声を張り上げるケインに、ただ事ではないと察したリチャードもオルシアの飛び乗った。
村に戻ってきたケインは、ヴァーグがいるであろう保育所に飛び込んだ。
「ヴァーグさん!!」
突然飛び込んできたケインの大声に、ヴァーグは喫茶店を利用としていたお客たちに出した水をこぼしそうになった。
「ど…どうしたの、ケイン」
「この子を助けてください!」
ケインは両手をヴァーグの前に差し出した。
差し出されたケインの手を覗き込んだお客たちは、何も乗っていないケインの手を不思議そうに眺めていた。
だが、ヴァーグにはケインの手のひらに乗る薄紫色の髪の妖精が見えたようだ。
「どこで見つけたの?」
「国王様から貰った土地をリチャードさんと偵察していたら、この子を見つけたんです。オルシアが言うには植物の妖精で、生命力となる花が枯れてしまったので弱っているらしいんです」
「わかったわ。この子が大切にしていた花は覚えてる?」
「はい!」
ヴァーグはカウンターから植物の図鑑を持ってきて、テーブルに広げた。
ケインがどういう花だったと言う前に、ヴァーグはお目当ての花を引き当ててしまった。
「これであってる?」
「は…はい、そうです」
「これなら持っているわ」
ヴァーグはウエストポーチ(新しく購入したアイテムボックス)から、紫色の小さな花の束を取り出すと、開いた図鑑の上に置いた。
「ここにその子を乗せて」
ヴァーグに言われるまま紫色の花束の上に妖精を下すケイン。
周りで見ているお客たちは何が行われているのかわからず、ただ見つめているだけだった。
しばらくすると、妖精の周りが紫色に光り始めた。
その光はお客たちにも見えたのか「おおーーー!」と歓声が上がった。
「もう大丈夫みたいね」
妖精の下に敷かれた紫色の花は枯れてしまった。妖精が花の養分をすべて吸い取ってしまったようだ。
「すみません、ヴァーグさん。その花、大切な物だったんですよね?」
「気にしなくていいわ。春になればまた育てるから」
「育てることができるんですか?」
「ええ。一年に二回、育てることができるから、ケインのお父さんの畑を借りて少しだけ育てていたのよ。まだ改良中だから製品化はできないけど、花を砂糖漬けにしてお菓子に使おうかなって思っているの」
「食べられるんですか!?」
「もちろん。好き嫌いはあると思うけど、アイスに添えたり、ケーキに添えると見栄えが華やかになるからね」
「花が食べられるなんて…」
ケインだけではなく、話を聞いていたお客も驚いていた。
「でも、この子、もう元の土地には戻れないわね」
「え? なんで?」
「この子がいた場所では花は育たなかったんでしょ? 元の場所に戻したら、また同じことの繰り返しよ。このまま保護した方がいいのかもしれないわ」
「保護って言っても、どうやって?」
「契約すればいいのよ。契約を結んでしまえば、この花がなくてもこの子は生きていられるわ。契約した主に仕えるからね」
「なるほど!」
「じゃ、ケイン、この子との契約はあなたに任せるわね」
「俺!?」
「だって、私が契約しちゃったらアクアが嫉妬しちゃうもの。それに、ケインが見つけて助けてあげたのだから、あなたが主になる素質はあるわ。ここまで連れて来られたんだもの」
「相性がいいってこと?」
「そういうこと。契約のやり方は覚えてる? 眠っていても返事が返ってきたら契約できるわ」
確かにオルシアからは相性が良ければ助けることができると教えられた。
だが、契約をするにはこの妖精に名前を付けなくてはならない。ケインは名づけが苦手なのだ。
「因みに、この花の名前は?」
「私が前にいた場所では『スミレ』って呼ばれていたわ。他にも『ビオラ』とか、『ヴァイオレット』とか」
「……『スミレ』か……」
ケインは図鑑の上で眠る妖精の頭に、そっと右手で触れた。
「植物の妖精を『スミレ』と名付ける」
そう名前を付けると、妖精の体が緑色に包まれた。これは相手が契約に応じる合図だ。
「わたし、スミレは、何時如何なる時も主ケインに仕えることを誓います」
妖精の声が返ってきた。
すると、妖精の体から緑色の球体が飛び出し、ケインの右手を包み込んだ。
その光が消えると、ケインに右手首には緑色で編み込まれた紐が結びついており、『スミレ』という名前が黒い紐で編み込まれた。
契約は成功したようだ。
ケインが手首に巻きつけられた紐ーミサンガを眺めていると、見物人だったお客たちがざわつき始めた。どうやらお客たちにも妖精の姿が見えるようだ。
薄紫色の髪を左サイドで一つに纏めたその妖精は、何故か服が変わっていた。さっきまでは髪と同じ色のワンピースを着ていたのに、今の妖精は、白いワンピースに、薄紫色の袖のないボレロ、ワンピースの腰には黄色いベルトを着けており、靴は緑色のショートブーツを身に着けていたのだ。
「服が変わってる!!」
「主に仕えるための正装って事かしら? スミレの妖精に相応しい色合いね」
オルシアたちは服を着ていなかった。だから見た目は変わらなかったが、こうして服を着る生き物は契約すると服装が変わることを発見した。これはヴァーグも驚きの発見だ。
妖精ースミレはゆっくりと目を開けた。
最初に目に入ったのはケインの顔だった。
「ここは…?」
「俺の村。ごめん、君に断りもなく連れてきちゃった」
「…あれ? 服が変わってる!?」
「それも断りもなく契約を結んじゃった。君を助けたかったんだ」
「契約? そういえば夢の中で…」
スミレは眠っている間に見た夢を思い出した。その夢は一人の青年が名前を付けてくれた。その声に暖かさを感じ、この人なら助けてくれる! そう信じて返事をした。それらの夢は夢ではなかったようだ。
「本当にごめん。あのままだと君は生きていけないと思ったんだ。ヴァーグさんに頼んで花を用意して貰って、君を助けた。それに前の場所に戻しても、また同じことを繰り返すと思って、それで生かせるために契約を結んだんだ。君の断りもなく申し訳ない」
ケインはスミレに向かって頭を下げた。
「いえ、頭をあげてください! わたしは助けていただけて嬉しいです! これからも宜しくお願いします!」
スミレは正座をしたまま頭を下げた。
その光景が嫁に入る娘のようで、周りで見ていたお客たちはクスクスと笑い出した。
「ご挨拶は終わったかしら?」
ヴァーグも同じようにクスクス笑っていた。
恥ずかしくなったスミレは両手で顔を覆って、赤くなった顔を必死になって隠した。
「新しい住人の歓迎に、これをどうぞ」
ヴァーグはスミレの前に三枚のクッキーが乗った皿を置いた。
初めて見る物体にスミレは戸惑った。いい香りはするが、これは何だろう? 一枚を手に取ってみるが、これがどういう物なのかわからなかった。
「それは食べ物だよ。妖精は食べれないのかい?」
スミレは頭を横に振った。森の中では木の実などを食べていたことがある。でも、今手にしているのは木の実とも、キノコとも違う。嗅いだことのない匂い、触ったことがない感触、見たこともない形に戸惑うばかりだ。
意を決して一口、噛り付いた。
クッキーに噛り付いたスミレが、ワナワナと肩を震わせていた。
「美味しくなかったのかしら?」
ヴァーグは心配になった。が、すぐに笑みを取り戻した。
スミレは二口目、三口目と頬張り、満足した笑みを浮かべていたのだ。その顔は、初めてたい焼きを食べたケインの顔と似ていた。
「焦らなくても取ったりしないよ。ゆっくり食べな」
ケインはスミレの頬に付いたクッキーのカスを取りながら、頬杖を突きながら彼女の食べっぷりを嬉しそうに見つめていた。
因みに、ケインと一緒に村に戻ってきたリチャードは、庭で遊んでいた子供たちに捕まっていた。
更にエミーとの婚約も村中に知れ渡っているので、子供たちを迎えに来た母親たちにからかわれ、王都に戻る頃には疲れ果てていた。
「お土産にこれをどうぞ」
疲れ切ったリチャードに、ヴァーグは三個のホールケーキを渡した。
「こんなに食べきれないよ」
「あら、ご存じないのですか? カトリーヌさんは一人でワンホール完食されるんですよ?」
「はぁ!?」
あの細い体のどこに吸収されているんだ!?
リチャードはカトリーヌの思わぬ大食いに驚きを隠せなかった。
<つづく>
村の外れにある鍛冶場の近くにある井戸を覗き込んだヴァーグは、底にキラキラと輝く青い結晶が沈んでいるのを確認した。
「だから言ったじゃろ!」
「でも、他の井戸を調べても、結晶は何処にもなかったんですよ。どうしてここだけにあるんですか?」
鍛冶場の井戸に着くまでの間、ヴァーグは井戸という井戸の底を調べたが、青い結晶があった形跡はなかった。
それなのにこの井戸の底には結晶が沈んでいる。
「流れ着いた…ってことはないですよね。この鍛冶場の井戸は、貯水施設から一本の水道管で繋がっているから、どこも経由していないし」
ヴァーグはパソコンを立ち上げて、村を張り巡らせている水道管の配置を見ていた。確かに鍛冶場の井戸は村の外れにある事で、直接貯水施設と繋がっていた。
「何が原因で結晶ができるのかは、わしにも分からん。昔も、騎士団の遠征先で偶然見つけて王都に持ち帰ってきたぐらいだからな」
「採取場所とかも正確には分からないってことですか?」
「ある程度の場所は把握しているが、気候の変動で今もその場所にあるかはわからないな」
「今は手に入らないんですよね?」
「前の騎士団団長が誰にも言わずに引退した。研究所も採取場所を聞き出そうとしたが、頑なに口を割らなかったそうじゃ。今は国外に出て、平和な老後生活を送っているそうじゃ」
「どうして誰にも言わないのかしら?」
「この結晶が大きな戦争を引き起こすと考えたんじゃろ。水の結晶は生活に使うには何の問題もないが、兵器として使うとなると大きな災害を引き起こす。無限に水を出すことができる水の結晶を使えば、大洪水が起き、村を壊滅することだってできるじゃろうな」
「管理が必要ですね」
「管理ならわしらがやるぞ?」
「村での管理はゲンさんでもできますけど、一応王都にも知らせた方がいいと思うんです。王都に知らせずに隠していたら、あの村は兵器を隠し持っているって知れ渡った時が怖いですからね」
「王都から役人を呼ぶのか?」
「エテさんに頼もうと思っています。エテさん、王室を離れたがっていたので、この村に移住するための口実が欲しかったんです。エテさんに管理を任せるように国王様に伝えます」
「まあ、あの王子なら適任だな。他の王子や王女は何をやってもダメだ。ありゃ、生母たちが王子たちをダメにしている」
一時期、王宮に出入りしていたこともあり、ゲンは王宮の内部事情にも詳しい様だ。
「ゲンさんは他の王子や王女の事に詳しいんですか?」
「エテ王子が生まれるまでは王宮に出入りしていた。上四人の王子・王女の生母は、元々は国王の妃候補でな、名門貴族や大臣たちの血縁関係者ばかりだ。国王の妃になれば実家には毎年まとまった金は入るし、名誉は与えられるし、役職も与えられる。何をやっても許されるから、やりたい放題だ。今の王妃の実家はでしゃばることもないし、妃候補たちの試験中も一番まともだった。遠い親戚に隣国の先代ボルツール公と繋がりがあるからか、先代国王も先代王妃も大いに気に入っていた。何よりも国王自身が王妃を気に入っていたからな」
「し…試験って、妃になるための試験があったんですか?」
「ああ。妃候補たちに、一年間だけ王宮に住んでもらって、全員に同じ金額の金を毎月与え、どれだけ王妃に相応しいかを試していた。他の候補者が湯水のように金を使う中、王妃だけは必要最低限しか使わなかった。月終わりに清算するんだが、余った金は寄付していた。財政を圧迫しない、国の行事に進んで参加する、いつも国王を支えるという姿勢が気に入られたんだろ」
「じゃあ、今の側室は…」
「妃候補だった者たちだ。王妃の世継ぎが望めないとわかった途端、側室に立候補してきた。側室も正妃と同様の扱いを受けられる為、我儘し放題だ。その母親を見て育った王子・王女も我儘になってしまった。エテ王子が成長し、他の王子・王女と違う行動をしてもお構いなしさ。だが、二番目のセリーヌ王女はなにかを察したのだろうな。途中で態度を改めた。三番目と四番目の王女もエテ王子の背中を見て育ったようなものだ。だが他の王子・王女は変わらなかった。自分たちが次期国王になるんだからって、我儘し放題だ」
「財政は圧迫していないんですか?」
「財務大臣が実権を握っているから、なんとでもなるんだろ。それに、市民たちを罰して財産没収すれば、その金は自然と王宮に入ってくるからな」
「じゃあ、ジャン君に没収された財残が戻らなかったのは…」
「使い込んでしまったんだろ。でも、まあ、ケインのお蔭でジャンもこの村で暮らせるようになったし、王都追放と言っても今年いっぱいだ。罪を償うための奉仕とか表向きには言っていたが、ちゃんと生活を保障してくれるんだろ、ヴァーグ殿」
「そのつもりです。なぜかケインが大きな土地を国王様から譲り受けたので、村ではできなかったことを進めていくつもりです」
「ケインも変わったな。これもヴァーグ殿のお蔭じゃな」
ゲンはかっかっかっ!!と豪快に笑い出した。
確かにケインは変わった。初めて会ったころと比べて逞しく成長し、今では自分の意見も言うようになった。料理も腕を上げ、一度教えたことはすぐに習得する。未だに方向音痴であることを除けば、16歳にしてはしっかりしている。
ヴァーグは女神が付けたスキルの一つを思い出した。
「【指導者】 あなたには何かを教える才能が有ります。それを活かしてスキルを付けました。これは指導する人の隠れた能力を最大限に引き出すことができます。目に見えない能力なのでスキルが発生しているのか分かりづらいですが、あなたと触れあう人は必ず成長するってことですね」
目に見えないスキルの為、本当に発動しているのか不安だったが、ケインの成長を見ると不安になる事はなかった。
ケインだけではない。ラインハルトも自分の意見を持つようになり、村人からいい評判のなかったマックスは、今では村人たちに頼りにされている。デイジーやナンシーも自分の道を見つけ、ゲンも現役復帰した。
きっとエテ王子やリチャード達も変わっているだろう。それを直に確かめるのは難しい(出会う前の彼らを知らない事も関係している)が、きっと成長しているに違いない。
「で、ヴァーグ殿。この結晶はどうする? どこかに保管するか?」
「エテさんが定住した時に決めたいと思います。それまではゲンさんが管理してください。必要になったら貰いに来ますから」
「じゃあ、今まで通り15日ごとに、井戸の底をかっさらっていいんだな?」
「はい。…え? 15日ごと? 毎日貯まるんじゃないんですか?」
「毎日は貯まらん。何故か15日ごとに結晶が貯まっている。たぶん、15日周期でここに集まるんだろうな」
「へ~~…」
なぜ15日間隔で結晶が貯まるのか、この時は分からなかった。
だが、その後の調査でとある自然現象が関係している事に気付くことになる。
国王から広大な土地を譲り受けたケインは、リチャードと共に土地の視察に出かけた。
国有地と言っても、ほとんどが手が付けられていない荒れ地や森、大きな湿地帯、くすんだ色の池など、一目で放置されていたことが分かる。
オルシアに乗って空から視察しているケインは、国が管理しているんじゃないのか?とリチャードに訊ねた。
「国は管理していない。ここら辺一帯は、元々は貴族の持ち物だった。何代か前の国王に反発した貴族たちから取り上げたものだ」
「財産没収みたいなもの?」
「そういった方が早かったな。昔、国王と貴族の間で争いがあったんだ。その時国王に刃向かってきた貴族たちを王室侮辱罪として、ありとあらゆる財産を没収した。その貴族たちが持っていた土地がここら一帯だ」
「何が原因で争っていたんですか?」
「当時の国王が、王妃を溺愛していた為、我儘王妃の言いなりだったんだよ。三年連続、同じ王妃と豪華な結婚式を挙げたり、王妃が欲しいという物をすべて与えたり、国の財政は圧迫していた。で、国王に忠誠を誓う証に貴族から多額な寄付金を寄越せと国王が言ったものだから、貴族たちが猛反発。それで大きな内戦となった」
「因みにその寄付金の金額は?」
「一か月で5000万エジル。王室の一か月の必要経費の半分だ」
「ご…5000万!?」
あまりの高額にケインは顎が外れるのではないかというぐらい大きな口を開けた。
前に王宮でオルシアの鱗を2枚オークションにかけた。その2枚は約800万エジルで落札された。それを考えても1か月で5000万エジルは高すぎる。温泉宿の温泉は一回の入浴に500エジル掛かる。1日一回入浴するとして、5000万エジルを使い切るには一生が終わってしまう。(1エジル=約1円)
「取り上げたはいいが、誰も管理しなかったため、こんな土地になってしまった。まあ、王室もこの土地の使い道など何も考えていなかったからな。なにか施設を作れば金は掛かるし、維持費も掛かる。だったら手を付けない方がいいだろうと、王室はこの土地を放置した」
「勿体ないな。これだけの広さがあれば学校はできるのに」
「学校?」
「ヴァーグさんから教えてもらったんです。ヴァーグさんがいた土地では、6歳から15歳まで必ず学校に通わないといけなかったって。『ギムキョウイク』とかいう物で、法律で決まっていたらしいですよ。学校では母国語や外国語、計算式、科学実験、植物観察、国内と外国の歴史、絵画や料理まで習ったって言ってました」
「子供にそんなに教えるのか!?」
「それだけじゃないですよ。15歳で学校を卒業すると、更にその上の『高校』や『大学』、『専門学校』に通って、自分が将来なりたい職業の為の勉強をするって言ってました。ヴァーグさんのいた土地では、自由に自分が好きな職業に就くことができるみたいです」
「そんな国があるのか!?」
「俺も驚きましたよ。でも、ヴァーグさんはそれが『当たり前』で、何の疑問も持たなかったそうです。ヴァーグさんも『高校』までは通ったって言ってました。それに、今、村では保育所を開設していますが、そこで働く人も専門の学校を卒業して、働く資格がないと働いては行かなかったらしいんです。若くても経験と知識があれば、特殊な職業に就くことができたようです」
「まあ、王都で手に職を持っている人は、親がその職業をしていて、小さい時から手伝ったりして経験を積んでいる人が多いからな。育成学校もある程度の知識と技能がないと、いくら卒業しても職はないし」
「学校を作る事は国王様も承諾しているので、後は土地の確保だけですね。学校だけあっても潰れるだけって、ヴァーグさん言っていたし」
「どういうこと?」
「その学校に通う子供たちを近くに住まわせないと、通うだけでも疲れちゃう…らしいです。ヴァーグさんの考えでは、学校の周りに住める場所を作って、更にその周辺に買い物ができる場所、子供たちが遊ぶ場所、家族で出かけられる場所を作らないと、学校は成り立たないらしいです」
「つまり、遠くに出かけなくても学校に通え、買い物もでき、さらに遊ぶ場所まで作って、1つの街にするってことかね?」
「ええ」
ただ学校を作るだけではなく、そこに通う子供たちの事、子供たちの親の事、生活に関わる事まで考えている事にリチャードは驚いた。物事のその先まで見通しているヴァーグの頭脳は、今の王室に必要なのかもしれない。
ただ自分の優位になるように物事を決める今の大臣たちでは、国はいつか滅ぶだろう。そうなる前に改革しなければならないが、ヴァーグのように先を見ている人は誰もいない。
前にゲンが「たとえ王都が衰退しても、どこかが代わりの王都になる」と言っていた。もしかしたら、これから誕生するヴァーグの作る街がそうなるのではないだろうか……見えない未来にリチャードは不安よりも期待感の方が大きかった。
ケインはオルシアに地上に降りるように命じた。
オルシアが降り立ったのは、草1つ生えていない荒れ地だった。
「ここ、元々は何だったんですか?」
「元々はどっかの伯爵の屋敷が建っていたようだな」
国王から渡された古い地図を見ながらリチャードが答えた。
どこまでも続く砂煙の舞う荒れた土地からは、ここに貴族の屋敷があったことは想像つかない。長い間、誰も足を踏み入れなかった不毛の地は、どこか淋しい風景だった。
「…あれ?」
辺りを見渡していたケインは、前方に地面から垂直に建っている長方形の影を見つけた。
「リチャードさん、あれって何ですか?」
「どれだ?」
風で砂煙が舞う中、リチャードは目をケインが指さす方へと向けた。
「地図からすると、屋敷の庭にあった何かだと思うが……行ってみるか」
リチャードはケインとオルシアと共に謎の影の方角へと歩き出した。
ケインが見た影は、大きな壁だった。長い間、放置されていたことで、雨風で風化が進み、今にも崩れ落ちそうなレンガの壁だ。
そのレンガの壁の周りには転々と紫の小さな花が咲いていたが、手で触れると花弁はカサカサで水気はまったく感じられなかった。
「元々は屋敷を取り囲む塀だったんだろうな」
軽くレンガの壁にリチャードが触れると、煉瓦は細かい砂となって風に巻き上げられた。
どんな屋敷が建っていたのか、どんな人が住んでいたのかはわからないが、微かに残った地面の花壇の形跡に、丁寧に手入れされた庭があったんだろうと、その予測はつく。
「ケイン」
荒れ果てた土地を見渡していたケインの背中を、オルシアが突いてきた。
「どうした?」
「あれを見ろ」
オルシアは紫の小さな花が比較的集まっている所を指さした。
特に変わった様子はない。ただ小さな花が咲き、風に揺れているだけだった。
オルシアは何を見つけたんだ?
動かそうとしないオルシアの視線の先をじーっと眺めていると、乾いた地面に小さな黒い円が等間隔に浮かび上がってきた。地面に水滴が落ちているようだ。
「…なに、あれ…」
雨も降っておらず、周りには何もないのに、その黒い円は一番元気がありそうな一本の花に向かって続いており、よく見るとその花の根元が水で濡れていた。
「妖精か」
「よ…妖精?」
「植物の妖精だな。だが、だいぶ弱っているようだ」
「オルシアは見えるのか?」
「念ずれば見えるはずだ」
そんな簡単に言うなよ…ケインは半信半疑で目を閉じ、「見えろ~見えろ~!」と心で念じた。
そっと目を開けると、根本が水に濡れている花の傍らに、薄紫色の長い髪を左サイドの高い位置で一つに纏め、レモン色の瞳を持った、髪と同じ色のワンピースを着た30cmぐらいの女の子が一人立っていた。その女の子はクルミと思われる木の実の殻の中に入れた水を花にかけていた。
「本当に見えた…」
「この辺りに草木が無くなったことで、力を失いつつあるようだ。この花があの妖精の生命力なのだろう」
「じゃあ、この花が枯れたら…」
「生きることはできないはずだ」
今にも倒れそうなほどフラフラとしている妖精は、花に水をかけ終わると、背中の羽根を羽ばたかせて宙に舞い上がった。だが、浮いたのは地面すれすれで、羽ばたかせている羽根も力が入っていない事は一目瞭然だった。
オルシアは手を貸さなかった。それが自然の掟だと言うことを十分に理解していたからだ。
「助けちゃダメ?」
「我は自然界に生きる物。これが自然の掟だと悟っている。だが、ケインは人間だ。助けたいと思うのなら助ければいい。ただ、ケインとあの妖精の相性が良くないと、妖精は更に体力を失う」
「一か八かってことか…」
ケインは「よし!」と気合を入れ、妖精に歩み寄った。
妖精はケインにも気づかず、地面から数センチ上を飛び続けた。
「水を…水を……早く…」
今にも消え入るそうな声で、水を求めて飛び続ける妖精だったが、ついに力尽きてしまった。羽根に力が入らず、地面に倒れ込むも、妖精は腕の力だけで前に進もうとしている。
そんな痛々しい姿に我慢できなくなったケインは、地面に倒れ込む妖精を手のひらに乗せ、オルシアに飛び乗った。
「リチャードさん! 村に帰ります!!」
「え? 今!?」
「急用です!」
早く乗れと言わんばかりに声を張り上げるケインに、ただ事ではないと察したリチャードもオルシアの飛び乗った。
村に戻ってきたケインは、ヴァーグがいるであろう保育所に飛び込んだ。
「ヴァーグさん!!」
突然飛び込んできたケインの大声に、ヴァーグは喫茶店を利用としていたお客たちに出した水をこぼしそうになった。
「ど…どうしたの、ケイン」
「この子を助けてください!」
ケインは両手をヴァーグの前に差し出した。
差し出されたケインの手を覗き込んだお客たちは、何も乗っていないケインの手を不思議そうに眺めていた。
だが、ヴァーグにはケインの手のひらに乗る薄紫色の髪の妖精が見えたようだ。
「どこで見つけたの?」
「国王様から貰った土地をリチャードさんと偵察していたら、この子を見つけたんです。オルシアが言うには植物の妖精で、生命力となる花が枯れてしまったので弱っているらしいんです」
「わかったわ。この子が大切にしていた花は覚えてる?」
「はい!」
ヴァーグはカウンターから植物の図鑑を持ってきて、テーブルに広げた。
ケインがどういう花だったと言う前に、ヴァーグはお目当ての花を引き当ててしまった。
「これであってる?」
「は…はい、そうです」
「これなら持っているわ」
ヴァーグはウエストポーチ(新しく購入したアイテムボックス)から、紫色の小さな花の束を取り出すと、開いた図鑑の上に置いた。
「ここにその子を乗せて」
ヴァーグに言われるまま紫色の花束の上に妖精を下すケイン。
周りで見ているお客たちは何が行われているのかわからず、ただ見つめているだけだった。
しばらくすると、妖精の周りが紫色に光り始めた。
その光はお客たちにも見えたのか「おおーーー!」と歓声が上がった。
「もう大丈夫みたいね」
妖精の下に敷かれた紫色の花は枯れてしまった。妖精が花の養分をすべて吸い取ってしまったようだ。
「すみません、ヴァーグさん。その花、大切な物だったんですよね?」
「気にしなくていいわ。春になればまた育てるから」
「育てることができるんですか?」
「ええ。一年に二回、育てることができるから、ケインのお父さんの畑を借りて少しだけ育てていたのよ。まだ改良中だから製品化はできないけど、花を砂糖漬けにしてお菓子に使おうかなって思っているの」
「食べられるんですか!?」
「もちろん。好き嫌いはあると思うけど、アイスに添えたり、ケーキに添えると見栄えが華やかになるからね」
「花が食べられるなんて…」
ケインだけではなく、話を聞いていたお客も驚いていた。
「でも、この子、もう元の土地には戻れないわね」
「え? なんで?」
「この子がいた場所では花は育たなかったんでしょ? 元の場所に戻したら、また同じことの繰り返しよ。このまま保護した方がいいのかもしれないわ」
「保護って言っても、どうやって?」
「契約すればいいのよ。契約を結んでしまえば、この花がなくてもこの子は生きていられるわ。契約した主に仕えるからね」
「なるほど!」
「じゃ、ケイン、この子との契約はあなたに任せるわね」
「俺!?」
「だって、私が契約しちゃったらアクアが嫉妬しちゃうもの。それに、ケインが見つけて助けてあげたのだから、あなたが主になる素質はあるわ。ここまで連れて来られたんだもの」
「相性がいいってこと?」
「そういうこと。契約のやり方は覚えてる? 眠っていても返事が返ってきたら契約できるわ」
確かにオルシアからは相性が良ければ助けることができると教えられた。
だが、契約をするにはこの妖精に名前を付けなくてはならない。ケインは名づけが苦手なのだ。
「因みに、この花の名前は?」
「私が前にいた場所では『スミレ』って呼ばれていたわ。他にも『ビオラ』とか、『ヴァイオレット』とか」
「……『スミレ』か……」
ケインは図鑑の上で眠る妖精の頭に、そっと右手で触れた。
「植物の妖精を『スミレ』と名付ける」
そう名前を付けると、妖精の体が緑色に包まれた。これは相手が契約に応じる合図だ。
「わたし、スミレは、何時如何なる時も主ケインに仕えることを誓います」
妖精の声が返ってきた。
すると、妖精の体から緑色の球体が飛び出し、ケインの右手を包み込んだ。
その光が消えると、ケインに右手首には緑色で編み込まれた紐が結びついており、『スミレ』という名前が黒い紐で編み込まれた。
契約は成功したようだ。
ケインが手首に巻きつけられた紐ーミサンガを眺めていると、見物人だったお客たちがざわつき始めた。どうやらお客たちにも妖精の姿が見えるようだ。
薄紫色の髪を左サイドで一つに纏めたその妖精は、何故か服が変わっていた。さっきまでは髪と同じ色のワンピースを着ていたのに、今の妖精は、白いワンピースに、薄紫色の袖のないボレロ、ワンピースの腰には黄色いベルトを着けており、靴は緑色のショートブーツを身に着けていたのだ。
「服が変わってる!!」
「主に仕えるための正装って事かしら? スミレの妖精に相応しい色合いね」
オルシアたちは服を着ていなかった。だから見た目は変わらなかったが、こうして服を着る生き物は契約すると服装が変わることを発見した。これはヴァーグも驚きの発見だ。
妖精ースミレはゆっくりと目を開けた。
最初に目に入ったのはケインの顔だった。
「ここは…?」
「俺の村。ごめん、君に断りもなく連れてきちゃった」
「…あれ? 服が変わってる!?」
「それも断りもなく契約を結んじゃった。君を助けたかったんだ」
「契約? そういえば夢の中で…」
スミレは眠っている間に見た夢を思い出した。その夢は一人の青年が名前を付けてくれた。その声に暖かさを感じ、この人なら助けてくれる! そう信じて返事をした。それらの夢は夢ではなかったようだ。
「本当にごめん。あのままだと君は生きていけないと思ったんだ。ヴァーグさんに頼んで花を用意して貰って、君を助けた。それに前の場所に戻しても、また同じことを繰り返すと思って、それで生かせるために契約を結んだんだ。君の断りもなく申し訳ない」
ケインはスミレに向かって頭を下げた。
「いえ、頭をあげてください! わたしは助けていただけて嬉しいです! これからも宜しくお願いします!」
スミレは正座をしたまま頭を下げた。
その光景が嫁に入る娘のようで、周りで見ていたお客たちはクスクスと笑い出した。
「ご挨拶は終わったかしら?」
ヴァーグも同じようにクスクス笑っていた。
恥ずかしくなったスミレは両手で顔を覆って、赤くなった顔を必死になって隠した。
「新しい住人の歓迎に、これをどうぞ」
ヴァーグはスミレの前に三枚のクッキーが乗った皿を置いた。
初めて見る物体にスミレは戸惑った。いい香りはするが、これは何だろう? 一枚を手に取ってみるが、これがどういう物なのかわからなかった。
「それは食べ物だよ。妖精は食べれないのかい?」
スミレは頭を横に振った。森の中では木の実などを食べていたことがある。でも、今手にしているのは木の実とも、キノコとも違う。嗅いだことのない匂い、触ったことがない感触、見たこともない形に戸惑うばかりだ。
意を決して一口、噛り付いた。
クッキーに噛り付いたスミレが、ワナワナと肩を震わせていた。
「美味しくなかったのかしら?」
ヴァーグは心配になった。が、すぐに笑みを取り戻した。
スミレは二口目、三口目と頬張り、満足した笑みを浮かべていたのだ。その顔は、初めてたい焼きを食べたケインの顔と似ていた。
「焦らなくても取ったりしないよ。ゆっくり食べな」
ケインはスミレの頬に付いたクッキーのカスを取りながら、頬杖を突きながら彼女の食べっぷりを嬉しそうに見つめていた。
因みに、ケインと一緒に村に戻ってきたリチャードは、庭で遊んでいた子供たちに捕まっていた。
更にエミーとの婚約も村中に知れ渡っているので、子供たちを迎えに来た母親たちにからかわれ、王都に戻る頃には疲れ果てていた。
「お土産にこれをどうぞ」
疲れ切ったリチャードに、ヴァーグは三個のホールケーキを渡した。
「こんなに食べきれないよ」
「あら、ご存じないのですか? カトリーヌさんは一人でワンホール完食されるんですよ?」
「はぁ!?」
あの細い体のどこに吸収されているんだ!?
リチャードはカトリーヌの思わぬ大食いに驚きを隠せなかった。
<つづく>
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