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百合藍司
化合2
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サンバという言葉は身近だけど、自らがやるものだと認識している人は多くはないやろう。
他のダンスジャンルのように、部活や習い事の延長には無く、趣味の選択肢に入っていることも稀や思う。
土日の出勤を控えるのとセットで、サンバチームに入会することをカノジョに説明した時も、最初に言われた言葉は「サンバってやれるものなの?」だ。
やるものという認識がなされていない覚悟はあった(ボクもそうやったな)が、普通の人がやっても良いものとすら思われていなかった。
サンバダンサーは芸能事務所などに発注して呼ぶもので、所属タレントが必要に応じてサンバダンサーを演じているものと思っていたところまではボクと同じ思い込みやが、曰く、衣装は製作スタッフが作るもので、だからテレビに出る人しか着られないと思っていたのだと。
ボクも深く考えたことがなかったが、弧峰さんと知り合い、『ソルエス』と出会っていなくて、サンバダンサーはどこにいるのかを考えたとしたら、同じような答えを出していたかもしれない。
せっかく業界に身を置くなら、将来的にはクリエイティブの力でもっとサンバを広められたらなとも思っていた。
メンバーになったからには祭りは成功させたいし、演奏は失敗したくないとも。
打楽器はひとりのずれがバテリア全体にも、ダンサーのパフォーマンスにも影響を与えてしまう。
ノーミスで演奏し切るのは大変やのに、ノーミスが前提なら称賛はされない。
当然やけど目立つのは花形の女性ダンサーだ。それでも、ボクはこのポジションが好きやと思えた。
バテリアの演奏でダンサーをノセる。踊らせる。その立ち位置が良い。
一方メロディーや歌の無い、打楽器のみで演奏する『バツカーダ』ではバテリアが主役にもなりうる。
打楽器のみでもショーとして成立するのは音の迫力や多彩なリズムの展開があるからやないだろうか。
その在り方はコピーライターの仕事に似ていると思った。
コピーは基本的にはクリエイティブの添え物だが、無くてはならない重要なものである。そして時には、エッジの効いた言葉は独り歩きするほどの存在感を持つこともある。
ボクが選んだのはタンボリンという楽器やった。
サンバの演奏では高いピッチを担当する。
タンボリンのボクたちが、速く高い音を鳴らすと、その音に合わせてダンサーたちが速いノペを踏む。
心の中で『おどれおどれー!』などと思てしまう。まだノペを踏みこなせない渡会や暁さんに必死にステップを踏ませているように感じて少し快感さえ覚える。
もちろん僕自身もまだまだ不慣れで、複雑なパターンになってくるとわたわたしてもうて、余計なことを考えている余裕などすぐに無くなるのやけど。
しかし、バテリアの楽しさの真髄はそこやないことに気づきつつもあった。
楽曲があり、いろいろな楽器がいて、ダンサーがいる。
当たり前やけど、個人で成り立つものではない。大きな音を出せれば良いわけではなく、早く鳴らせれば良いわけでもなく、テクニカルな奏法に長けていれば良いというわけでもない。
ユニゾン、ハーモニー、コラボレーション、シナジー。
あらゆる役割の存在がひとつの目的のためにまとまり、機能することでひとりでは表現できないことが成し遂げられるのだ。
これも仕事に似とるなと思った。
クリエイターと呼ばれる業種ではある。
創造性を発揮するため、感性を、技術を、磨き尖らせ続けることが道やと思っていた。例えば孤高のアーティストのように。
しかしそれは思い違いやった。
クライアントから発注を受ける立場である以上、クライアントの目的を果たす役割を担わなあかん。多くの場合、顧客や就活の学生など、クライアントにとって届けたい相手、動かしたい相手がいた。
コピーだけが鮮烈すぎて、文字通り浮いてしもとるクリエイティブはもしかしたら誰かの記憶には残るかもしらんが、クライアントが動かしたい相手が、思うような動きをしてくれるものになっとるやろか?
プロダクトという実際に存在するものを無視して、コピーの力だけでクライアントが動かしたい相手のイメージを膨らませすぎてしまったら、本当の満足を与えることはできるやろか?
弧峰チームでの仕事では、その辺りのことをいつの間にか意識するようになっていた。
ボクが大人になったのか、チームに恵まれたのかはようわからん。ただ、丸なってつまらんようになったとは思わなかった。
むしろひとりでは為し得ない仕事の深淵の一端に触れたようで、一層この仕事の奥深さを感じられた。
その楽しさを知りかけていたボクにとって、バテリアの真の楽しさに辿り着くのは必然と言えた。
指揮者の役割を持つヂレトールから移動の号令が掛かった。
練習はバテリアとダンサーに分かれておこない、後半はバテリアがダンサーの練習場に移動して合同練習となる。
バテリアとダンサーが合同で練習することを『エンサイオ』と言うそうだ。
バテリア練習をストイックに取り組むのも特に初心者である今のボクには必須なことやけど、イベントを見据えるならダンサーのパフォーマンスと合わせて行うエンサイオも重要や。
臨場感があって楽しさもあった。バテリア練習で既に手首が疲れているが、きっと無意識に不必要な力が入ってしまっていたんやろう。エンサイオではその辺りを意識して鳴らしてみよか。
ボクも随分前向きになったもんやな。
それだけサンバには、やらないとわからない魅力があったことを実感していた。
他のダンスジャンルのように、部活や習い事の延長には無く、趣味の選択肢に入っていることも稀や思う。
土日の出勤を控えるのとセットで、サンバチームに入会することをカノジョに説明した時も、最初に言われた言葉は「サンバってやれるものなの?」だ。
やるものという認識がなされていない覚悟はあった(ボクもそうやったな)が、普通の人がやっても良いものとすら思われていなかった。
サンバダンサーは芸能事務所などに発注して呼ぶもので、所属タレントが必要に応じてサンバダンサーを演じているものと思っていたところまではボクと同じ思い込みやが、曰く、衣装は製作スタッフが作るもので、だからテレビに出る人しか着られないと思っていたのだと。
ボクも深く考えたことがなかったが、弧峰さんと知り合い、『ソルエス』と出会っていなくて、サンバダンサーはどこにいるのかを考えたとしたら、同じような答えを出していたかもしれない。
せっかく業界に身を置くなら、将来的にはクリエイティブの力でもっとサンバを広められたらなとも思っていた。
メンバーになったからには祭りは成功させたいし、演奏は失敗したくないとも。
打楽器はひとりのずれがバテリア全体にも、ダンサーのパフォーマンスにも影響を与えてしまう。
ノーミスで演奏し切るのは大変やのに、ノーミスが前提なら称賛はされない。
当然やけど目立つのは花形の女性ダンサーだ。それでも、ボクはこのポジションが好きやと思えた。
バテリアの演奏でダンサーをノセる。踊らせる。その立ち位置が良い。
一方メロディーや歌の無い、打楽器のみで演奏する『バツカーダ』ではバテリアが主役にもなりうる。
打楽器のみでもショーとして成立するのは音の迫力や多彩なリズムの展開があるからやないだろうか。
その在り方はコピーライターの仕事に似ていると思った。
コピーは基本的にはクリエイティブの添え物だが、無くてはならない重要なものである。そして時には、エッジの効いた言葉は独り歩きするほどの存在感を持つこともある。
ボクが選んだのはタンボリンという楽器やった。
サンバの演奏では高いピッチを担当する。
タンボリンのボクたちが、速く高い音を鳴らすと、その音に合わせてダンサーたちが速いノペを踏む。
心の中で『おどれおどれー!』などと思てしまう。まだノペを踏みこなせない渡会や暁さんに必死にステップを踏ませているように感じて少し快感さえ覚える。
もちろん僕自身もまだまだ不慣れで、複雑なパターンになってくるとわたわたしてもうて、余計なことを考えている余裕などすぐに無くなるのやけど。
しかし、バテリアの楽しさの真髄はそこやないことに気づきつつもあった。
楽曲があり、いろいろな楽器がいて、ダンサーがいる。
当たり前やけど、個人で成り立つものではない。大きな音を出せれば良いわけではなく、早く鳴らせれば良いわけでもなく、テクニカルな奏法に長けていれば良いというわけでもない。
ユニゾン、ハーモニー、コラボレーション、シナジー。
あらゆる役割の存在がひとつの目的のためにまとまり、機能することでひとりでは表現できないことが成し遂げられるのだ。
これも仕事に似とるなと思った。
クリエイターと呼ばれる業種ではある。
創造性を発揮するため、感性を、技術を、磨き尖らせ続けることが道やと思っていた。例えば孤高のアーティストのように。
しかしそれは思い違いやった。
クライアントから発注を受ける立場である以上、クライアントの目的を果たす役割を担わなあかん。多くの場合、顧客や就活の学生など、クライアントにとって届けたい相手、動かしたい相手がいた。
コピーだけが鮮烈すぎて、文字通り浮いてしもとるクリエイティブはもしかしたら誰かの記憶には残るかもしらんが、クライアントが動かしたい相手が、思うような動きをしてくれるものになっとるやろか?
プロダクトという実際に存在するものを無視して、コピーの力だけでクライアントが動かしたい相手のイメージを膨らませすぎてしまったら、本当の満足を与えることはできるやろか?
弧峰チームでの仕事では、その辺りのことをいつの間にか意識するようになっていた。
ボクが大人になったのか、チームに恵まれたのかはようわからん。ただ、丸なってつまらんようになったとは思わなかった。
むしろひとりでは為し得ない仕事の深淵の一端に触れたようで、一層この仕事の奥深さを感じられた。
その楽しさを知りかけていたボクにとって、バテリアの真の楽しさに辿り着くのは必然と言えた。
指揮者の役割を持つヂレトールから移動の号令が掛かった。
練習はバテリアとダンサーに分かれておこない、後半はバテリアがダンサーの練習場に移動して合同練習となる。
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バテリア練習をストイックに取り組むのも特に初心者である今のボクには必須なことやけど、イベントを見据えるならダンサーのパフォーマンスと合わせて行うエンサイオも重要や。
臨場感があって楽しさもあった。バテリア練習で既に手首が疲れているが、きっと無意識に不必要な力が入ってしまっていたんやろう。エンサイオではその辺りを意識して鳴らしてみよか。
ボクも随分前向きになったもんやな。
それだけサンバには、やらないとわからない魅力があったことを実感していた。
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